第一章 母
さて、まずは私の母について書きたいと思う。
母という人物について出生から現在に至るまで事細かく書き上げたいところではあるのだが、子どもというものは自分の親については些か無頓着であるものらしく、いざ母について書こうとしてもなかなか筆が進まない。
そんな私が母のことを一言で表すとなると、
不器用。
この一言に尽きる。これは0.1ミリにも満たない針の穴に糸を通すのが苦手であるとか、贈り物を包む際のリボン掛けを美しく行うことができない、といった手先の器用さの話ではない。彼女の不器用さはもっと人間的な部分にある。
まず、私の母は「ありがとう」と子どもに対して言うことが滅多にない。彼女は店員さんに対しても電話の相手に対しても「ありがとうございます」と言うくせに子どもに対しては「ありがとう」と言うのが苦手らしかった。忘れもしない、私が小学校3年生の時であった。私は3月25日の母の誕生日を祝うために前日の夜、姉と弟に早起きをして部屋の飾りつけを行うことを提案した。プレゼントを買うにはお金がなかったし、買いに行くためには母に出かける旨を伝える必要があったため、お金もかからず家にあるものでできるお祝いは飾りつけぐらいしか思い浮かばなかったからだ。姉も弟も私の提案に賛同してくれ、私たちは翌日の朝に早起きすることに決めた。私の母は朝がとても苦手らしく、8時半すぎにしか起きてこなかったため(子どもの私は8時半がとてつもない寝坊だと思っていた)私たちはそれを見越して朝6時すぎに起床し、飾りつけを行った。飾りつけは、幼稚園で教えてもらった、折り紙を縦4等分にわけてわっか状に繋げるものを選び、姉と弟と一緒に眠い目をこすりながら一生懸命作成をした。以前姉がふざけてカーテンにぶら下がってカーテンレールが壁から剥がれ、母にこっぴどく怒られていたことを私は知っていたので、私はカーテンレールに極力触らないようにしながら、子ども用のいすやソファーを動かして壁に飾りを貼り付けていった。もちろん飾りは3階で寝ている母が2階のリビングに降りてきて一番最初に目につく壁につけることにした。飾りつけも終わり、母が起きてくるのを隠れて待つことに決め、姉はソファの下、私と弟はリビングの扉の後ろに隠れた。30分ほどたっていつもの母の目覚ましの音が聞こえた。私は母がやっと起きてきて飾りつけを見て喜んでくれる、喜んでくれたらお誕生日おめでとうを言おう、と頭の中で何度もシュミレーションをしていた。母が階段を下りてきた。階段の音が大きくなるに伴って私の期待も大きく膨らんだ。別に緊張しているわけでもないのに、初めてのサプライズに胸が高まり、心臓の音が隣にいる弟に聞こえているんじゃないかと思うぐらいバクバクと鳴り響いていた。そして階段の音が止まった。
だがしかし母は何も言わなかった。
母は飾りつけを見て何かを言うわけでもなく、隠れている私たちに声をかけるわけでもなく、ただ朝食を用意するために台所に向かって行った。私たちは想像していた反応とは違った母の反応にがっかりし、お誕生日おめでとうを言うこともなく、それぞれ隠れていた場所から出てテレビをつけて好きな番組を見ることにした。一生懸命作った飾りつけは、その後も母に触れられることはなく、端が剥がれかかっているのが気になった私が片づけるまで何か月も壁にぶら下がったままであった。
私は、飾りつけを見た母が「作ってくれたの?ありがとう。嬉しい。」と言って喜ぶ姿しか頭の中でシュミレーションしていなかったので「ありがとう」と言ってもらえなかったことがとても悲しかった。今思えば特段感謝されるようなことでもないし、なぜあんなにも「ありがとう」が欲しかったのかもわからないのだが、この出来事をきっかけに、私は母の私に対する「ありがとう」の少なさに敏感になっていったのである。
そこから徐々に気が付いていったのだが、母は私に感謝を伝える時は目線を合わさず決まりが悪そうに「ありがとうございます」といつも言う。母が喜ぶと思って買った誕生日プレゼントを渡す時も、母の代わりに夕飯を作ったときも、彼女はいつも目線を合わせずに「ありがとうございます」と言う。若しくは、「ありがとう」と言わないために「助かるわ」や「さすが」などと言ってくる。母なりの感謝の伝え方なのであろう。喜んでいないのかな、と思いつつも、そのくせ私があげたものを大事に保管している姿を見ると、実は嬉しいのではないかな、と勝手に解釈をしてしまう。
私は別に母に「ありがとう」と言ってほしいわけではないのだが(この文章を書いている時点で無意識に期待しているのかもしれないが)なぜか彼女の子どもに対する感謝の伝え方というものは、ひどく婉曲的であるのだ。まったく不器用な母である。