ごめんね泣かないで
状況は最悪だ。癒論は惚莇のミンサーの中。惚莇と戦っていた筈のラミィの姿が見えない。二人共やられた。
残ったのは僕と遮音、それに受験生が一人。ミンサーの中から刃を突き立てる音が聞こえてくるが、芳しい成果は得られない。
こりゃどうしようもねえっすわ。逃げましょ。
「やめろー!癒論先輩を返せ!」
遮音がそう言うと、惚莇は意外そうな顔をした。
「私に意見するの?」
死んだ魚の様な目で圧をかけてくる。
「そうよ!殺す動機が無いでしょう!」
いや、悪事を暴いた時点で殺されてもおかしくねーだろ。現行犯で捕まえるって言ったんだし。
「私より胸が大きい。こいつが消えれば巨乳ランキングで一つ前に出られる」
よし!やれ!これで僕も...。
「小さいもんは小さいままやろ」
巨乳の遮音が言い切った。
ぐはっ!
あ、危ない。言葉の槍が胸を貫いた。僕はまだ成長期だから我慢出来たけど、成人だったら我慢出来なかった。
ん。
目の前に血涙の滝を流しながら吐血する女がいた。
「コロスコロスコロスコロス」
怖。ホラーじゃん。
「二人は先に逃げて。こいつはママに」
遮音が言い終わる前に僕の真横を物凄い速さで何かが通過した。
それと関係があるかわからないけど、目の前から遮音がいなくなった。
え?何処行ったの遮音。
「さ、いこうか」
逝く?ああ、次は僕の番か。
しかし、惚莇が見ていたのは僕ではなかった。その目が捉えていたのはもう一人の受験生。思えば、最初からあの娘を狙っていた。
止める、その選択肢は僕には無い。逃げるのも無理だろう。気に障らない様に何もしないだけだ。
そう結論を出した。
なのに。
「ねぇ」
僕は話し掛けていた。
「ん?どうしたの?」
「どうしてすぐに癒論さんを殺さないんですか?」
パッと思い付いた疑問を口にした。少しでも時間を稼ぐ為に。
「肉の処理には時間も道具も必要だからねー。なになに?鉄腕娘々の解体を見学したいの?」
「違います。どちらかと言うと、見逃してあげて欲しいと思っています。代わりに何かを差し出したりは出来ないけど、頭を下げることしか出来ないけど、どうか、誰も殺さないで下さい」
僕は、深々と頭を下げた。僕はお願いしか出来ない。意見を通せるのは戦って勝った者だけだ。
少しの間、静かな時間が流れた。
そして。
「変わってるね。嫌いじゃないよ、そういうの」
鉄腕を一振り。
「へぶっ!」
癒論が地面を転がっていた。
「...どうして」
僕は顔を上げて惚莇の顔を見た。
「この感情を言葉にするのは難しい」
背中を向け、受験生の方へ進んでいく。
癒論が直ぐ様追い掛けようとしたので、
「駄目だよ!勝てないよ!」
左手を引っ張り、必死に止めた。
癒論はその手に優しく右手を置いて真っ直ぐに僕の目を見た。
「私はあの娘を助けたい。この気持ちは仕事でも使命感でもなくて、私がやりたいからなんだ。だから、行かせて欲しい。戦いは勝敗よりもやるかやらないかなんだよ」
そっか...そう、なんだね。
手を放すと、矢の如く敵へ向かっていった。
その時。
「上ぇぇぇ!」
上からラミィの声が響いた。
癒論から笑みが漏れた。そして、
「下ぁぁぁ!」
と応じた。
抜刀して刀を振り回すと無数の稲妻が走り、空気が歪んだ。そして、再び納刀して腰を落とした。
惚莇も軽く腰を落とした。
「【紫電一閃】...」
癒論の姿が消えた。
次の瞬間、惚莇の手前で刀を振り抜いていた。
「【-層-】!」
横一閃。
びゅお!と大気が唸り、裂けた。
一瞬遅れて、鎌風が奥の木々を両断した。
でも、肝心の惚莇の姿が見えない。何処だ。
ハッ!
地面に映った影に気付いた。
上だ!上にジャンプしてかわしたんだ!
上を見上げると、上から鉄拳を振りかぶったラミィが惚莇目掛けて落ちてくるところだった。全身血塗れだ。いかに激戦を繰り広げたのか見ればわかる。
と。
そこで目を疑う光景を目にした。
ラミィの周囲に何十もの人影が見えた。それは辛うじてラミィの姿に見えるモヤの様なもの。その正体を考える暇も無く二人はぶつかる。
「落ちろォ!」
無数のラミィが一斉に拳を放った。
惚莇は心底愉快そうに笑った。
「劣化版だね!茶黄さんのとは雲泥の差だ!こんなもんが私に通用すると思うなよ!正面から受け止めてやる!」
二人の鉄拳が激しくぶつかった瞬間、惚莇の側から爆炎が飛び出してラミィとラミィもどきを包み込んだ。
「アッチィ!」
炎が消えた後に残ったのはラミィ本人だけで、ラミィもどきは消えていた。二人の鉄腕は鍔迫り合いを続けており、その周辺は熱したフライパンの上みたいに空気が歪んで見えた。
「チャキッてるね!」
「チャキるのはこっからだ!」
ラミィが笑みを浮かべ、惚莇から笑顔が消えた。
「っ!」
「【紫電一閃】...」
地面にいた癒論は右足を軸にして半回転しながら、振り抜いた刀を鞘に納めた。
そして。
「【-蓮-】!」
その場で数センチだけ刀を抜いた。その瞬間、周囲の空気が一気に刃に収斂し、空気が歪んでいく。
くる!さっきと同じ技だ!
一気に抜刀して斬り上げた。
すると刀身から天へ向かって見えない風の刃が伸びた。
惚莇はそれを両足で受け止める。
上からはラミィ、下からは癒論に挟まれて手足がくの字に曲がっていく。
「ウオオオ!!」
ラミィの血管がハッキリと浮き上がった。
上からの力が強くなり、惚莇は下へと下がる。
その時、癒論は跳んだ。刃を直接足に当て、素手で殴って強引に押し込む。
「【-鬼-】ィィィ!!」
台風の目みたいに、三人を中心に暴風が吹き荒れる。熱風が僕の顔を何度も撫で、木々が大きく揺らめいている。
上下の力が拮抗して、三人はその場に留まった。
「クソカスゥゥゥ!!」
叫んだ。
そして、あの惚莇が、唇を噛み締めた。
けど、まだ勝てない。少しずつではあるけど、惚莇が押し返している。誰かが手を貸してやらないと。
でも、誰が。
自分の鉄腕に目が奪われた。この中には銃がある。
やるしかない、僕が。
鉄腕を開けて銃を抜いた。
この状況を動かせるのは僕だけであり、僕はレジスタンスとしてこの試験をパスして鉄腕娘々に潜入する必要がある。そして、あそこにいるのは人間を殺しても何も感じない冷徹な人間もどき、鉄腕娘々だ。
やれ!やるんだ!心を鬼にしろ!
銃を構え、銃口を三人に向けた。
狙いは惚莇だけにしたいが、生憎これは散弾銃だ。それに、あの三人の誰かが消えれば、僕の仕事は充分と言えよう。撃たない理由が無い。
やれ!やれ!やれ!
引き金に指をかけた。
その時。
「駄目ーッ!」
何かが突然飛び出してきた。
それに驚いて、引き金を引いてしまった。
僕の目の前で、彼女は、大嫌いだった人間もどきはぐちゃぐちゃに弾けて動かなくなった。血の池の中で無言で寝ている。
「え?」
鉄腕娘々。受験生。名前は知らない。でも、生きていた。確かに、生き物だった。だって、血が流れているんだから。
それを僕は、殺してしまったのか?命を奪ってしまったのか?嘘だ嘘だ嘘だ。
「嘘だろ?だってお前ら冗談みたいに強いじゃん」
そんなに血を流して驚かそうとしてんのか?だったら悪趣味だぞ。なあ、顔がぐちゃぐちゃになっても何か話せるだろ?大丈夫だって言ってよ。ほんとに死んじゃったの?
ねぇ。
やめてよ。
忌むべき鉄腕娘々を殺したその日、僕の目から涙が止まらなかった。