1.協力者ユリシーズ
この世界が乙女ゲームであることを思い出してから二週間、俺はシナリオを思い出すべく奮闘した。
本でこの国の歴史を学び直し、貴族年鑑と睨めっこして前世の妹の口から出た名前がないか確認した。
それから魔法。この世界の魔法がどういうものであるかを、今世の二十年間の記憶や周りの人の知識と照らし合わせた。
そのかいあって、ようやく少し思い出すことができた。
まず第一に、このゲームをクリアするためには攻略対象者の好感度以上に、自身やパーティーメンバーのレベル上げが重要なこと。
このゲームのメインストーリーは大きく四つだか五つだかのパートに分かれており、各地に発生する魔物の退治と瘴気の浄化を行うことで進んで行く。
その要所要所でボスが登場するのだが、ボスを倒すためにはキャラのレベル上げが欠かせない。好感度が高いほどレベルも上がりやすくなるため好感度のアップは大切だが、戦闘力を上げなければあっという間にゲームオーバーになってしまう。
基本は乙女ゲームなのでレベルアップの難易度は低いけれど、魔物と戦いレベルアップを図るというのは、現実世界では相当な危険が伴うことだ。
そして第二に、魔法は全ての人間が使えるわけではないこと。割合でいうと十人に一人が使えるくらいだろうか。
加えて、魔法が使えるといっても大抵は弱いので、強い魔法使いは重宝される。
また、一人が使える魔法は、固有魔法を除くと一属性に限る。火、水、風、土のうち、生まれながらに適正のある一つだけだ。
ちなみに俺に属性魔法の才能はない。
固有魔法の重力魔法は使えるが、せいぜいペンを一本持ちあげるので精いっぱい。はっきり言って戦闘には役立たずだ。
そのため俺が戦闘に参加するとしたら剣になるだろう。――と言っても、こちらもそんなに強くはないのだが。
最後に、四人の攻略対象者について。
これは調べずとも今世の二十年間の記憶ですぐにわかった。なぜって、その四人には全員二つ名がついているからだ。
一人目は"青薔薇の王子"。その名の通り、この国の王太子セシル殿下だ。
水の都と呼ばれるこの王都にふさわしく、青みがかった銀髪にターコイズブルーの瞳。水だけでなく液体全般を自由自在に操る、魔力操作に長けた方だ。
年齢は今年で十八。俺の二つ下だ。性格は優しく穏やかだと聞く。
二人目は"紅蓮の聖騎士"の異名を持つ、セシル殿下の近衛隊隊長、グレン・ランカスター。火属性の魔法を剣にまとわせ戦う様は圧巻らしい。
年齢は俺と同じ二十歳で、王国騎士団の団長を父親に持つ。男の俺から見てもカッコイイ人。イケメンだしな。
三人目は"疾風の殺戮者"、ノア・クロウリー。風魔法の使い手で、出自年齢共に不明。いつも黒いコートを頭から被っており顔を見たものはいないとか。
なお、彼が殺戮者と呼ばれる所以は、あまりにも残虐無慈悲な戦い方にあるという。かまいたちのような鋭い風を巻き起こし、敵味方問わずバラバラにしてしまうらしい。
……そんな危険な奴が攻略対象とか、このゲームどうなってるんだ。
最後は”神に選ばれし者”と呼ばれる大神官、サミュエル。
まぁ大層な異名だが、彼は神官になる際に大いなる祝福を受けたのだとか。
正直宗教には詳しくないのでよくわからないが、つまりそういう設定なのだろう。とにかく、とても強い光魔法を使えるらしい。
こちらもノア・クロウリー同様年齢は不明だが、どうやら彼は不老不死らしく少なくとも二百年は生きているとか。
普段は神殿から出てこないため直接見たことはないが、肖像画では太陽の光を反射したようなプラチナブロンドの髪と黄金色の瞳をしており、天使のように麗しい男だった。
もし実物があの肖像画どおりなら、並大抵の女では隣に立てないだろう。
――とまぁこんな感じで、攻略対象の簡単なプロフィールは集まったのだが……。
「問題は、瘴気の情報がほとんどわからないってことなんだよ。――なぁ、ユリシーズ?」
そう言って俺が溜め息をつくと、困惑顔で俺を見つめるユリシーズ。幼少期から付き合いのある、今の俺の唯一の親友だ。
「……ねえ、アレク。やっぱり今日の君、ちょっと変だよ」
「そうか?」
「うん。実はさっきこの屋敷の侍女たちにお願いされたんだ。最近君の様子がおかしいから、それとなく探りを入れてもらえないかって」
「へえ? ってかそれ、俺に言って大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないけど……それくらい皆、君のことを心配しているんだよ。もちろん僕も」
「…………」
――今俺たち二人が居るのは、俺の屋敷の図書室だ。伯爵家なだけあってそれなりの蔵書数があり、一通りの調べ物には事足りる。
俺はその部屋の四角いテーブルに、ユリシーズと向かい合って座っていた。
机の上には、俺がここ数日で読んだ本十数冊が山積みになっている。――が、この一週間、部屋の本を読み漁っても瘴気についての記述はほとんど見つけられなかった。
一人で調べることに行き詰まりを感じた俺は、アレクの記憶の中の親友、ユリシーズを呼んだのだ。
初等部の頃から何かと行動を共にしてきたユリシーズ。
特徴のない茶色の髪と瞳をしているが、前世平たい顔族だった俺からすればこいつも十分イケメンの部類に入るだろう。
少々人見知りなところはあるけれど、穏やかで面倒見がよく真面目で几帳面。それでいて、大事なことはこうやってちゃんと口に出して言ってくれる。
そういうところを、アレクはとても信頼していた。
きっとユリシーズなら、俺の話を聞いてくれるだろう。――アレクの記憶を基にそう判断した俺は、ユリシーズに問いかける。
「ちょっと聞きたいんだけど……お前の知ってる俺って、どういう人間だった?」
「…………」
するとユリシーズは困惑の色を強めた。――まぁ当然だろう。
「実は俺、二週間前の馬車の事故から記憶が曖昧なんだ。自分のことも家族のこともお前のことも忘れたわけじゃないんだけど……何ていうか、夢のことみたいに思えるっていうか……」
「――え? ……それ、本当?」
「本当だ。でも、それでも俺はちゃんと覚えてるんだ。ユリシーズ……お前は信頼できるって。だから俺はお前に相談しようと思った。――国境で発生した瘴気の浄化のためにリリアーナが神殿に召されることが決まって、でも、俺はどうしても一人で行かせたくなくて。だから父上に頼んだんだ。俺も一緒に行かせてくれって。それで……」
「ま――待って、アレク! 情報が多すぎて何が何だか……。――君は記憶が曖昧で……リリアーナが神殿に……? 瘴気の浄化? だから、この本の山……? しかも、君がそれに付いていく……今、そう言ったのか?」
「ああ、流石ユリシーズ。理解が早くて助かる」
「…………」
俺の返答に、ごくりと息を呑むユリシーズ。
流石に驚きを隠せないのか、彼はやや顔をしかめ、しばらくの間固まっていた。
そして十秒ほど放心したあと、はあっ、と息を吐いて席を立つ。
「アレク。窓、開けるよ?」
「ああ」
返事を返すとほぼ同時に、ユリシーズは窓を開けた。
ややカビ臭かった部屋の空気が、外へ逃げていく。
その後しばらくの間、ユリシーズは苦い顔で庭園を眺めていた。
そんな彼の横顔を、俺は黙って見つめていた。
――それからどれくらい経っただろうか。ユリシーズは外の景色を睨みつけたまま、口を開く。
「つまり君は、僕に協力を求めているってことだよね? 君とリリアーナの置かれている状況について、助言が欲しいって」
「ああ、そうだ」
俺が頷くと、ようやくこちらを向くユリシーズの顔。
そして、彼は頷いた。
「いいよ。本音では色々と言いたいことがあるけれど、君とリリアーナのためなら協力する」
「――! ありがとう、ユリシーズ!」
「お礼なんていらないよ。僕がしたくてするだけだから。あと、その瘴気の浄化、僕も一緒に行かせてもらうね」
「――んッ? 今、何て……」
「僕も一緒に行くって言ったんだよ、アレク。――言っておくけど今の君、かなり危なっかしいからね。以前の君ならともかく今の君じゃリリアーナを守れない。剣の腕は君の方が上だけど、魔法なら僕の方が上だ。記憶が曖昧な君よりはきっと役に立つ」
「…………」
「だから、君の方から話を通しておいてね。瘴気のことは僕が調べておいてあげるから」
「…………」
ユリシーズの圧のある物言いに、俺の頭の中が疑問でいっぱいになる。
(こいつ、どうして急にこんなに怒ってるんだ……?)
アレクの記憶の中のユリシーズは、普段はとても穏やかだか、ときおり怒るとこうしてやや口調がキツくなる。
つまり、今のこいつは怒っているということだ。理由はわからないけれど。
だが、ユリシーズの言うことはもっともだ。
今の俺にアレクとしての記憶があるとはいえ、魔物とちゃんと戦うことができるのか正直不安が大きい。
それに俺はもともとラスボスポジション。身に覚えがないのに瘴気は発生してしまっているし、一人でシナリオを変えられるのか怪しいところ。
でもユリシーズが協力してくれるなら……。
「わかった。俺の方こそ、お前が一緒だと心強いよ。よろしくな、ユリシーズ」
俺が右手を差し出すと、ユリシーズは一瞬驚いた顔をしてから、困ったように微笑んだ。
「うん。こちらこそよろしくね、アレク」
そして、俺の手をしっかりと握り返すユリシーズ。
――こうして俺は、図らずも信頼できる協力者を得ることができた。
リリアーナが神殿に召還されるまで、おそらく残り四ヵ月弱。
俺にできることは限られているけれど、協力してくれるユリシーズのためにもできる限りのことをしよう。
俺は再び、心にそう決めた。