シュセンド・13
外は雨が降りそうなぐらいに暗かった。
施設屋内から脱出した真也は森を外れて、今は使われてなさそうな井戸へと辿り着いていた。井戸は古いが空ではなく、なかに水は溜まっていた。よろよろと足がふらついていた真也は井戸に寄りかかり、休もうとまぶたを閉じかけていると、パキ、と小枝の折れた音がして耳に届いていた。
近づいてくる気配を察知して振り返ると、直人が草臥れて亡霊のように立っていた。
「成はどうしたんだ、真也? ……合流できなかったのか?」
真也は答えた。
「置いてきた……」
真也は直人に、施設内であったことを説明していった。クオリアのこと、人体実験が行われていたこと、成が連れて行かれたこと……聞いていた直人は、真也に問いを投げていた。
「成を助けに行かないのか、真也?」
真也は答えていた。
「成になんか、興味はない」
直人は最初、聞き間違えたんだと思っていた。
「成なんか、知ったことじゃない……」
2度繰り返していた言葉に、直人は腹を立てていた。真也の胸ぐらを掴み起こそうと、叫んでいた。「仲間だろう!」
「仲間……?」
意識が朦朧としているなかで真也は、直人の言い分を聞いていた。
「成は助けを待ってる……俺たちが行かないと、誰が成を助けに行く? 立て真也、立て、行くんだ!」
真也を目下に、直人は一方的な要求を突きつけていた。目を少しばかり覚ました真也は直人に食ってかかり、直人の痛い所で隠された心中を探るべく口調が荒々しくなっていた。
「なら、どうしてあんたは先に逃げた? 俺らが捕まって拷問されに連れて行かれた時、俺と始め隠れていたあんたは出ては来なかった、助けにも来なかった。助けたとしてもあんたに、何の利がある? 金でももらえるのか? 助けたら」
直人は絶句していた。
何の利があるのかなどと、考えたことがないからだった。直人は首を振りながら真也に突き返していた。
「逃げたわけではない! 機会を窺っていただけだ。3人ともに捕まってしまうより、ひとりでも自由に動ければチャンスは生まれるだろう?」
言われても真也には信じられなかった。納得できるまで、とことんと付き合うつもりだった。
「嘘だ。あんたはそう言い訳し『逃げ』ただけだ、あんたに俺たちを助けて得も利もない。下手をすれば、死ぬんだ。それとも何だ? 危険を冒してまであんたに、何か得るものがあると言うのか……!」
ぐっと喉の奥が詰まり追い込められた直人は……くるりと真也に背を向けていた。これ以上の言い合いは無意味だと、我慢ができなかった。肩を震わせ、核心突かれた心臓は鼓動を早め、……声も震わせていた。
か弱くも、絞り出された声はかろうじて聞こえていた。
「……喜びを得るのだ……」
再度その小さき叫びは、繰り返されていた。「喜びを……」直人は、故郷であるこの土地、アクラムを懐かしく思う。……
惑星アクラム、競争国家であるペリウドキングダムでは、争いが絶えなかった。各個人は尊重され、いつも争っていた。他人は敵で、所有しているものは自分だけのものだった。金さえ払えば手に入るものが圧倒的に多く、他人が幸でも不幸でも、構わなかった。
善し悪しと、勝敗に汚染された国家、何なら罰はコイン、罪の加減はカードで決定しようかと皮肉屋は笑って言っている。
深く眠りにつくことができない国だった。
幼き頃に親に寺へと預けられ鍛えられ、あまりの辛さに耐えられなく宇宙船へと幸運で乗り込み脱出に成功を遂げた直人は、未開で発展が途上のアーノルドで初めて安らぎというものを知ったのだった、そして。そこで暮らす人々の、笑いと安らぎ、コミュニケーション、繋がりというものを知った。これは、……真也が突いたように、得なのだろうか損なのだろうか……? 腹の底を巡る。
「間違ってるんだ、それが」
直人は淀んでいる雲を見つめ、恐らくは泣き疲れただろう頭のなかを、忙しく回転させて言っていた。
「物ごとを損得や善悪で決めようというのが、間違ってるんだ」
それらはどれも偏りだった――『間違いだ』と決めつけるのもまた、『間違い』だった。
「人はいずれ死ぬ。俺は死に急ぐような生き方は御免だ。急がば回れ、回り道でいい。喜びを見れるなら……見ながら、俺は……」
直人は懐から役に立ちそうもない銃を出して、固く握っていた。顔を上げて真也を見ていた。
「クオリアを……手に入れたいんだろう? あの、イカレタ女を。好きにするがいい、俺は何と言われようと成を救いに行く」
直人は自分の信念を貫くのに必死だった。言い切ったあとの面持ちは、清々しかった。その顔を見た真也はとても驚いて、今にも歩き出そうとする直人に待ったをかけたのだった。「何だ?」
「『シュセンド』は……」
変なことを聞いていた。
「?」「格好……悪いか」
きょとんと、直人は真也にそんな顔をしていた。
「何だ急にそんなことを。どう見られようが別にいいだろう」
真面目な直人、彼は打てば響き、打てば響きの素直さがあった。
「いや……今のあんたが格好いいと思っただけだ。何でか」
言われた直人は、益々、きょとんとしていた。
……
水浴を終えたクオリアは、麗しい髪を撫で上げながら、使いの者にカツラギを訊ねていた。
「先ほどの女性の方と、お戯れの最中でございます」
女中は礼をしてクオリアの背後へと歩を下げていた。クオリアはバスタオルで顔や髪を拭きながら歩いていた。
「なあんだ、遊んであげてるのか。あーあ、退屈。ねえ、お父様はどうしたの」
「明日のオークション結果を前に会合に出席なさるおつもりで、お出かけになられましたよ」
クオリアは舌を打っていた。「ああ、あれ……」
つまらなそうに言葉も選ばず適当に言っていた。
「『ラッカルド』に行ったのね」
「口をお慎み下さいませ」
女中は厳しくクオリアを諫めて、部屋で大人しくするように願い出ていた。
「そうね。外に漏れたら、面倒」
部屋へとクオリアは戻って行った。
クオリアのひとり部屋は、玩具や装飾で溢れそうだった。見るからに楽しい、見るからに綺麗、見るからに賢そうな、見るからに便利な、物があった。ほしい物は手に入っていた。
銀の懐中時計は時間を教えてくれ、映像からは民族の音楽が聞こえてきていた。筆記用具は文字を書かせてオルゴールは就寝の合図で流れていて、本は棚で並んで整列を、色褪せれば模様替えをするように言われていた。
目立たない隅には銀の器、金の匙、蠟燭立てや宝石などアンティーク関連群が無造作に並んでいた。なかでも写真立ては大事にされているのか埃もなく傷み少なく、異彩を放っていたように思われていた。
写真に入れられていたのは女性、クオリアの産みの親、今は亡き婦人だった。上品で、クオリアが成長すればきっとこのような女性になるに違いないと予想される。
「パパ、お金のことばっかりでつまんない……」
クオリアの見つめる先には鏡もあった。自分の顔が映し出されて『つまらない』顔を見ていた。
脳裏をかすめたのは、少年だった、真也だった。自分に手が伸ばされて一緒に行こうクオリア、と誘いを受けていた。ところがクオリアには見覚えがない、あの少年が誰なのか、見当がつかなかった。
「あのヒト、誰だったかなぁ……」
……
成の帰りを待ち侘びていて、サーカス『カチョウフウゲツ』の野営テントではクウマが、焚き火の傍で丸太に座りながら膝を抱えつつ小さくなり、淋しそうに尻尾を振っていた。成が去ってから数日が経つが帰ってくる様子もなく、心配だったクウマは毎晩、眠くなって限界が来るまで外で成を待っているのだった。
星々を数えたり、図を作ったり、本でお話を読んだり物語を作ったり。踊りを踊ってみたりなど、ひとり遊びが上手くなっていっていた。
「またそこで成を待っているのか、クウマ?」
テントのなかから顔を出していたのは仲間のダンだった。一番の黒髪で、男らしく頼りになるしっかり者だった。「うん……」「そうか……」
荒野の庭では、サバンナの土地でよく見られる野生動物が転々として生態系を崩さずに過ごしていた。地平まで見渡せたクウマは、はっきりとは暗くて見えないが夫婦仲良く寝ているらしい動物を飽きずに見ていた。
「捕って食われたりしてな」
「やめてよダン兄ちゃん。意地悪だなあ。あれは夫婦だから、敵じゃないよ、レンアイさ」
「成は女の子じゃないって知ってたか」
「ええ?」
ダンはクウマの隣に座り、クウマの反応を見て楽しんでいた。
「男でもないけど」
「それってどういう」
「実は俺にも成にも解っていない。でも成が、自分で自分のことを言ったんだ。姿は変えられるから、と。だからきっとだ、もし肉体が……体がなくなってしまっても、姿を変えて、成の意識はこちらへ帰ってくる。成の帰る場所は、此処でしかないんだから」
「……そうだね」
流れた星がひとつ。追いかけて、もうひとつ。
ダンの胸元には、円の中央に十字が描かれたマークの刺青があった。信者は、増え続ける。安らぎを求めて……。
……
ラッカルドでは、本会議が行われようとしていた。決して表面には出ることのない談合だった。黒のハイパースーツや黒衣、黒光りに纏った者がIDパスで集まっていた。会議の予定決定をしたのは数日前とかなりの緊急だったが、皆はラッカルドの機密性質上、仕方ないことだと容認していた。
開かれる予定地も前日告知と慌ただしい。しかし今回、会議の要ともなる人物は、欠席とのことだった。主宰を訊ねた参加者に、代理の女性が回答していた。
「竹刀様は本日、ご急用のためご欠席です。何か緊急がございましたら、わたくしが……」
代理が言い終える前に年輩の質問者は口を出していた。
「何と。では、本日集まったのには意味がないではないか」
代理は小さく折りたたんでいた書類を広げると、質問者の前で読み上げていった。
「言伝です。『サンタ、お前に委ねる』と」
たった一文だけのメッセージに、質問者は頭を抱えてしまっていた。「何ということか……全く」
久しぶりの再会だとの喜びも打ちひしがれて、大司祭サンタメリアは元気を失くしてしまいやる気さえ消えかけていた。すると代理の女性がサンタメリアを引きとめていた。
「もし可能なら、と」「竹刀がか?」「もし可能なら叶えてやってほしいと、別件がございまして言伝を預かっております」「私にか? 珍しい」
代理とのやり取りは、まだ続いていた。
「『弟がどうやらお邪魔しているようなので、助けてやってほしい』と」
サンタメリアは首を激しく傾けていた。「……“弟”?」
「『今、そっちに俺も向かっている』と」
「何い!?」
アーノルド暦93年4月某日。ラッカルドにて午後3時より本会議開始。
……
悪夢を見続けていた成は、薄ぼんやりとした視界を受け入れていっていた。
「……此処は……」
見たこともない聞いたこともない、機器の並ぶ無機質な空間だった。工作機械、輸送機械、生物機械が並び、壁には設計図が隙間へと上から上からと貼られて、その前には自動人形や信者が数名、待機していた。成が寝かされていたのは中央より若干窓寄りの黒いベッドの上で、傍らには解剖器具、スコープビジョン、心電図、酸化還元装置など、成は機械に囲まれていたのだった。床やベッドの上には、白の粉末や水滴が落ちていて成を不思議がらせていた。
「クレイスム・プルーダ、カモタ・ハップニカ」
体を起こす力が起きない成に、頭上で意味の解らない言語が聞こえた、声をかけたのはカツラギだった。
「こんにちは、“実験室”へようこそ、って言ったのさ」
それが何を意味するのか。成は寝ていた時のことは、一切覚えてはいなかった。
18時間ト47分ガ経過スル。
……
真也と直人、2人は施設内の森で息を潜めて、お互いの情報を交換し談義したあと、成の奪還を目標に侵入を決行した。真也はクオリアを連れ出したがっていたが、あのクオリアの様子では困難だと頭の片隅に置いておくことにしていた。
再出発し、迷いながらも先に覚えていた通路と互いに交換した情報によって、割と時間を短縮できたのではないかと判断できよう。
道行く途中、アユリカと出くわしていた。
「? 何だ?」
直人が行きかけたのを数歩バックすると、後方の曲がり角に隠れてじー、と直人たちの侵入を見つめているアユリカが1機いた。だが、じー、と見ているだけで、特別何もしてはこないようだった。疑問に思った直人だったが、まあいい、害はないだろうと先を急いで行った、すると。
前方に現れたのは自動人形[アプリカ]、顔面部分に備えつけられていた一眼レフが、2人を捉えていた。そしてしなやかに間接を精巧に曲げて、両腕が上がっていった。
言葉は発しないが、口に似せた穴は言葉を発音しようとしているようだった。口唇を読めば、こう言っていた。
あやしい はっけん
……敵意があった、それは言葉が理解できずとも空気で充分に読むことができていた。
上がった両腕の先には、手首を取って空洞ができていた。おおよそ見当がつくが、この穴からミサイルが飛んでくるに違いなかった。
「伏せろ、真也!」
前方ばかりを見ていた真也に背後から押して覆い被さる直人だったが、伏せた上に砲弾が直進で飛んできて、それは……。
アプリカに当たったのだった。砲弾を放ったのは、アプリカではなく、アユリカの方だった。
『ガ……ガガ……ガ……』
砲弾の命中したアプリカは、破壊されてしまった。大きく窪んだ胸は全身のバランスを崩して滅びるしかなかった、かつて芸術と呼ばれたほどの精巧、緻密さを求められて君臨していた機械仕掛けの人形は、脆くも玉砕して時の終焉を迎えるに至っていた。
何故、機械が機械を、と、直人はアユリカに注目していた。アユリカは恥ずかしがっているのか、曲がり角の陰にいて出てこようとはしなかった。
「……ありがとう」
直人が礼を言っておくと、球体の触手が伸びて手を振っていた。言葉は通じていた。
直人たちが去ったあと、アプリカの残骸を前にしてアユリカは、こんなことを思っていた。
ホロベ ア プ リ カ。
機械の世界にも、権力交代の時期が近づいていた。