25.魔力の巡り
――魔力が身体を巡っていない。
俺はロイドのその言葉の意味がわからず、困惑する。
そもそも論だが、俺は魔力というものが何なのか今だによくわかっていない。
ユリシーズから、魔力は体内で生成されるものと聞いてはいるけれど、それだけだ。
だから、魔力はあるのに巡ってない――などと言われても、何のことやら状態なわけで。
するとそんな俺の心の声を代弁するかのように、背後からユリシーズの声がした。
「今の、どういう意味?」
その声に顔を振り向くと、ユリシーズが睨むような顔でロイドを見据えている。
「魔力が巡っていないって……そのせいでアレクは目が覚めなかったって、どういうことかな? 僕はそんな話、一度も聞いたことがない」
ユリシーズのその声は、いつになく低く――。
(こいつ……怒ってる……?)
ああ、間違いない。
ユリシーズは怒っている。その理由はわからないけれど。
口を出せる雰囲気じゃないなと空気を呼んだ俺は、ロイドの手を今度こそ振り払い、そこから一歩後退った。
するとロイドは不満そうな顔で俺を一瞥して、ユリシーズの方を向く。
「そのままの意味だよ。人は皆、多かれ少なかれ体内に魔力を巡らせている。魔法が使えない者も、誰一人例外なくね。でもアレクの場合、魔力は十分あるのにも関わらず、その流れが滞っているんだ」
ロイドの言葉を聞いて、大きく眉をひそめるユリシーズ。
それだけでは何もわからない……そう言いたげに。
「その話……もっと詳しく聞かせてくれる? 魔力が身体に上手く巡っていないと、具体的にどんな影響があるのか」
ロイドを睨むようなユリシーズの眼差し。
その視線に、ロイドは小さく息を吐く。
「そう言われても、僕もアレクのようなケースは初めてだから詳しくはわからないよ。ただ、体内で生み出された魔力は魔法を使うためだけじゃなく、怪我や病気の治りを助けたり瘴気の解毒を早めたりするのにも使われている。それが上手く巡らないってことは、身体の不調を治すための時間が長く必要になるってことだ」
「だからアレクは、三日間も目覚めなかったっていうの?」
「多分だけどね。鉱山は瘴気でいっぱいだったから、きっと吸いすぎで身体に負荷がかかったんだと思う。聖女さまが治癒魔法を施してなければ、もっと長く眠っていたかも」
「……ッ」
まさかの内容に、言葉を失うユリシーズ。
もちろん俺も驚いているが……いかんせん、あまりにも突然すぎて、正直どんな反応をすればいいのかわからない。
ロイドは放心するユリシーズをそのままに、再び俺に向き直る。
「ねぇアレク」
「お、おう。何だ?」
「今回以外にも、原因不明の体調不良になったことは?」
そう尋ねられ、思い返す。――いや、思い返すまでもない。
目覚める前の数日間の俺は、怪我やら吐き気やら何やらで、ぶっ倒れてばかりだったのだから。
「あー……あるな。でも別に原因不明ってわけじゃ。馬車に酔ったのと、鉱山で人が死んだって言われて驚いただけで……」
――リリアーナとセシルのデートを尾行して気分が悪くなったことは、流石に伏せておこう。
そう思いながら上記のことを答えると、ロイドは更に質問を重ねる。
「馬車酔い? それはいつどこで? どんな状況だった?」
「いつって……この街に来る前日、ノースフォードを出てすぐの森で……」
「それ、グレイウルフが出たっていう森だね。そこには瘴気が充満してたはずだ。本当は馬車酔いじゃなくて、瘴気に酔ったからじゃないの?」
「…………」
「鉱山で人が死んだと聞いて気分が悪くなったのも、街に流れ込んだ瘴気を吸ったせいだったんじゃない?」
「………………」
(いや、何だその、伏線キレイに回収しちゃいましたーみたいな話。何も面白くねぇぞ)
だが、確かにロイドの言う通りかもしれない。
俺が馬車酔いを起こしたのは、グレイウルフの森に入ってからのこと。道が悪いからかと思っていたが、グレイウルフを倒した後は馬車に酔うことはなかった。
それが、リリアーナが森の瘴気を浄化したからだったとしたら?
それによく思い返してみれば、馬車酔いが治ったのは俺が馬車から落ちた後、リリアーナが治癒魔法をかけてくれたタイミングだったはず。
つまり、リリアーナは謀らずも、俺の体内の瘴気を浄化してくれていたのかもしれない。
「……うわ。ロイドお前……怖。探偵かよ」
「たんてい?」
「いや、何でもない。……つまり、俺がぶっ倒れたのは全部瘴気が原因だったってことか?」
俺が尋ね返すと、「多分ね」と頷くロイド。
「確証はないけど、君の体調不良がノースフォードを出てからのことだって言うならそうなんだと思う。ノースフォードより内側は聖下の加護があるから大丈夫だったんだろうけど。それに……」
ロイドは言いかけて、俺たちに背を向けると訓練場の壁の方へと走っていく。
そしてそこに立てかけてある俺の聖剣の柄を握りしめ、一気に鞘から引き抜いた。
「――あっ! お前、何を……!」
驚く俺の視線の先で、聖剣の刃が太陽の光を反射して、眩しく煌めく。
ロイドはその刀身をひとしきり眺めて、こう言った。
「やっぱりこの聖剣、ほとんど魔力が残ってない」と。
「――はっ? それ、いったいどういう……」
より一層驚く俺のもとに、聖剣を手にしたロイドが駆け戻ってくる。
「ほら、見てよ。って言ってもアレクにはわかんないか。――ユリシーズ、この聖剣握ってみて」
「……え?」
「大丈夫だから、ほら、早く」
「……っ、でも、僕は……!」
嫌がるユリシーズの手に、無理やり聖剣を握らせるロイド。――だが……握っても何も起きなくて。
本来なら、聖剣は光魔法師、あるいは魔力が極端に少ない――つまり、俺のように魔法の才能がない者にしか握れない。
異なる属性の魔法師は、魔力の反発を起こして触れることすらできないはずなのだ。
それなのに、ユリシーズは何事もなく握っている。
つまりそれは、聖剣内に反発するほどの魔力が残っていないということを意味していて。
ということは、俺が蛇の魔物と戦ったとき、聖剣の威力が落ちている気がしたのは気のせいではなかったのだ。
「本当だ。君の言う通りこの聖剣、魔力が全然残ってない」
「だから大丈夫って言ったでしょ?」
「いや、でも、だって……この聖剣、ほとんど使ってないはずなのに……!」
そうだ。ユリシーズの言う通り、俺はまだこの聖剣をほとんど使っていない。
だが、どういうわけか魔力は失くなってしまっている。
その理由は――。
「それはきっと、聖剣がアレクの体内の瘴気を浄化してくれていたからだよ。そのせいで魔力を消費しきっちゃったんだ」
「……!」
「こんなこと言いたくないけど、この聖剣が無かったら、アレクは瘴気に侵されてとっくに死んでたと思う」
「――ッ」
ユリシーズは再び絶句する。
俺も、正直……驚きすぎて言葉が出ない。
けれどそんな俺たちの暗い気持ちを一蹴するように、ロイドは平然とこう続けた。
「ちょっと、やめてよ。別にそこまで悲観することないでしょ? 気を付けていれば死ぬ病気ってわけでもないんだし。今気付いて良かったんじゃないの?」
「……いや……まぁ、それはそうなんだけど……」
(ロイドって、やっぱりちょっと変わってるな)
まぁ、それがこいつの長所であり、逆に大きな短所でもあるわけだが……ロイドがいるとシリアスがシリアスにならないから凄い。
(っていうかそもそも、俺たちが暗くなってるのはお前が俺を"死んでたと思う"だなんて言ったのが原因だからな?)
「はぁ……ま、いいや」
俺は大きな溜め息をつき、ユリシーズに声をかける。
「ユリシーズもあんまり気にするな。ロイドの言う通り、今気付けて良かったと思うことにしよう。――で、ロイド。俺はこれからどうすればいいんだ? その魔力の滞りっていうのは、お前の力でなんとかできないのかよ?」
「うーん、どうかなぁ。試してみてもいいけど、こんなケース初めてだし、だいたい僕、治癒魔法系統は全部禁止されてるし……」
「そう言えばそうだったな」
「って言っても、君の魔力の流れの滞りを改善するとしたら、それは厳密には治癒魔法ではないんだけど……ただ僕の魔力を君に注ぐっていう点では変わらないから、失敗したらそれこそ即死だと思うんだよね」
「それは流石に嫌だ……」
「そうだよね。……んー。何かいい方法ないかなぁ」
俺とユリシーズの見守る中、ロイドはしばらくの間、うーんうーんと言って頭を悩ませていた。
けれど少しして、何かを閃いたのか、人差し指をピンと立てる。
「あっ、わかった!」
そう叫んで、ロイドが言い出したことは――。
「アレク、君、一度限界まで魔法を使ってみてよ! 君の体内の魔力を空っぽにすれば、僕の魔力を注いでも反発しない。これならきっと大丈夫!」
――なんとも単純だけれど、魔法が苦手な俺にとってはあまりにも大変な方法だった。