一割
一九八一年(昭和五十六年)十月二十一日(水)
衆議院本会議場。午前十時。
開会ベルが鳴る。
石本は、議場を見渡した。
空席が増えている。
数ではなく、感覚で分かる。
秘書が小声で報告する。
「本日の欠席届、五十二名です」
石本の視線が止まる。
定数五百十一。
五十二。
約一〇・一%。
境界を越えた。
石本は何も言わない。
ただ手元の紙に、小さく書いた。
10.1
討論は続く。
だが声に力がない。
答弁に立つ大臣の背後にも、空席が目立つ。
委員会室では、さらに深刻だった。
「定足数は満たしていますが……」
委員長が言葉を濁す。
実務上は問題ない。
だが議論の厚みが薄い。
専門委員が欠ける。
質疑が短くなる。
審議が簡略化される。
それは“機能している”。
だが、“十分ではない”。
午後。
議院運営委員会。
事務方が数字を読み上げる。
「継続欠席者、四十七名。
三日以上が二十八名」
与野党ともに顔を曇らせる。
野党議員が言う。
「補欠選挙を延期し、欠席者も増える。
この状態で代表制は保たれているのか」
与党側が答える。
「憲法上、三分の一で開会可能です」
野党が返す。
「可能と、正当は違う」
言葉が落ちる。
正当。
代表していると言える水準。
石本は静かに発言を求めた。
「一割を越えた。これは事実だ」
室内が静まる。
「だが、我々はまだ機能している」
否定でも肯定でもない。
「問題は、増加傾向だ」
誰も異議を唱えない。
夜。
議員会館。
石本は資料を見つめる。
若年層に偏る欠席。
重症肺炎報告。
市場の利回り上昇。
点は、もう線になっている。
彼は呟いた。
「三分の一まで、余裕はある」
三分の一。百七十名。
まだ遠い。
だが政治は、数だけで動かない。
一割で不安が広がる。
二割で機能が鈍る。
三割で――信任が崩れる。
石本は初めて、具体的に想像した。
「……三割」
その数字を思った瞬間、
初めて寒気が走った。
まだ、そこまでは行っていない。
だが増加が続けば。
制度は残る。
だが、代表は空洞化する。
■ 総理府の小会議室
机を寄せる顔ぶれが集まる。
代行ライン――肩書きのない線。
涼子が言う。
「国会欠席が一割を超えました」
小坂が答える。
「現場でも動揺が出ます」
佐々木。
「市場は、これを政治不安と見ます」
石本はゆっくりと言った。
「ここからは、“時間との競争”だ」
原因究明。
医療対策。
財政準備。
制度維持。
どれも遅れれば、欠席は増える。
国家はまだ立っている。
だが今日――
一割
という線を越えた。
それは宣言ではない。
しかし、誰もが理解する境界だった。




