22.守りたいもの
エレベーターが止まり、俺はロイドの手を借りて地下五階の地を踏んだ。
灯りはほぼないに等しい。エレベーター上部の穴から差す自然光がなければ、何も見えないと言っていいほどの暗さだ。
俺はその暗さの理由を、揺れで灯りが消えたせいかと思った。が、どうもそうではないようである。
おそらくだが、灯りは元から点いていないのだ。
きっと人の出入りが少ないのだろう。
地面は均されていないし、滑車用の線路も敷かれていない。天井を支える梁や柱も見当たらず、掘削しっぱなしのようだった。
(――にしても、本当に暗いな。夜の森の方がまだマシだ)
正直、俺には隣に立つロイドの表情がやっと読める程度だ。
けれど、ロイドにはちゃんと周りが見えているようで……。
暗闇の中で、ロイドの両目だけが爛々と光を帯びている。
いったいどれほど先まで見えているのだろうか。
ロイドは暗闇の先を見つめ、微かに笑みを浮かべた。
「凄い瘴気だ。ゾクゾクする」
「――っ」
“早く殺したい”――ロイドの目が、そう言っているように見えた。
ゴクリと唾を飲み込む俺の前で、ロイドが腰を落とす。
「さあ、乗って」と。
「……ああ」
俺はロイドに言われるがままその首に手を回そうとして――けれど、躊躇った。
どういうわけか、地上にいるときよりもロイドの背中が小さく見えたからだ。
「……?」
(いや、違う。小さくなった気がするんじゃない。実際、こいつは小さいんだ)
そもそも、冷静に考えてみれば俺はロイドの倍近い体重があるはず。
それなのに、俺はこんな小さな背中に背負われて……恥ずかしくないのか?
不意に、俺の中にそんな気持ちが芽生える。
するとロイドは、なかなか背中に乗らない俺に痺れをきらしたのか、首を回しこちらを見上げた。
「どうしたの? 乗らないの?」
「いや、何ていうか……その、俺、重くないかな、って?」
「はぁ?」
女のようなことを口走る俺に、眉をひそめるロイド。
「今さら何言ってるの? その身長で重くないわけないでしょ。嫌味?」
「いや、そんな……嫌味なんかじゃ」
しまった。ロイドは自分の身長が小さいことを気にしているんだった。――しどろもどろになる俺を、冷たく見据えるロイドの瞳。
「あっ、わかった。君、僕に背負われるのが今さら恥ずかしくなったんでしょ」
「……っ」
「僕、そういうの何て言うか知ってるよ。マリアが前に教えてくれた。確か……安いプライド、だったっけ」
「――ッ!」
全てを見透かすようなロイドの瞳に、俺はたじろいだ。
確かに、ロイドの言葉は正しかったからだ。
地上では俺とロイド意外、他に誰もいなかった。だからロイドに背負われることに抵抗を感じなかった。
けれど今は違う。この先に進めば、リリアーナが、セシルが、グレンがいる。
俺はその三人に自分の情けない姿を見られることを嫌だと思ったのだ。――リリアーナのことを一番に考えなければならないこの状況で、俺は一瞬でも、自分のプライドを守りたくなったのだ。
「図星? まぁ別に僕はどっちでもいいけど――でもそのプライド、今の君にとっては不要なんじゃないの?」
「…………」
(ああ、そうだよな)
本当にロイドの言う通りだ。反論の余地もない。
俺は拳を握りしめ、ちっぽけなプライドを振り払う。
そして今度こそ、ロイドの背中に体重を預けた。
「頼む、ロイド。一刻も早くリリアーナのところへ」
「言われなくても」
こうしてロイドは俺を背負い、闇に満ちた地下道を駆けだした。
◇
ロイドの足取りに迷いはなかった。
一寸先は闇――そんな言葉がぴったりの坑道内を、少しの躊躇いもなく全速力で駆けていく。
その迷いのなさに俺は改めて驚かされたが、それよりももっと驚いたのは、ロイドの足の速さだった。
人一人背負っているとは思えない駆け足で、ロイドは先へと突き進むのだ。その速度は、万全状態の俺とほぼ変わらないほど。
「おまっ……スピード……速ッ……!」
「口は閉じてた方がいいよ。舌、噛むから」
「……ッ」
まるで忍者か暗殺者でもあるかのような、訓練された者の走り方。
鍛えているってだけじゃない、ロイドにはもっと特別な何かがあるような気がする。
そんな印象を、俺はロイドに抱いた。
(こいつ……本当に何者なんだ?)
性格は色々とマズいが、能力的にはチートと呼ぶに相応しい。サミュエルやセシル、グレンに並ぶ強者だ。
それにこのルックス。年齢的に幼いために攻略対象者には入らなかったのかもしれないが……ただのモブキャラにしては出来すぎている。
――ロイドの背中の上でそんなことを考えていると、不意にロイドが声を上げた。
「あっ、見つかった」――と。
瞬間、俺の思考は一気に現実に引き戻される。
見つかった――その言葉が、いい意味でないことを理解して。
「おい、それはいったいどういう意味だ!?」
怒鳴るように問うと、平然と答えるロイド。
「そのままの意味だよ。大蛇が聖女さまたちを見つけたってこと」
「そんな! じゃあもう出くわしたってことか!?」
「さあ? そこまではわからない」
「――っ、とにかく急いでくれ……!」
「無茶言うなぁ」
俺の命令にも近い口調にロイドはぼそりと呟いて、けれどわずかながら速度を上げた。
だがそれも束の間、坑道の奥から突如として響き渡る甲高い悲鳴。
閉鎖されたこの空間で反響し、こだましたしたその声は――聞き間違えるはずのない、リリアーナの声だった。
「……ッ!」
――ああ……間に合わなかった。
頭が真っ白になる。喉を絞め付けられているかのように苦しくなる。
アレクの記憶の中の――蛇を目の当たりにして倒れたリリアーナの姿が蘇って――俺は、全身から血の気が引くのを感じた。
だがそれでも、俺は前に進み続ける。ロイドに背負われて――その場所へと、辿り着く。
◇
そこには驚くほど広い空間が広がっていた。
どうやってこんな空間を作ったのかわからないが、天井高は七メートルほど。縦横は高校の体育館ほどあるだろうか。
灯りはグレンの魔法でつけたのか。天井付近に炎が揺らめいていて、それが空間全体をぼんやりと照らし出していた。
そしてそこには、リリアーナとセシルとグレン、それから、見上げるような大蛇の魔物の姿があって――。
「リリアーナ……ッ!!」
俺がリリアーナの名を叫ぶと、セシルとグレンがハッとこちらを振り向いた。
地面にうずくまるリリアーナの肩を抱くセシルと、大蛇と対峙するグレン。
二人は俺の登場に驚いた様子で、同時に俺の名前を叫ぶ。
――俺はロイドに背負われたまま、すぐさまリリアーナの元へ駆け寄った。
すると俺が地面に降りるより早く、セシルが俺に訴える。
「アレク! リリアーナが……!」
その声は焦りに満ちていた。今にも泣き出しそうな顔をしていた。
こいつでも、こんな顔をするんだな。そんな風に思ってしまうほどだった。
そんな……いつになく動揺したセシルの様子に、俺は逆に冷静さを取り戻す。
「大丈夫だ、心配するな。リリアーナは俺が引き受ける。だから、セシルはあの蛇を倒してくれないか? リリアーナは蛇が駄目なんだ」
「――ッ!」
俺の言葉に、ハッと悟った顔をするセシル。
その瞳がグレンと交戦している大蛇を見据え――鋭い殺気を放つ。
「わかった。五分で終わらせる」
そう宣言したセシルは、いつもの冷静なセシルに戻っていた。
そんなセシルに、不意に声をかけるロイド。
「僕も一緒に戦っていい?」と。
するとセシルは当然驚いた顔をしたが、ロイドの強さを見抜いたのだろう。黙って小さく頷き、ロイドと共に戦闘に加わった。
一方の俺は、苦しげに速い呼吸を繰り返すリリアーナを、自分の胸に抱き寄せていた。
苦しい、助けて――と、焦点の合わない瞳で縋りつくリリアーナを、俺は優しく抱きしめる。
「大丈夫、もう大丈夫だ。怖かったな、リリアーナ。でも、もう大丈夫だから」
――アレクの記憶の中のリリアーナ。
それは、確かに呼吸困難には違いなくて。実際に、意識を失ったことも何度もあって。
だが、俺は今直接リリアーナを目の当たりにして、これが過呼吸であると判断した。
俺は医者でもないし看護師でもない。医療の知識なんてない。だから絶対とは言えないが、でもそうである可能性が高い。
どちらにせよ、原因が強いストレスであることには変わりない。
俺はリリアーナを抱きしめ、そっと背中をさする。
「怖くない、怖くない。俺はここにいるし、皆もいる。だから安心しろ、俺がちゃんと守ってやるから」
「……っ」
溢れんばかりの涙を流しながら、早い呼吸を繰り返すリリアーナに、俺は声をかけ続ける。
「ゆっくり息を吐くんだ。ゆっくり――ゆっくり。俺の心臓の音に合わせて、ゆっくり息を吐くんだ、リリアーナ」
俺はリリアーナを抱きしめる。
大蛇の姿がリリアーナの視界に入らないよう、しっかりと抱きしめる。
大蛇の奇声が、残酷な戦闘音が決して聞こえないよう、リリアーナの片耳を塞ぎ、もう片方の耳に俺の胸の鼓動を聞かせる。
「大丈夫、もう何も怖くない」――そう何度も繰り返す。
リリアーナの呼吸が落ち着くまで……何度も、何度でも。
そうして気付いたときには、戦闘は既に終わっていた。
セシルに声をかけられた俺は、そのとき初めて、リリアーナが俺の腕の中で眠っていることに気が付いた。
――ああ、良かった……。
リリアーナのトラウマがなくなったわけではない。リリアーナを辛い目に合わせてしまったことにも変わりはない。
良かったと思うのは、俺のただの自己満足にすぎない。
それでも俺は、腕の中でいつもの寝息を立てているリリアーナの顔に、ほっとせずにはいられなかった。
――だが、緊張の糸が切れたからだろうか。
急激な眠気が、俺を襲う。
(何だ、これ……。――眠……)
そう思ったが最後、俺はその場で気を失ってしまったらしい。
らしいというのは、俺自身はその瞬間を覚えていないからだ。
結局、俺が目覚めたのは全てが終わった三日後のこと。
リリアーナとセシル、グレンが、マリアと共に北の国境へ旅立ってから、一時間後のことだった。




