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「中学校」

 陽は高く、空はどこまでも青い。

 遠くの海鳥の鳴き声が風に乗って届き、甲板の下では船のエンジンが低く唸っている。


 気持ちの良い自然の中。

それでも、船の上に広がる空気には、どこか緊張感があった。


 奴隷たちはそれぞれ、静かに時間を過ごしている。誰もがこれから向かう先に何かしらの不安を抱いていた。


 ただ、表に出せば叱責が飛ぶ。だからこそ、必要以上の言葉も交わさない。


 そんな中、アレスたちだけはぽつぽつと、いつも通りの調子でくだらない雑談を続けていた。


  数十分ほど雑談をしながら船に揺られていると、やがて目の前の水平線に何かが浮かんでいるのが見えてきた。


「着いたぞ、野郎共」


 主人の仲間のひとりが声を張り上げる。


 近づくにつれて、それが海に沈みかけた『中学校』の建物であることがわかってきた。


 校舎の大半は海面すれすれまで沈んでおり、屋上だけが水面に顔を出している。

 白かったであろう壁はすっかり変色し、ところどころに緑色の苔が垂れ下がっている。

 中央には錆びついた時計が取り付けられているが、針はもう動いていない。

 正門の上には、かつて学校名が書かれていたであろう看板があるが、文字はほとんど風化して読み取れなかった。


 どこか不気味で、何かが終わった場所――そんな雰囲気が濃く漂っていた。


 青く澄んだ海と空の美しさとはあまりにかけ離れた、荒れた無人の建物。

 それがただ静かに、海に浮かんでいる。


「なんか、寂しそう」


 アレスがぽつりと漏らした。


「……確かにな。大昔にはこの建物に、俺らぐらいの子供が毎日通ってたんだよな」


 ヒバナも視線を落としながらそう呟いた。


 そのとき、不意に後ろから肩を掴まれた。反射的に体がびくりと跳ねる。

 叱られるかと思ったが、主人の仲間のひとりが無言で何かを差し出してきた。


「奴隷共。お前らもこれを飲め」


 掌に渡されたのは、小さな銀色の錠剤。人数分、無造作に配られていく。

 これが何なのかと聞こうとしたときには、もうその男の姿は甲板の向こうに消えていた。


「へぇ……珍しいわね」


 隣でセーナが錠剤をじっと見つめている。


「セーナ、これなに?」


 アレスの問いに、セーナはため息まじりに答えた。


「これは第一次超科学文明で発見された『人魚の涙』の模倣品よ。海の中でも呼吸ができる薬。

 本物はもう残ってないけど、これがあればしばらくの間、肺を使わずに水中で活動できるの。サルベージハンターには必須のアイテムね。……でも、安くはないわよ」


 説明を聞きながら、アレスは手の中の錠剤を見つめ直す。


 確かに、これはただの薬とは思えなかった。


 この薬が出回るまでは、サルベージハンターたちは重たい酸素ボンベを背負い、命を賭けて深海の怪物たちと戦っていた。

 だが、この錠剤が実用化されてからは死亡率が一気に下がり、その数はなんと4割にも及んだという。


 当然、それだけの性能があれば価格も高い。

 今も市場では、ハンターたちから文句が出ないギリギリの価格帯で流通している。高価で貴重な代物だ。


「この中には、この薬より安い値段で取引される奴隷もいるわけで……」


 セーナが小さく呟く。


 それを一人に、ではなく、全員に配るというのは明らかにおかしい。


 ただの親切ではない。

 何かがある。何か、別の狙いが。


 アレスもヒバナも、無言で錠剤を見つめながら、嫌な胸騒ぎを感じていた。



「よし、回ったな。じゃあ、子供と大人で2チームに別れろ」


 主人の声が甲板に響いた。奴隷たちは慌ただしく動き出し、それぞれの班に分かれていく。

 アレスは周囲を見渡して、少し顔を曇らせた。


「……セーナと別れた」


「な、今回は一緒に潜れると思ってたんだけどな」


 ヒバナが肩を落とす。その様子に、セーナが微笑んで近づいてきた。


「残念ね。でも、アレスちゃん、ヒバナ。約束は守ってね」


 その一言に、2人は表情を引き締める。


「ああ、わかってる」


「ん」


「うふふ。じゃあ、絶対生き残って」


「そっちもね」


 軽く手を振って、セーナは別の班へと歩いて行った。


 アレスはその背中を見送りながら、どこか胸がざわりとするのを感じていた。


 そんな時だった。視界の端に、見慣れない青髪がぬっと入り込んできた。


「保護者がいなくなって不安だろうけど、この俺、ムジ様が来たから安心しな?」


 その声は、耳元にそっと吹きかけるようにして届いた。


 ゾクリと背中に寒気が走る。アレスは反射的に身をすくめ、ヒバナの背中に隠れる。


 ムジはまるでそれを楽しむかのように、薄く笑っていた。


「……はん。そんな態度、いつまでも通じると思うなよ」


「お前に言われる筋合いはない」


 アレスの冷たい言葉に、ムジの目が細くなる。

 だが、その緊張を切ったのは別の声だった。


「おい! ヒバナ! 早く来い、作戦を伝える!」


 主人の怒鳴り声。ヒバナは呼ばれた方角を見て、少しだけ躊躇した。


「え、でも……」


「私は大丈夫。ヒバナは行ってきて。主人の機嫌を損ねる方がよっぽど危ない」


 アレスの静かな声に、ヒバナの眉がわずかに下がる。


「でもな……」


「私のこと、信用して?」


 それを聞いて、ヒバナはしばらく言葉を詰まらせたあと、渋々うなずいた。


「……行ってくる」


「ん。いってらっしゃい」


 何度も振り返りながら、ヒバナは主人のもとへと向かっていった。


 その背中が室内に入ると、ムジの口元が歪む。


「これで邪魔者はいなくなったわけだ」


 伸ばされたムジの手はアレスへと向かう。


 手の甲にぱしんと乾いた音が鳴った。

アレスは即座にはたき落とす。


「触らないで」


 アレスは一歩も引かない目でムジを見つめ返す。


「ふっ、おもしれぇな。スキル持ちの俺に歯向かうとは」


「私、結構鍛えてるから。それに……こんな場所でスキルなんか使ったら、主人たちに何されるかわからないでしょ」


 冷静な言葉だが、内心ではアレスも体に力を込めていた。

 ムジはしばらく沈黙したあと、両手を上げて軽く笑ってみせる。


「確かに、それはあるな。素手で何度も潜ってるような奴には、俺のスキル抜きじゃ勝てねぇかも」


 だが、その笑みの奥にある感情は明らかに別のものだった。

 彼の目は冷たく、どこか執着のような色を帯びていた。


「だけど、それは“今”の話だ。必ず、いつかお前を俺のものにしてみせる」


「……そんな価値、私にはない」


 アレスは淡々とそう言った。自分自身を客観的に見ていた。見た目や戦闘能力、それだけで人の価値が測れる世界に嫌気がさしていた。


 しかし、ムジは否定しない。


「いや、ある。容姿だけじゃない。お前は……」


「終わったぞ」


 その言葉を遮るように、ヒバナが戻ってきた。

 アレスはわずかに肩を落とし、安堵の息をつく。


「おかえり」


「おう、ただいま」


 ヒバナの帰還にホッとしながらも、アレスはムジの方に視線を向けた。


 そこにはもう、先ほどまでのような笑みはなかった。


 代わりに、何かを見定めるような静かな目だけが残っていた。


「ちっ」


「作戦内容を伝えるぞ」


 ムジにターンを渡さまいと、いつもよりヒバナは早口だった。


「今回のサルベージで、俺らの潜りは無しだ。海に浸かっていないところの探索で、隠し部屋がないか探しつつ、遺物の回収だとよ」


「大人組は?」


「化け物どもの囮になりながら、遺物の回収らしい」


「……そう」


 危険すぎる。

この『中学校』は顕現からあまり時間が経っていない。


 だから、未知の化け物が潜んでいたとしても何ら不思議じゃない。


 化け物の囮なんて、アレスなら3秒でひき肉になる自信がある。


「何事もありませんように」


 アレスはそう小さな声で呟くと、主人の大きな声が聞こえた。


「サルベージ開始!!!」


 号令と共に、アレスたちと船番以外の全員が、次々と海へ飛び込んだ。


 たくさんの水飛沫が宙を舞い、一瞬だけ太陽の光を反射してきらめく。

 

 しばらくして、波がドンと広がり、静かだった海面が揺れた。


「俺たちも行くぞ」


 ヒバナが短く言い、先に身体を沈めていく。


「楽しみだな! アレスちゃん!」


 無邪気に声をかけるムジに、アレスはうっすらと眉をひそめる。


「ムジ、気を引き締めろ。インターネット文明の日本は比較的安全とは言っても、遺跡は遺跡だ」


 ヒバナが低く警告を飛ばすが、ムジは鼻で笑った。


「はん、臆病者がよ」


「言ってろ。ほら、来い」


 ヒバナの差し出した手を握り、アレスも飛び込む。


「冷たい……!」


 水の中で声は届かないが、唇の動きで気持ちは伝わる。ヒバナが目元で小さく笑った。


「潜水加能温度ギリギリっていったとこだ。相変わらずだな、主人達は。引き返す訳にもいかないし、行くぞ」


 3人は交互に腕を掻き、を蹴りながら、沈んだ建物へと進む。


 水を顔につけると、そこには異質な空間が広がっていた。


 遠い海底には、古びた標識、朽ちた遊具、ひしゃげた自転車が沈んでいる。


 かつてフェンスだったであろう鉄柵は赤く錆び、ところどころ捩れて原形を留めていない。


 苔に覆われたコンクリートの壁は亀裂が入り、窓の大半は割れて空洞になっていた。


 アレスは無意識に手を止めて、建物を見上げた。


 異質なのに、波の音しか聞こえない。

しかし、絶対に見落とすことはできないはっきりとした存在感。


 この場所がかつて、笑い声や足音、掛け声で満ちていたとは、とても思えなかった。


「ここ……本当に、人が住んでた場所?」


 アレスの胸の奥に、ぞわりとした感情が広がった。


 不気味、というよりも、哀れさに近いものだった。


 何かが壊れ、失われ、それでもまだ海底で存在し続けているこの建物は、まるで「忘れられること」を拒んでいるかのようだった。


「アレス」


 ヒバナの声に、アレスは意識を現実に戻す。冷えた水の中、再び前へと泳ぎ出した。


「遺跡は慣れてるんじゃねぇのか?」


「規模が違うんだよ。ここは異質すぎる」


 アレス達が今まで行ったことあるのは、安全な遺跡ばかり。


 だが、この遺跡には何かがいる。

確証は全くないが、そんな恐怖心に駆られるのだ。


「しかも、学校と言ったら七不思議だ。何が出てもおかしくはない。気をつけろよ」


「言われるまでもねぇ」


「ん」


「じゃあ、入るぞ」


 ヒバナは躊躇なく割れた窓へと近づき、素早く手を突っ込んで枠を押し広げる。ガラスの破片がゆらゆらと水中に舞った。


「ガラスの破片に気をつけろよ」


「ん」


 アレスがうなずきながらついていくと、ムジが遺跡内部に入るや否や、目を輝かせた。


「おっ、鉄パイプ残ってるじゃん! 結構高く売れるぞ。集めようぜ」


 彼は周囲の注意を無視し、ズカズカと奥へと進んでいく。


「……まあ、いい。まずはこいつらを集めるぞ」


 ヒバナはやれやれと肩をすくめ、手際よく錆びたパイプを外していく。


「仕切ってんじゃねぇよ」


 ムジがふてぶてしく返すが、誰も相手にはしなかった。

 ある程度資材を回収し終えたところで、ヒバナが水に濡れた地図を広げる。


「俺らは、まずこの階の探索からだな」


 古びた地図はところどころ文字がかすれていたが、幸いにも現在位置と階層構造は判別できる。


「意外と広い……」


 アレスがぽつりと呟く。


「1人ずつ別れていくのはどうだ?」


 ムジが提案したその案は、意外にも理にかなっていた。


 彼も一応、危険性を把握しているのだろう。珍しくまともな顔つきで話に加わっていた。


「いや、ダメだ。危険すぎる。遺跡を子供1人で探索するのは自殺行為もいいところだ」


 ヒバナが首を横に振る。


「だけど時間がかかりすぎると、まずい」


「そうなんだよなぁ……」


 3人の間に微妙な沈黙が漂った。


「モンスターと遭遇したら船に逃げ込んで、船番さんに倒してもらう。それに、遺跡とはいえ所詮はインターネット文明だ。即死級の危険はない……か」


 ヒバナはしばらく考え込んだ末、うなずいた。


「……ムジの案を採用で。じゃあ、アレスは右から、ムジは左から、俺は真っすぐ進む感じにするか。奥までいけば合流地点がある。そこで打ち合おう」


「わかった」


「ん」


 3人は軽く頷き合い、それぞれの方向へと別れた。


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