0812
ネオン。ネオン。ネオン。
見渡す限りのネオンに彩られた歓楽街を一人の女性が疾走していた。紫を基調としたショートボブに、黄緑のメッシュが入った若い女だ。
「まーた脱走しちゃったのかー。最近多いなー」
彼女は普通の人間じゃない。その右腕は自身とほぼ同じ大きさを誇る巨大な鉄腕。流れ行くネオンに照らされる度に鈍く光る。
そして、彼女の足下には直径三十センチ程のどら焼き型の飛行物体。通称【どらやき】。これに膝を曲げて乗り、飛行している。
「ま、鉄腕娘々の仕事なんてこれぐらいしか無いし金の為に頑張りまっしょい!」
意味も無くすれ違いざまに看板を叩きながら邁進する。
「あ、そうだ」
何かを思い出して電話を掛ける。
「もしもし」
不機嫌な若い女が電話に出た。
「邪布た~ん。新しい仕事来たお。おっさん二匹捕まえればいいんだって。手伝って~」
「ハァ?今日は仕事だって言っただろ!それぐらい一人でやれよ!」
「じゃ、邪布たんが怒鳴った...。この楽阿弥に向かって...」
「もーーー。めんどくせぇなメンヘラババア!仕事中だから切るぞ!」
「あ、晩御飯は一緒にラーメン行こうね」
「あいよ!」
通話が切れた。
「何だよ~。ババアは言い過ぎだろ。ババアは。まだピチピチの...」
言いかけて、止まる。
ラミィの愛称で親しまれる彼女は近所にアイスを買いに出たところだったので、部屋着の熊さんのババシャツに茶色の半ズボンという女子力皆無の姿だった。
普通に選んだ服でさえババアコーデなどと邪布に酷評されるのだが、今日はそれ以上にやばい格好で外を走り回っている。もはやババアを通り越して生きた化石だ。
「ええい。お洒落より実用性よ」
頭を左右に振り、雑念は頭から抜いた。
コンタクトレンズのモニターを通してターゲットの距離も姿も視野に入っているので、近付くにつれてスピードを落として音を殺して移動する。
路地裏に入り、ターゲットを直接眼球で捉えた。
「見つけた」
ジーパンによれよれのシャツの見窄らしい二人組の若い男だった。周囲に警戒しつつ早歩きしている二人の真上に位置取る。
「あらよっと」
空中で一回転し、重力に任せて飛び降りた。空中で円を描いて一回転した【どら焼き】は鉄腕の窪みに収まった。
虚空を蹴って加速しながら、高さ十五メートルから一直線に落ちる。その速さはまるで稲妻。僅か十五メートルなど瞬間移動に等しい。そして、着地は猫の様に静かに、何事も無かったかの様な軽やかさだった。
着地の直前に一振りされた彼女の金属の手には、二人の男がしっかりと掴まれていた。
「ハッハッハッ!これで邪布たんにラーメン奢れるぞー!」
「何だこいつ!ロボットじゃないのか!?」
「人間か!?なぁ頼む!助けてくれ!」
ラミィの耳がピクリと跳ねた。
「人間?」
声が一気に冷たくなった。
「一緒にすんなよ。私は誉れ高き鉄腕娘々だぞ。命までは奪わないから安心しな」
カンカンッという音を耳にして鉄腕をチラッと見ると、細長い卵みたいな物が赤く点滅していた。
「ちょっ!!ば、爆弾!?やられち」
言うが先か、爆炎がラミィを呑み込んだ。瞬間、ラミィは鉄腕を炎から遠ざけつつ、自らは炎の中で軽く跳ねた。一瞬遅れてやってきた爆風がラミィを弾く。派手に壁面にぶつけられた拍子に手が緩んで解放された男二人は走って逃げだした。
「いちち...」
お星様が飛んでいるところへ複数の足音が近付いてきた。視界がぼやけていることに気付き、ラミィは慌ててモニターにエッチな画像を映した。
「うほっ!」
目が見開く。ピントが合ったので画像を消して急いで前方を確認した。やって来たのは全身武装の人間の集団。その手には銃が握られている。
「あん!ヤバイ!屈強な男共に酷いことされるぅー!AV撮られるぅー!」
寝そべりながら左手で胸を隠した。
「...」
集団は銃口を向けたまま何も言わず、青年二人を保護して静かに離れていった。
誰もいなくなった路地裏でラミィは叫ぶ。
「何でや!胸ぐらい揉んでいけよ!こちとら巨乳ぞ!」
一人で乳を揉んでいると、
「ラミィ先輩お先失礼します」
「足引っ張んなババア」
「独身。ぷぷっ」
後進が三人、頭上を颯爽と駆け抜けた。
「白、青縞、赤か。若いな...」
新しい時代の風を感じながら、ラミィはネオン街へと溶けていった。
「豚骨ラーメンチャーシュー大盛り山盛りてんこ盛りで!ライスは大!」
「デブかよ。あ、僕は塩ラーメンで」
ラミィの隣に座っているのは邪布。左腕が鉄腕だが、ラミィのと違いかなり小さい。生身の腕の倍くらいの太さだ。髪は黄緑のミディアムロングヘアー。童顔のせいか背が低いせいか、幼く見える。
「デブじゃないもん。栄養は全部おっぱいにいくから」
ラミィは自分のおっぱいを揉み揉みして見せた。しかし、邪布にはそれが出来ない。彼女の胸は表面張力で盛り上がったコップの水程度なのだ。
「ふざけんな!垂れろ!オラ!」
ラミィのおっぱいを右手でガッと掴んだ。
「引っ張るな引っ張るな。嫉妬は見苦しいでちゅよ~」
「はぁ?引きちぎるぞ!」
「今日も元気だな。仕事はどうだ」
と、人型ロボットの店主が会話に参戦した。一応人型に分類されるものの、体型はゴリラの方が近い。
「からっきし駄目。今日も逃げられちゃった~。もう歳なのかも。あんまやる気になれないんだよね~」
邪布は口を一文字に結び、静かにおっぱいから手を離した。
「前はトップアイドルだったのにな」
ラミィはどかっと座り、天井を見詰めて薄く息を吐いた。
「やめてよ。若い頃なんて誰しもが黒歴史でしょ。愚者は過去を語り賢者は過去を騙る、って奴じゃん」
と、茶化して言う。
「初耳だな」
「先輩の口癖。って、白けちゃったじゃん!つまんない話題振りやがって突貫チンチンがよぉ!」
「凸珍な」
凸珍はラーメンを作りながら機械的に返事する。
「一緒だろ!チンチンみてぇな顔してんだから!」
「ロボット相手に顔がチンチンとか言う女はお前ぐらいだ」
凸珍が呆れ気味に言ったところで、黙っていた邪布が会話に入ってきた。
「ほんとだよ~。ラミィは女子力皆無なんだよ。こんなババシャツ他で見たことないもんね~チンチンバリカタさん」
「お前も大概だろ。お前らが下ネタ垂れ流しだから他に客が入らねぇんだわ」
一瞬の沈黙、そして。
「アッハッハッハッハ!」
「ヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ!」
二人は腹を抱えて笑った。
「笑えねぇんだわ。利益出せないロボットはスクラップにされるからな。閉業になったら鉄屑よ」
「そうか。次会う時は相棒だな」
ラミィは鉄腕を見せつけ、鼻息を荒げた。
凸珍は小さな溜め息を吐く。
「次も労働ロボットだから相棒にはなれねぇな」
「バリカタは貴族になりたくないの?」
と、邪布。
「別に。こうやって仕事してる方が楽しいからな」
「きも!社畜と言うか、奴隷だなそれは」
「かもな。そう言うお前らは将来のこと考えてんのか?」
邪布が暗く沈む隣で、ラミィは嬉々として答える。
「私の夢はなぁ、邪布たんと結婚して、師匠みたいに外に出ること!自由な世界に飛び出すんだ!」
「一人で行けば?」
「嫌ですぅ〜。邪布たんとの結婚が最優先だから、それまではここにいますぅ〜。ハネムーンは海ってのを見に行こうな〜」
凸珍は顔を上げてラミィを見てから、無言で顔を戻した。
ラーメンが完成した。
抱きかかえるくらいの大きな器に、山盛りのチャーシューが乗った豚骨ラーメンと山盛りのご飯がラミィの前に、二枚のチャーシューと半熟卵、ネギがかかった小さな塩ラーメンが邪布の前に置かれた。
二人は右手で箸を持った。
「「いただきます。」」
食事が始まると、山盛りのチャーシューがみるみる腹の中に消えていく。
「お前食い過ぎだろ。大して働いてもないのに。豚になるぞ、豚に。ほら、最近腹も出てきたし」
ラミィの腹を摘み、ニタニタする邪布。
「だーれが豚じゃ!腹を触んな!鉄腕娘々はこんぐらい食べないと痩せていくんですー。逆に邪布たんはよくそんな少量で動けるね。お腹空かない?」
「僕は可愛くありたいから空腹なんて気にならないんですぅ~」
腹を離した手でそのまま髪をかきあげた。
「ふ~ん。でも、彼氏いないじゃん」
「それはまだ白馬の王子様が現れてないからね」
邪布は余裕ありげに答える。
ラミィは呆れて、
「で?その白馬の王子様とやらは何処にいんの?」
「それがわかりゃ苦労しないよ。休みの日に白馬を探してはいるんだけどねー」
「探してんのかよ!」
驚き過ぎて口からラーメンが飛び散った。
「当たり前でしょ?まず白馬から見つけないと」
ラミィはお手拭きでテーブルを拭きながら返事する。
「仮に外に白馬がいたとしても、王子様はこの掃溜めぐらいにしかいないでしょ。つまり、セットでいることはないっつーの」
「それは...一理あるかも。じゃあさ、白馬はロボットでも何でもいいや。王子様を優先して探そう」
「王子様どころか男との出会いもないじゃん。あってもレジスタンスだろ?今日もあいつらに邪魔されたんだけどさぁ、ん?もしかして、邪布たんの王子様ってのはレジスタンスにいたりすんのかな?いやーまさかなー」
笑って誤魔化す。しかし、左手は無意識に邪布を攻撃していた。
「頬をつつくな。いないから休日に探し回っているんだが」
頬をつつくのを止めて左腕を肩に回した。
「そっかー。じゃあ、私が王子様になってやるかー。おい突貫チンチン!早くスクラップにされて白馬ロボとなって帰ってこい!」
「よしわかった!今すぐおめぇの右腕を白馬に作り変えてやるよ!」
店の前で三十分ぐらいプロレスしてから、二人は帰路に就いた。
スクランブル交差点でラミィはビルのモニターに目を奪われた。映っていたのはネオン街を颯爽と駆け抜ける一人の鉄腕娘々。さっきラミィを追い抜いた三人の内の先頭の娘だ。
邪布は頬を掻きながらラミィをチラ見した。
「今や遮音が鉄腕娘々のトップランカーか。...未練ある?」
「無いよ。後輩の活躍がちょっと気になっただけ。さ、行こ行こ。信号変わっちゃう」
帰宅した二人はリビングで大の字になって寝転がった。
「あー。お前先風呂入れよ」
「後でいい。足臭いんだからおめーが入れ」
その発言にラミィのピキピキゲージが溜まる。
「はぁ?臭くないですぅ~。お前こそ汗臭いだろ!」
「え?嘘!?ちゃんとケアしたのに」
邪布は慌てて脇の臭いをチェックした。
「臭いチェックしてあげる!口で!レロレロレロレロ」
ラミィの舌が唇の上を縦横無尽にうねる。
「きっつ!バケモンじゃねーか!」
「はいライン越えたな。妖怪までは許せるけどバケモンは許せねぇ」
「基準がわかんねぇんだよ。いいからさっさと風呂入れ」
「あっ、そうだ!たまには一緒に」
「却下」
「まだ何も言ってないでしょーが!紅生姜!」
「はい出た生姜ギャグもとい昭和ギャグ。一緒に入るとか介護だよ介護。はよ行け」
ラミィは昭和って何だろ?と思いつつ、
「ふえぇ。覗いちゃ駄目だからね(ロリ声)」
それを聞いて邪布は身を震わせた。
「きっついきつい。耳が汚染された!」
「何が汚染じゃ!ご褒美やご褒美。あ、そろそろ入るわ。また後でな」
きびきびと風呂場に向かったラミィ。
風呂場から流れてくるラミィの鼻歌を聞きながら、邪布は自らの左腕の鉄腕を見て、それで目を覆ってから呟いた。
「入れねぇんだよ」
ラミィが風呂を上がると、邪布は女性向けの恋愛ドラマを観ていた。またかと嫌気が差す。そろりそろりと足音を殺して移動しつつ、邪布の肩から顔をひょっこり覗かせた。
「ねーねー、たまにはファンタジーとかアクションものにしない?」
至近距離から現れたラミィの顔面から顔を背けながら、
「しない。おめーが観てたあれよりましだろ。空手だかカンフーだか知らんけど、主人公が大暴れして敵の組織を壊滅させる映画。あんなん銃を持った敵に包囲された時点で勝てないって。あと、何であんなに高くジャンプ出来んの。有り得ないでしょ」
「体鍛えたら二段ジャンプぐらい出来んだよ!」
「出来てたまるか!人間やめてんだろ!」
突然、ラミィの顔が天地逆さまにひっくり返った。顔だけではない。全身が上下引っくり返ったのだ。風呂上がりで鉄腕を外しているとは言え、羽毛の様な軽やかな動きだった。そのままダンゴムシみたいに丸まり、空中でピョンと跳ねた。弧を描いて邪布の前に両足で着地した。そしてどや顔。
「ホラ、二段ジャンプ。ま、あの先輩みたいに空は泳げないけどね」
「...普通の人間には無理なの」
邪布は下を向いて唇の端を弱く噛んだ。
「細けーこと言うなよ!楽しめればいいんだよ!」
ヌンチャクを振り回す真似をして「あちょー」と叫ぶラミィを見て、邪布は小さく笑った。
「それもそうだな。じゃ、風呂行くわ」
「あ、待って!ヤバイ!」
「どした?」
どうせいつものことだろうと呆れた態度。ラミィはそれでも構わずに言う。
「ムラムラしてきた!」
「そうか。一日は長いから存分にムラムラしてな」
邪布は立ち上がり、くるっと踵を返して風呂場へと歩を進める。
「あーん。冷たい」
ラミィは口を蛸の様にすぼめながらクネクネと踊った。
「当たり前だろ!優しくしたら気持ち悪いだろ!」
「そんなことないよ!私は邪布たんがママになりたいならいつでも赤ちゃんになるから!」
「うわー。出たよ病気」
邪布は冷めた目で幼児退行した同居人を見ていた。
「ママー!おっぱいー!あ、おっぱい無いわ」
「うっせぇ!野垂れ死ね!」
手近のリモコンを投げつけるも、あっさりとキャッチして丁寧にテーブルに置かれて邪布は余計に腹が立った。
「おっぱい吸わせろ!」
一瞬で距離を詰め、抱きついて邪布の腹に顔を埋めた。
「離れろババア!」
反射で両手で引き離そうとした手を引っ込め、右手をグーにして拳骨を入れた。しかし、ラミィは痛がりもしない。
「ひっひっひっ。ババアは離れませんのじゃ」
「開き直りやがった。ババア公認かよ」
「ババアは生娘の母乳で若返るのですじゃ。ちゅ~」
「きも!変な設定もキス顔もきも!ひょっとこかよ!」
その時、ラミィは何かに気付いた様な、思い付いた様な微妙な顔になった。
「ひょっとこして、私のキス顔ってきついのか?」
「ああ。ひょっとしてをひょっとこしてって言う親父ギャグも加えてダブルパンチだな」
「わかった。逆にしよう。私がママになるから、お前が母乳吸え。ほら~おっぱい吸いたいんでちか~。よちよち~」
「おれ!」
邪布はぶち!と音が鳴るくらいラミィのおっぱいを強く捻った。
「ギャア!乳首取れた!死ぬー!」
「大丈夫だ。ちゃんと付いてる。じゃ、風呂行くからな。絶対に覗くなよ」
邪布がいなくなった部屋で、ラミィは天井を眺める。
「あームラムラが押し寄せて来やがった。風呂上がったら第二ラウンドだな」
しかし、五分で爆睡するラミィであった。