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kiss me, quick!

作者: れん

お題『ちゅーして』

 ひとり暮らしの休日は、自由で、幸福だ。

 おいしいおやつとコーヒーを用意して、ソファに乗り上げた足を投げだす。大好きなチョコチップクッキーは、スーパーで売っているふつうの、何でもないクッキーだ。有名な洋菓子店のじゃなくていい。どこで買おうが関係ない。近所で手軽に手に入るものが一番おいしいだなんて、わたしはとても恵まれていると思う。

 伸ばした両足の、太もものあたりに蹲っている毛玉が動いた。クッキーの欠片に反応したのかもしれない。のそり、と頭が持ち上がって、黒い鼻先がいかにもくんくんといった感じに膨らんだり縮んだりしたあと、わたしを上目遣いに見上げて、毛玉はまた元のように丸くおさまった。

 この家に、たしかに人間はわたしひとりだ。でも家族はいる。この毛玉…小型犬のメロは、わたしの大切な家族だ。メロと一緒にいる時間を多く取りたくて在宅勤務ができる会社に転職したのに、今は結局ほとんど出社しなければいけなくなってしまったことには本当に腹が立つ。仕事の効率がとか、コミュニケーションがどうだとか理由にしているけれど、人の人生をなんだと思っているのだろう。地獄に堕ちればいい。

 メロが、今度は前足を伸ばして尻を上げた。温められて増幅された獣の臭いがもわっと立ちのぼる。小さい足の裏に体重がかかるので、小型犬であっても踏まれる方は結構痛い。そんなことはまったく気にするわけもなく、私の太ももの上で無遠慮にぐるぐると何周かしたあと、メロは尻尾を大きく振りながら、期待を込めた眼差しで私の方に向き直った。

 2本の前足の下、人間でいうなら脇の下辺りを両手で抱えて、わたしはメロを顔の高さまで持ち上げる。

 犬には表情がないそうだ。怒っているように見えても、笑っているように見えても、それは人間が勝手にそう感じているだけで、表情筋というものがないから犬は笑ったりはしないらしい。

 でもわたしにはわかる。顔や尻尾を見れば、メロがいま何を言いたいのか、ちゃんとわかるんだ。

 たぶん、『水が飲みたい』。それから、もうひとつ。

「じゃあ降りようか、ね?」

 ぺろりとわたしの鼻頭を舐めて、次に自分の濡れた鼻を突き出してくる。メロのおねだりのサインだ。


 ちゅっ。


 満足そうに口を開けて笑っているように見えるメロをフローリングの床にそっと着地させる。メロは小走りに自分のハウスに向かい、飲むというより咥えるような仕方で水を飲み始めた。

 上唇がぴりぴりと痺れてきた。大好きなら人も犬もキスなんて当然なのに、わたしたちの間には残念な問題がずっと、メロと出会ったときから横たわっている。

 メロとわたしは、唇の相性が良くない。

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