26.厳しい現実
――体内の魔力を空っぽにしてみてよ。
ロイドのその言葉を受け、俺はさっそく魔法を使ってみることになった。
と言っても、俺が使えるのはとても弱い重力魔法のみ。ペン一本を浮遊させるのだけで精一杯だ。
それに、前世の記憶を思い出してからというもの俺は一度も魔法を使っていない。
そもそも、俺はちゃんと魔法を使えるだろうか? 実は使えなくなっていました、などというオチはないだろうか。――不安に思いつつ、俺はロイドとユリシーズの前で魔法を発動させてみる。
その辺に落ちている小石に意識を集中させ、「浮け」と念じた。
すると――。
(おお……! マジで浮いた……!)
正直、どうして浮いたのかはわからない。が、アレクの身体が魔法の使い方を覚えているのか、小石が地面から浮き上がる。
それを見たロイドは、キラキラと目を輝かせた。
「すごい! ほんとに浮いた! 僕、重力魔法を見るのは初めてだよ! 面白ーい!」
小さな子供のようにはしゃいで、小石を色々な角度から眺めている。
「ねぇアレク! この小石、遠くに飛ばしたりもできるの!?」
「残念ながら無理だ。俺の力じゃ、持ち上げるだけで精一杯」
「えー、そっかー、残念。魔力の流れが滞ってるせいでコントロールが難しいのかな。――持続時間はどれくらい?」
「さぁな。限界まで試したことはないから……でも多分、持って二、三分ってとこか」
「そっか、短いね。その長さだとちょっと厳しいかなぁ」
ロイドは再び「うーん」と唸って、再び俺の手を握った。
本日二度目のことなので、俺も今度は驚かない。
ロイドは十秒ほどで手を放したが、やっぱり難しい顔をしている。
そんなロイドの表情に、ユリシーズは何かを悟ったように話しかける。
「アレクは昔から魔法がほとんど使えないんだ。連続で発動させるのも苦手だし……僕はそれが魔力が少ないせいだと思っていたけど、君の言ったとおり本当は魔力はあるってことなら、さっきの君の提案を実行するのは難しいと思う。アレクの今の魔法じゃ、魔力を消費しきれない」
「そうだね、確かに。僕も今確認してみたけど、アレクの体内の魔力の流れは蛇口をほとんど閉められている状態だった。だから、本当は沢山ある魔力のうちの、ほんの少ししか流れていかない。少しの魔力では小さな魔法しか使えないし、これじゃあ消費しきるのは難しいだろうね。――まぁでも、無理やりにでもずっと魔法を使っていれば多少なりとも魔力は減っていくはずだし、一度試してみよう」
他に方法もないし――と、そう続けたロイドは、とにかく今日一日俺に魔法を使い続けるように指示をした。
俺はその指示通り、何度も何度も魔法を使った。小石が地面が落ちる度、すぐに魔法を発動させる。
十回、二十回、三十回――失敗しようが構わない。とにかく、魔力が底をつけばいいのだから。
だが、四時間経っても五時間経っても、俺の魔力が尽きることはなかった。
まぁ当然だ。
俺のショボい浮遊魔法は、ユリシーズの氷の防御魔法に比べ、魔力消費量は何十分の一程度なはずなのだから。
結局俺の魔力は夕方になっても底を尽きず、その日の特訓は終了した。
◇
だが、次の日も、また次の日も、俺の魔力は尽きなかった。
浮遊対象の小石が普通のサイズの石になり――持続時間が三分から五分、十分に伸びる中、それでもやっぱりなくならないのだ。
それを見ていたロイドはこう言った。
「狭かった蛇口が少しずつ緩んできてる。とってもいい傾向だよ。でも、まだダメ。魔力の消費速度より体内の魔力生成速度の方が勝ってるから、もっと早く魔力を消費しないと」――と。
(それができないから困ってるんだけど……)
俺は愚痴りたくなったが、でも、愚痴ったところで何も変わらない。
一応魔法の威力は上がっているし、このまま続ければいつか消費速度が生成速度を上回るようになるはずだ。
俺は必死に魔法を使い続ける。
――この三日であっという間に攻撃魔法の精度を上げたユリシーズを羨ましく思いながら……コツコツと。
けれど、やはり俺の魔力は尽きなかった。
ロイドも他に方法を考えてはくれているようだったが、別案は思いつかないようで、ただ時間だけが過ぎていく。
そうして何も進展がないまま、俺はとうとう五日目の夜を迎えた。
◇
その夜、真夜中を過ぎ皆が寝静まった頃、俺は辺境伯の屋敷のバルコニーから、一人星空を見上げていた。
辺境伯の屋敷は小高い丘の上に建っていて街全体が見渡せるのだが、この時間になると街はすっかり闇に溶け、夜空に浮かぶ月と、煌めく星々だけの景色になる。
まるでプラネタリウムのような、作り物とも思えるような、明るく輝く沢山の星々。
そんな美しい夜空を眺め……俺は、一人溜め息をつく。
「……どうすっかなぁ」
俺は、正直落ち込んでいた。
五日前、特訓を始める前は、全てが上手くいくと思っていた。
才能に溢れたロイドに教えを乞えば、強くなれると信じていた。
けれど、現実はそう甘くはなかった。
ロイドだって万能ではない。そもそも、年齢で言えばまだまだ子供。
才能のあるユリシーズはめきめきと実力を伸ばしているが、俺の身体についてどうにかしてくれと願ったのは、荷が重すぎたのかもしれない。
今日もロイドの態度はいつもと変わらず軽薄だったが、それでも初日に比べると、考え込む時間が増えてきた。
俺と目が合うとすぐに頬を緩めるのだが……ああいう性格のロイドでも、多少の焦りを感じているのだろう。
「……ほんと……情けねぇな……俺」
あんな子供に頼らないと何もできないなんて……。
俺は自分の無力さに打ちひしがれながら、しばらくの間、ボーっと夜空を眺めていた。
すると、どれくらい時間が経った頃だろうか。部屋の扉がノックされ、「入るよ」と声がする。
それはユリシーズの声だった。
けれど、なんとなく話したくなかった俺は、良くないことだと思いつつも無視を決め込む。
――が、結局扉は開き、ユリシーズは部屋に入ってきた。
ユリシーズはバルコニーに立つ俺の姿に気付き、静かに呟く。
「やっぱり、まだ起きてた」
その言葉に大きな意味はなかっただろう。
なかっただろうけど……俺は、どうしても言葉を返せずに、ユリシーズに背を向けた。
――ユリシーズは、この五日で目覚ましい成長を遂げていた。
もともと魔法師として十分な素質があるやつだったから、その成長ぶりは納得だった。
けれど、それを毎日のように側で見せつけられると正直辛いものがある。
それに――だ。
(……俺……多分気付いちゃったんだよな。アレクがラスボスになる理由……)
――そう。
俺はこの五日、考えて考えて考えて、そして気付いてしまった。
アレクがラスボスになるのは、きっと俺のこのヘンテコな身体のせいなのだろうと。
魔力を正常に循環させることができない……このイレギュラーな身体をトリガーに、ラスボスへの道を歩むことになるのだろうと。
(だって……それしかねーもんな。……ラスボスになる理由なんて)
もしそうなら、このおかしな身体をどうにかすればラスボスになるのを回避できるということになる。
けれど逆に、これがゲームの設定だというのなら、治ることはないのではないか……?
どれだけ努力しようが、あがこうが、無駄なことなのではないか?
そんな無力感でいっぱいになって、俺はこの先どうしたらいいのか、全くわからなくなっていた。
バルコニーの手すりに身体を預け、俺は闇に沈んだ街を見下ろす。
まるで誰も住んでいないかのようにすら思える、暗く静かな街。――あの闇に、俺も紛れてしまいたい。
ふと気が付くと、いつの間にかユリシーズが俺の隣に並んでいた。
ユリシーズは手すりに背を預け、星空を見上げている。
「ねぇ、アレク」
「…………何だよ」
流石にこの距離で無視というわけにもいかず、俺は一応返事をする。
いったい何の話だろうか……ま、何でもいいけど。と、投げやりな気持ちで。
するとユリシーズは数秒沈黙したあと、静かな声でこう言った。
「もう……やめない?」――と。
「…………は?」
その言葉に、俺は咄嗟に顔を上げる。
「特訓、もうやめない?」
「――ッ」
繰り返された言葉に、俺はまるで心臓にナイフを突き立てられたかのように、途端に息ができなくなった。
「こんなこと言われたくないってわかってる。君に嫌われる覚悟で言ってる。でも言わせてほしい。君はもう十分頑張った。だから、もうやめて王都に帰ろう? 聖下の庇護下にある王都にいれば、君の命が危険にさらされることはない。それに……君がいなくても、リリアーナは大丈夫だよ」
「……っ」
――君がいなくても、リリアーナは大丈夫。
それは、俺に対する戦力外通告だった。
俺が決して言われたくなかった言葉。
認めたくなかった言葉。
それを……他でもないユリシーズが口にした。
いや……違う。俺が言わせてしまったのだ。
言いたくもない言葉を……言わせてしまったのだ。
何よりも、俺の命を優先するために……。
――だが、それでも。
頷くわけにはいかなかった。「わかった」と言うわけにはいかなかった。
なぜなら、もし今ユリシーズの言う通り王都に戻ってしまったら、俺にはきっとバッドエンドが待っている。
何一つ変えられないまま、最後にはゲームのシナリオ通りリリアーナに殺されることになるだろう。
それだけは絶対に嫌だった。
俺は、リリアーナに俺を殺させたくはない。――たとえリリアーナと旅を続けられなくとも、何の収穫もないまま王都に戻ることはできない。
リリアーナと別の道を歩もうとも、現状を打破するために全力を投じねばならない。
決して諦めてはならない。
それだけは……決まっている。




