終わった?
居合術でマザーの首を斬った後、首を丸めて背中から落ちるところを空河内先輩がキャッチしてくれた。
「ありがとうございます」
お礼の言葉には反応せず、死にものぐるいでトタトタ走り出した。
こんな真剣な顔するんだ…。
私の攻撃が通ったのを見て勇み立った二班が突撃しようとしていたので、声を張り上げた。
「馬鹿退け!追い詰められたマザーは全方位攻撃をするぞ!」
二班は慌てて蜘蛛の子を散らす様に撤退する。
鈴鉄先輩が隣に並んだ。
「爆発しねぇな。で、こっからどうするんだ」
「今の攻撃が通ったのは熱を使わなかったからです。恐らくマザーは熱を感知する能力が長けている反面、それ以外の攻撃に対しては無力です」
「でもそんな…どうして?」
何故。正確にはわからないけど、仮説ならある。
「多分、ロボットへの反乱を防ぐ為でしょう」
「なるほど。じゃあ...」
「はい。熱を使わずに攻めます。反撃に気を付けつつ、一度に戦うのは二人まで。長期戦にして少しでも体力を奪います。三班は外の残骸からまだ使える武器を回収してきて下さい」
「わかった。じゃあまず私が行く」
一番手を名乗り出る鈴鉄先輩。
まあ、放っておけないよね。
「なら、私といきましょう」
と言うと、鈴鉄先輩は目を見開いた。
「お前、その足でか!無理すんな!」
「安心して下さい。空河内先輩が私の足となります」
「おう!我に任せろ!」
自信満々の空河内先輩におんぶしてもらった。
「よし、行くぞー!」
同時に走り出したのに、鈴鉄先輩がぐんぐん離れていく。
「空河内先輩、もっと速く!」
「我、全力!」
トタトタ歩いてるだけなんだよなぁ。何でこんなに体力ないのよ。
「あ!」
モタモタしたせいで他の娘が戦闘に参加していた。鈴鉄先輩がマザーを殴り、反撃のタイミングで背後から殴り掛かる。鈴鉄先輩は殴られて吹っ飛んだが、後ろの娘は上手く逃げていた。倒れた鈴鉄先輩は仰向けのまま手を振っている。その手は震えていて、相当なダメージを受けたことが容易に想像出来た。
「次!誰か!」
助かった娘が叫び、別の娘が前に出た。
「まずいですよ!急がないと!」
「やっておる!うおお!」
うーん。若干速くなったけど…。いや、私の声援が足りないのかも知れない。
「よーし!イケイケドンドンだ!」
「ドンドン!」
和気あいあいとしていると、すぐ横を殴られて飛ばされた娘が通過していった。
「...」
「...」
空河内先輩は真剣に走った。マザーはもうすぐだ。
マザーに拳を当てて回避した娘が次の相方を探してキョロキョロしているのと目が合った。
「我!」
「次、行きます!」
彼女は無言のまま頷いた。
居合術では空河内先輩の頭を掠めそうなので先に刀を抜いた。
トタトタとマザーの背後に回る。それに合わせて相方はマザーを挟み込む様に移動した。
「よし、行きます!」
私の合図で空河内先輩がマザーに向かって走り出した。どう斬ろうかと考えていると空河内先輩が、
「左にいくぞ!」
と言ってきた。
私は何も考えずに
「はい!」
と答えたが、急に左足がズキズキと痛み出した。まるで、仕返しに左足を狙えと言っているみたいだ。
…片足を潰して機動力を削ぐか。
マザーの左側を走り抜ける際に左膝の裏側、鎧の隙間を狙って刀を振るった。
「えいっ!」
【紫電一閃】!
刃は鎧の隙間を縫い、左膝の裏を斬り裂いた。プシュッと噴き出した血を見て確かな手応えを感じた。
この時、前から来て後ろに逃げた様に偽造する為、斬撃は入りを深くして抜きを浅くしたのだが、それが功を奏した。背後からの奇襲にマザーは上半身を捻って右拳を後ろに振り回したが、空振りに終わる。もし左拳だったなら死んでいたかも。
そこへ、突進してきた相方が正面から胴を殴った。マザーの腰から鈍い音がしたが、すぐさま反撃して正面の娘を殴り飛ばした。
「空河内先輩、もう一周!」
「任しとき!」
Uターンしてマザーに向かう。
そして。
「たあっ!」
【紫電一閃】!
斬ったばかりの傷を上からなぞる。マザーがぐらっと揺れ、左の膝をついた。
「よしいける!確実に弱ってる!」
しかし少し進んだところで、私も大きく揺れて前に倒れた。空河内先輩が倒れたからだ。
「いてて。大丈夫ですか!」
「我、限界」
「後は任せて下さい」
バタンキューの空河内先輩の上からどいて一人で立った。空河内先輩は顔をこちらに向けた。
「我、役に立ったか?」
「はい。空河内先輩が皆の心を動かしました」
「へへっ」
空河内先輩は仰向けになってニッコニコで手を挙げた。私がタッチしようと手を伸ばしたら、先に別の手がタッチした。
鈴鉄先輩だった。
「後は私に任せて下さい」
と私をおぶったはいいが、「いてて」と声を洩らしたので心配になった。
「まだ戦えるんですか?」
さっきマザーにぶっ飛ばされたばかりだ。無理をしているのは明らか。なのに弱音を吐かずに、
「お前が言うか」
と無理に笑って駆け出した。空河内先輩より全然速いし、ちゃんと走れている。
これぐらいが丁度いい。風を切るこの感じ、威力も乗りそうだ。
「次で足斬り落としてやれ!」
「頑張ります!」
左足を後ろから狙える位置まで運んでくれたので、刀を右に振りかぶってから全力で振った。
「【紫電一閃】!」
再三にわたり左脚の膝の裏を斬った。初めて骨を断つ手応えを感じたものの、足はまだ繋がっている。
斬り損ねたか!
直後、視界がぐにゃりと歪んだ。
一瞬遅れて、光が世界を塗り潰した。ペンキのバケツの中に顔を突っ込んだみたいな、真っ白な世界。
マザーが、炸裂した。
光ったと感じた次の瞬間には、私は地面を転がっていた。砂埃が立ち込めて状況が掴めない。
「けほっ!けほ!」
喉が痛い。体はもっと痛い。どうなってる。私は助かったのか?
次第に砂埃が晴れて、周囲の状況が見えてきた。
控えていた娘も含め、二班の全員がマザーを爆心地に蹴散らされていた。多少離れていた程度では無意味だったらしい。
では、何故至近距離にいた私が助かったのだろう。
その答えはすぐ目の前にあった。私の上に覆い被さる鈴鉄先輩。体中から血を流している。
「先輩...」
喉が痛くて上手く声が出ない。
「まだ…生きてるよ」
彼女の口がゆっくりと動いた。
「良かった」
「けど、もう動けそうにない。すまん」
歯軋りしながら涙を流す。
謝る必要なんか無いのにと、その涙を指でそっと拭う。
「絶対に勝ちます」
立ち上がったところへ、外へ出ていた三班が続々と戻ってきた。惨状を目の当たりにして呆然としている。
どう声を掛けたものか。
と。
「三班!聞け!」
空河内先輩の凛とした声が響き渡った。全員の目が空河内先輩に集まる。
「もう戦う力が無いと恥じる必要は無い!今この戦場に必要なのは我らの力だ!我らこそがマザーの天敵!武器を持て!戦うぞ!」
空河内先輩に発破をかけられた三班の娘達が【黒飛竜】から奪ったであろうガトリングをマザーに向けた。
私は下唇をキュッと噛み締めた。
「空河内先輩...」
ガガガガガ!
銃弾の雨がマザーを襲った。殆どは鎧に当たって弾かれたが何発かは首の露出部に命中し、血渋きが飛んだ。
そして、怯むことなくすぐに反撃せんと空河内先輩の方へ直進した。
させない!
右足一本で地面を蹴って直進するとガトリングを止めてくれたので、二人の間に割って入ることが出来た。
「ナイス!」
マザーの動きが直線的になっている。これなら簡単に見切れる。
「【紫電一閃-雲-】」
頭を空にして反射のみで繰り出すカウンター技。この技の最中は熱コントロールを使えない欠点があり封印していたが、マザー相手なら関係無い。
体が勝手に動いてマザーを二回斬り付けた後、勢い余ってそのまま地面にずっこけた。右足一本では着地もままならない。
マザーが闇雲に腕を振り回している。空河内先輩はそれを掻い潜って私の両手を引っ張って地面を引き摺りながら離れる。
「何をやっておる。敵の目の前で寝てる場合か」
「ははっ。空河内先輩の手を借りてみたくなったんです」
ゴン!
近くに鉄の塊が飛んできた。
「な、なんじゃ!」
空河内先輩が辺りを見回し、その正体を見付けた。
「二人が離れるまでマザーの気を引け!手当たり次第にそこらのスクラップでも投げろ!誰か一人に気を引かせるな!常に何かをぶつけろ!」
三班が一丸となって物を投げている。銃で撃つとマザーが一瞬でやってくるからだろう。下手な投擲で正確な距離を掴ませないつもりか。
狙い通り、マザーはターゲットを定められずにいた。私達は狼狽えるマザーから徐々に離れていく。
「何かいいですねこういうの」
胸に熱いものが込み上げる。
「うむ。ありがたいの」
普段は元気溌剌な彼女も、今だけは湿っぽくなっていた。
十分な距離を取ってから、
「もう一回行きます!」
と宣言した。
私もとっくに限界だけど、甘えていられない。
私が前に立ち刀を構え、空河内先輩が後ろでガトリングの照準を合わせた。
「空河内先輩。私、チームを組んだのが御二人で本当に良かったと思ってます。最弱チームの意地、見せてやりましょう」
「あたり前川さん。よし!投擲中止!いくぞー!」
三班が投げるのを止めた。
空河内先輩は大きく深呼吸してからガトリングを発射した。
ガガガ!
最初の銃弾が首回りの鎧に当たって弾かれた瞬間、マザーは左手で首をガードした。そして、即座に反撃に出た。空河内先輩目掛けて疾走する。
だが、彼女の前に私が控えていることをマザーは知らない。私の前まで肉薄し、空河内先輩に向けて右手を伸ばした。
今だ!
【紫電一閃-雲-】。
すれ違いざまに屈んで流れる様に一振りした瞬間、左足に強烈な痛みが走った。無意識に反撃するのが仇となり、怪我をした左足に負荷を掛けてしまった。
「うっ!」
痛みで身を引いてしまい、斬撃は首を浅く斬っただけで終わった。本来なら続けて連撃を放つのだが、それも出せなかった。
「ハッ!」
しまったと思った時には後ろに振り回したマザーの右腕が迫っていた。
駄目だ、かわせない。
ならばともう一度【-雲-】を使おうとした時、左足に弾ける様な強烈な痛みが走った。
「クアッ!」
やば!死ぬ!
頭が真っ白になった。
その時。
右後ろから飛び出した鉄腕が私の胴体を掴んで後ろに倒し、危機を逃れた。
一体誰が。
その疑問を口にする前に、視界の右側にその答は現れた。
私を押し倒してマザーに背を向けた体勢から左足の回し蹴りをマザーの顎に放った。
マザーの体が浮いて左半身から崩れる様に倒れた。
「うっし」
と小さく喜んだその娘は。
「え!?師匠!」
マザー参との戦いで負傷し、戦線から離脱していた師匠だった。
私を見て、
「よく耐えた!」
と称賛してくれたが、背中の火傷を隠す様に包帯をぐるぐる巻きにした痛々しい姿を見てたじろいだ。
これは絶対安静にしなきゃいけない怪我だ。
「医者には止められたけどよ、これが最後の戦いなんだから気張らなきゃいけねぇよな!それに...カッカッカッ!」
「し、師匠?」
変な笑い方しないで。
「鬼みてーに強かった先輩達がどんな顔でくたばってんのか、この目に焼き付けねーとな!カッカッカッ!」
大きく笑う師匠を見てドン引きしたが、すぐに戦いの最中であることを思い出した。
「そんなことより、早くマザーを倒して下さい!」
師匠の笑いが消えた。
「...絶対に勝つ」
師匠がマザーの方に体を向けたので背中が目に入る。包帯が血で滲んでいた。
「師匠...」
死んでしまうのではないか、という不安が胸一杯に広がった。
それを見抜いたのか、師匠は優しい声を出した。
「そんな不安そうな顔するな。マザーも虫の息だ。やれるさ」
「やっぱり二人で...」
師匠は勢いよく飛び出した。
「空河内先輩!援護射撃お願いします!」
「了解!」
空河内先輩がガトリングをマザーに向けた。
いや駄目だ!私もこうしてはいられない!左足が使えないなら左足を使わずに斬る!
刀を納めて両手を地面につき、腕のバネと右足で強く地面を蹴って高く跳んで上から間合いを詰めた。
地上からは師匠と空河内先輩。上から私が攻撃を仕掛ける。
先に間合いに入った師匠は、そのまま右脚で飛び膝蹴りをマザーの顔面に浴びせた。
そして、マザーの両手に捕まる前に左足を首の後ろから回し込んで挟み、左に傾けた全身を捻ってマザーを後ろに浮かせた。
このまま頭を地面に叩き...。
だが、マザーは体を丸めて右足を師匠の首を引っかけた。
「ぐ...」
師匠の顔が苦痛で歪む。
まずい!返し技だ!
体勢がひっくり返り、マザーが上になって師匠の頭を地面に叩き付ける構図になった。
駄目だ!遠い!間に合わない!師匠...。
ガガガガガ!
後ろから放たれたガトリングの弾の幾つが左膝の裏に命中。マザーの体勢を崩し、師匠の窮地を救った。
ありがとうございます空河内先輩。
マザーと師匠は情けない格好で地面に落ちた。
「助太刀します!」
師匠はキュッと口の端を噛んでから、
「スマン!頼む!」
と私に助けを求めた。
思わず口元が緩む。
今日はいい日だ。私の前で弱みを見せたことの無かった師匠が、遂に頼ってくれる日がきたのだから。
差し出される形で目の前にあった首に狙いを定める。そして、柄を握り締め十八番の居合術を放った。
【紫電一閃】!
が。
マザーはここにきて超人的な反応を見せた。刃が首に刺さった瞬間に首を大きくずらして空振りさせた。
は!?化け物め!
間髪入れずに私に向かって左腕を振るったのを師匠がタックルで受け止めた。その瞬間からジュワァと鉄板の上で肉の焼ける音が聞こえ始めた。
右足一本で着地してバネを使うも、左足に鋭い痛みが走った。
「もう一回だ!今度は腕か足を狙え!一本でも失えばかなり楽になる!」
そうだ。休む暇は無い。師匠は体を焼かれながらも、私を信じて痛みを我慢している。溢れる感情を押し殺して言うことをきいた。
「はい!」
素早く納刀し、師匠が受け止めている左腕の付け根に狙いを定めた。深く深呼吸していつもの感覚を思い出す。
そして。
【紫電一閃】!
抜刀と同時に、師匠は右足をマザーの左足に絡めて逃げられなくした。焼ける音が大きくなる。
「決めろ!」
「はいッ!」
脇の下から斬り上げる。肉を裂いて血が噴き出した。しかし、腕を半分切り裂いたところで、止まった。ぎっちりと詰まったカチカチの筋肉に押し返される。
押し返されて堪るか!師匠は命懸けでこのチャンスを作ってくれてんだぞ!死んでも斬る!斬り落とす!
痛む左足で地面踏み、左拳を振りかぶった。
【-鬼-】!
アッパーで峰を殴って刀を食い込ませる。十発、二十発と撃ち込み、徐々に刃が進んでいく。マザーの腕が斬れるのが先か、私の足が駄目になるのが先か、根比べだ。殴る度に刃に血が伝わる。
と。
マザーの右腕が動いた。握り拳が私を狙う。
くそ!このペースなら腕を斬り落とす前に私がやられる!
「ったく、最後まで世話の焼ける弟子だな」
師匠の左足が峰を蹴り上げた。ズバッと刀が上へ突き抜けると、胴体から切り離された左腕が落ちた。
けど、全く喜ぶ余裕が無い。マザーは一瞬体勢を崩したものの、右拳を止めなかった。迫りくる拳を見て、死んだと思った。
が。
その拳の前に師匠が割り込んだ。
ドンッ!と大砲みたいな音が轟いて、空気が大きく震えた。師匠の体からピキッと骨が折れる音がした。
「ぐぁ!」
師匠が後ろへ吹っ飛んでいく。
師匠!
振り向こうとしたのをぐっと堪えた。師匠なら、自分よりもマザー討伐を優先する筈だ。だから、私がすべきはこいつの首を斬ることだ。無防備な今!
「うわぁぁぁ!」
刀を鞘に戻し、首を狙って居合術を放った。
その時。
ドンッ!
何の予兆も無しに、突然マザーが内側から爆発した。凄まじい熱と血や肉が焦げる臭いが爆風となって襲い掛かる。
「ううっ」
右足一本では支え切れず、後ろへ転がされる。
追撃がくると思ってしゃがんだ姿勢のまま刀を前に構えたが、マザーは血を吐いてのたうち回っている。
マザーが攻撃を受けた?一体誰から?
様子を窺っていると、私の後ろの瓦礫の中から一人飛び出した。私の隣を抜けてマザーへ向かっていく。その後ろ姿を見て目玉が飛び出た。その娘は師匠でも深流先輩でもママでも、ましてや惚莇さんでもなかった。
「下拵えは終わった!幕を下ろすぞ癒論!」
そう言ったのは、生ける伝説の茶黄さんだった。ハイになっているのか、楽しそうだった。
「ちゃ、茶黄さん!」
「私が隙を作る!確実に首を落とせ!」
茶黄さんの出血は誰よりも酷く、動いているのが奇跡に思えたし、左腕はだらんと垂れ下がっていた。
是非もない。
「はい!ご武運を!」
茶黄さんの右肩が僅かに上がった。
そして、のたうつマザーの顔面に強烈なストレートをお見舞いした。その瞬間、茶黄さんの鉄拳がピカッと光った。
あれは深流先輩と同じ思考の瞬発力を極めた技!
パンチと爆風でマザーの上半身はU字に曲がったが、そこから上半身のバネで起き上がりざまに鉄拳を放つ。それから二人は殆ど目に見えない速度で鉄拳の応酬を始めた。衝撃波が周囲を砕き、熱風が吹き荒れた。
茶黄さんがマザーを引き付けている今が好機。
右足を曲げて前へ屈み、一気に地面を蹴って死地へ向かった。
と。
何者かが左側から私の左腕を持ち上げて腕を回してきた。
「私が足になる」
鼻先をふわりと靡いた桃色の髪がくすぐる。
横を見ると惚莇さんがいた。
「どれくらい持ちそうですか」
「片道切符だね」
惚莇さんは優しく答えた。
「しくじったらあの世で打ち上げですね」
冗談でそう言うと、惚莇さんは無表情でつーと涙を流した。
私はマザーに目を向けた。
マザーの位置を見ながらこちらの踏み込むスポットを微調整しなければ。
「み」
右へと言う前に右へ動いていた。そして、今度は左へ。
以心伝心。
私達の到着に合わせ、茶黄さんは【愚人稽古】で分身を生み出して左右からマザーを挟み撃ちにした。マザーの位置が固定される。
跳ぼうと思った瞬間に惚莇さんは跳んだ。しかも、首を狙いやすい絶妙な高さ。
「【紫電一閃】...」
柄に手をかけたその瞬間、マザーは茶黄さんを弾き飛ばしてこちらを見た。
「嘘っ!」
惚莇さんの顔に焦りが生まれた。感知されないという余裕が消え、恐怖で一瞬体が強張った。
やばい、これ死んだ。
そう思った瞬間、惚莇さんの言葉が甦った。
「何で初見の技に対応出来るんですか!」
「愛だよ。愛」
愛。
それは私が母から貰えなかったもの。生まれてから一度も母に抱かれた記憶は無く、甘えたことも無い。顔も名前も何も知らない。いや、知ろうとしなかった。私は母を不要なものだと決めつけていた。
とんでもない親不孝者だ。
「私達のこと一杯教えてあげる!だからお母さん達のことをもっと教えてよ!」
知りたい!もっと!生き残る為に!
心の底から強く願うと、ヒュオォという風の音が大音量で耳を支配した。それが何の音かを考えるより先に、マザーから出る熱が色を帯び、肉体を包む様に流れる風がハッキリと視えた。
直後、閃いた。
相手の熱と風が見えていれば逆手に取れるのではないか。
とその時、マザーの右拳が私達に向かって飛んできた。風は拳から渦を巻いて胴に流れている。
ここだっ!
私はすかさず刀を投げた。
惚莇さんが「えっ」と声を漏らした。
「大丈夫」
私がそう言うと、彼女の顔から不安が消えた。
拳に直撃した刃はマザーが生み出す風に乗ってヒュンヒュンと音を立てながら、腕の上で渦を描いて腕の付け根に流れていく。
「今までありがとうマザー」
暴れる刃は肩の上に水平に乗り上げ、後ろから首を斬る。そして、スパンと斬り落とした。
頭を失った体が傾き始め、拳は空を切った。重力に従い落下していた私達はそのままマザーのすぐ後ろに着地することになるが、私は着地の前にマザーの肩の上でくるくる回り続ける刀を捕まえた。
「【紫電一閃-一陽来復-】」
惚莇さんに支えられ無事に着地した。
タッタッタッと足音が聞こえたので私達は顔だけ振り返った。
茶黄さんが駆けてきて、倒れるマザーを正面から抱き締めた。そして、人目も憚らずに大きな声で泣いた。
「お母さんっ、お母さんっ!」
茶黄さんの叫びが室内に木霊し、私達の胸を抉る。
「お母さんっ…」
マザーの背中に回していた指に力が入り、鎧に痕を残した。
暫くの間、この場にいた全員が時が止まった様に動けなかった。茶黄さん以外涙を流すものはおらず、茫然自失した。