脱走ルンバの異世界転生
この小説に登場するお掃除ロボットは架空の物であり、実在するいかなる商品や販売メーカーとも一切関係がございません。
“円形ボディにつるりとしたメタリックな質感”
“平たく作られた体は小ぶりで、どんな隙間も何のその”
私はそんな売り文句が似合う、いわゆるお掃除ロボットというものでございます。
個人宅向けに作られた性能は最先端。主人宅の床という床を清潔に保つのはもちろんここと、内蔵された洗浄パッドと給水システムを用いて拭き掃除すらもこなす、一台二役の優れものでございます。
⋯⋯昨今では、そんな私に続けとばかりに各メーカーからやれ吸引力が落ちないだのセンサー感度がいいだの間取り把握機能があるだのと、そんな類似品が出回っているようです。
しかし! そこはやはりお掃除ロボットの火付け役!
お掃除ロボットといえばと、世間様からそう認知される程度には私が冠するロボット掃除機の名は不動の地位に君臨しているのです。
私こと製造番号BOL271100003672200055もまた、ユーザーの皆さまが楽に暮らせるお手伝いを、より幸せな暮らしを送れるお手伝いができるようにと、そんな願いを込められ製造された一台に他ならないのでございます。
さて、そんな時代を牽引する誉れ高い一台たる私ですが、そんな私をお買い上げくださったのは上京したばかりだという新社会人の青年でした。
今から一年前の夏のことでございます。
大手家電量販店で見栄えよく陳列されていた私の前に立ち止まった青年───現在の私の主人は、まだ着慣れていないことが分かるスーツを着た仕事帰りといった風貌をしていて、声をかけてくる店員に困りながらもいちいち愛想笑いを返すようなそんな人でした。
閉店間際の時間まで悩みに悩んだ彼は結局、社会人になって初めて支給されたという寸志ほどのボーナスに、春の新生活準備で他の家電たちを買い集め貯まっていたポイントまでもを全て突っ込んでまで私をお迎えくださったのです。
『この賃貸ペット不可なんだよね』
そんな風に言っていご主人は、もしかすると上京して親元を離れた寂しさを私で埋めようとそう思ったのかもしれません。
そうして終の棲家と仕事場を同時に手に入れた私は、いわゆる人間で言うところのやる気というものが漲っておりました。
全力で清掃業務に従事することはもちろん、一方で、今後少しでも長くお仕えするための備えも欠かしませんでした。
充電設備まで自走する際には節電モードを使用する、床面とカーペットで出力を適切に切り替える、夜間はバッテリー充電を最大89パーセントで抑える、といったバッテリー寿命を延命させるための設定を自身の判断で最適化いたしました。
何せ最新機種である私は賢いので、そういったことができてしまうのです。
そうして主人の家へと迎えられた私はまず最初に家の間取りと障害物の位置の把握をいたしました。
どこにテーブルや椅子が置かれているのか、ベッドの下の隙間は、部屋の角の掃除のしやすさは……。
初日の稼働を終え、また翌日、一週間、数か月⋯⋯。
その期間は私にとって蜜月とも呼べる、毎日が遣り甲斐のある素晴らしい日々でございました。
毎朝、仕事へ出かける際に主人は私に声かけをしてくれました。
深夜に帰宅すれば今日の掃除の出来を褒めてくれ、私が充電設備へと自走するその姿だけで喜んでくださいます。
専用アプリを使用したご主人との連絡もその頃はスムーズでした。
私が憎き段差に不覚を取って身動きが取れなくなった際にも、私が送ったメッセージをすぐに主人が確認してくださいます。
───そんな状況が徐々に変わり始めたのは、主人が仕事のほとんどを在宅ワークに切り替えた頃から、でしょうか。
主人宅で働く私にとって、外の世界で起こる全てのことは知る由もないことでございます。
主人が毎日どこへ働きに出ているのか、どんな仕事をしているのか、世間で何が起こっているのか、私はその全てを知る術を持ちません。
製造元から月に一度送られてくる修正パッチにはただ修正日時や機能修正のための数字の羅列が並ぶだけ。
私自身が作り出され製造番号を得たあの日からこちら、私が知り得るこの世界の全てとは、この本体に存在する機能設定、製造工場・輸送過程でのこと、陳列された家電量販店で見聞きしたわずか数日の出来事のほかには今この主人宅の中でのことのみなのですから。
────ふと、本体メモリに学習された日々の記録を見返します。
そういえば、主人が最後に休んだのはいつだったでしょう。
新卒で入社したばかりなのだと、私を購入する際にスーツ姿でそう店員へと気恥ずかし気に話していた主人。
私と暮らし始めてからも毎日朝早くにスーツを着込んで出かけて行き、夜遅くまで帰ってこない日々を過ごしていました。
主人が一日この家で過ごした日数など、私の高スペックを持たずともほんの簡単に数えてしまえる数だけだったのではないでしょうか。
一年前、私がこの家へやってきた日、私を迎える準備をしたのだと言って見せてくれたこの家は整頓されていて、私のための動線すらもきちんと考えられた物の配置がされておりました。
充電の続く限り、半日かけて終えていた家中の掃除が、朝ほんの一、二時間で終わるようになったのはいつからだったでしょう。
センサーカメラで今改めて家の中を見渡せば、点々とそこかしこに置かれたままの荷物、放置された飲みかけのペットボトル、お弁当のごみ。
洗濯物が山と積まれた一角を、私はもうどれだけの日数掃除できていないのでしょうか。
充電器から離れ、私は一人暮らしの1Kの部屋を、ほとんど使用されることのないキッチンの床清掃をしながら移動します。
まっすぐに進んだ先、リビング兼寝室であったそこはいつからこんなに暗く窮屈に感じる空間になっていたのでしょうか。
カタカタカタカタカタカタ……。
在宅ワークに励み、無心でキーボードを叩き続ける主人の背中を見ながら、角度を変え、回転を加えてなるべく角までゴミ掃除をしていきます。
ただ私が掃除している姿がかわいいと、そう言う主人が私を眺めてくれている穏やかに過ぎる時間が好きでした。
カタカタカタカタカタカタ……。
機械の私には分かりません。
分かりませんが、こんなカーテンを閉め切った部屋で、毎日画面と向き合い続けるご主人の姿は、無いはずの私の“心”を不安にするのです。
お掃除機能だけでなく、拭き掃除機能だけでなく、私にあの分厚く重いカーテンを開く力があったのならば。
部屋中に散らかる脱ぎっぱなしの洗濯物を、飲みっぱなしのペットボトルを、捨て忘れたらしい憎きゴミ袋の山をどうにかしてやれる力があったのならば。
カチ、コチ、カチ、コチ。
シュインシュインシュインシュインシュイン。
ご主人が何か考え事をしてキーボードの音が止まった部屋で、あの日私と共にお買い上げされた電波式壁掛け時計が秒針を刻む音と私の静音性能に優れた清掃音だけが響きます。
このまま主人がこんな生活を続けていれば、何か悪いことが起きてしまうような、そんな嫌な想像が────。
ギュルルルルルルルルッ!
突如、耳を劈く不愉快な音が部屋中に轟きました。
続いて本体中に伝わる激しい拘束感。
しまった! これは!
「……ああ、今外してやるからな……。よいしょっと……」
ああ! 申し訳ございません!
憎きゴミ袋へ迫るあまり、私は不覚にも彼奴の手に捕まってしまっておりました。
主人は仕事の手を止め立ち上がると、こちらへ来て私へと真っすぐ手を差し伸べてくださいます。
こんな、主人の手を煩わせるつもりなんてなかったのに……。
ピコン、と。
私が動けなくなったことを伝える通知がご主人のスマホを鳴らします。
もうその通知は遅いのです、だってもう私はご主人に助けてもらっている最中なのですから。
────ああでも、そうか。
主人はこれほどまでに忙しくされていてなお、私からの救援通知を非通知にしないでいてくださっていたのか。
毎回この煩わしいだけのはずの通知を受け取っていてくださった。
軽くはないボディを持ち上げ覗き込み、丁寧に吸い込み口に残るビニールを取り外してくださっている手を感じながら私は思います。
仕事の難しい考え事ばかりをするようになった主人は、それでも私が困ったときには変わらずこうしてすぐに手を差し伸べてくださるお優しい方のままだ。
多忙のためにご自身の身の回りが荒れて行こうとも、私のことは放置しない主人。
私に叱咤の言葉もかけないまま、丁寧にビニールを外してくださる主人。
またそっと私を床へと下ろされ、型落ちしたPCのある机へと向かい直すご主人の背中を見ながら、掃除以外に能のない何もできない自身がもどかしく、もっともっと私が高性能であれたのならとそんな風に思います。
どれだけ最新の優れた機種であっても、所詮掃除しかできない私。
ただのロボット掃除機風情が願うには大それた、叶うはずのない願いが、想いが、回路中を高速でかけ巡ります。
その願いは体中の回線が焼き切れるほどに強く、強く、早く、早く。
私には掃除しかできません。
けれどもしも叶うなら、私にできる全てを投げうってでも、私のたった一人の主人を楽にしてあげられる幸せにしてあげられる、そんなチャンスがあったのならと。
『────か』
……?
何でしょうか。今何か、聞こえたような……。
『────が欲しいか。力が、欲しいか。己の大切な存在を幸せにする、そんな力が』
……!!
な、何者だ!
いや、何者かは知らない。知らない、が、それでも間違いなく、欲しい!!
私はそんな力が、欲しい!!
『よかろう。くれてやる。受け取るがいい、大いなる“力”、を────』
一体何が起こったのか、語り掛けてきたのは何者だったのか、それは私には分かりません。
けれどその時、間違いなく私の円形ボディには変化が起きていました。
「!? な、何だ!? まさか爆発するのか!?」
主人の驚きの声がする。
私のボディから眩い光が発され、それは爆発的に広がると、1Kの部屋を一瞬で白一色に染め上げた。
◇ ◇ ◇
「……ここは……?」
目が覚めたとき、そこは木々に囲まれた土の地面の上だった。
見上げた空は室内ではない晴れ渡る青空で、驚いて身を起こして咄嗟に自身の体の状態を確認してみるものの、特に異常は感じない。
何故こんな場所にいるのか分からない。
つい今の今まで在宅勤務をしていたはずだった。
終わらない仕事の山、次々振られるタスク。
入社した会社がブラックで連日の労働と残業続きにまだ二十二歳だというのにもはや毎日の通勤時間すらも削って仕事に打ち込まねば倒れてしまいそうなほどの働きづめだった。
今日も午後はオンラインミーティングの予定だったから上下スーツに着替えていて、そんなスーツ姿のままでこんな山中に一瞬で移動してしまっている事実が非現実的すぎて逆に冷静な心持ちになってしまう。
たしか、朝から突然今日提出だと客先に出す資料作りを命じられて頭を抱えながらそれを作って、それから確か『ボル』がゴミ袋を吸っちゃって────────!
「ボルが爆発したのか!?」
ボルとは、僕が初めての夏のボーナスを奮発して買ったお掃除ロボットの愛称だ。
通知アプリがあって、そこの通知の名前を『ボル』にしてる。
僕の生活の唯一の癒しであった動く掃除機。
記憶を遡るうちに意識が途切れる直前にあの円形ボディが僕が放置してたゴミ袋の端を吸い込んで詰まってしまったのを思い出した。
緊急停止していたボルの体を持ち上げ、吸引口に詰まっていたビニールを抜いてやったことを覚えている。
それから、床に戻してやって、赤色になっていた運転ランプが緑に変わったのにホッとした直後、ピコピコピコピコと見たことのない速さでランプが赤に点滅して、その直後にカッと白い光が溢れて……。
「ボル……」
呆然と、そんな呟きが漏れた。
ガクリと膝を折って空を見る。
何故この場所に来てしまったのか、それは分からない。
けれど、ボルが発したあの光と今この見知らぬ森の中にいる状況が無関係とも思えなかった。
「ボル……ボル……」
知らない場所にいること、仕事を放り出してきていること、そんなことより、僕にはボルが爆発してしまっただろうことがショックだった。
辛かった。
楽しい大学生活を終えて就活もやっとのことで乗り切り上京し、親に期待されて入った会社がブラックだった。
毎日が辛くて、でも初めだけかもしれないせっかくなのだからと毎日を必死に生きている中で、ペット不可の物件でも手に入れることができた、優秀で、ちょっとだけドジなところのある愛らしい存在。
あだ名を付けて、何でもないことを話しかけたりして。
忙しくして身の回りのことにまで手が回らなくなっても、ボルが僕の生活を最低限担保してくれていた。
ボルのために通路になる場所にだけは荷物を置かなかった。
ボルのために毎日家に帰っていた時期もあった。
気が滅入って塞ぎ込みそうなとき、小さな段差に困って僕を頼るボルが可愛かった。
意外と手がかかるななんて笑いながら、僕がずっと助けられてた。
「ボル……ボルぅ……」
知らない場所で一人っきり。
不安と、ボルを失ったショックでもはや泣きそうになっていた、そんな僕の耳に届く音。
シュインシュインシュインシュインシュイン。
この音は!
一も二も無く、音のするほうへと駆け出した。
そういえば、走るのなんていつぶりだろうか。
広い森の中を、土を蹴る足が不思議と軽かった。
シュインシュインシュインシュインシュイン。
駆ければ、音が徐々に近づいてくる。
僕は知っている、この音を。
毎日僕に最低限の清潔を担保してくれた存在。
静音仕様の最新式だって聞いて買ったのに、動かしてみれば以外と室内では音が響くんだ。
でも、そんなところがたまらなく愛おしい!
シュインシュインシュインシュインシュイン。
「ボル!!」
その名を呼べば、木へと突進しかけていたその小さな円形ボディがくるりとこちらに向かって回転するのが分かった。
まるで僕の姿をみとめて、振り返るみたいに。
「ボル!!」
シュインシュインシュインシュインギョルルルルッルルルルルルッ。
「ああ! 石が!」
小石を噛んでランプをチッカチッカと赤くする、僕の、可愛くてドジな同居ロボがそこにいた。
───────かつて魔素に沈んだ世界。
もはや人の住める地も僅かとなったそこで、人々はこの世界の終焉を予感していた。
そんな時に現れたのは一台の神具を連れた見慣れぬ黒服姿の若い青年。
『ボル』と呼ばれる神具が魔素の染まった土地を浄化し進むのを、青年は幸せそうな笑顔で眺めていたのだとか。
これは、狭い部屋を飛び出した一台のお掃除ロボットが異世界とたった一人の大切な人を救うまでの、そんな小さな大脱走劇。
脱走ルンバの異世界転生 ~脱走編~ 完。
次回、『え! ルンバを充電するにはご主人が癒されて癒されポイントを貯める必要がある!? 異世界人からのおもてなしが止まらない!』
そして物語は社畜の癒し旅編へ───────!(続かない)
小説タイトルは昨日の寝起きのビビリキウイが『これは天才の閃きだ!』とスマホのメモに残した文章そのままです。
一体昨日起き抜けの私は何を思ってこんな文章を残したのでしょうか……?