【カイル視点】琥珀の檻に囚われて
その光景を、僕は一生忘れないだろう。
死の間際、断頭台の露と消えた彼女の首を抱きしめたあの瞬間でさえ、僕の脳裏に焼き付いて離れなかったのは、あの日の、木漏れ日の中の彼女だった。
当時の僕は、帝国において「人」ですらなく、ただの「呪われた獣」だった。
皇帝の不義の子として生まれ、不吉の象徴とされる紅い瞳を持ってしまったばかりに、異母兄たちからは日夜、暇つぶしの玩具のように扱われていた。
泥を投げつけられ、軍靴で踏みにじられ、誰もいない暗い部屋で一人、自分の指を噛んで痛みに耐える。それが僕の日常であり、世界のすべてだった。
親善大使の随行員として王国を訪れた際も、僕は一人、華やかな王城の喧騒から逃げ出していた。
豪華な衣装を着せられていても、中身はボロボロの獣だ。笑い声が聞こえるたびに、胃の奥が焼け付くような不快感に襲われる。
僕は、手入れも行き届かない、城の最果てにある秘密の庭園へと迷い込んだ。
そこは、死んだように静まり返っていた。
生い茂る木々が空を覆い、湿った土と腐りかけた落ち葉の匂いが漂う。
だが、その最奥。白い石造りのベンチに、彼女は座っていた。
まだ十歳にも満たないであろう、小さな、小さな少女。
陽光を透かした髪は、まるで精霊が紡いだ糸のように柔らかく、周囲の陰鬱な空気をそこだけ浄化しているようだった。
彼女は自分よりもずっと大きな分厚い本を膝に乗せ、熱心にページをめくっていた。
ふと、その表紙に描かれた紋章が目に飛び込んできた。
髑髏と、複雑に絡み合う植物の意匠――『王宮禁書・毒草学大系』。
僕は、息を止めた。
無垢な少女と、死を司る禁忌の知識。
そのあまりにも歪な対比に、僕は釘付けになった。僕がこれまで見てきたどんな芸術品よりも、その光景は「正しかった」。
「……あら。だあれ?」
彼女が顔を上げ、琥珀色の瞳を丸くした。
僕はとっさに顔を隠して逃げようとした。この不気味な紅い瞳を見れば、どんな子供も泣き叫ぶか、石を投げてくる。それが僕の知る、人間という生き物の反応だ。
けれど、彼女は逃げなかった。
「こんにちは。貴方も、このお花に興味があるの?」
鈴を転がすような、幼くも澄んだ声。
彼女は小さな指先で、本に描かれた紫色の花――トリカブトの絵をなぞった。
「これね、とっても綺麗なのよ。でも、うっかり触ると、どんなに強い騎士様もずっと眠ったままになっちゃうの。……ねえ、不思議だと思わない? こんなに可愛いお花が、どんな悪い王様も静かにさせちゃう魔法を持っているなんて」
彼女はふふっ、と無邪気に笑った。
その笑顔は太陽のように明るいのに、語る内容は冷徹で、残酷なほどに純粋だった。
彼女は、死を恐れていない。むしろ、死という絶対的な力を、自分だけの秘密の玩具のように愛でていた。
「……怖くないのか。僕の、この目」
掠れた声で問いかけると、彼女は首を傾げ、僕の顔をじっと覗き込んだ。
逃げ場を失った僕の前に、彼女はトテトテと歩み寄り、小さな温かい手で僕の頬に触れた。
「とっても綺麗よ。……そうね、まるで、私が本で読んだ最高級のルビーの毒薬みたい。……私、これ、大好き」
――毒薬みたい。
――大好き。
その瞬間、僕の世界は爆ぜた。
初めてだ。僕を獣ではなく、不吉な呪いでもなく、彼女の愛する「毒」と同じ価値があるものとして扱ってくれた人間は。
泥にまみれ、死を望んでいた僕の魂に、彼女の言葉が致命的なまでの熱となって浸透していく。
心臓が、痛いほどに脈打つ。
この幼い少女を、今すぐ抱きしめて、誰の目にも触れない場所に隠してしまいたい。
この琥珀色の瞳に映るのは、僕だけでいい。僕のこの赤を、彼女のためだけの毒として捧げたい。
「……カイル、です」
「カイル様。私はリリアーヌ。またここで、毒のお話をしましょう」
彼女が去った後、僕は彼女が座っていた場所に跪き、石に残されたかすかな温もりと、甘い香りを吸い込んだ。
手には、彼女が「しおり」として挟んでいた、一枚の枯れた薬草の葉が残されていた。
リリアーヌ。君は知らない。
君が何気なく僕に触れたその瞬間、永遠に君の虜になったんだ。
君が笑うなら、僕は世界中を死の庭に変えよう。
君を傷つけるすべてを、君の好きな毒で、静かに、確実に消し去ってあげよう。
二度目の人生、僕は確信している。
あの時、僕が恋に落ちたのは、君の優しさではない。
君の中に潜む、美しくも残酷な「毒」の芽だ。
だから、今度は僕が君を育もう。
誰の手も届かない、僕だけが鍵を持つ琥珀の檻の中で。
君が誰にも汚されず、僕の愛という毒だけで咲き誇れるように。
一目見たその時から、僕の魂は君という檻に、永久に閉じ込められてしまったのだから。




