12.俺とセシルの長い夜(前編)
その後のことはよく覚えていない。
気付いたときには俺はベッドの上にいて、茫然と白い天井を見上げていた。
そしてそんな俺を、リリアーナが心配そうな顔で見下ろしていた。
「リリアーナ……なんで……」
俺は眠っていたのか? ――そう思いながら呟くと、リリアーナはほっと安堵した顔を見せる。
「お話中にお倒れになったんですの。覚えておりませんか?」
「いや……覚えてない。倒れてどれくらい経った? 皆はどうしてる?」
「二十分ほどですわ。セシル様とグレン様は隣のお部屋で明日のことについて相談なさっております。ユリシーズ様は……外の空気を吸いにお出かけに」
「……そうか」
カーテンの向こうが暗い。
倒れて二十分と言うが、そもそも倒れる前にどれくらい話をしていたのか……時間の感覚がよくわからなくなっている。
――鉱山道で人が死んだ。
そう聞かされてからの記憶が、かなり曖昧だ。
瘴気は自然発生するものとは聞いていたが、それでも、もしかして俺のせいなのではないか、俺がシナリオを変えてしまった可能性はないか、一度そんな風に思ったら嫌な考えが止まらなくなって、気付いたら周りの声が聞こえなくなっていた。
だが、それでもこれだけは覚えている。
死んだのは一人や二人ではない。鉱山で働く大勢が犠牲になったと、ユリシーズは震える声でそう言った。
ああ、それなのに――。
俺はあのとき、ユリシーズに何も言ってあげられなかった。
ユリシーズだって俺と同じくらいショックを受けていただろうに、俺はこんな情けない姿をさらすばかりで――。
俺は身体を起こし、リリアーナに向き直る。
「なぁ、リリアーナ。聞いてもいいか?」
「はい、お兄さま」
「俺さ……知らなかったんだ。瘴気で人が死ぬだなんて……少しも知らなかった。お前は知ってたか? セシルから、何か聞いてたか?」
俺が尋ねると、リリアーナは表情を固くして、ゆっくりと首を振る。「知らなかった」と。
「……だよな。知らないよな」
――でも、ユリシーズはきっと知っていた。
グレイウルフの群れと戦ったとき、瘴気は人にも悪影響を及ぼすと言った――あの言葉の意味は、きっとこういうことだった。
でも、ユリシーズは俺には言わないようにしていたんだ。
記憶が曖昧な俺に負担をかけないようにしてくれていた、それがあいつの優しさだった。
なのに俺は……。
「俺さ、今日、ユリシーズを怒らせたみたいで……」
「――え? でも、ユリシーズ様が怒るところなんて見たことありませんわ」
「だよな。お前は見たことないよな。でも……あれは相当怒ってたと思う。あいつ普段は怒ると饒舌になるのに……今日は凄く静かだったんだ。それはきっと、いつも以上に苛立ってたからだと思う」
「原因に心当たりがありますの?」
問われて、俺は記憶を思い起こす。
――だが、やっぱりわからない。
「いや。それがさっぱり。露店で肉を食べ歩いた後、急にユリシーズが立ち止まって……何か言いかけたんだけど、そこでノーザンバリー辺境伯の馬車が停まったから。――辺境伯がユリシーズの伯父だってことを俺が知らないって言ったら、何ていうか……冷たい目をされた」
そう言うと、リリアーナは少しの間考え込む。
が、同じく理由がわからない、という風に小さく首を振った。
「確かに以前のお兄さまは、ノーザンバリー辺境伯がユリシーズ様の伯父だと知っていらっしゃいましたわ。でも、ユリシーズ様はお兄さまの記憶が曖昧だと知っていらっしゃいますし、そのようなことで気分を害されるとは思いませんわ」
「…………そう、だよな」
「露店で食べ歩きをなさっているときは、いつも通りのご様子だったのですか?」
「……どうだろうな。もしかしたら違っていたのかもしれないが……」
たとえ違っていたとしても、本来のアレクならいざ知らず、俺では気付けなかっただろう。
それくらい、今の俺にはありとあらゆる情報が不足している。
――思えば、前世の記憶を思い出してからというもの、アレクの記憶はかなり断片化されてしまった。
「あのときこんなことがあったよね」と言われれば思い出せるが、自分からはなかなか思い出すことができないのだ。
(……駄目だ、このままじゃ)
今の俺はあまりにも知らないことが多すぎる。
一通りは勉強したつもりでいたが、俺は瘴気で人が死ぬことも、この世界の情勢も知らなかった。
神殿と宮廷の関係性や、貴族たちの勢力図、魔法についてだってまだまだわからないことだらけ。こんな状態では、これから先事件が起こる度に後手後手に回ってしまうだろう。
(鉱山での瘴気発生が本当に自然現象なのか、それとも人為的なものなのか、今の俺では判断がつかない。それに――)
アレクがラスボスになってしまう理由も、今のままでは……。
――ならば、どうする?
そう考えた俺は、ベッドから降り、立ち上がる。
「ちょっと、セシルのところに行ってくる」
「え? でも、今日はもうお休みになられた方が……」
「いや、こういうのは思い立ったが吉日って言うからな」
「……?」
――このゲームのメインヒーロー、王太子セシル。
ここが一応でもゲームの世界であると言うのなら、そして今がセシルルートであると考えるなら、ラスボスであるアレクを殺すのはセシルの役目。
ならば、そいつを圧倒的味方につけるしかない。
もしもこれから先ゲームの強制力というのが働いて、俺がラスボスになりかけたき、それを止めるのはきっとセシルになるだろうから。
あるいは、俺がラスボスになるのが外的要因……例えば誰かに罪をなすりつけられるとかであるならば、俺がセシルの意図と外れた行動をしなければ避けられるはず。
――そのために、俺はもっとセシルについて知らなければならない。
そして、セシルにも俺という人間を知っておいてもらわねばならない。
◇
俺は隣の部屋の扉を叩いた。
「セシル、いいか? 話があるんだ」――そう声をかけ、返事を待つ。
数秒して開いた扉の先には、グレンが立っていた。
「どうした。体調はもういいのか?」
「ああ。実は……セシルに話があって。二人にしてもらえないか?」
「…………」
すると、グレンは訝し気な顔をする。
――が、背後を振り向き、奥のテーブルに座るセシルに意思を伺ってくれた。
「どうする、セシル」
「……そうだな。――うん、いいよ、聞こう。どうやら大事な話のようだし。グレンは外に」
「わかった。だが窓には近づくなよ。こんな状況だ。何かあってからでは遅い」
「わかってるよ。本当に君は心配性だな」
「心配しすぎるくらいが丁度いいんだ。お前の場合は特にな」
そう言い残し、グレンは部屋から出ていった。