第一話 前編
本作品は、句点、かぎ括弧、エクスクラメーションマークを敢えて付けずに編集しております。
○詩を読むように読んでいただきたい
○読者の皆様に、自由に情景を想像して読んでいただきたい
このような勝手な願望からです
一般的な小説と比較すると、大変読みにくくなっておりますことを、予めご理解いただいた上でお読みいただければ幸いです。
どうしてオレは今、この世で最も苦手で最悪な箱の中に、かれこれ八時間も閉じ込められているのか
外の世界では春の爽やかな日差しが惜しげもなく降り注がれ、それを浴びた人々は、あるいは多くの動植物たちは新たなる一日を清々しくスタートさせているというのに
どうして、
どうしてオレだけがこんな、
高速夜行バスなんかに
いや、嘘つくなよ、
ちっとも高速なんかじゃねー
オレの地元までどんだけ時間かかんだよ
飛行機を見倣え、責めて新幹線の爪の垢でも煎じてろ
てめーの腹ん中で一分でも揺られるとオレの胃がオートマチックに暴走し始めんだ
そもそもだ、
てめーの臭いが鼻についた時点で暴走スイッチオンだ
他に乗客がいなけりゃ、遠慮なくその内容物をぶちまけてやるのに
安いからって調子乗りやがって
安い?
そうだ
飛行機にも新幹線にも見放されてしまったのは、オレに金がないからだ
オレの財布の底ってやつは自己主張が激しくて、いつでもオレにその存在感を見せつけてきやがる
オレが今寝不足で、踊り狂う胃袋に全神経を集中させて、食道を這い上がってくる胃液を何百回と飲み込まなきゃいけなくなったのも、全部てめーのせいだ
金に罪はない、あいつらはオレにしっかりと恩恵を与えてくれる
給料日という記念日ほど心躍る日はないし、ボーナス支給日なんて世界中の人間にキスしてやりたい気分になる
世の中にはクレジットカードという夢のような代物があるようなのだが、持って数ヶ月もしないうちに親からブチギレ電話がとんでもねー勢いでかかってきた
人を破滅に導く機能が、あのちっぽけなカードに搭載されているらしい
あれを使っている連中は、常にその危機に晒されるスリル楽しんでいる変態か、もしくはいつでも首括ってもいいっていう、人生詰んでる奴らだ
オレはそのどちらでもない
賢いオレはさっさとそんなものから足を洗って現ナマ主義で生きている
通帳に金が振り込まれていることを確認すると、引き落とされる生活費を差し引いた分を引き出す
お陰でブチギレ電話も督促状もガスが止められることもなくなった
財布の中身が俺の一か月分の軍資金
次の給料日まで、この引き出した金でやり過ごせばいい
実に単純明快、且つ効率的なやり方だ
しかしまぁ、先述の通りオレの財布の底は自己主張がやたら激しい
月の半分超えたくらいで、その面をニタニタしながら見せつけてきやがる
もっと控えめで、オレが声かけてあげるまで、恥ずかしがってモジモジしてるようなやつがタイプなんだけどな、多分
マッチングってのは難しい、それ系のアプリが世にはびこってるわけだ
前座席の背もたれに付いている取っ手に、両手を引っ掛けて突伏する
みぞおちと頭が洗濯機みたいに回っている
肩とまぶたが鉛のように固まっている
足と下腹が何かに怯えるように痙攣している
意識が遠のく
ヤバい、死に際だ
川か花畑か、そろそろ見えてくる頃かもしれない
せっかく
地元に戻れるのに、
四年間待ち続けて、
あいつらとまた、いろいろバカやって、飲んで、騒いで
もっと楽しみたかったなぁ
ゴメンな
瞬、春樹
オレは、
ここまでのようだ
あの、と右隣から若い女性の声がした
大丈夫、ですか?
凄くお辛そうですが
普段なら女の子に声かけられたりなんてしたら、満面の笑みを返すところなのだが、もはや顔を腕から離すことも、何かを口に出すこともできない
唸り声のような返事をするだけで精一杯だ
車酔い、ですよね、
効くか分からないんですけど、酔い止めのおまじない、しましょうか、
知り合いに教えてもらったやつなんですが
おまじない?
んなもんで、この死の淵から逃れられるんなら苦労はない
オレの車酔いは、思い込みとか洗脳とかに分類されることになってしまう
これは病気だ
紛れもなくオレの身体を蝕んでいる
バスとかタクシーとか、とにかく人が運転する車に乗ると発動する遺伝子が、オレのDNAに組み込まれてやがるんだ
少しだけ、お顔起こせますか
後頭部に何かが触れた、優しくて柔らかな温かい指先
漢たる者、女の子に触れられて死ぬだの何だの言ってる場合ではない
渾身の力を腕と首に込める
五ミリ、位は持ち上がった、と思う、頭
眉間のあたりに同じ温かな感触
全くそれ以上は持ち上がらなかったオレの頭が、羽でも生えたかのようにふわりと持ち上がる
額に指先が触れる
それは、何か文字か記号を描くように滑らかに動いた後、スマホをタップする要領でポンと眉間を軽く弾いた
その瞬間、ぐるぐると回っていた世界が動きを止め、頭を満たしていたヘドロが蒸発するかのように、舞い上がって消えていった
全身を駆け巡っていたマグマがサラサラと小川のように流れ、じんじんと指先まで響いていた太鼓が軽やかに時を刻む
しつこいほどに食道を逆流していた下水が、清らかな水をたたえて凪いでいる
視界が開ける
淀みが消える
揺らぎが収まる
音が出るようなまばたきを数回し、この魔法が現実であることを確認する
す、すげー
ガキみたいな感想を呟く
取っ手を握る爪の先までよく見える
治った
効果絶大な魔法をかけてくれた恩人を、この時、初めて俺は直視した
良かった
彼女は、
俺が今まで出会ってきたどんな女性よりも、
美しくて優しい笑顔で
オレに微笑みかけた
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