16.シナリオの外側
坑道の入口は、乾いた山肌をしばらく進んだ先にあった。
入口の道幅は六メートルを超え、天井も三メートル以上はある。想像よりもずっと立派だ。
中に入ると、坑道には滑車を運ぶための線路が何本も敷かれ、ずっと先へと続いていた。
灯りは火の魔法を使っているのだろうか。油もなさそうなのに、ゆらゆらと燃え続けている。
瘴気のせいで視界は悪いが、これなら先に進むのに困ることはないだろう。
そんなことを考える俺の前で、リリアーナとセシルは瘴気について確認している。
「リリアーナ、瘴気の発生源はこの奥からで間違いない?」
「おそらくは……。――あ、でも、奥……というよりは下かもしれませんわ。……わたしの魔法の範囲を考えると、ここからでは浄化しきれない気がします」
「そうか。では、やはり奥に進むしかないな。――グレン、魔物の気配は感じるか?」
「いや、この階には少なくとも大型はいないな。そもそもここは坑道だ。マリアも言っていたとおり、いるのは精々コウモリかネズミだろう。魔物化しようと大した相手ではない。――が」
グレンは何か言いかけて、その辺に落ちていたランプを二つ拾い上げる。
そして手際よく火をつけると、うち一つを俺に差し出した。
「念のために灯りは持っていた方がいいだろう。俺は先頭を行くから、お前は最後尾を歩け」
「俺が後ろ? 何で?」
「グレイウルフの森で、お前が聖剣を投げる瞬間を俺も見ていた。あの視界の悪さ、しかもあの速さで動く的に命中させるにはかなりの視力が必要だ。――が、お前は危なげもなく当ててみせた。お前の目は信用できる。剣の方は、まだまだ赤子同然だがな」
「……っ」
(嘘だろ。まさか、グレンが俺を褒めている……?)
グレイウルフの森では"聖剣を投げるとは言語道断"だとこっぴどく叱られたのに、まさかこんなところでアメを与えてくるとは予想外にもほどがある。
俺はグレンからランプを受け取り、強く握りしめる。
「おう……任せろ」
正直、この暗がりで遠くの魔物に気付けるかと聞かれると全く自信はない。
けれど、グレンにこんな風に言われるとやってやろうという気になってくるから不思議だ。
俺が自分に気合いを入れている間、グレンはユリシーズにも指示を出す。
「ユリシーズ、お前はアレクのフォローだ。ここは坑道。今は道幅があるが、場所によっては横に二人並ぶのが精いっぱいのこともあるだろう。その場合、剣で戦うのは難しい。お前は攻撃魔法が苦手だと言ったが、この閉ざされた空間ならば早々避けられることはない。当たらなくとも最悪牽制になればいい。そのつもりで魔法を放て」
「……わかった」
――こうして俺たちは、先頭にグレン、その後ろにセシルとリリアーナ、そしてユリシーズと俺の順番で並ぶことに決まった。
◇
俺たちはグレンを先頭に、緩やかな下り坂を進んでいく。
途中コウモリやネズミの魔物に遭遇したが、幸い数が少なかったため、そのすべてをグレンとセシルが倒してくれた。
このままいけば俺とユリシーズの出番はないかもしれない――そう思うほど安全な道のりで、それはとても有難いことなのだが……。
正直俺は、今とてもモヤモヤしていた。
――なぜかって?
それは当然、リリアーナとセシルがピクニック気分で雑談を始めたから――というのもあるが、一番の理由はそうではなく、ユリシーズの様子がおかしいからである。
(何でこいつ、今日はこんなに静かなんだ?)
――そう。ユリシーズは今日、朝から殆ど喋っていないのだ。
考えてみれば、朝のおはようの挨拶も、いつもならユリシーズからしてくるのに今日は俺からだった。
しかも返事は「ああ、うん」の一言のみ。
朝食のときもずっと静かで、話しかければ答えてくれるが、辺境伯の屋敷へ向かう馬車の中でもずっと無言。
ここに来るまでのマリアとの会話も、いつもなら情報収集をするのはユリシーズの方なのに、まるで上の空という様子で……。
それはこの坑道に入ってからも変わらない。
それに一度も……俺の目を見ない。
最初は、人が死んだと聞かされた昨日のショックが尾を引いているのかと思っていた。
だが、それが理由なら俺に対してこんな態度は取らないはずだ。
――ということは、だ。
(もしかして……まだ怒ってるのか?)
昨日露店を回ったあと、急に何か言いかけたアレ。
正直内容に心当たりはないが、ユリシーズは一晩経った今も俺に怒っている……そういうことだろうか。
それとも何か別の理由があるのか。
たとえば、狭いところが怖いとか、暗いところが苦手だとか……。
(――聞くべき、なのか?)
だが、何と言えばいい?
お前、俺に怒っているのか? とでも聞けばいいのか?
でもそんなことを言って、"何か心当たりがあるのか"と聞き返されたりしたら困る。
かといって、お前どうした元気ないな、怖いのか? と聞くのはあまりに無神経な気がするし、もし俺が原因だったとき、取り返しのつかないことになりそうな気がする。
(……くそ。マジでわからん)
前世に俺の周りにいた奴らは、喧嘩と言えば取っ組み合いか怒鳴り合いで、その日その場で解決することの方が多かった。
別に不良だとか喧嘩好きとかそういうことではないのだが、それでも、言いたいことはそのときに全て言ってしまえる――そういう体育会系脳筋バカ……もとい、素直な奴が多かった。
少なくとも、ユリシーズのような真面目で優しいタイプはいなかったのだ。
「…………」
聞くべきか。聞かざるべきか。
俺はユリシーズの背中を見つめ、考える。
――が、数秒悩んで諦めた。
俺にはこういう悩み方は性に合わない。
考えたってユリシーズの考えなどわかるはずもないのだから、はっきり聞く以外の方法はない。
俺は覚悟を決め、ユリシーズの背に問いかける。
「なぁ、ユリシーズ。今日のお前、ちょっと変じゃないか?」――と。
すると、ユリシーズは不意に足を止めた。
それにつられて、俺もその場に立ち止まる。
だがユリシーズは何も答えない。――俺は再び問いかける。
「俺、お前に何かした? もしそうならはっきり言ってほしい。言ってくれなきゃ、俺はわからない」
俺に背を向けたままのユリシーズ。
その表情は、後ろにいる俺には伺い知れない。
だがそれでも一つだけわかったことがある。
ユリシーズの様子が変なのは、やはり俺が原因なのだ、と。
そうでなければ、ユリシーズは否定するはずだから。
ああ、それならば――。
「ユリシーズ、言えよ。何かあるならはっきり言え……!」
俺はユリシーズの肩を掴み、無理やりこちらを振り向かせた。
本当に、言ってくれなきゃわからない。
わからなければ謝ることだってできない。
でも、ユリシーズはやっぱり何も言わなくて。
俺が睨みつけても言いにくそうに視線を逸らすだけで……俺はこいつが何を考えているのか、益々わからなくなった。
「お前、黙ってたらなんもわかんねーんだよ! 言えよ! 気に入らないことがあるならはっきり言えッ!」
何も答えようとしないユリシーズに、俺の心に苛立ちが募る。
「お兄さま? どうされましたの?」というリリアーナの驚く声も、「喧嘩か?」と呟いたグレンの呆れた声も、全てが遠くに聞こえるくらい――俺の頭は煩わしさでいっぱいになって……。
――が、そのときだった。
突然、地面が波打つように大きく揺れ始めたのだ。
「――っ!?」
立っているのも難しいほどの縦揺れに、俺は壁にへばりつく。
囂々と低い地響きがして、壁や天井に亀裂が入る。
そして――。
「リリアーナ……ッ!」
俺は咄嗟にそう叫び、リリアーナに手を伸ばした。
悲鳴を上げて地面にうずくまるリリアーナを守らなければと、その一心で。
だが俺の手は虚しくも空をかき、それと同時に一気に崩れ落ちてくる天井。
スローモーションに見える景色の向こうで、リリアーナを守らんとするセシル。そしてそんな二人に覆いかぶさるグレンの頭上に、崩れた瓦礫が――。
それなのに俺は三人に近づくどころか、むしろ遠ざかっていて――。
(……あれ? なんで俺、後ろに飛んでるんだ?)
足が地面から浮いている。何かに吹き飛ばされたのか? でも、いったい何に……?
そう思って視線を下に向けると、そこには見たこともない必死の形相で俺に体当たりしているユリシーズの姿があって。
(ユリシーズ……? お前、どうして……)
リリアーナが目の前にいるってのに、どういうつもりで……。
そう思った瞬間、強い衝撃に襲われて――俺の意識は、そこで途切れた。