表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/39

かけがえのない相棒

 走り始めてから、どれほどの時間が経ったのか。

 すでに太陽は沈み、空には夜の帳が降りていた。息は荒く、足は重く、踏み出すたびに悲鳴を上げる。


 それでも、アレスは走っていた。もう限界のはずなのに、それでも走っていた。

 何かが起きれば、すぐに崩れてしまう――そんな状態で。


「足が……絡まって……」


 その「何か」は、思ったより早く訪れた。

 アレスは、ついに転倒した。


「痛い……」


 うつ伏せのまま、地面に倒れ込む。

 全身から力が抜けていき、身体が鉛のように重くなる。

 もう、動けない。気持ちではまだ立ち上がれると思っていても、現実はそうはいかなかった。


「ここまでなの……?」


 涙が、自然と溢れ出す。


「……まだ、止まれないのに」


 ヒバナの足を引っ張りたくない。

 背中を押してあげられる存在でいたい。

 そう決めたのに、倒れてしまった。


 アレスは、必死に体を起こそうとする。

 けれど、全身がそれを拒む。


「動いて……よ……!」


 声はかすれ、目は霞む。

 踏みとどまりたい意志とは裏腹に、足はアレスの気持ちを嘲笑うように言うことを聞かなかった。


「まずい……」


 そのとき、物陰からざらついた笑い声が聞こえた。


 視線を向けると、数人の男たちがこちらを囲むように立っていた。

 アレスが倒れ込んでいたのは、薄暗い裏路地。普段なら絶対に近づかないような危険な場所だった。


 だが、考え事をしていたせいで、気がつけばこんなところまで来てしまっていた。


「お嬢ちゃん、ダメじゃないか。こんなとこ来ちゃ」


「何されても、文句言えねぇぞ?」


 男たちは不気味な笑みを浮かべながら、舌なめずりをするようにアレスへとにじり寄る。

 アレスは、近づいてきた手に反射的に噛みついた。


「痛ぇ!! このガキ、噛みやがった!!」


「だせぇな。早くやることやっちまおうぜ」


 逃げようと必死にもがくが、体はまったく動かない。

 頭の中で警鐘が鳴り響く。



「お願い……動いてよ……!」


 その瞬間――


 アレスの前に立っていた男が、突然白目を剥き、そのまま地面に崩れ落ちた。


「え……?」


 何が起きたのか、理解が追いつかない。

 ゆっくりと視線を上げると、男の背後にもう一人の人影が立っていた。


「ヒバナ……?」


 思わずその名を口にした。

 けれど、違う。服装も違えば、背格好も少し違う。

 それでも、どこかヒバナに似ていた。立ち姿、目の鋭さ、空気の張りつめ方が――そっくりだった。


「あー。ったく、やっちまった」


 その男が、低くぼやくように呟く。声も、ヒバナに似ていた。ただ少し低く、どこか乾いている。


「じゃ、俺はこれで」


 その場を立ち去ろうとした彼の腕を、別の男が掴もうとする。


「おい、待てよ……!」


 だが次の瞬間、触れようとした男もまた白目を剥いて、呻きも漏らせずに倒れた。

 まるで風に吹き飛ばされる紙のように、あっけなく。


 他の男たちも身構えるが、数秒と持たなかった。

 気づけば、全員が地面に転がっていた。


 あまりにも一方的すぎて、アレスは声を出すことすら忘れていた。


 ふらふらと立ち去ろうとするその背に、アレスは小さく呟く。


「……ありがとう」


 その声が届いたのか、一瞬だけ足が止まった。

 だが振り返ることはなく、男はそのまま静かに路地裏の闇へと消えていった。


 やがて、すべての気配が遠のき、辺りに静寂が戻る。


 と――


「アレス!」


 切羽詰まった声が響き、別の足音が駆け寄ってくる。


「……あ、本物」


 ようやく緊張が緩み、アレスはかすかに笑った。


「本物? なに言って――って、アレス、大丈夫か!?」


 駆け寄ってきたヒバナは、アレスの顔を見るなり真っ青になる。

 そして、差し出した手をアレスが両手でぎゅっと掴んだ、その瞬間――


「っ……!」


 アレスの体から力が抜ける。ヒバナは慌ててその体を抱きとめた。


「危ねえって……。無理すんなよ」


 アレスの額には汗が滲み、息も荒い。

 それでも彼女は、震える手でヒバナの胸を押して、離れようとした。


「そうだ……私、……走らなきゃ……」


「セーナから聞いたぞ。もうやめとけって!」


 ヒバナが声を荒げる。


「もういいんだよ。休めよ、アレス!」


「嫌ッ!!」


 叫ぶような声が、ヒバナの胸に突き刺さる。


 体は限界を超えている。それでも――アレスはなお、前を見ていた。

 倒れてなお、立ち上がろうとしていた。


 アレスは、震える体でヒバナから距離を取ろうとする。


「絶対に、嫌……!」


 ふらふらと揺れながら、アレスは立ち上がった。


「アレス……」


 ゆっくりと前へと進む彼女の背中を、ヒバナは呆然と見つめる。

 だが次の瞬間、自分の頬を強く叩いた。


(逃げるな! 目を逸らすな!)


 ヒバナはアレスの手を掴む。


「アレス、もういいって……無理するなよ」


 アレスは驚いたようにヒバナの顔を見たが、すぐに視線を逸らす。


「……一番……」


「ん?」


「一番近くで……ヒバナが夢に向かって、努力してるの、ずっと見てた」


 息を整え、アレスはようやくヒバナの目を見る。


「それなのに、私のせいで……夢を諦めるの?」


 また倒れそうになる。

 だが、手を差し出しかけたヒバナを制し、アレスは自分の足で踏みとどまった。


「そんなの、絶対に嫌」


 何度も、ヒバナに助けられてきた。

 いつも、まっすぐに夢を語るその姿に憧れていた。追いつけないほど速く走る彼の背中に、胸が熱くなった。


 でも、そんなヒバナの夢を、私が足を引っ張ることで諦めさせてしまうなんて。


「アレス……」


「私は、頑張るヒバナが好き」


 その言葉に、ヒバナの頬が赤く染まる。


「だから、誰よりも知ってるの。ヒバナがどれだけ本気で夢を叶えようとしてるのか。何十回も馬鹿にされて、笑われて……それでも絶対に諦めなかった」


 サルベージハンターになる。

 その夢を追う彼の瞳は、いつだって真っ直ぐだった。


「その夢は、もうヒバナだけの夢じゃない。……私だって、一緒に成りたい!」


 アレスは前へ進む。

 その一歩が、どれほど重く、どれほど大切な決意の一歩なのか――ヒバナにはわかった。


「だから私は、強くならなきゃいけないの。ヒバナの背中を押せるくらいに、ヒバナの夢を守れるくらいに」


 どれだけ傷つこうが、どれだけ苦しかろうが、それだけは譲れなかった。


「なんで……そこまで」


 ヒバナの問いに、アレスは立ち止まり、振り返る。


「だって、相棒でしょ?」


 まるで当然のように、微笑んで答えた。


「……そうだったな」


 ヒバナは、大きく伸びをした。

 胸の中に溜まっていた曇りが、ようやく晴れた気がした。


(なにが“アレスのために夢を諦める”だ……。俺の相棒が、そんなに弱いわけないだろ)


「なぁ、アレス。……俺も走っていいか?」


「え?」


「相棒が頑張ってるんだ。一人で立ち止まってなんていられねぇよ」


「ん!」


 アレスが笑った。

 いつぶりだろうか、こんな自然な笑顔を見るのは。

 感情をあまり表に出さない彼女が、今日は何度も、色んな顔を見せてくれた。


 そのすべてが、ヒバナにとって大切な宝物だった。


「競争だ!」


「ん。でも、ヒバナは私の残りの倍走って」


「……何キロ走ったんだ?」


「30キロ」


「…………気合い入れなきゃな」


「妄言吐いた罰」


「ああ、俺が悪かった」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ