11.不吉の前兆
それから俺は、宣言通り露店で肉を食べ歩いた。
鶏、豚、牛、それに鹿やウサギ。ありとあらゆる肉料理が売っていて、目につくもの全てに手を出した。
途中ユリシーズに、「まだ食べるの?」「え、それも?」などと呆れ顔で言われたが気にしない。
とにかく俺は食べまくった。
そして日も傾きかけた頃、ようやく宿のある通りへと戻ってきた。
「いやー、どれも美味かったな」
味は塩かハーブ漬けのシンプルなものばかりだったが、肉というだけでかなり満足だ。
――が、ユリシーズは俺の隣で非常に微妙な顔をしている。
「確かに美味しかったけど……僕はなんだか胃が重たいよ。君、ほんとに肉料理ばかり買うんだもの」
「そりゃ肉は美味いし。でも、お前は味見しかしてないだろ?」
「そうだけど。僕は肉より魚の方が好きだから……肉はしばらくはいらないかな」
「そうか。じゃあ魚も買えばよかったな」
「いや、そういうことじゃ……」
「ははっ、わかってるって。――付き合ってくれてありがとな、ユリシーズ」
「…………」
実は俺も、ユリシーズがあまり肉を好まないことに途中で気付いていた。
それでも肉を食べ続けたのは、まぁ率直に言って俺の好物だったからだが、それに加えて、ユリシーズに甘えたかったというのもある。
エンドレスに肉を頼む俺に、うんざりした顔をしながらも付き合い続けてくれるユリシーズ。――その優しさに、俺は救われたかったんだ。
(いつかちゃんと恩返しをしないとな)
そんなことを考えながら、俺は最後の角を曲がる。
そして、宿の門が見えた――そのときだった。
何の前触れもなく、ユリシーズが足を止めたのだ。
「……? どうした、ユリシーズ」
靴ひもでも解けたか? そんなことを思いながら、俺は後ろを振り向く。
すると俺の貧相な想像に反し、ユリシーズはいつになく神妙な顔をしていた。
それはどこか思いつめたような……あるいは、何かを疑っているような……。
――その表情に、俺は直感する。
ああ、これは良くないやつだ、と。
何が良くないかって? それはわからない。でもわかるだろう?
表情だけじゃない、空気感というやつが。理由はわからないが、大事な話をされるときのような。
例えを上げるなら、そう――別れ話とか。
(えっ。俺、今からユリシーズに振られるの?)
瞬間、頭の中がわけのわからない考えでいっぱいになる。
そんなはずはないとわかっているのに、デート帰りに彼女に振られた前世の記憶と重なって――。
――いや、待て。落ち着け。そもそも俺はユリシーズと付き合っていない。
つまり、これは断じて別れ話などではない。
だが、だとしたらいったい何だ? 俺、ユリシーズにこんな顔されることしたか? やっぱり肉ばっかり食べたのがいけなかったのか?
混乱する俺の視線の先で、ユリシーズは躊躇いがちに口を開く。――そして。
「アレク、君は本当に――――」
――だが、その言葉は最後まで続かなかった。
ユリシーズの言葉を遮るように、俺たちのすぐ横で馬車が急停止したからだ。
しかもそれはただの馬車ではなかった。
黒塗りに金の装飾の施された、貴族所有の一等馬車だった。
(――おい、この馬車って)
瞬間、俺はその馬車に乗っている人物が誰であるかを察した。
なぜなら馬車の扉に描かれた紋章は、この街に着いてから嫌と言うほど目にしたマークなのだから。
そのマークとは、“双頭の鷲”――この土地を治める領主、ノーザンバリー辺境伯の家紋である。
つまり、この馬車に乗っているのはノーザンバリー辺境伯であるということだ。
その馬車が、どういうわけか俺たちの隣に停まった。その理由は……?
「お……おい、ユリシーズ。何で領主の馬車がここに停まるんだ? まさか、セシルがこの宿に泊まることが――」
百歩譲って、もしも今の俺たちが貴族らしい服装をしていれば馬車が停まることもあったかもしれない。が、今の俺たちは誰がどう見たって貴族には見えないはず。
だがユリシーズは、慌てふためく俺の横で冷静に呟いたのだ。
「伯父上」――と。
「――え、伯父?」
(ノーザンバリー辺境伯が、ユリシーズの伯父だって?)
茫然とする俺に、ユリシーズは困ったように眉尻を下げる。
「そうだよ。ノーザンバリー辺境伯は僕の母方の伯父。知らなかった?」
「…………いや、それは」
(聞いてない)
俺はそう言いかけた。
が、それを言ったらいけないということだけはわかった。
ユリシーズの俺を見る瞳が、“本当に知らないの?”と、そう言っていたからだ。
(何だ? どうしてユリシーズは……こんな顔を……)
そう考えて、理解する。
俺は知っていなければならなかったんだ、と。
ノーザンバリー辺境伯がユリシーズの伯父であることを、アレクなら知らないはすがない――そういうことなのだろうと。
だが、そんなの今さらだろう。
本来のアレクなら知っているはずのことを、今の俺は知らない――そういう状況はこれまで何度だってあったはずだ。
それなのに、どうして今さらそんな顔するんだよ。
「…………」
無言になった俺を残し、ユリシーズは馬車から降りてきた辺境伯へ駆け寄っていく。
ユリシーズとは少しも似ていない、まるで軍人のような体つきをした貫禄ある伯父さんと、ユリシーズは抱擁する。
「ユリシーズ! すっかり見違えたな、別人かと思ったぞ! 会うのは二年……いや三年ぶりか!?」
「五年です、伯父上」
「なんと、五年か! 月日が経つのは早いものだな!」
「本当に。ところで、伯父上はなぜこちらに?」
「おお、そうだった。実はソフィーから連絡を貰ってな。お前の世話をしてやってくれと」
「母上が……」
「ああ。そろそろ着くころかと思っていたら、先ほど我が家に出入りしている商隊からお前たちのことを聞きつけてな、こうして急ぎ駆け付けたというわけだ! いやあ、会えて良かった! 広い街だからな。領主と言えど全てを把握してはおられんと言うに――そう言えばあれは昔からお前に対しては特に過保護だったが――」
ノーザンバリー辺境伯は快活な人だった。
歳は四十半ばから五十といったところか。声が大きく、よく笑い、よく話し、ジェスチャーがやたら大袈裟な人。
これは貴族にはありがちだが、実は舞台俳優なのではと思えるほど、ときおり芝居がかった話し方をする。
「ところで――御父上は息災か?」
「ええ。相変わらずですよ」
「そうか。――ふむ。それは喜ぶべきなのか、はたまた悲しむべきなのか」
「伯父上、冗談でもそれは」
「はっはっは! 冗談に決まっておろう!」
辺境伯は声を上げて笑い――そして俺の方を向くと、改めて自己紹介をしてくれた。
「挨拶が遅れてすまないな。私はルシウス・マーティンだ。四代前からこの地、ノーザンバリーを治めている。見ての通りユリシーズの伯父だ。……君は」
「あ――、私はアレクと申します。ローズベリー家長子、アレク・ローズベリーです。以後お見知りおきを」
ややテンパりながら答えると、辺境伯は目を大きく見開いた。
と同時に彼の太い腕が伸びてきて、その手が俺の左肩に降りてくる。「おお、そうかそうか、君がアレクか!」――と満面の笑みを浮かべながら。
どうやら彼は俺のことを知っているようだ。
先ほどのユリシーズとの話を加味するに、ユリシーズの母親から俺のことを聞いていたとか、そういうことなのだろう。
いったいどんな風に伝わっているんだろうか――そう思ったのも束の間、突然声色を変える辺境伯。
明るく朗らかだったトーンが、急に威圧的なものに変わる――。
「――ところでユリシーズ、セシル殿下はどちらにいらっしゃる?」――と。
そう尋ねた声は、明らかに先ほどまでとは別人だった。まるで獲物を狙う鷲のような目をしていた。
だがユリシーズはほんの少し眉を動かすのみで、冷静に問い返す。
「なぜそんなことを聞くのです?」
すると、ユリシーズに何かを耳打ちする辺境伯。――同時に、今度こそユリシーズの顔が険しくなる。
「それは本当なのですか!?」
「私は領主だぞ。嘘だと思うか?」
「……いえ。そもそも、そんな嘘をついたって伯父上には何の利もありませんから」
「その通りだ。そういうわけだから、お前たちには一刻も早く我が屋敷に来てもらわねばならん。――が、こちらも準備がいるのでな。明朝馬車を寄こすからそれまでに準備をしておけ」
「…………」
「本来ならば私自らお伝えせねばならないことだが、何せ時間がない。殿下にはお前から申し伝えよ。――よいな?」
「……はい、伯父上」
――こうして俺は、何一つ現状を把握できないまま辺境伯の馬車を見送った。
が、その馬車が見えなくなると、途端にユリシーズに腕を掴まれる。
引きずられるようにして宿屋の階段を駆け上がり、そのまま部屋になだれ込んだ。
「……ユ、ユリシーズ……? いったいどうしたんだよ。伯父さん……何だって?」
俺の左腕を掴むユリシーズの腕が、酷く震えている。
よほど恐ろしいことを言われたのだろうか。
そう思った矢先、ユリシーズから出た言葉――それは……。
「死んだって……」
「……え?」
「鉱山道に瘴気が充満して………人が亡くなったって……伯父上が……」
――全く考えもしなかった、死亡者発生の報告だった。