24.特訓開始?
翌日の午前十時、俺たちは辺境伯屋敷の訓練場を借りてさっそく特訓を開始した。
――たち、というのは、せっかくだからユリシーズも一緒にやろうという話になったからだ。
「それで、まずは何をすればいいんだ?」
四方を高い壁で囲まれた、だだっ広い訓練場。
その隅で、俺とユリシーズはロイドに教えを乞う。
「そうだなぁ。とりあえずは二人の今の正確な実力を知りたいかな。ひとまず走り込みで基礎体力を確認して、それから短距離の全力疾走、それが終わったら僕と剣で打ち合い。それから魔力量の測定と魔法の実践……かな」
――なるほど。魔法云々以外の内容は、以前俺とユリシーズがやっていたことと変わらない。
もっと飛び跳ねたりさせられるのかと思ったが、そういうわけではないようだ。
俺とユリシーズはロイドの指示通り、訓練場の内周を走り始める。
ロイドはそんな俺たちを、どこから持ち出してきたのか木箱的なものに座りながら、退屈そうな顔で眺めていた。(途中何度か大きなあくびをしたのを、俺は見逃さなかった)
何周かしたところで「もういいよー」と声がして、次は短距離走に移る。
ロイドの「よーいドーン」というやる気のない声でスタートした俺たちは、全速力で訓練場を駆け抜け、反対側の壁にタッチした。
ちなみに、順位は俺が先だった。
それが終わると、今度は打ち合い。
俺とロイドは模造刀を構え、対峙する。――するとようやくロイドの目に生気が戻ってきた。
そんなロイドの姿に、本当にこいつは退屈が嫌いなんだなと、俺は改めて理解する。
「それで、普通に打ち込めばいいのか?」
俺が尋ねると、ロイドはニヤリと微笑み、模造刀を逆手に握り直した。
その剣先で、自身を中心にして地面に半径一メートルの円を描き始める。
「何だ? その円」
「普通にやったらすぐに決着がついちゃってつまらないからね。ハンデを付けようと思って」
「ハンデ?」
「そう。僕はこの円の中でしか動けない。僕の足を一歩でも円の外側に出すことができれば、君の勝ち」
「……そりゃ……随分なハンデだな」
もしやこいつはわかっていないのだろうか。
俺の身長は百八十センチ。そこに剣の長さを合わせると、リーチは二百六十センチを超える。
つまり、俺が焦って円に近付きすぎさえしなければ、ロイドの剣が俺の首に届くことはない。
とは言え油断は禁物だ。ロイドは相当な強者なはずなのだから。
俺は剣を構え直す。
そしてユリシーズの試合開始の合図と共に――地面を蹴った。
(まずは正面からだ――!)
俺は円から一メートル以上離れた位置から、円の中心に立つロイドに斬りかかった。
左から右へ横一線に。だが当然、ロイドはいとも簡単にそれを防ぐ。
とは言えそれは予想通り。俺は次の攻撃に移る。
身体を半回転させ、さっきとは逆側から斬りかかった。できるだけ速く、正確に、連続で攻撃を繰り返す。
右、左、右――そして、また右。
(ああ……やっぱりこいつ、強い……!)
一応俺だって、貴族の嗜みとしてそれなりに訓練を受けてきた。
グレンのような本業相手には敵わなくても、魔物相手には手間取っても、その辺の暴漢なら数人を一人で相手にできる自信がある。
人体のどこを狙うべきかも、攻撃を弾かれたときのバランスの取り直し方も、勿論防御の仕方だって、アレクの身体がきっりちと覚えているのだ。
――それなのに、ロイドは少しも動じない。
魔法で身体を強化しているのか知らないが、俺の攻撃をいとも簡単に防いでしまうのだ。
「やっぱ凄いよ、お前」
攻撃を繰り出しながら、俺はロイドを賞賛する。
たとえ魔法を使っていようが、それをひっくるめてこいつの実力だ。
だが、俺だって簡単に負けるわけにはいかない。
俺は一か八か、円の外五十センチのところまで踏み込んだ。
この位置なら、円内全てが俺の間合いになる。
それは同時にロイドの間合いでもあるということだが、腕は俺の方が長い。
判断さえ謝らなければ、攻撃されても十分避けられる。何てったってロイドは円から出られないのだから。
俺は今度こそロイドを仕留めようと、至近距離で剣を振るった。
円の内側全てを攻撃範囲とする為、左から右へ一気に剣を薙ぎ払う。全ての体重をかけ、力技でロイドを円の外へはじき出そうと――だが。
仕留めた――そう思ったのも束の間、なんとロイドの姿が視界から消えたのだ。
「――ッ!?」
いったいどこに……!?
そう思った次の瞬間――俺は――どういうわけか青空を見上げていた。
「……は?」
(今、いったい何が起こった?)
あまりにも一瞬だった。コンマ数秒の間に……俺は、地面に倒されたのだ。
茫然と空を見上げる俺を、ロイドが満面の笑みで覗き込む。
「ふふっ。僕の勝ち」
「……お前、今……」
――何をした?
そう言いかけて、ズキンと痛んだ左足に、俺は悟った。怪我ではないが、この痛みは――と。
(ああ、そうか。俺は足を取られたのか)
驚きのあまり動けないでいる俺の元に、ユリシーズが駆け寄ってくる。
差し伸べられた手を借りて立ち上がった俺は、ロイドに向き直った。
「お前、ほんとに何でもできるんだな」
「でしょ? 僕って天才だから」
「ああ、驚いた。今の足払いももちろんだけど……俺の攻撃、まるで効いてなかったもんな。剣術にはそこそこ自信があったんだけど、完敗だ」
清々しいほどに俺の負け。ここまで実力差があると、悔しさすら感じない。
――が、ロイドは俺に気を遣ったのか、小さく首を振る。
「ううん、アレクはちゃんと強かったよ。身体強化してなかったら、初手で円の外側に飛ばされてたと思う。僕、剣術は素人だけど、ちゃんと練習を積み重ねてきたんだなっていうのが伝わってきた。正直、凄いなって思ったよ」
「……え?」
その言葉に、強い違和感を抱く俺。
「お前、剣術は素人なのか? 俺たちに剣術を教えてくれるんじゃないのかよ?」
困惑ぎみに尋ねると、ロイドは一瞬キョトンとして――ぷはっと噴き出した。
「あははははっ! 僕が君たちに剣術を? 無理に決まってるでしょ! 僕は神官だよ? 剣なんて普段握らないし!」
「はっ? えっ!? だってお前、さっきは俺の攻撃をあんなに――」
「そりゃあ僕は目がいいから、防ぐくらいならいくらでもできるよ。でもあくまで防御だけ。さっきだって僕、君に一回も攻撃しなかったでしょ?」
「――え? ……あっ」
言われてみれば確かに、こいつは一度も攻撃を仕掛けてこなかった。
けれどそれは、俺と実力差がありすぎて手加減されているのかと思っていた。
――でも、違ったのか……。――ん? いや、でも、待てよ……。
「おい。ならなんで手合わせしようなんて言ったんだよ。剣術教られないなら手合いの意味なかったろ」
俺がロイドをじっと見据えると、しらーっと明後日の方を向くロイド。
これは……つまり。
「お前……俺で遊んだな?」
「ええー? 何のことー?」
「誤魔化すな! 俺は本気で強くなりたくてお前に頼んでるんだぞ……!」
「それはちゃんとわかってるよ〜」
「いいや、わかってない! 絶対にわかってない!」
訓練場の中を逃げまわるロイドを、俺は追いかける。
けれどロイドはすばしっこく、なかなか捕まってくれなかった。
――が、ひとしきり逃げ回って満足したのか、ロイドが急に立ち止まる。
と同時にくるりと俺の方を向いて、何かを思い出したような顔でこちらに駆けて来た。
そしてどういうわけか、ロイドは小さなその両手で、俺の右手を強く握ったのだ。
「――なっ、んだよ、急に」
ロイドの突然の奇行に、俺は咄嗟に手を振り払おうとする。
けれどロイドはそれを許さず、俺の知る限り最も真面目な顔で、俺を見上げた。
「やっぱり……気のせいじゃなかった」
そう呟いて、俺を見つめるロイドの瞳。
その眼差しはどうにも気味が悪くて、俺は目を逸らさずにいるのがやっとだった。
(急にどうしたんだ、こいつ……!?)
困惑する俺を、ロイドは更にじっと見つめる。
そして数秒の沈黙の後、ようやく口にした言葉は――。
「鉱山でも思ったけど、君の身体、なんか変だよ。魔力はあるのにちゃんと身体を巡ってない。三日も眠り続けてたのって、これが原因なんじゃない?」
――俺にとっては寝耳に水の、全く理解不能な内容だった。