23.三日後の朝
俺が目を覚ましたのは、三日後の朝のことだった。
(……眩し……ったく、誰だよ勝手にカーテン開けた奴……)
瞼の向こうの明るさに目を開けた俺は、当然のごとく驚いた。
そこが全く見慣れぬ部屋だったからだ。――アレクの部屋でも、街の宿屋でもない。広さと家具からして、間違いなく貴族の屋敷の一室。
その状況に混乱した俺は、驚きのあまり声を上げた。
「はあっ!?!?」
ベッドからバッと飛び起き、周囲を見回す。
けれどやはり、そこは全くもって見覚えのない部屋で。
「いや……待て待て待て……!」
だいぶ訳がわからない。
いったいここはどこなのか。どうして俺はこんなところで寝ているのか。リリアーナは……瘴気の浄化は? あれからどれくらい時間が経った? ――何一つ思い出せない。
(っていうか、この目覚め方何度目だ……? 最近の俺、意識飛ばしすぎだろ……!)
俺は混乱しながらも、必死に記憶を回顧する。
俺が覚えている最後の記憶は、俺の腕の中で眠るリリアーナの寝顔だが……。
俺は少しの間考えて――数秒が経過した後、ようやく気付いた。
ソファで誰かが寝息を立てている。よくよく見ると、それはユリシーズだった。
「……ユリシーズ?」
その姿を見た瞬間、俺の中の混乱が安堵に変わる。
その感情は多分、迷子の子供が親を見つけた瞬間と同じようなものだっただろう。
俺がベッドの上からユリシーズを見つめると、何かを感じ取ったのか、薄っすらと瞼を開くユリシーズ。
その瞳が俺の姿を捕らえたと思った瞬間――勢いよくソファから立ち上がる。
その三秒後には、ユリシーズが俺の両肩を掴んでいた。
「アレク、痛いところはない!? 苦しいところは!?」
その必死の形相に、俺は瞬時に冷静さを取り戻す。
それは、セシルの動揺した顔を見たときと同じように。
「いや……大丈夫だ。痛くも苦しくもない。寧ろよく寝たーって感じだけど――もしかして俺、結構まずい状態だったのか?」
緊張感なく問い返すと、ユリシーズの目がこれでもかというほど大きく見開く。
そして、「はあっ」と大きく息を吐いた。
ユリシーズは俺の両肩から手を放し、ベッド横の椅子にフラフラと腰を下ろす。
「良かった。その様子なら本当に大丈夫そうだね。君、三日も眠りっぱなしだったんだよ。呼んでも揺さぶっても全然起きなくて……流石に、心配した」
「それ、何の冗談だ?」
「この状況で冗談なんて言うわけないだろ。足はマリアが治したし、リリアーナも治癒魔法をかけたんだ。でも何をしても起きなくて……医者に診せても眠ってるだけだって言うし……本当……このまま目が覚めなかったら……どうしようかと」
ユリシーズは項垂れて、再び深く息を吐く。
本当に心配させてしまったのだろう。ユリシーズの声が、安堵に震えていた。
「ユリシーズ……」
――俺も、坑道でユリシーズが怪我をしたときは本当に恐ろしかった。
ユリシーズが死んでしまう可能性を思うと、足がすくんで動けなくなりそうだった。何もできない自分が歯がゆくて仕方なかった。弱い自分を責めて、罪悪感で心が潰れるかと思った。
それと同じ思いをこいつにもさせてしまったのかと思うと、俺はそれだけで申し訳なくなる。――だから。
「……悪い。心配かけた」
俺が謝ると、ユリシーズはびくりと肩を揺らした。
そうして数秒の沈黙の後、「うん」と小さく呟く。
そうして再びユリシーズが顔を上げたとき、そこにあるのは俺のよく知る優しい笑顔だった。
俺はその微笑みに、何の確証もなかったけれど……ただなんとなく、「もう大丈夫だ」と、そんな気がした。
◇
――その後、俺はあれから何がどうなったのか説明を受けた。
その内容は主に以下のとおりだった。
一つ目は、坑道の瘴気は無事に浄化されたということ。
二つ目は、今俺たちが、ユリシーズの伯父であるノーザンバリー辺境伯の世話になっているということ。
そして、三つ目は――。
「――は? 今、何て?」
一つ目、二つ目の話はふんふんと聞いていた俺だったのだが、三つ目の話を聞かされた瞬間、俺は強いショックを受けた。
なんと、リリアーナとセシル、グレンの三人が、つい先ほど街を発ったというのだ。
行先は北の国境。本来の目的である、瘴気の浄化のためにである。
「嘘だろ? 冗談だよな? そんなまさか……リリアーナが俺を置いていくなんて……」
そんなことが有り得て堪るか。
リリアーナが俺を置いていくなんて……そんな馬鹿なことが……。
肩を震わせる俺を、宥めるようなユリシーズの声。
「違うんだよ、アレク。リリアーナは君が目覚めるまで待つって聞かなかったんだ。君が倒れた日の夜も、次の日も、リリアーナは君を一日中看病してた。少しは休まないとって言うセシルや僕の言葉も聞かず、ずっと君に付き添ってたんだ」
「……っ」
「でも、リリアーナにも疲れの色が見えていたし……正直、あのままじゃ共倒れになると思った。それにマリアは昨日のうちに国境の浄化の準備を全て整えていたから。聖下の指示通り、現地にいる魔法師とは別に、追加で三十人の人員をね。魔法師は皆忙しいから、計画は速やかに実行に移す必要がある。だから僕らは、リリアーナに瘴気の浄化を優先するようにお願いしたんだ。君と物理的に離した方がいいと思ったのもあって…………最初は嫌がってたけど、アレクは僕が見てるからって説得したら、最後はわかってくれたよ」
「……そう……だったのか」
そうとも知らず、俺は一瞬でもリリアーナを疑ってしまった。――最低だ。
俺は自己嫌悪に陥った。と同時に、リリアーナのことが心配で居ても立っても居られなくなった。
ストレスで過呼吸を起こし、坑道の瘴気の浄化――そして俺の看病までした上、今度は北の国境へ。
そんなハードスケジュールを、たった十五歳のリリアーナにやり切ることができるのだろうかと。身体を壊してしまうのではないか、と。
「なぁ、ユリシーズ。リリアーナは本当に大丈夫だと思うか? 地下の瘴気は凄く濃かったんだ。グレイウルフと戦った森なんかとは比べ物にならないくらい。あんな濃い瘴気を浄化して、すぐにまた国境の浄化だなんて……本当に、リリアーナにできると思うか?」
俺が尋ねると、「ああ、それはね……」と、ユリシーズは言いにくそうに口を開ける。
「実は、坑道の瘴気を浄化したのはリリアーナじゃなくて――」
ユリシーズがそう言いかけると同時に、窓側から突然聞こえてきたその声は――。
「実は僕なんだよね、瘴気を浄化したの」
――いつの間にやら部屋に入り込んでいた、ロイドのものだった。
「――っ!?」
ユリシーズと共に声のした方を振り向くと、さっきまで閉まっていたはずの窓が開け放たれ、その窓枠にロイドが堂々と腰かけている。
「ロイド! お前、いつの間に……! ってかここ二階だろ!? どうやって……」
俺が声を上げると、さも当然であるかのように微笑むロイド。
「え~、だって鍵空いてたし。僕にとっては一階も二階も関係ないし」
「関係ないってお前……。――いや、そんなことより、今のはどういうことだよ。坑道の瘴気、お前が浄化したっていうのは本当なのか?」
「うん、ほんとだよ」
ロイドは窓に腰かけたまま足をブラブラと揺らし――スタッと床に着地すると、窓を閉める。
「だって、聖女さまよく眠ってたし。起こしたら可哀そうだと思ったから」
そう言ってわざとらしく首を傾けるロイドの答えは、俺の聞きたい内容からは外れていて――。
ロイドに聞いても埒が明かないと思った俺は、ユリシーズの顔を見る。
するとユリシーズは難しい顔をして、小さく頷いた。
「彼の言っていることは本当だよ。僕はセシルから聞いたんだけど、坑道の瘴気は全て彼が浄化したんだ」
「いや、だって、おかしいだろそんなの! そんなことができるなら最初から――!」
そうだ。そんなことができるなら、最初からロイドが瘴気を浄化してくれていればよかったんだ。
そしたら俺たちが坑道の瘴気を浄化する話にはらなかったし、ユリシーズが怪我をすることも、リリアーナが怖い思いをすることもなった。
俺はロイドを怒鳴りつける。
「お前まさか、魔物と戦いたいがために瘴気を放置してたって言うんじゃないだろうな!?」
ロイドは言っていた。自分は魔物と戦うために神官になった、と。
そしてこうも言っていた。瘴気の浄化は退屈だ、と。
もしもそんな理由で、浄化できるはずの瘴気を放置していたのだとしたら――俺はこいつを許せない。
俺はロイドを睨みつける。
すると、不本意だと言いたげに顔をしかめるロイド。
「確かに君がそう思うのも無理はない。でも違うよ。僕が最初瘴気を浄化しなかったのは、できないことになってるからだ」
「……できないことになってる、だと?」
その言葉の意味がわからず、俺は聞き返す。
「そうだよ、できないんだ。もしもあの瘴気が普段の瘴気と同じ規模だったら、僕だってちゃんと浄化してた。でもあれはそうじゃなかった。僕に浄化できたらおかしいレベルの瘴気だったんだ。だから僕は放置した」
「なら……どうして最後は浄化したんだよ? 矛盾してるだろ」
「それはあの場に聖女さまがいたからだよ。あの瘴気を実際に浄化したのは僕だけど、皆の知る事実は違う。"瘴気は聖女さまが浄化した"ってことになってるんだ。僕が浄化したことを知るのは、君たち五人と僕だけだ。マリアだって知らないことだよ」
「……っ」
「だからそんな怖い顔しないでよ。僕、結構君のこと気に入ってるんだ。そんな君にそういう顔されると……正直、傷付く」
その言葉に、ロイドのどこか寂しげな笑みに、俺は何も言えなくなった。
ロイドの語った理由には到底納得できないけれど、ロイドにはロイドなりの理由があったのだと思い知ったのだ。
同じ神官であるマリアにも秘密にしているロイドの真の力。
リリアーナでも簡単には浄化できないであろう広範囲の瘴気を、聖魔法ではなく光魔法によって浄化してしまえるほどの絶大な魔力。
確かにそれは、周りに知られたら厄介な力に違いない、と。
すっかりおとなしくなった俺に、今度はユリシーズが問いかける。
「それで、どうする?」――と。
「どうするって……何が?」
尋ね返すと、ユリシーズは静かに答える。
「彼の言ったとおり、リリアーナは鉱山で魔力を使っていない。国境の浄化に必要な魔力は十分温存している状態だ。それに、セシルもグレンもマリアもいる。物理的には何も危なくないだろう。――でも、それでも君がリリアーナと共にいることを望むなら、伯父上に頼んで馬車を出してもらうこともできる」
「……ッ!」
――ああ、それは、今からでもリリアーナを追いかけられると……そういうことか?
(……でも)
俺は拳を握りしめる。ここで頷いてはいけない、と。
なぜなら俺は知っているからだ。
きっと俺が行っても、何の役にも立たないことを。今の俺では足手まといにしかならないということを。
――だから。
「いや、いい。行かない」
それにきっと、ユリシーズもそう思ってる。
こいつは俺の気持ちを尊重して聞いてくれているが、心の中では俺にとどまってほしいと考えている。
その理由がどうであれ、「今からでも追いかけよう」と言わないのが、その証拠だ。
とは言え、リリアーナが戻るまでの時間を、ただボーっと過ごすわけにもいかない。
「ユリシーズ、リリアーナが戻ってくるまでどれくらいある?」
「順調にいけば一週間かな」
「……一週間」
そんな短い時間でいったい何ができるかわからないが、やるだけのことはやってみたい。
俺は決意し、ロイドに向き直る。
「?」――と、不思議そうに俺を見つめるロイドに、俺は訴えた。
「ロイド、お前の力を見込んで頼みがある。一週間の間でいい、俺に戦い方を教えてくれないか。俺にはお前の持つような魔法の才能はない。お前みたいな身のこなしもできない。でも、今より少しでも強くなれるなら……何でもする」
「え……それ、本気?」
「本気だ」
俺の言葉に、「うーん」と唸り声を上げるロイド。
「言っとくけど僕、人に教えたことなんて一度もないし、指導者なんて向いてないと思うよ? それに戦い方って言ったて……僕は魔法で身体を強化してるんだ。人に教えられるようなものじゃないよ」
「それでもいい! たとえそれが無駄な努力でも……何もしないで諦めるのは嫌なんだ。だから、教えてくれ……!」
そんな俺の強い押しに、ロイドは折れてくれる。
「まぁ、そこまで言うなら……」
「ありがとうロイド! 恩に着る!」
――こうして俺はリリアーナが戻ってくるまでの一週間、ロイドから教わることが決まったのだった。




