8.一件落着?
「リリアーナ! セシル! 聞こえたら返事をしろ!」
俺とユリシーズは、二人の名前を呼びながら先へと進んだ。
時折現れる小型の魔物を倒しながら、段々と濃くなる瘴気の中を、先へ――先へと。
もうどれだけ走ったかわからない。どこに向かっているのかもわからない。
だが瘴気が晴れていないということは、リリアーナは瘴気を浄化しきれていないということ。
それだけは、確かだった。
「どこだ、リリアーナ……!」
俺たちはひた走る。
リリアーナとセシルの無事を祈り、ただひたすらに走り続けた。
そして、ついに――。
「――アレク、見て! 瘴気が……!」
ユリシーズの声に目を凝らすと、前方の瘴気がやや薄まっていることに気付く。
――そこは湖だった。木々の間にぽっかりと浮かぶ、灰色の湖。
おそらく元々は青かった水が、瘴気に侵され灰色に変化したのだろう。
その証拠に、湖の左側に白い光が見え、そこから水が徐々に青く戻っていく様子がわかる。
白く輝く光――それはまるで子守唄のように、優しく、温かい、全てを包み込むような光だ。
「――っ」
その色に、俺は確信した。
間違いない、リリアーナだ。あれはリリアーナの放つ聖なる光。
「急ごう! ユリシーズ!」
「ああ!」
俺たちは一層足を速める。
そしてようやく二人の姿を視界に捕らえた。
湖の水面に両手を当て聖魔法を発動させているリリアーナと、そんなリリアーナの背中を、水魔法で懸命に守るセシルの姿を――。
――だが、そのときだった。
「アレク! グレイウルフがまた……!」
叫ぶと同時に、ユリシーズが湖の向こう側を指差す。
すると、そこには確かに一頭のグレイウルフがいた。
しかもそいつは、セシルに向かって猛進している。
俺たちが先ほど倒した奴らに比べ、二回りも大きな個体が、セシルとリリアーナへ向かっているのだ。
「なんだよあの大きさは……!」
もしかしなくても、あれが群れのリーダーだろうか。
体長は二メートル超え。体重もかなりのものだろう。足もさっきの奴らより速い。
セシルの体格では体当たりだけでも致命傷だ。
それにセシルは今、鳥類らしき魔物に攻撃魔法を飛ばしている最中で、グレイウルフの存在に気付いていない。
「――セシル! 右だッ! グレイウルフがいるぞ!」
俺は全力で叫び、足を速める。
――間に合うか、間に合わないか。
正直無謀な距離だった。どう考えてもグレイウルフの方が速い。
だが、そこは流石セシルと言うべきか。
俺の声に反応したセシルは、瞬時に攻撃魔法の範囲を拡大させた。
何十という数の水の刃を、突進してくるグレイウルフへ放つセシル。
それは緩いカーブを描きつつ、目にも止まらぬ速さでグレイウルフを迎え撃った。
――だが。
「――ッ」
グレイウルフは止まらなかった。
二本の足を切断され、腹は切り裂かれ、右目は潰され――それでも、グレイウルフは止まらなかったのだ。
勢いをそのままに、グレイウルフは残った二本の足だけで大きく跳躍し、セシルに向かって飛び掛かる。
鋭い牙で、セシルを噛み殺さんと――。
ああ、あの距離ではもう魔法は使えまい。
スローモーションに見える景色の向こうで、セシルが咄嗟に剣を抜く。
――が、それはあまりにも無謀な行動に思えた。
だってグレンは言っていたではないか。セシルの剣の腕はからっきしだと。
つまり、このままだとセシルは――。
――瞬間、気付けば俺は立ち止まっていた。
それは、自分の中のたった一つの可能性に賭けるべくとった本能的な行動だった。
俺の右手が、聖剣の柄を逆手で握りしめる。
とてつもなく長い一秒が、俺の五感を研ぎ澄ます。
――ああ、やれるか? お前は本当にやれるのか?
頭の中で、自分自身が問いかける。アレクの身体で、本当にやるのかと。
ああ、そうだ。わかってる。
この身体は慣れた俺の身体ではない。あの頃とは体格も感覚も違う。
それに手元にあるのは剣だ。前世嫌と言うほど握っていたボールではなく。
距離もまだ五十――いや、六十メートルはある。
だが今は躊躇っている暇はない。
それがたとえ過去世の経験だろうと、その可能性に賭けるしかないんだ。
(大丈夫、きっと当てられる。――いや、必ず当ててみせる)
自分を信じろ。
甲子園に出場したピッチャー歴八年の自慢のコントロールを見せてみろ。
あのデカい的になら――当てられる。
俺はその場で足を踏みしめ、聖剣を引き抜いた。
身体の重心を右足に移動しながら、左足を上げて大きく振りかぶる。
そしてグレイウルフへ向け――全力で聖剣をぶん投げた。
「ッラァアアアアアッ!!!!」
掛け声と共に、聖剣が俺の手を離れ地面とほぼ水平に飛んでいく。
遮るもの一つない湖のほとりを、風を切って一直線に――。
そして次の瞬間、セシルまで残り二メートルというところまで迫ったグレイウルフの喉元を、聖剣が貫いた。
と同時に、聖剣の勢いがグレイウルフの速度を殺し、セシルは間一髪のところでグレイウルフの巨体を避ける。
地面に転がったグレイウルフは、すぐに動かなくなった。
俺の投げた聖剣が、グレイウルフを仕留めたのだ。
「――は」
それは奇跡と呼ぶしかない瞬間だった。
分の悪い賭けに、運のみで勝利した気分だった。
すっかり気が抜けてしまった俺は、その場で地面にへたり込む。
(マジで……当たった……)
いや、確かに当てる気でいた。当てる気ではいたけれど……本当に当たるとは。
正直、自分が一番信じられない。――けど……。
「良かった……」
セシルが怪我をしなくて良かった。
誰も死ななくて……本当に良かった。
「はぁー。……いや、もう……ほんと……」
(初っ端からこんなの、勘弁してくれ……)
旅はまだ始まったばかり。まだ何一つ終わっていない。それどころか、シナリオ的にはまだ序盤の序盤だろう。
というのに、既に何度も死を覚悟する状況に陥って……。
正直もう沢山だ。できるなら今すぐ帰りたい。
そんな本音が、思わず口から零れてしまいそうになる。
だが……。
そんな俺の背中を、ユリシーズが支えてくれる。
「アレク、今の凄かったよ。まさか聖剣を投げるなんて……正直言いたいことは沢山あるけど、でも、凄かった」
その声に顔を上げると、ユリシーズは困ったように笑っていて。
「ほんと、最近のアレクには驚かされてばっかりだ。――いろんな意味でね」
「それは褒めてるのか?」
「どうかな。僕にもよくわからない。でも、多分いい意味だよ」
「……そーかよ」
俺はユリシーズの手を借り、ようやく立ち上がる。
そして、光の戻りつつある空を見上げた。
徐々に瘴気が薄まっている。リリアーナの浄化が進んでいるのだろう。
グレンもいつの間にかセシルに合流しているし、もう心配いらない。
――心配は…………。
「……………………」
「アレク? どうかした?」
「――あ……いや……。……ちょっと…………肩が……」
「肩? 肩がどうかしたの?」
「えーと……つまり、なんていうか……外れたっぽい、関節」
「ええっ!?」
「準備運動なしで振り抜いたからなー」
冗談交じりに笑うと、ユリシーズは「笑いごとじゃない」と俺を叱り、リリアーナのところへ走っていった。
俺はそんなユリシーズの背中を見つめ、ひとり大きく息を吐く。
本来ユリシーズは、ここにいるはずの人間ではなかった。
俺の我が儘で連れてきたようなものだ。
それなのに、ユリシーズは最善を尽くしてくれた。
狼に恐れ慄く俺を、冷静に諭してくれた。
そんなユリシーズに、俺も答えなければ。一刻も早く戦う術を覚えなければと――そう決意を固める。
――が、その五分後。
残念なことに、俺の決意は早くも崩れ去った。
リリアーナが魔力切れを起こし、俺の肩を治せないことが判明したのだ。
「申し訳ありません、お兄さま。わたし、瘴気の浄化に魔力を使い果たしてしまって……」
すっかり瘴気の晴れた湖のほとり、晴れ渡る空の下で、今にも泣きだしそうなリリアーナ。
そんな妹を、俺は必死でなだめていた。
「いや、大丈夫、本当に大丈夫だから。これぐらい何ともない、そもそも怪我をした俺が悪いわけで、リリアーナは何一つ悪くないからな?」
「でも、わたしとセシル様を助けるためにした怪我なのに……わたし、やっぱり一度試して……」
「いや、駄目だ! それだけは絶対に駄目! それ以上魔力を使ったらお前が倒れる! ――だったよな、セシル?」
俺が同意を求めると、難しい顔で頷くセシル。
「アレクの言う通りだ、リリアーナ。君は魔力を使いすぎた。回復するまで少なくとも三日は魔法を使わないようにするべきだ」
「そんな……それでは、お兄さまは三日間も痛みに苦しまねばなりませんの?」
「まぁ、そうなるな」
「そんな! 酷いですわ、セシル様……!」
“酷い”――そう言われたセシルは、ショックを受けた顔をする。
するとそれを見かねたのか、グレンが小さく息を吐いた。
「肩なら俺が治してやる。関節を入れるだけなら、騎士団にいたとき何度かやったからな」
「……! 本当か!?」
「ああ。だが、関節を入れたからといってすぐに使えるようにはならんぞ。しばらくは安静が必要だ」
「それはわかってる。とにかく入れてくれ。このままじゃ聖剣の回収もできない」
「はぁ――まったく。聖剣を投げるなどと罰当たりなことをするからだ。しっかり反省しろ。――じゃ、入れるぞ。歯を食いしばれ」
「はっ……!? そんな急に――ッて、痛っ! 痛いって! もっと優しく……ッ! 痛ッてえええええッ!」
――と、そんなこんなで瘴気は無事浄化し終えたものの、俺の右腕はリリアーナの魔力が回復するまでの三日間、使用不能なことが確定したのだった。