侵入者
静寂に包まれた調薬室の重厚な扉が、無遠慮な音を立てて叩かれた。
カイルの眉間が不快げに寄せられ、冷たい瞳へと変化する。
「……入れ」
カイルの許しを得て足を踏み入れたのは、白銀の甲冑を纏った騎士、フェリクス。
彼は王国の若き英雄であり、かつてリリアーヌの護衛騎士を務めていた男だった。
フェリクスの視線は、部屋の奥、カイルの外套に包まれて大理石の台に座るリリアーヌの姿を捉えた瞬間、驚愕と怒りに燃え上がった。
「カイル殿……! これは一体どういうことだ。リリアーヌ様が行方不明だと騒ぎになっているというのに、貴公はこのような不衛生で薬臭い部屋に彼女を連れ込み、何を……!」
フェリクスの一歩が、部屋の空気を切り裂く。
しかし、カイルはリリアーヌの肩を抱いたまま、微動だにしない。それどころか、見せつけるように彼女の首筋に指を滑らせ、真紅のネックレス――「枷」を誇示した。
「不衛生、か。私の聖域を汚すのはその言葉だ、フェリクス。彼女は自らの意志でここにいる。私の腕の中で、私の慈悲を乞うてな」
「嘘だ! 彼女がそのような不自由を望むはずがない。その首飾り……禍々しい魔力を感じる。貴様、術で彼女を操っているのか!」
フェリクスが腰の剣の柄に手をかけた瞬間、室内を支配する緊張感が一気に膨れ上がった。
カイルの周囲で、氷の結晶が鋭い刃となって宙に浮遊し、フェリクスの喉元を狙った。
「近づくな。その汚れた鉄の塊を、彼女に向けるな」
カイルの低い声が室内に響く。
彼はリリアーヌの耳元に唇を寄せ、フェリクスを凝視したまま囁く。
「……聞こえるか、リリアーヌ。君の『騎士様』が助けに来たぞ。どうする? 彼の腕に飛び込み、あの日のように雪の中を駆けて逃げるか? それとも――」
カイルの手が、ネックレスの赤い石を強く握りしめた。
その瞬間、リリアーヌの全身を甘美な熱情と微かな痛みが駆け抜ける。それは、彼女の意識をカイルという存在に縫い付けるための、強力な魔力の強制力。
リリアーヌは、青ざめた顔で立ち尽くすフェリクスを一瞥し、ふっと艶やかな笑みを浮かべた。そして、カイルの胸元にわざとらしく寄り添い、その白い指先で彼の漆黒の髪に触れながら言った。
「フェリクス……。貴方の正義感は、相変わらず眩しすぎる。けれど、今の私には、この調薬室の影と、カイル様が与えてくださる『檻』こそが、何よりの安らぎなのです」
「リリアーヌ様……正気ですか!? その男は、貴女を壊そうとしている!」
「ええ、壊してくださるのなら本望です。……カイル様以外の手に触れられるくらいなら、私はここで、美しい標本となって永遠に眠る道を選びます」
フェリクスの顔から血の気が引いていくのを、カイルは冷酷な愉悦とともに眺めていた。
彼はリリアーヌの腰を強く引き寄せ、フェリクスに背を向けるようにして彼女を包み込んだ。
「聞こえたか。彼女は私のものだ。心臓の一刻み、吐息のひと欠片までな。……王に伝えろ。リリアーヌは死んだ。今ここにいるのは、私の魔力によって生かされている、私の魂の半分だと」
カイルが指を鳴らすと、背後の重厚な扉が魔法の力で勢いよく閉まり、フェリクスを冷たく遮断した。
再び訪れた二人だけの静寂。
しかし、その静寂は平穏とは程遠く、カイルの放つ刺すような殺気と、リリアーヌの荒い吐息だけが、大理石の壁に反響して絡み合っていた。
カイルは、彼女の首筋に食い込ませていた指を離すと、その代わりに彼女の白い喉元を大きな掌でゆっくりと包み込んだ。殺めるためではなく、そこに宿る鼓動を、指先ひとつ残さず支配するために。
「……フェリクスの足音が消えたな。彼は最後まで、君という偶像を追い求めて、この扉の向こうで無様にのたうち回っていたぞ」
カイルの声は、低く、冷淡な響きを帯びていた。
彼はリリアーヌを抱き寄せたまま、彼女の耳元で囁く
「聞こえていたぞ、リリアーヌ。あいつが扉を叩いた瞬間、君の心臓が不快なほどに跳ねたのを。……あれは、かつての護衛騎士に縋りたいという、卑しい期待か? それとも、私という飼い主への裏切りか?」
カイルの魔力が、リリアーヌの首飾りの赤い石を通じて、彼女の全身に冷たく、鋭い刺激を流し込んだ。リリアーヌは小さく悲鳴を上げ、彼の漆黒の外衣を掴む手に力を込める。彼女の視界は、快楽と苦痛が混ざり合っていた。
「……あ、あ……違います……カイル様。私は、ただ……」
「ただ、何だ? 言ってみろ。その汚れた舌で、私を納得させてみろ」
カイルはリリアーヌを大理石の作業台の上へ、強引に押し倒した。
冷たい石の感触が、熱を持った彼女の背中に突き刺さる。
室内には毒草の苦い香りが漂っていた。
リリアーヌは、仰向けにされた状態でカイルを凝視した。
彼の瞳の奥に燃える、醜いほどに純粋な嫉妬。自分を壊してでも手放したくないという、傲慢な独占欲。それこそが、彼女が王宮の退屈な光の中で、ずっと渇望していたものだった。
彼女は、震える指先でカイルの頬に触れ、美しい微笑を浮かながら言った。
「……怖かったのです。あの男の『正義』が、私をこの心地よい闇から引きずり出してしまうのではないかと。……私を救おうとする彼の瞳が、私には何よりも恐ろしい凶器に見えました」
リリアーヌはわざとらしくカイルの首に腕を回し、その耳元で熱い吐息を漏らしました。
「カイル様……どうか、私を繋ぎ止めてくださいませ。あの男の記憶も、王女としての誇りも、すべて貴方の毒で溶かして、何も残らないほどに。……私は、貴方の『標本』として、この部屋の影に永遠に閉じ込められていたいのです」
カイルの瞳が、一瞬だけ驚愕に揺れ、すぐさま底なしの暗い愉悦へと沈んでいった。
彼は彼女の言葉を飲み込むように、深く、暴力的な口づけを落としました。
それは、愛というにはあまりに重く、呪いというにはあまりに甘美な、二人の再契約だった。
カイルはリリアーヌの肌に指を滑らせ、彼女が二度と「光」を思い出せないよう、その身に深い、深い刻印を刻み込み始めるのだった。
「いいだろう、リリアーヌ。今夜は、君の血が私の魔力と完全に同化するまで……その歪んだ望みを、骨の髄まで叶えてやる」
二人の影は、嫉妬という名のスパイスによって変質し、もはや誰にも解けないほどに複雑に、ドロリと重なり合っていくのだった。
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