プロローグ:転生先は乙女ゲーム?!
(……誰か嘘だと言ってくれ)
――二十歳を迎えた夏の暑い日。馬車に轢かれそうになった妹リリアーナをかばい馬に蹴られた俺は、前世の記憶を思い出した。
頭から流血し、地面に横たわる俺の名前を呼ぶリリアーナの泣き顔に、俺はここがいわゆる乙女ゲームの世界であることを悟った。と同時に、この世界のラスボスが俺自身であることも……。
「――お兄さまッ! 返事をしてください、お兄さまッ!」
美しい金色の髪から覗くリリアーナの碧い瞳。そこから溢れた涙が俺の頬を濡らす。
その涙は、この世界で後に聖女と呼ばれ崇め奉られる、ヒロインの癒しの涙。
(ああ……そうだ。確かリリアーナの力が目覚めるのは、兄アレクが事故で大けがを負ったのが原因だったっけ……)
前世、俺がどこにでもいる男子大学生だったとき、妹がプレイしていた乙女ゲームのヒロイン、リリアーナ。今のリリアーナの年齢が前世の妹と同じ十五歳というのは、単なる偶然だろうか。
俺は意識の途切れそうな頭で、そんなことを考える。
(そう言えば前世、俺はどうやって死んだんだっけ)
確か、トラックにはねられそうになった妹を助けようとして……。
そう考えると、今俺が前世の記憶を思い出したことも納得だ。きっと馬車に轢かれた今の記憶が、前世の事故の記憶を呼び起こしたのだろう。
(にしてもなんで乙女ゲーム? しかもラスボスポジション? 確かにこの世界には魔法があるけど、どうせならもっとチートでファンタジーする世界に転生させてほしかったよ、神様……)
俺はリリアーナの膝に頭を乗せられた体勢で、今の状況と自分の運命を呪う。
なぜって、俺はゲームの内容をほぼ知らないのだから。
俺が覚えていることと言えば、パッケージに描かれてた攻略対象者の顔がギリギリわかる程度。あとは、俺の部屋で顔をニヤつかせながらゲームしていた妹の狂気じみた顔。それとそのときのやたらでかい独り言。――シナリオなんてもっての他だ。
とは言え、ここが乙女ゲームの世界であり、かつ自分がラスボスであることを思い出せたのは僥倖だろう。
ゲームの中ではリリアーナとその攻略対象者の男どもに殺される運命だったけれど、そもそも自分の立場をわきまえて行動すれば殺されることはないのだから。――多分だけど。
(ああー。だとしたらグッジョブ妹! 『アレク(今の俺)がラスボスだったなんてショック! 絶対に隠し攻略キャラだと思ってたのにー!』って大声で叫んでくれてて助かった! いやー、これで兄ちゃんこの世界では長生きできそうだわ!)
そんなことを考えているうちに、リリアーナの聖女の力が本格的に目覚めたらしい。
彼女の周囲を光の輪のようなものが取り囲み、その輝きが俺の傷を癒やしていく。千年に一人いるかどうかの強い聖魔法の使い手、聖女リリアーナの誕生の瞬間だ。
(ああ……これは凄いな。死ぬかと思った痛みが嘘のように消えていく。現代医療も魔法には勝てないな。控えめに言って、魔法……神だわ……)
だが、この力のせいでリリアーナの人生は大きく変わってしまう。
これまではちょっと魔力が強いだけの伯爵家の一令嬢だったのに、兄アレクの傷をこんな往来のど真ん中で治してしまったものだから、あっという間に王都中に知れ渡ってしまうのだ。
そして成人である十六歳の誕生日を境に、各地で頻発する魔物の討伐と瘴気の浄化に奔走させられることとなる。
前世の妹の情報によると、その瘴気を作り出したのがアレク(つまり今の俺)であるということだったが……って、あれ? じゃあ俺がその瘴気とやらを作らなきゃリリアーナはこの先もそんな無茶ぶり人生を歩まなくても済むのでは?
というか、そもそもアレクはどうやって瘴気なるものを作り出したんだ? その理由は?
(……駄目だ。何も思い出せない)
今世の二十年間の記憶を漁ってみても、アレクが瘴気を生み出したことはなく、その方法も理由もわからなかった。
――が、きっと大丈夫だ。俺は自分が殺されるとわかっていてそんなことをしでかすほどアホではない。
俺は自身に言い聞かせ、ゆっくりと身体を起こした。
瞳に涙を溜めたリリアーナの頬に手を添え、にこりと微笑む。
「ありがとう、リリアーナ。お前のおかげで治ったみたいだ」
すると、わあっと泣き出して、俺の首にすがりついてくるリリアーナ。
「お兄さま……っ、良かった……本当に……!」
「俺の方こそ、リリアーナに怪我がなくて良かったよ」
――前世では妹を庇って死んでしまった俺だけど、せっかくリリアーナに助けてもらったんだ。この人生は長生きしたい。
それに、リリアーナには平凡で穏やかな人生を歩んでもらいたい。たとえ彼女が乙女ゲームのキャラクターに過ぎないとしても、俺がアレクとして十五年間彼女を妹として大切にしてきたことに変わりはないのだから。
俺はわんわんと声を上げて泣くリリアーナを抱きしめ心に誓う。
ラスボスポジションの返上と、リリアーナの幸せ、そしてこの世界の安寧を。
――そのはずだったのに。
一週間後、父の書斎に呼ばれた俺は驚愕することになる。
「アレク。――リリアーナが神殿に召されることが決まった。北の国境付近で強い瘴気が発生し、動物たちが魔物と化していると。その討伐隊の聖魔法師に、リリアーナを所望された」
唸るような父の言葉に、俺の頭は一瞬にして真っ白になる。
「そんな……どうして……」
(いったいどういうことだ? 俺は瘴気なるものを発生させた覚えはない。なら、いったい誰が? ラスボスは俺じゃなかったのか? それともこれが俗にいう、ゲームの強制力ってやつなのか?)
俺は混乱しながらも、父の言葉に反論する。
「……ですが、父上。リリアーナはまだ十五です。そんな危険な場所に行かせられるわけがない」
「ああ、当然だ。だからせめて成人まではご容赦いただくよう申し上げた。一応は聞き入れてくださったが――第一陣の部隊で瘴気を払えなかった場合は、成人前でも力を貸してもらえないかと陛下直々に頭を下げられてしまったよ」
「……陛下、直々に……」
「そうだ。つまりこれは国王命令。陛下の臣下たる我々貴族に断る術はない。――そのことを、お前にはよく理解しておいてもらいたい」
「…………」
父の諦めたような声に、俺は悟らざるを得なかった。
断ることは不可能なのだ、と――。ならば、俺にできることは一つしかないではないか。
「わかりました。では、俺も行きます」
「――何?」
「俺も、リリアーナと共に国境へ向かいます」
「何を馬鹿なことを……! お前はこの家の後継者。結婚も控えているのだぞ! 行かせられん!」
「いいえ、行きます。お許しいただけないのなら、俺はリリアーナを連れて行方をくらまします。俺にはその覚悟がある」
「……ッ」
(たとえゲームのシナリオだろうと、俺はリリアーナに命を救われた。それに彼女は俺の可愛い妹だ。妹だけを危険な場所に行かせておいて、後継者だからという理由でのうのうと屋敷に閉じこもっているわけにはいかない。――それに、瘴気の発生源も見ておかなければ)
俺は父としばらく睨みあった。
が、最後は父が根負けする形で溜め息をつく。
「――わかった。お前の覚悟、陛下にしかとお伝えする」
こうして、俺はリリアーナに帯同する許可を得た。
リリアーナの十六歳の誕生日まで残り四ヵ月。遅くともそれまでには、今後のシナリオに関する情報を集めておかなければ――俺はそう、心に固く決意するのだった。