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13.俺とセシルの長い夜(後編)


 俺とセシルは二人きりになる。


 セシルはテーブルの上に広がっていた地図を畳み、俺に着席するよう勧めた。


「グレンは僕の前だと絶対に座らないからな。でも、君なら座ってくれるだろう?」


 セシルの声は怖いほど穏やかだった。

 まるで人が死んだことなんて聞かされていないかのような、落ち着き払った態度だった。


 俺が椅子に座ると、セシルはやや首をかしげ、さっそく話を切り出す。


「それで? 話とは?」

「……ああ、それが――俺、セシルに教えてもらいたいことがあって」

「教え? 僕にか? ユリシーズじゃなく?」


 セシルは意外そうな顔をした。

 俺はわからないことがあるとユリシーズに尋ねるから、不思議に思うのは当然だ。

 だが、これはセシルにしか答えられないことなのだ。


「ああ、セシルに尋ねたい。これはセシルにしか答えられない内容なんだ」


 俺がそう言うと、セシルは驚いたように目を見開いた。

 そして数秒間何かを考える素振りを見せ、口を開く。


「わかった。とりあえず聞こうか。内容は?」


 いつになく真面目な顔をして、俺を見つめるセシルの瞳。

 その目をまっすぐに見据え、俺はセシルに問いかける。


「俺は、セシルが今考えていることを知りたい。今回鉱山に発生した瘴気について、どう考えているのか。辺境伯の屋敷に招かれることについてどう思っているのか。――それだけじゃない。ここ一年で瘴気の発生が十倍にも増えていることについて……セシルは、どう考えてる?」


 俺が知りたいこと。

 それは、セシルが今何を見て、何を考えているのかということ。

 今の状況について、政治的なあれこれをひっくるめて、何に注意してどう行動するべきなのかということ。


 だが、セシルはすぐには答えなかった。

 セシルは俺の問いにピクリと眉を震わせて以降、しばらく黙り込んでいた。


 そうして長い沈黙の後、ようやく唇を開く。


「なぜ、そんなことを知りたがる?」――と。


 その言葉に、俺は一つの確信を得た。

 俺の質問は、セシルにとって意味のある内容なのだということ。

 少なくとも、簡単に答えられる内容ではないのだということ。 


 だが、だからこそ意味があるんだ。


 今の俺に、この世界の情報を一つ一つ確認している時間的余裕はない。

 ならば、セシルがいったい何を考えているのか、それを知ることが、この世界を理解するための近道になるはず。俺はそう考えた。


 ――だから。


「それは俺がこの世界について何も知らないからだ。二ヵ月前の馬車の事故で、俺は記憶の殆どを失った。自分のことだってよくわからない。瘴気や魔物、政治や経済についてなんて尚更だ」

「確かに……君の記憶のことならリリアーナから聞いている。だが、それと今の質問にどう関係がある?」

「関係ならあるだろ。俺は何も知らないんだ。瘴気で人が死ぬことも知らなかった。目の前で何かが起きて、初めて知ることばかりなんだ。だから俺は知らなきゃならない。今俺たちがどういう状況に置かれているのか。それがどれくらい良くないことなのか。俺はちゃんと理解したいんだ」


 俺は訴える。

 セシルの見ている景色を俺にも見せてほしい、と。おこがましいことだとは理解しながら。


 でも、やっぱりセシルは答えなくて。


「なるほど。君の言いたいことは理解したよ。だが、その問いの相手が僕である必要はないだろう? いつものようにユリシーズに尋ねればいいじゃないか。まして彼は君の友人で、僕よりずっと博識だ。それは君が一番よくわかっているんじゃないのか?」


 そう言って、静かな瞳で俺を見据えるのだ。


 ――ああ。やはりこの問いは、王太子に向けるにはあまりに無礼なものだったということか。

 だが、俺だって簡単に引き下がるわけにはいかない。


「確かにそうだ。実際あいつは頭が良くて、俺の知りたいことは全部知ってる。でも、あいつは俺に気を遣うから。俺の負担にならないように線引きして、それ以上は話してくれない。だからセシルに頼んでる」

「…………」

「それに俺は、もうこれ以上ユリシーズを失望させたくない。あいつをがっかりさせたくないんだよ」


 そうだ。俺はユリシーズにがっかりされたくないんだ。こんなことも知らないのかと、そう思われたくない。

 ユリシーズとは対等な関係でいたいんだ。――だから。


「でも、セシル――お前なら、俺に遠慮なんてしないだろう? 王太子のお前なら、俺に何の気遣いもなく、ただ事実を事実として語ってくれる……そう思うから」

「…………」

「だからお願いだ、セシル」


 するとセシルは俺のしつこい説得に呆れたのか、再び沈黙してしまった。

 けれどしばらくして、諦めたように息を吐く。――そして、頷いた。


「わかったよ。そこまで言うなら」

「――!」

「ただ、最初に断っておくが僕はあまり説明するのが得意じゃない。それにかなり主観的な意見になると思う。それでも構わないか?」

「ああ、もちろんだ。恩に着る、セシル」

「うん。じゃあさっそくだが、まずは……そうだな。瘴気がどう人体に影響を及ぼすのかについて――」



 ――こうして俺は、セシルから話を聞く機会を得た。



 セシルはまず、瘴気について説明を始めた。 

 瘴気は動物を魔物に変化させるだけではなく、人の身体を蝕み、最悪死に至らしめる毒であるということ。

 そして、瘴気による死亡者はこれが初めてではないということだった。


「これは説明せずともわかると思うが、僕ら王侯貴族が四大都市の内側に住んでいるのは、サミュエルの加護によって安全が保障されているからだ。リル湖から流れ出た運河の水によって土地は常に清浄に保たれ、それと同時に、僕らの体内に入り込んだ瘴気をも浄化している。運河の水を食事や飲み水として接種することで、僕らの身体は瘴気から守られているんだ。――だが、四大都市の外側はそうはいかない」


 セシルはそう言って、先ほど畳んだ地図のうち一枚をテーブルに広げる。

 それは北部――つまり、この辺り一帯の地図だった。

 セシルはその地図上でこの街の場所を指差し、難しい顔をする。


「僕らが今いる四大都市の外側は、常に瘴気の脅威にさらされている。多少の瘴気なら吸っても時間と共に解毒されるが、継続して体内に取り込めば身体は蝕まれるし、濃い瘴気を吸った場合は数時間……早ければ数分で命を落とすこともある。今回の犠牲者は複数名と言うから、かなり濃い瘴気であることは間違いないだろう」


 確かにユリシーズも、今のセシルと似たようなことを言っていた。

 けれどそれは、外側の人間はリル湖の水を接種していないから瘴気の影響を受けやすい――そういうニュアンスだったはずだ。"常に瘴気の脅威にさらされている”――そんな恐ろしい言い方ではなかった。


 疑問を感じた俺は、ユリシーズから聞いた言葉をそのままセシルに伝える。

 するとセシルは、何かが腑に落ちたような顔をした。


「……なるほど。ユリシーズは君にそういう伝え方をするのか」

「それ、どういう意味だよ」

「いや、別に深い意味はない。ただ……君はさっき"ユリシーズに線引きされる"と言っただろう。その言葉の意味がわかったというだけだよ。彼は君に対して、随分過保護なんだなと」

「…………」


 ――過保護。

 確かにそうかもしれない。あいつは俺に対して、過保護なのかもしれない。


「まぁいい。話を戻そう。ユリシーズの言葉はさておき、外側は実際かなり危険な場所だ。そもそも瘴気というのはいつどこで発生するかわからない上、神官の数は限られている。そして当然のことだが、神官はここノーザンバリーのような貴族の住まう街を優先して守ることになる。――となると、それ以外の場所はどうしたって手薄になるだろう? それはつまり、瘴気発生の報告を受けた神官が現地に向かい、浄化を終えるまで短くない時間を要するということだ。だからこの国全体でいえば、瘴気の犠牲者は毎日のように出ているし、死者の報告も後を絶たない」

「……っ! でも、俺は瘴気で人が死んだなんて一度も聞いたことがない。記憶を失う前だって……多分、一度も」


 俺は声を荒げる。

 するとセシルは、悲し気に微笑んだ。


「それは当然だ。犠牲になるのは基本、貧しい村の者たちばかりだから。その者たちの死が、内側の人間に知らされることはない。まして僕らのような王侯貴族にはね」

「……ッ」

「今回の鉱山での犠牲者もほとんどは戦争捕虜だろう。つまり言い方は悪いが、辺境伯はきっと死んだ者には興味がない。僕らに助けを求める理由は、あくまで場所が悪かったというだけだろうな。――だが、僕はそう思っていない。それがたとえ戦争で殺し合った敵国の兵士だろうと、消えてもいい命だったとは、僕は決して思っていないよ」


 そう言ったセシルの瞳は怖いほど真剣で。――俺は思わず、喉を鳴らした。


「ああ……当然だろ。失くなっていい命なんて、この世に一つだってありはしないんだ」

「……うん。ありがとう、アレク。貴族の君にそう言ってもらえると、僕も色々と心強いよ。――では、話を続けるが――」



 ――その後も俺はセシルと話を続けた。


 話題は光魔法と聖魔法の瘴気に与える影響の違いから、宮廷と神殿の政治的なあれこれに至るまで。

 途中からはグレンも加わって、この地域一帯と鉱山道の地図を叩きこまれた。


 そして時計の針が真夜中を過ぎたころ、ようやく終わりを見せる。



「――とまぁ、これだけ知っていれば十分だと思うよ。グレンも、もういいだろう?」

「ああ。これだけわかれば、万一鉱山ではぐれても生きて戻ってこられるだろう」


「……怖いこと言うなよ」


 正直、俺の頭はパンク寸前だった。自分から言い出したことだが、これ以上は何も覚えられそうにない。


 だが、これで大分不安が解消された。モヤモヤしていたものが晴れた気がする。



 その後セシルが解散を宣言し、俺は席を立った。

 だが、部屋を出ようとしたところで不意に呼び止められる。

 その声に振り向くと、セシルはどこか不安そうな顔をしていた。


「君に聞いておかねばならないことがあるのを、忘れていた」

「何だ?」


 そう返すと、セシルは言いにくそうに口を開く。

「アレク……君は虚弱体質なのか?」――と。


「……え? 虚弱体質?」

「ああ。昨日の馬車酔いのときにも感じたが、ここのところ顔色が良くない。現に今日も倒れただろう。もとから身体が弱いのか?」

「いや……そんなはずは。覚えている限りは……馬車酔いも倒れるのも初めてだと思う」

「……そうか。いや……違うならいいんだ。でも、あまり無理はするなよ。リリアーナも心配する」

「……? ああ」


 セシルにしては珍しく辛気臭い顔――そのことに俺は違和感を覚えたが、その気持ちは部屋に戻ったらすぐに忘れてしまった。

 俺のベッドで、リリアーナがすやすやと眠っていたからだ。


 着替えもすませていないところを見るに、きっと俺を待っていてくれたのだろう。



 俺はリリアーナを抱き上げて、反対側のベッドに降ろす。

 風邪をひかないように布団をかけ――リリアーナがこの世に生を受けて以来日課になっている――お休みのキスをした。



「リリアーナ。俺……頑張るから」



 部屋の灯りを消し、自分のベッドに横になる。

 そしていつの間にか、深い眠りに落ちていった。

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[良い点] これは……ハッキリと過保護と断言された感じかな?
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