6.魔物の森
この国には四つの大都市と五つの運河がある。
四つの大都市とは、王都を中心とした東西南北に位置する都市のこと。
また五つの運河とは、王都と四つの都市をそれぞれ結ぶ川と、その四つの都市を円形に結んだ川のことだ。
円形の川は四つの大都市をぐるりと一周しており、前世でいうところの山手線のようになっている。この国の経済の要だ。
そのうちの北の大都市、ノースフォードまでは王都から航路で約四日。そこから北の国境までは、更に馬車で三日ほどの距離がある。
王都を出発した俺たちは順調に先に進んでいた。
ノースフォードまでの直行便はないので、船を何度か乗り換えながら北へ北へと移動する。
夜は当然船は動かないため、停留先の港街で食事を取り、宿で身体を休めた。
――と言っても、水の都に住む俺たちにとって船の移動は慣れたものだ。多少揺れようが何だろうが、船酔いをするような奴はいない。
火属性魔法を使うグレンは多少水が苦手なようだったが、それだってご愛敬程度のもの。
夜はリリアーナが眠ったあと、ユリシーズとセシルと共に酒場で酒を酌み交わすくらいの余裕もあった。(グレンは頑なに飲もうとしなかったが)
――が、王都を出て五日目を迎えたその日、問題は起きた。
ノースフォードから先は馬車での移動になるのだが、この馬車というのがなんと荷馬車だったのだ。
荷馬車とはつまり、荷物運搬用の馬車。ファンタジー世界でよく商隊が乗っているアレである。
当然、王族や貴族の乗るような馬車でない。どころか、人間用ですらない。乗り心地なんて最悪だ。
しかも道が整備されていないため、街を出て数十分――森に入って少し進んだ辺りで、俺はもろに馬車酔いを起こしてしまった。
(うっ……気持ち悪……)
――俺たち五人は、全員荷台に座っていた。
テントの素材のようなもので全体を覆われた、まあまあ大きめのサイズの荷台。
ノースフォードとそれ以北の街を行き来する、商団の荷馬車である。
馬車の台数は全部で六台。それが規模的に大きいのか小さいのかはわからないが、乗せてもらう代わりに護衛をするという取引だ。
(あー、くそ……。船は大丈夫だったのに、まさか馬車で酔うことになるとは。しかも酔ってるの、俺だけだし……)
俺は荷台の隅でうずくまる。
するとそんな俺の顔を、リリアーナが心配そうに覗き込んだ。
「お兄さま? ご気分がすぐれませんの?」
「……あ。――いや……大丈夫だ。心配するな」
馬車酔いだなんて情けないこと言えるわけがない。
セシルの事情を知ってしまった今では、尚更だ。
――セシルの事情。
それは、セシルが国王の反対を押し切って王宮を出てきたということだった。
そもそものことの発端は三週間前に遡る。
リリアーナが神殿に召されることが決まった日の前日、サミュエルは王宮に使いを送っていた。
『北の国境に瘴気発生の恐れあり。王宮魔法師の派遣を要請する』と。
だが国王は首を縦に振らなかった。
『瘴気の浄化は神殿の役目。王宮からの魔法師派遣はできかねる』そう返したのだ。
――サミュエルは激怒した。
それまでだって何度も人員の派遣を要請していたのに、のらりくらりとかわし続けた結果がこれか、と。
そもそも、王宮はそれまでだって一度も人員を派遣したことはないという。
というのもセシル曰く、王家と神殿は随分前から仲が悪く、表面上は協力し合っているように見えて内情は泥沼化しているからだ。
その理由は神殿が力を持ちすぎたせいだというが――まぁとにかくそんなわけだから、今回の瘴気浄化の第一陣というのも、王宮の人員は割かれていなかった。
実際は、神殿に仕える地方神官と魔法師、そして神殿が有志で募った魔剣士たちで結成されたという。
――が、国王とてこれでは流石に外聞が悪いと考えたのか。
いよいよ状況が悪いとなったときのために、奇跡の少女リリアーナを神殿に差し出す手筈を整えた。
それが今の状況に繋がっているのだが、しかし、セシルはそんな父親のやり方がどうしても許せなかった。
魔法師が派遣できないのなら自分が行くと言い出し、けれど当然のごとく止められ、脱走にも近い形で王宮を飛び出してきたのだという。
俺はそれを聞いた時、おいおい、そんなことをしてもすぐ捕まるだろうと思った。が、そこはまたちょっと複雑で。
神殿が治外法権であることと、国王の外聞を気にする性格のため、セシルが王宮に連れ戻されることはなかったのである。
――とは言え、今もセシルが国王の追手を気にしているのは事実。
だからセシルはこれまでの道中、魔法で瞳の色を変えてまで自分の正体を隠してきたし、これからだってそうだろう。
つまり、俺たちは王侯貴族の権威を振りかざすことなく現地まで辿り着き、目的を達成しなくてはならないのだ。
地方領主から上等な馬車を借りることなく、金に物を言わせて誰かに怪しまれることもなく、サミュエルの計画を実行しなければならない。
だから、俺は口が裂けても言えないのである。
馬車酔いしましただなんて、情けないことを――。
「本当に大丈夫だ……リリアーナ」
「……でも」
すっかり口数の少なくなった俺を、リリアーナのみならずユリシーズとセシルも気にかけてくれる。
「アレク、君、顔が真っ青だよ。酔ってるんじゃない? 馬車、止めてもらおうか?」
「すまない、アレク。君が貴族だということをすっかり忘れていた。――グレン、もっと端に寄ってくれ。アレクを休ませたい」
「………いや……ほんと……だいじょ……ォエッ」
いかん。これは本格的にヤバイ。今一瞬なんか出た。喉の奥からこうドロッとした――この味は、そう。朝食べたベーコンエッグと……えーとえーと――あ、ヤバイほんともう無理。
本格的にもよおしかけた俺はすぐさま荷台後ろの垂れ幕を開き、頭を外に突き出した。
そして今にも吐きかけた――そのときだった。
突然馬の嘶きが聞こえ、同時にガッタンと馬車が大きく左右に揺れる。
その反動で、俺の身体は一瞬のうちに馬車の外に放り出された。
「――はっ?」
そのまま空中で半回転し、地面に背中を打ち付ける。
次の瞬間、痛みに呻く俺のもとに後方の馬車が突っ込んできて――。
「――アレクッ!!」
刹那――ユリシーズの叫び声と共に、俺の前に分厚い氷の壁ができあがった。バキバキと音を立て、ものの一秒も経たないうちに。
それはあまりにも美しい、ユリシーズの固有魔法――。
「――レク……アレクッ!!」
「……っは」
――名前を呼ばれ、俺はハッと目を開けた。
そこには顔面蒼白で俺を見下ろす、ユリシーズの姿があった。
「アレク、怪我は……怪我――どこか、痛いところは……?」
そう言いながら、地面に横たわる俺の身体をくまなく触るユリシーズ。
そして俺が五体満足であることを確認すると、ほっと安堵の息をつく。
「良かった。さっきリリアーナが聖魔法をかけてくれたんだけど……なかなか目覚めないから、凄く心配したよ」
「ああ、悪い。心配かけた。落ちたときは痛かったけど、今はもうなんともない。――にしても、ほんと凄いな。これ、お前の魔法だろ?」
ユリシーズの手を借りて身体を起こした俺は、氷の壁を指差した。
すると、ユリシーズは照れくさそうな顔をする。
「ああ……うん。無我夢中だったから……僕も、自分がこんなものを作れるなんて知らなかったよ」
「そうか。いや………とにかく本当に助かった。リリアーナがいるとはいえ、今度こそ死を覚悟した。――で、そのリリアーナはどこに行ったんだ? セシルとグレンは?」
俺が周りを見渡せば、辺りはしんと静まり返っていて……否、商隊の先頭で、何やら騒がしい音が聞こえる。
馬たちも落ち着きがない。
いったい何が起きたのだろうか。
俺が説明を求めると、ユリシーズは途端に顔を曇らせる。
そして、信じられないようなことを言った。
「魔物だよ、アレク。魔物が出たんだ」――と。
次話『グレイ・ウルフの群れ』