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回らない腕
一九八一年(昭和五十六年)八月三十日(日)。
義雄の息子、亮が熱を出した。
二十三歳。
自動車整備工。
三十八度五分。
翌日、三十九度。
町の病院の待合室には、若い男ばかりが座っていた。
同じような顔色。
同じような咳。
年配の患者は、ほとんどいない。
医師は言った。
「夏風邪でしょう」
だが、義雄は信じなかった。
翌週。
港湾労組の簡易集計。
二十代――欠勤率三割。
三十代 四十代――二割。
四十五代以上――ほぼゼロ。
会議室が静まる。
誰も「偏り」という言葉を使わない。
「人手が足りん」
それだけが共有された。
コンテナの滞留が始まった。
輸入穀物の船が沖で待機する。
県庁に報告が上がる。
『若年作業員の欠勤増加』
理由欄は空白。
港は、まだ動いている。
だが。
動かしている腕の一部が、
静かに消え始めていた




