21.いざ、地下道へ
――間に合え……!
俺は走った。
リリアーナを守らなければという一心で。
坑道の入口まで駆け戻り、その脇から頂上へ向かって延びる道を全力で駆け上がる。
貨物用エレベーターがあるのは、山のふもとと頂の丁度真ん中あたり。穴は動力源である水車のすぐ側から、地面真下に向かって掘られているはず。
その記憶通り、五分ほど登ったところで水車の姿が見えてきた。
(ああ、あと少しだ……!)
俺は更に速度を速める。
急がなければ、リリアーナが蛇の魔物を目にしてしまう。それだけは避けなければならない。
――が、そう思った次の瞬間、俺は足をもつれさせ、前のめりにすっ転んだ。
「――ッ!」
俺はなんとか受け身を取り、大きな怪我は免れる。
けれど――立ち上がろうとして、再び倒れた。
右足が動かない。さっきから痛みを感じないと思っていたが、どうやら負担をかけすぎたようだ。
痛みどころか、感覚自体が死んでいる。
「……ん、だよッ、こんなときに……!」
こんなことなら、マリアに治してもらえば良かった。
そう思ったが、今さら何を言っても遅い。
俺は残った左足で這うように立ち上がり、どうにか前に進もうとする。
けれど、やっぱりすぐに倒れてしまって……。
「――くそッ!!」
エレベーターは目の前だ。
なのに、俺はこんなところで何をやっている……!
早くリリアーナのところに行かなければならないのに。リリアーナを守らなければいけないのに――。
そもそも、どうして俺は気付かなかった。どうして忘れていた。
リリアーナが蛇を苦手とすることを、なぜ俺は思い出せなかったんだ……!
崩落で道が塞がれたとき、俺は確かに思い出した。
地下の魔物が蛇であることを、前世妹とプレイした記憶を、ちゃんと思い出していたのに。
あのときリリアーナが蛇を苦手とすることをセシルとグレンに伝えられていれば、きっと二人はリリアーナの視界に蛇が入らないようにしてくれたはずなのに。
「俺…………ほんと…………何やってんだ……」
セシルとグレンは、きっと難なく魔物を倒すだろう。
あの二人にはその力がある。だから、リリアーナの命が本当の意味で危なくなることはない。
でも、それでも、俺はリリアーナに怖い思いをさせたくないんだ。
たとえこれが不可抗力でも、俺のせいではなかったとしても、俺は、リリアーナには泣いてほしくない。辛い思いをしてほしくない。
そのためなら何だってする。
どれだけ無様だろうが、俺は、リリアーナのところに辿り着いてみせる。
歩けなくても、立てなくても……地べたに這いつくばってでも……必ず。
――すると、そんなときだった。
地面に額を擦りつける俺の頭上から、無邪気な声が聞こえてきたのは――。
「あーあ。だから言ったのに。右足、壊れちゃったんでしょ?」
「……ロイド」
それはロイドの声だった。
ロイドは俺の足元にしゃがみ込み、右足に触れる。
「わぁ、凄い腫れてるよ。痛くないの? よくここまで我慢したね」
「……何でお前がここにいるんだよ。結界の外に出たんじゃなかったのか」
「んー、出るつもりだったけど、気が変わったんだ。マリアに食って掛かる君を見てたら、何だかまた面白いものが見れそうだなって思って。――実際、追いかけてみたら君、こんなところで倒れてるし」
そう言って、ロイドはクスクスと笑う。
その場違いな態度の軽さに、俺は頭の熱がスッと冷めるのを感じた。
全身に入っていた力が抜けていく。不思議と、思考がクリアになっていく。
「それで、君はこれからどうするの? 僕が手伝ってあげようか?」
俺の顔を覗き込み、ニコリと微笑むロイド。
その笑顔は、天使というよりは悪魔的で――。
だが、他に方法がない俺は、迷うことなく答えた。
「頼む、ロイド。俺を貨物用エレベーターまで連れていってくれ。俺は地下に降りなきゃならない」
すると、ロイドは笑みを深くする。
「うん、いいよ」
こうして俺はロイドに背負われ、貨物用エレベーターへと向かった。
◇
「大丈夫だ、籠は落ちてない、使える……!」
俺は貨物用エレベーターの荷台の状態を確認し、声を上げた。
すると、水車の方からロイドもこちらに向かって叫ぶ。
「水路も水車も無事だよ! 繋ぎも大丈夫そう!」
「そうか! 良かった!」
もしかしたら、さっきの揺れで荷台が脱落している可能性もあった。
水車の方も、水路に亀裂が入り使えないことも有り得た。
だが、実際はどちらも無事。これなら地下に降りられる。
なお、貨物用エレベーターだからだろうか。エレベーター内側に操作盤はなく、操作はエレベーター外側にあるレバーで行うようだ。
レバーは自動車のシフトレバーのようになっていて、一階から地下五階まで切り替えられるようになっている。
「よし、俺はエレベーターに乗るから、ロイドはレバーを操作してほしい」
俺はロイドに指示をする。――が、ロイドは頷かない。
「え、何言ってるの? 僕も一緒に降りるに決まってるでしょ」
「いや、でもな、操作は外側からしかできないんだ。一人はここに残らないといけないだろ」
「えー、そんなのやだよ。僕も一緒に行く。そもそも、ろくに歩けもしない君が一人で降りたところで、魔物に食べられて死んじゃうだけだよ?」
ロイドは続ける。
「っていうかこのエレベーター、籠自体には屋根がないし、レバーを操作してからでも十分飛び乗れると思う」
「……!」
――確かに、その手があった!
俺はロイドの意見に賛同し、エレベーターに乗り込んだ。
「じゃあ動かすよー」
その軽い一声を合図に、ロイドは外側でレバーを操作する。
すると二秒ほど遅れて、ガコンッという音と大きな揺れと共に、エレベーターが動き出した。
それとほぼ同時に、ロイドが籠に飛び込んでくる。――そのフォームと着地は、うっかり見惚れそうになるほど綺麗だった。
「お前……運動神経いいんだな。神官は皆そうなのか?」
思わず尋ねると、「まさか」とケラケラ笑い始めるロイド。
「そんなわけないでしょ、騎士じゃあるまいし。マリアなんて二日に一度は何もないところでつまづいてるよ。僕はただ、魔物と戦うために身体を鍛えてるってだけ」
「……本当に好きなんだな、魔物退治」
「うん。そのためだけに、僕は神官になったから」
「…………」
そう言ったロイドの横顔はとても子供には見えなくて、俺はそれ以上何も言えなくなった。
――にしても、下に降りれば降りるほど、視界が悪くなっていく。
灯りが少ないのもあるが、この暗さは瘴気が濃いせいだろう。
俺が不意にロイドの様子を伺うと、ロイドは嬉々とした表情を浮かべていた。
瞳孔は猫の目のように開き、唇は夜空に浮かぶ三日月のごとく弧を描く。
まるで夜闇の中、獲物に狙いを定めるフクロウのように――。
(こいつには……いったい何が見えているんだ……?)
俺はゴクリと喉を鳴らす。
――その数秒後、俺たちは無事、地下五階へと降り立った。