4.青薔薇のプリンスと紅蓮の聖騎士
(リリアーナの奴、いったいどこに行ったんだ?)
俺は迷子のリリアーナを探すため、元来た方へと引き返していた。
けれどなかなか見つからず、次第に焦りを感じ始める。
――この神殿は屋内外の境目がほとんどない。
例えるならば、平安貴族が住んでいた寝殿造の西洋版といったところか。
聖堂や教会堂、礼拝堂などの建物を、何本もの回廊で繋げた造りをしている。
そんな造りにした理由はおそらく、敷地内に流れる何本もの細い川と、その間に点在するいくつもの池のためだろう。
女神の力が宿る聖なる水の流れを人為的に変えてはならないという、信仰心の現れだ。
そういうわけでこの神殿――少なくとも、俺のいる入口付近はかなり見通しがいい。
回廊からは景色が見渡せるし、敷地のほとんどは水辺。視界を遮るものは殆どないからだ。
そのため俺は、リリアーナを見つけるのは簡単だと思っていたのだが……。
(あいつ……もしかして別の道を行ったのか……?)
リリアーナのことだ。あり得なくはない。
俺は立ち止まり、今一度記憶を整理してみる。
(考えろ。リリアーナが興味を持ちそうなものが、きっとどこかにあったはずだ)
そう考えてひらめいた。
そう言えば、今しがた通り過ぎた場所に下り階段があったはず。
その先はかなり広い中庭になっていて、咲き乱れる花や草木でこちらから死角になっていた。
――間違いない。リリアーナはそこにいる。
そう確信した俺は、来た道を逆戻りした。
そして無事、リリアーナの姿を発見したまでは良かったのだが――。
「リリ――、……!?」
階段を下りた先にいたのは、リリアーナ一人ではなかった。隣に一人、見知らぬ男が立っている。
しかも信じられないことに、リリアーナはその男と楽しそうに談笑しているではないか。
(誰だ、あの男……? 神官か? ――いや、違う。あの外見、どこかで見たことが……)
次の瞬間、男の正体に気付いてしまった俺は咄嗟に茂みに身を隠した。
なぜならその男は、この国の王太子、セシル・オブ・リルヘイムだったのだから。
(いや、待て待て……何でリリアーナとセシルが楽しそうにしゃべってるんだ? ってか、どうしてここにセシルがいるんだよ、神殿だぞ? ――いや……違う。こんなところだから、なのか……?)
そうだ。セシルはこのゲームの攻略対象者。そしてこの神殿は、シナリオを進める上で重要な拠点となっていたはず。
つまり、ここにセシルがいるのは必然なのだ。
(セシル・オブ・リルヘイム……このゲームの圧倒的メインヒーロー)
肩口にギリギリ触れる青みがかった銀髪に、ターコイズブルーの瞳。背は高身長というほどではないが、すらっとした細身の好青年。
遠目すぎて表情までは読めないが、"青薔薇の王子"の名にふさわしい、まさにファンタジー世界の王子そのものという容姿をしている。
そして、そんなセシルがリリアーナと話している。――ということは、だ。
(これはあれか? ヒロインと攻略対象者の出会いの場面……ってことか?)
迷子になったヒロインを助けるヒーロー的な……ベタベタな展開すぎる気もするが、だからこそ確信できる。
これは邪魔をしたらいけないやつだ、と。
――だがしかし。
(正直、気に入らない)
だってそうだろう。
いくらセシルがメインヒーローとは言え、可愛い妹が男と二人きりになるなど、兄として見過ごせるわけがない。
それに二人がいったい何を話しているのか……単純に気になる。
(大丈夫。――見つからなきゃいいんだ)
俺は二人に近づくべく、茂みの中を四つん這いになって進んでいった。
けれどようやく二人の会話が聞こえそうな距離まで近づいた、そのとき――。
「――動くな」
「……っ!?」
突然背後からドスの効いた声が聞こえたかと思うと、俺の首筋にひんやりとした何かが触れる。
それはあまりにも長い刃物――つまり、長剣だった。
「――へァッ?!」
突如突き付けられた剣先に、俺は自分でもびっくりするほど情けない悲鳴を上げてしまう。
更に情けないことに、俺はその場で腰を抜かした。
それでもどうにかこうにか振り向くと、そこには俺を虫けらのように見下ろす、赤い目をした男が立っていた。
「――っ」
瞬間、俺は確信する。
ああ、そうだ。俺はこの男のことも知っている。
燃えるような赤い髪に、それと同じ色の瞳。まるで俺と同じ年齢とは思えないほど鍛え上げられた身体。
そう、この男は“紅蓮の聖騎士”の異名を持つ、グレン・ランカスターその人だ。
(この凄まじい殺気……本物だ)
俺をゴミでも見るかのように見下すグレンは、今にも俺を斬り殺さんばかりの目をしていた。――その冷たい眼差しに、俺の背筋が凍り付く。
ああ、どうして俺は気付かなかったのか。
王子であるセシルがいるということは、その近衛騎士であるグレンもいるはずだという当然のことに。
「答えろ。こんな場所に隠れて何をしていた?」
「――っ、……あ……いや、それは……」
突然の問いに、俺は頭も口も回らない。
「答えなければ、敵意があると見なす」
「――ッ!?」
俺はただリリアーナを見守っていただけだ。
確かにその方法は褒められたものではないかもしれないが、セシルになんてこれっぽっちも興味はない。
「ま……待て! 話を聞いてくれ! 俺はただ妹のリリアーナを見ていただけだ! 殿下のことなんて少しも――!」
すると、グレンの眉がピクリと震えた。
「ほう? つまりお前は、あの方を殿下と知った上で盗み見ていたと、そういうことか?」
「そうじゃない、誤解だ……!」
「ならばいったい何だと言うんだ? 内容次第では、その首無いものと思え」
「――ッ」
――この男、恐すぎる。
さっきの神官ルーファスも大概だと思ったが、まさか攻略対象であるグレンまでブッ飛んだ性格をしているとは……。
これでは聖騎士ではなく、まるで魔王だ。
魔物の大群を引き連れるグレンの姿を、俺はヤケクソぎみに妄想する。
すると、そんなときだった。
「お兄さま!」――と、ピンチの俺を救わんとするリリアーナの声が響き渡り、同時に駆けつけたセシルが、グレンの肩を掴んで止める。「その剣をすぐに下ろせ」と。
そのセシルの姿は、まさにヒーローそのもの。
「グレン、お前にも彼女の言葉が聞こえただろう? この者は彼女の兄君だ。無礼を働くな」
「しかし殿下、この男は茂みの影から殿下を狙っていたのですよ」
「ハッ、馬鹿なことを言うな。この者に敵意がないことくらい、この僕にさえわかると言うのに」
「…………」
「それに神殿内での殺生は禁止だ。わかってるだろう?」
「…………」
するとグレンはようやく剣を収めた。
――あくまで渋々と言った様子ではあるが、俺は一先ず生きながらえることができたようだ。
リリアーナの手を借りて立ち上がった俺に、セシルが振り向く。
「グレンがすまなかった。腕は確かなんだが、少々血の気が多くてね」
(少々? いや、かなりだろ)
俺はそう言いたくなった。が、流石にそこまで馬鹿じゃない。言っていいことと悪いことの区別くらいつく。
この場でどんな挨拶をすべきかも。
「滅相もないことです、殿下。こちらこそお見苦しい姿をお見せしてしまい、申し訳ありません。ご挨拶が遅れましたが、私はローズベリー家のアレクと申します。妹のリリアーナがお世話になったようで、心からお礼申し上げます」
そう言って会釈をすると、隣のリリアーナも慌ててお辞儀をする。
そして俺が顔を上げたとき、セシルはにこやかに微笑んでいた。
「先ほど妹君が、君のことをとても尊敬できる兄だと話していたよ。――よくできたレディだと感心したが、なるほど、納得がいった。妹君が健やかに育ったのは、君の存在があったからなのだろうね」
「いえ、そんな……もったいないお言葉」
「謙遜する必要はないよ。君のような人が側にいたら、退屈な毎日がさぞ楽しくなることだろうな。――お前もそうは思わないか? グレン」
「…………」
セシルは問いかける。が、グレンは無言を貫くばかり。
その態度は近衛としていかがなものかと思ったが、セシルは少しも気に留めていない様子で快活に笑う。
「ハハハハッ! グレン、お前は本当に相変わらずだね。もっと肩の力を抜いたらいいのに」
それはアレクの記憶の中のセシルとはだいぶ違っていた。
過去に公式の場で何度かセシルを見かけたときは、いつだって物静かに微笑んでいるだけだったのに。
(セシルって本当はこういうタイプだったのか? 正直、かなり意外だ)
――だが、悪くない。
セシルはひとしきり笑ってから、俺の前に右手を差し出す。
これは握手を求められているのだろうか……?
躊躇いつつその手を握り返すと、セシルは爽やかに笑む。
「僕のことはセシルと呼んでほしい。君のこともアレクと呼ばせてもらうから」
「は……。いえ……流石に殿下を名前で呼ぶわけには」
「そうかい? では、周りに人がいないときだけでも」
「……はい、それならば」
「ありがとう、アレク。これからどうかよろしく頼むよ。実は僕も魔物の討伐に参加することになったんだ。短くない時間を共にすることになるだろうから、いい友人になれたらと思う」
そう言って笑みを深くするセシルに、後光が差したように視えたのは気のせいではないだろう。
これが天性の陽キャというやつか。俺より二つも年下なのに人間というものができ上がっている。
加えて魔法の扱いも長けているというのだから、隙がなさすぎて怖いくらいだ。
そんなことを考えていると、不意にセシルの顔が眼前に迫った。
そして、囁くようにこう言った。
「――ところでアレク。謁見室までのリリアーナのエスコート、僕に任せてくれないかな?」と。
セシルは更に続ける。
「僕、彼女に一目惚れしたみたいなんだ。口説く許可をもらいたい」
「――っ」
(こいつ……!)
――前言撤回。
この男、只の陽キャと思いきや、実はかなりの曲者かもしれない。
リリアーナを口説く許可を兄である俺に求めてくるなど……しかもこんな直球に言われたら、イエスと答えるしかないじゃないか。
「……で……殿下の御心のままに……」
苦し紛れに答えると、セシルは満足気な顔をする。
「ありがとう、アレク」そう言い残し、リリアーナにアプローチをかけに行った。
セシルの誘いに笑顔で応じるリリアーナの姿を見て、酷くざわつく俺の心。
(――俺、こんな調子でこの先やっていけるのか?)
俺は心の動揺を必死に誤魔化しながら、どこまでも晴れ渡る青空を力無く見上げるのだった。
次話『大神官サミュエル』