10.愛と未練の境界線
「くっそー。やっぱり納得いかない。あの二人、いつの間にあんなに仲良くなったんだ? ユリシーズ、お前何か知らないか?」
「いや、僕は何も。それよりアレク、尾行なんてよくないよ。もし気付かれたら……」
「じゃあお前は帰れよ。俺は一人で続けるから」
「……アレク」
俺は二人を尾行していた。
行ってこいと送り出したものの、どうしても納得できなかったからだ。
一定の距離を保ちつつ、二人の様子を伺う。
二人は手を繋いでしばらく散歩したあと、本屋で本を物色――その最中、リリアーナでは届かない上段の本をセシルが取ってあげるという定番イベントを起こした後――露店で飲み物をテイクアウトし、ベンチに座って楽しそうにおしゃべりをしていた。
それは誰がどう見てもカップルにしか見えない距離感で。
リリアーナはずっと幸せそうで。セシルもリリアーナをとても大切にしていて。
見れば見るほど、泣きたい気分になってくる。
(なんだこれ、辛い……)
いったい何が起きてこうなったのかはわからないが、リリアーナはセシルに恋している。
それだけは、疑いようのない事実。
「アレク、もう十分だろう? 尾行は終わりにしよう」
「…………」
「大丈夫だよ。セシルは紳士だ。君が心配してるようなことには絶対にならない。わかってるはずだ」
「…………」
わかってる。セシルがいい奴だってことは、言われなくてもわかっている。
出会って一週間とはいえ、朝から晩まで一緒に過ごした仲間なのだ。
――セシルは強い。
身体がそれほど大きくなくても、剣の腕が無くても、それを補うに余りある魔法の才能と、何より強いメンタルがある。
逆境から逃げない心。誰かを守りたいという強い想い。
王太子という立場なのに、少しも偉ぶらず、他人を見下さず、相手が誰であろうと笑顔を絶やさない。
そういう強さが、セシルにはある。
(わかってるんだ、俺だって)
俺はセシルが魔物と戦うところを見た。
セシルは自分の身が危なくなろうと少しも引かず、リリアーナを最後まで守ろうとした。
だから、セシルがリリアーナを大切にしてくれるだろうってことは、俺が一番わかってる。
でもだからこそ嫌なんだ。
俺ではセシルには敵わないから。セシルの足元にも及ばないから。
リリアーナが俺の手を離れていってしまうと思うと、寂しくてたまらない。
「……アレク? まさか、泣いてるの……?」
ああ――そういえば前世でもそうだった。
四つ歳の離れた妹。
生まれたばかりのときは得体が知れなくて怖かったけど、歩くようになったらどこにでもついてきて。「にー」とか言って俺を呼ぶとことか、めちゃくちゃ可愛くて。
成長しても何だかんだ慕ってくれて、俺が彼女を家に連れてくると品定めするような目で見てきて……そういうところも可愛くて。
「お前生意気だぞ」って言ったら、「おにぃこそ、変な女と結婚しないでよね。私のおねーちゃんになる人なんだから」なんて言って……。
いや、流石に美化しすぎたか。実際は、「あの女ヤッバ。猫被りすぎ」とかだったかもしれない。
とにかく、妹が家に彼氏を連れてきたときはショックで失神しかけた。
リビングでくつろいでる二人の様子を見ようと一階に降りたら、「部屋から出てこないで」と冷たく言われ……。いや、だったら家に連れてくんなよと言い返して……。
そしたら、妹の彼氏がこう言ったんだ。
「お兄さんもこっちにきて話しませんか? 俺、野球部なんです。甲子園の話とか、良かったら聞かせてください」って。
――そう。いい奴だったんだよ。
今のセシルみたいに、すごくいい奴だったんだ。こいつならいいかなって、仕方ないかって、そう思わせるような男だった。
俺が事故で死んだ日も、妹はデートに出掛けて行って。
そしたら、妹がスマホを忘れていったことに気付いて、急いでそれを届けに走って。
横断歩道を渡りかけている妹を呼んだら、妹は立ち止まって――そしたら――そこにトラックが……。
「――うっ」
そのときの記憶を思い出した俺は、吐き気をもよおしうずくまる。
いや、実際のところ、思い出すほどの記憶もないのだが。
妹を反対側の歩道へ突き飛ばした瞬間、ものすごい衝撃に襲われて、それ以降は何も覚えていないのだから。
「――ちょ、アレク、どうしたの!? 気分悪いの?」
「……ああ、悪い。ちょっと……」
ユリシーズの手を借りて、その辺の石垣に腰かける。
――ほんと、メンタルが弱すぎて自分でも嫌になる。
前世の妹とリリアーナは別人なのに、割り切れない自分自身が本当に情けない。
しばらく俺が自己嫌悪に陥っていると、不意にユリシーズが俺の左手を取った。
そして次の瞬間、俺の手のひらに一口サイズの氷ができあがる。
急にどうしたんだ――そう思って顔を上げると、申し訳なさそうな顔のユリシーズと目が合った。
「氷……少しは気分が良くなると思う。食べて」
そう言って、気まずそうに視線を逸らす。
「ユリシーズ? どうしたんだよ?」
「その……アレク、ごめん。僕、さっきは何も知らないって言ったけど、本当は知ってるんだ。昨日泊まった途中の宿で――君が眠ったあと、セシルがリリアーナを呼び出しているところに出くわして。心配で様子を見てたら、セシルがリリアーナに愛の告白を……」
「……なっ!」
「あっ、でも安心して! 君が心配するようなことは何もなかったんだ! セシルは、返事が欲しいとかじゃない。ただ僕の気持ちを知ってほしいだけだって……。それだけ言って、リリアーナを部屋まで送り届けていたよ」
「…………」
「だから僕、なんだか今日気まずくて……。知らないなんて嘘ついちゃった」
「……いや」
そうか。それでリリアーナはああいう反応をしたのか。
そりゃあセシルみたいな王子サマに告白されたら、誰だってああなるよな……。
ユリシーズの話を聞いて妙に納得した俺は、口の中に氷を放り込む。
何の変哲もない氷だが、モヤモヤした気持ちが収まっていくような気がした。
――正直、俺はまだ納得できたわけじゃない。リリアーナを完全には手放せない。……でも、セシルならリリアーナを守ってくれる。それだけは、きっと確かだ。
そんな風に、自分の心に区切りをつける。――氷が解けきるまでの時間をかけて。
しばらくして口の中の氷がすっかりなくなると、俺はその場に立ち上がった。
「ありがとな、ユリシーズ。お前のおかげでなんか吹っ切れた」
「そう? 気分も平気?」
「ああ、もう大丈夫だ。――それより、色々考えたら腹が減ったな。露店で何か買わないか?」
「えっ、さっき食べたばかりなのに?」
「ああ。この国って魚がメインだろ? さっきも魚だったし。でもそろそろ肉が食べたくなってきたっていうか。さっき通った場所に、肉が売ってたような気がしたんだよな」
「……確かに北側は海が遠いから、肉料理も多いけど」
「じゃ、決まりな!」
――こうして、俺たちは露店を巡りながら宿に戻ることにした。
が、この選択が後々になって俺をピンチに陥れることを、このときの俺はまだ知らない。