29.雨降って地固まる
「ユリシーズ……?」
俺を睨むユリシーズの鋭い瞳。
肩は上下し、ゼェゼェと苦しそうに呼吸する様からは、かなり長い時間走っていたのだと想像できる。
つまり……。
(もしかしてこいつ……手紙を読んだ後、ずっと俺を探してくれてたのか……?)
そう思うと、嬉しいような申し訳ないような……何とも言えない気持ちが沸いてくる。
――が、そんな俺の複雑な心境など知りもしないだろうユリシーズは、怒りの形相で声を荒げた。
「この……っ、馬鹿ッ!!」――と。
その言葉は、普段のユリシーズからは絶対に出てこないような言葉。
ユリシーズは、驚きよりも物珍しさの感情が勝っている俺の肩に、これでもかと掴みかかる。
「最近の君はとことんアホだと思ってたけど、まさかここまで考えなしだとは思わなかった!」
「……お……おう」
「おう、じゃないだろ! 僕は今すごく怒ってるんだ! 君が病み上がりじゃなければ一発殴ってるところだよ!」
「…………わ……悪い」
怒られるとは思っていた。――思っていたが、正直このパターンは想像していなかった。
ユリシーズのことだから、いつもの様な毒舌モードが発動するものかと思っていたのに。
「どうして君は自分の命をそんなに軽く扱うんだ!? 上手くいったからいいものの、一歩間違えれば取り返しのつかないことになっていたんだぞ! そんな重大なことをどうして君は一人で決めて突っ走る!? 僕はいつだって君のことを考えているのに、どうして君はそれがわからないんだ!? いい加減にしろよッ!」
「…………」
「僕は君に危ない目にあってほしくない、もっと自分を大切にしてほしいんだ! 昨夜だってそう伝えたよ……! なのに、どうして君はこんなことを……。僕の言葉は君に少しも届いていないのか!? 僕は……君にとってその程度の存在なのか?」
「……ユリシーズ」
ああ――違う。
これはただの怒りではない。悲しみだ。
ユリシーズは、自分がないがしろにされたと思って怒っているのだ。
そのことに、深く傷付いているのだ。
さっきまで俺を睨みつけていたユリシーズの瞳が、泣き出しそうに揺れている。
それを堪えるように奥歯を噛みしめ、俺の肩を掴む両手はカタカタと震えていて。
そんなユリシーズの姿に、俺は強い罪悪感に襲われた。
「……ごめん、悪かった。俺、お前を傷付けるつもりじゃなかったんだ」
そうだ。本当にそんなつもりではなかった。
俺はただ、自分がラスボスになりたくなかっただけ。リリアーナに殺される運命から逃れたかった――それに、俺はきっとロイドの手によって殺されることはない。そう信じていたから……。
でも、そんなことは口が裂けても言えない。――だから。
「俺はただ、リリアーナを守れるだけの力が欲しかったんだ。それにもう二度と、お前の足手まといにはなりたくなかったんだよ」
「――っ」
“足手まとい”――その言葉に、ユリシーズの瞳が見開く。
「いつ……僕がそんなことを言った?」――と。
「言ってない。ただ俺が勝手にそう思ってただけだ。でも実際そうだろう? 聖剣がなければまともに戦えない。自分の力だけじゃ魔物一匹倒せない。挙句の果てにお前に怪我までさせて……こんなの、足手まとい以外の何物でもないだろ」
「…………」
「お前が俺を大事に思ってくれるように、俺もお前を大事に思ってるんだ。だから俺は力が欲しかった。大切なものを守れるだけの力が……。これ以上惨めな思いはしたくなかった。瘴気をちょっと吸っただけでぶっ倒れるような身体なんてくそくらえだ。――俺にだってプライドがあるんだよ」
――そうだ。俺は間違ったことは言っていない。
選択を間違えたとも思わない。
バッドエンドを回避するためだけじゃない。それ以外にも、この身体を治したい理由は沢山あった。
そうしなければ俺は俺のままでいられない、多くの理由が――。
俺はユリシーズを見据え、はっきりと言い放つ。
「お前に相談しなかったことは悪かったと思ってる。それについては謝る。でも俺は、自分の選択が間違いだったとは思わないし、たとえそれで死んでも後悔はしなかった。絶対にだ」
「……ッ」
すると、ユリシーズは悔しそうに顔を歪める。
やっぱり納得はできないと……そんな顔で……口を開く。
――が――そのときだった。
突然、フッと蝋燭の炎が消えたような感覚がして、俺の膝から力が抜ける。
と同時に、俺はようやく気が付いた。自分がずっと魔法を使い続けていたことに。
俺の頭上を浮遊する水球。そこに繋いだ魔力の線を切断するのを忘れ、ずっと魔力を注ぎ続けていたことに。
(しまった……! これ、魔力切れだ……!)
だが今ごろ気付いてももう遅い。
足の力が抜けた俺は、ユリシーズに押し倒される形で背中から地面にひっくり返る。当然、ユリシーズも一緒に。
そんな俺たちの頭上で、強制的に魔力の供給を絶たれた水球に重力が戻り――次の瞬間……。
――バッシャアアア!!!
と、盛大な効果音と共に、俺たちにぶっかかった。
そして数秒の沈黙……からの……。
「……は? ……アレク? 何、これ……?」
ユリシーズの頭からボタボタと滴り落ちる大粒の雫。ぐっしょりと塗れた服。
そして、地を這うような低い声。
極めつけは、俺をじっと見下ろす何の感情も無い瞳。
それは早々お目にかかれない、ユリシーズの絶対零度の怒りの眼差しだった。
(や……やらかした……)
「わ……、悪い! ほんとにごめん! でもわざとじゃないんだ! ただちょっと、魔力が切れちゃって……」
「うん? 今、魔力切れって言った? つまり君は、身体が治ったのをいいことにさっそく無茶をしたってことかな?」
「えっ」
「ほんと、いい加減にしろよ?」
「――ッ!?」
(こいつ、キャラ変してないか……!?)
俺は這って逃げだそうとする。が、ユリシーズに床ドンされ退路を塞がれてしまった。
「ユ……ユリシーズ……? あの……俺……男に床ドンされる趣味は……」
「は? 何言ってるの? 僕は今から、君に魔力切れの危険性をレクチャーするだけだよ」
「なら……この体勢じゃなくてもよくないか?」
「逆に、この体勢で困ることある? 逃げようったってそうはいかないからね?」
「…………」
(ああ、駄目だ。これはもう、言うことを聞く以外にない……)
「さ、アレク。楽しいお勉強の時間だよ?」
「……ッ」
――こうして俺はこの後小一時間、早朝の冷えた庭園でユリシーズからキツーイ説教を食らい、そのせいで二人揃って風邪をひくという何とも情けない展開になるのだが、それはまた別の話。