20.リリアーナのトラウマ
その後、俺たちは魔物と遭遇することなく無事に坑道を出ることができた。
あとは平地を五十メートルほど進めば、結界の外に出られる。
俺は右足の痛みに耐えながら、俺の二歩先を鼻歌を歌いながら歩くロイドの背中を追った。
――ところで、俺にはどうしても気になることがあった。
まず、どうしてロイドは坑道の中にいたのかということ。
もう一つは、坑道の出口までにいくつも転がっていた、俺が倒したのと同じ蛇の魔物の死骸――それを倒したのが、ロイドなのかということだ。
閉鎖的な坑道内では何だか聞きづらかったが、結界出口まであと少しの今なら、聞ける気がする。
「なあ、ロイド」
「なぁに?」
「お前、どうして結界の中にいたんだ? マリアに見張りを頼まれていたんじゃなかったのか?」
俺がそう尋ねると、ロイドは「あー」と少し考えて、にこりと微笑んだ。
「だって、見張りなんてつまんないでしょ?」――と。
その想像の斜め上をいく理由に、俺は面食らう。
「つまらない? そんな理由で、お前は持ち場を離れたのか?」
「そんな理由? 僕にとっては大事なことだよ」
「……じゃあ、結界内で何をしてたんだよ? 浄化か?」
「浄化? うーん。実は僕、浄化も好きじゃないんだよね。地味だし、退屈だし」
「…………」
もはやどこから突っ込めばいいのかわからない。
結界内で浄化をしないというなら、いったい他に何をするというのか。――散歩か? それとも魔物退治? だが、確か神官は攻撃魔法を禁止されているんじゃなかったか?
俺がそんなことを考えていると、やはり顔に出てしまったのか、ロイドは不満げな顔で俺を流し見る。
「どうせ"神官らしくない"って思ってるんでしょ」
「……あ……いや……そんなことは」
「誤魔化さなくていいよ。そんなこと、僕が一番よくわかってるし」
そう言って、今度はニコリと微笑むロイドに、俺はつい聞いてしまう。
「なら、何で神官なんてやってるんだよ」
それは単純な疑問だった。
この世界では光魔法師のほとんどは神官になるけれど、決して強制ではない。
なのに、ロイドはこの若さで神官だ。
俺は以前ユリシーズから、神官になるまでの過程を教わった。
まず最初は見習いから。
神殿には神官育成のための神学校というものがあり、そこに合格する必要がある。
試験は七歳から十二歳までなら貴族平民関係なく何度でも受けられるが、魔力は身体の成長と共に増加するため、実際に合格できる子供の九割は十歳以上だ。
合格すれば見習い神官と認められ、神学校で六年を過ごす。
だが、それが終われば晴れて初級神官――とはならず、初級神官になるための試験をクリアしなければならない。
落ちれば見習い継続である。
また当然のことながら、初級から中級、中級から上級へ上がるためにも試験を受ける必要がある。
試験は年に一度だけ。評価方法は相対評価ではなく絶対評価だから、上級昇格試験ともなれば何年も合格者ゼロ、ということも珍しくない。
つまり、ロイドの年齢で神官になるというのは非常に珍しいことなのだ。
十二か十三そこらで神官になろうと思ったら、七歳か八歳で神学校に合格し、殆どストレートで初級神官の試験に合格しなければならない――それは、超優秀であるという証拠で。
そんな奴が問題児とは、いったいどういうことなのか。
ロイドを見つめると、俺を嘲笑うかのように、ニヤリと歪むロイドの唇。
「僕、好きなんだ。魔物退治」
「……は? 好き? 魔物退治が?」
「うん、大好き。だって、魔物だったらどれだけ殺しても怒られないもん」
「……ッ」
瞬間、俺は戦慄する。と同時に理解した。
さっき俺が蛇の魔物を倒したとき、ロイドが放った「残念」の本当の意味を。
こいつは俺を助けたかったんじゃない。魔物を自分の手で殺せなかったことに対し、残念だと言ったのだ。
(可愛い顔して、とんでもないな……こいつ)
しかも今こいつは、"魔物だったら殺しても怒られない"と言った。
逆に言えば、“怒られないなら魔物以外も殺す”という意味に聞こえる。
(絶対、敵に回したら駄目な奴……)
これ以上聞くと自分の命が危ない気がする。――俺は残りの疑問を全て呑み込み、平静を装った。
が、ロイドは勝手に話を続ける。
「あっ、でも、今の話はマリアには内緒だよ? マリアはとっても信仰心が厚いから」
「…………」
「それと、僕が倒した魔物、君のその聖剣で倒したってことにしてくれると嬉しいな。僕、あのときちょっと急いでて。つい攻撃魔法使っちゃったんだよね。マリアにバレたら殺されちゃう」
「…………」
確かに、ロイドの倒した魔物には全て貫通した傷跡があったが……。
「急いでたって……どうしてだ?」
何も聞かないつもりだったのに、つい口にしてしまう。
禁止されている攻撃魔法を使ってしまうくらいに、急いでいた理由は何なのか、と。
すると、ロイドは残念そうに溜め息をついた。
「地下からすっごく大きな魔物の気配がしたんだ。僕が戦ったのより数倍大きい奴。――でも君たちがいたから。聖女さまが来てるなら、僕の出番はないなって。それに、流石に戻らないとマリアに怒られる」
「……地下に、大きな魔物?」
「そうだよ。さっきの揺れで目が覚めたんだろうね。獲物を探して地下を這い回ってる」
「……ッ」
――瞬間、俺の背筋が凍り付く。
どうしてかはわからない。けれど、とても嫌な予感がした。
「その魔物って……蛇、だよな……?」
「……? そうだけど?」
そうだ。地下にいるのは、俺が戦ったのより何倍もでかい大蛇。
妹のゲームに付き合って一緒に倒した、最初のボス。
とはいえ、難易度的には難しくなかった。セシルとグレンなら、問題なく倒せるレベルの魔物。
(――なのに、どうしてこんなに胸騒ぎがするんだ……?)
俺は、何か重要なことを見落としている気がする。
だがそれは、俺の前世の記憶に関わるものではない。
この胸騒ぎは……俺ではなく……きっと、アレクのものだ。
「アレク、どうしたの? 顔色悪いよ?」
不思議そうに俺を見つめるロイド。
俺はそんなロイドを置いて、走り出した。
「先行く」
「――えっ? なんで!?」
驚くロイドを残し、俺は一気に結界の壁を抜ける。
突然戻ってきた俺たちに驚くマリアに、俺は詰め寄った。
「今すぐユリシーズの傷を治してくれ!」と。
するとマリアは更に驚いた顔をしたが、すぐにユリシーズの治療に取り掛かってくれた。
リリアーナの聖魔法のようにはいかないが、少しずつ傷跡が塞がっていく。
そして傷がすっかり塞がった頃、ユリシーズは目を覚ました。
俺は、ぼんやりとした様子のユリシーズに、それでも強く問いかける。
「ユリシーズ、お前、何か知らないか……!? 今地下に蛇の魔物がいて、セシルとグレンなら十分倒せるってわかってるのに、どうしてかすごく嫌な予感がするんだ。でも、自分じゃ理由がわからない……!」
シナリオ通りなら何も問題はない。そのはずなのに――。
「何でもいいんだ! もし、何か思い当たることがあったら……!」
この胸騒ぎはアレクのもの。でも、その理由がわからない。
思い出すきっかけがほしい。どんなことでもいいから――。
俺はもう一度同じ内容を繰り返す。
すると――ユリシーズは何かを思い出したように、瞳を大きく見開いた。
「今……蛇って、言った……?」
「ああ、そうだ! 蛇の魔物だ!」
俺は頷く。
すると突然ユリシーズは身体を起こし、俺に向かって怒鳴りつけた。
「リリアーナは蛇が駄目なんだ! 本当に忘れたの!?」
「……っ!?」
「君が教えてくれたんだ! リリアーナは昔蛇に噛まれて、それ以来見るだけでも駄目だって! 発作を起こして呼吸困難になるって、君が……!」
「――ッ」
――ああ、そうだった。
瞬間、俺の脳裏に走馬灯のように映し出される少年時代の記憶。
父親の狩りに付いていった先の森で、リリアーナと二人で遊んでいたときのこと。木の上から蛇が落ちてきて、まだ四歳だったリリアーナの腕に噛みついた。
幸い毒のない蛇で大事には至らなかったけれど、それ以来リリアーナは蛇だけは受け付けなくなったのだ。
家族でどこかの貴族の屋敷を訪れたときは、温室で蛇を飼っていて、それを目にしたリリアーナは発作を起こして意識を失った。
生きている蛇だけじゃない。剥製や蛇皮の製品など、蛇だとわかったらそれだけで駄目。
それ以来アレクは、リリアーナに絶対に蛇を見せないように細心の注意を払ってきた。
我が家の屋敷の庭にハーブが多く植わっているのも、蛇避けのため。
――こんなに大事なことを、どうして俺は忘れてしまっていたのだろう。
「……俺……今すぐ戻らないと」
俺の中のアレクの記憶が、今すぐ戻れと言っている。
消えてしまったアレクの心が……リリアーナを守れと命じている。
「……リリアーナを……守らないと……」
――だが、どうやって?
道は瓦礫で塞がれてしまった。つまり密室状態だ。
そんな場所に、どうやって入ればいい……?
俺は必死に頭を巡らせる。
グレンに叩き込まれた坑道の地図を……隅から隅まで思い出す。
そして、気が付いた。
(荷物運搬用のエレベーター……あれなら、地下に繋がってる……!)
――俺はユリシーズに踵を返し、再び結界をくぐる。
そして、リリアーナのいるであろう地下に向かうため、再び走り出した。