受け入れられぬ事実
犬小屋に着く頃には、二人とも少しだけ落ち着いていた。
「…………」
「とりあえず、今日は休むか」
「……ん」
アレスは無言のまま、自分の部屋へと入っていった。そして扉の前に背を預けるようにして座り込み、中から鍵を閉めた。誰にも入らせたくなかった。
薄暗い隙間から、静かに寝息を立てるヒバナの姿が目に入る。だが目を背けた。
(……これは、ただの悪夢)
そう思い込みたかった。心のどこかで、まだ微かな希望を捨てきれずにいた。
きっと、この夢が覚めたら、セーナは何事もなかったようにケロッとした顔で戻ってくる。照れ笑いでもして、冗談みたいに言ってくれるだろう。
『あー、なんか痛かったけど、平気だったわ。あのくらいなら慣れてるしね』——なんて。
そんなことを、思っていた。
奴隷の世界ではよくあることだ。突然誰かが理不尽に傷つき、突然命を落とす。
けれど、まさかセーナが……あんな形で。
あんなに強くて、優しくて、どこか抜けてて、それでも真っ直ぐな彼女が、こんなにもあっけなく——。
ヒバナと和解して、ようやく歩み寄れたばかりだった。
これからだったのに。
これから、みんなで奴隷を辞めて——
これから、みんなでサルベージハンターになるはずだったのに——
(早く……こんな夢、覚めて)
その願いは、祈りにも似ていた。
けれど、祈りはあっけなく破られる。
——ヒバナの、鼻をすする音が聞こえてきた。
それを聞いた瞬間、アレスの中で何かが決壊した。
頭が理解するよりも先に、心が全てを悟ってしまった。
これは夢じゃない。
ここは、現実だ。
本当に——もう、セーナには会えないんだ。
恥ずかしそうに頬を染める姿も、誰よりも頼もしく戦う姿も、無邪気に笑うあの顔も。
もう、二度と見られない。
セーナは、もう……死んでしまったんだ。
「セーナぁ……セーナぁ……!」
アレスは震える手で、毛布を強く、強く握りしめた。
悔しさと悲しみと、自分への怒りが胸に渦巻く。
——もしあのとき、ヒバナを引き止めなければ。
もしかしたら、セーナは助かっていたのかもしれない。
でも、そうすればきっとヒバナが死んでいた。
結局、自分は……二人の命を天秤にかけてしまったのだ。
セーナの死を選んでしまったのだ。
——自分が、セーナを殺したようなものだ。
胸が、張り裂けそうだった。
(……明日までに、気持ちを整理しなきゃ)
明日、生きるために。笑えるように、動けるように、考えなきゃいけない。
感情なんか出しちゃいけない。この世界では、泣いたら負けだ。弱さを見せたら、生き残れない。
我慢して、歯を食いしばって、それでも前を向かなきゃ。
(……でも、私たちにとっての“明日”って、いつ来るの?)
アレスは、声にならない嗚咽を漏らしながら、ただ毛布を抱きしめ続けた。




