第十話 前編
本作品は、句点、かぎ括弧、エクスクラメーションマークを敢えて付けずに編集しております。
○詩を読むように読んでいただきたい
○読者の皆様に、自由に情景を想像して読んでいただきたい
このような勝手な願望からです
一般的な小説と比較すると、大変読みにくくなっておりますことを、予めご理解いただいた上でお読みいただければ幸いです。
はい
いってらっしゃい
見覚えのあるランチバッグが、玄関で葵から手渡された
これ
たまに母親が何を思ってか、俺と父親に弁当を作った時に使用していたものだ
旅行の帰りに、ご実家にお土産渡しに行ったでしょ?
その時にね、お母様が持たせてくれたの
必要なかったかな?
いや、助かる
昼食は、たいてい社員食堂で済ませているが、混み合っているし、そこまで行くのも面倒だ
人の少なくなったデスクで、静かに食った方がずっと良い
だからといって、わざわざ店に買いに出たり、出前の注文をするなどといった手間はかけたくない
考えてみれば、弁当持参という選択肢が、一番俺には合っているのだが、如何せん、母親の気まぐれ弁当が当たり前だったので、弁当を頼む、という思考には至らなかった
お弁当いるなら、早く言ってくれれば良かったのに
基本的に平日は毎日お弁当で良いのかな?
頼む
今日は、昼からママと女子会だったか?
うん
帰って来てへべれけだったら、ごめんね?
葵の故郷から、昨日帰ってきて今日は金曜日
俺は仕事だが、明日から連休なので一踏ん張りすることにする
葵は今日は仕事もなく、家でゆっくりするのかと思いきや、昼から土産のワインとチーズに土産話を添えて、ママと飲んだくれるらしい
その上、俺に弁当まで用意して
タフなやつ
見送られながらエレベーターに乗り込む
ランチバッグに目をやって、その記憶を掘り起こした
俺にとっての手作り弁当とは、高校三年間、社会人なってからは不定期で母親によって作成されたものだが、その内容はずっと変わらなかった
一面にご飯を敷いて、ふりかけと海苔
その上に焼いた鶏もも肉と、レンチンした冷凍のブロッコリーを、これでもかと乗せたもの
葵は母親と、俺の弁当の内容について情報を共有したのかもしれない
となると、蓋を開けた中に広がるのは、茶色と緑の混沌とした世界、か
おかえり、とでも言ってやろう
車に乗り込み、エンジンをかける
駐車場から車を出す時、二十歳前後の女性が前を横切った
ちょうど、あれくらいの歳だったな
弁当よりもずっと新しい記憶が、否応なしに呼び起こされた
たった一泊二日の旅行
一日目をつつがなく終え、全てに満足しながらホテルに向かって寝るだけ、という時に起こった事件
思い出す、と言うには鮮明で強烈過ぎる、真新しい記憶
車を走らせながら、考える
俺の、今の状況を
俺が、今過ごしている日常を
豪華寝台列車にでも乗っている感覚に近いかもしれない
常軌を逸したことさえしなければ、何不自由のない、至れり尽くせりのサービスを受けながら、心地よい揺れとちょっとしたハプニングに身を任せ、時を過ごすことができるだろう
しかし
俺は、忘れてはならない
その列車には、招かざる客が何人も乗っているということを
俺は、常に疑ってなければならない
その列車が、走る先に何があるのかということを
この先も、線路は続くのかということを
続いていたとしても、その目的地は俺たちが望むところなのかということを
事故が起きないという保証も、起きた時のための保険もない
目の前の幸せに浮かれていては、何か重大なことが起きた時の対応が遅れる
それは、最悪の結末を迎えることにさえ、なりかねないのだ
会社に到着し、車と思考を止める
大きく息を吸い、思い起こされた記憶と取り留めのない考えを、吐息とともに吹き飛ばした
先が見えない不安を抱えているのは、何も俺に限ったことではない
今、世界中で生活しているほとんど全ての人間が、大なり小なり似たような心境であるはずだ
なんで自分が、なんであいつが
そんな疑念と劣等感を日々振り払うように、懸命に働き、飯を食って寝ている
あいつよりはマシ、こいつよりは恵まれている
醜い優越感を、
味方につけながら
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