憧れの存在に問う
ヒバナは再び、騒がしい甲板に戻った。
ハンターたちが、興奮と疲労をまといながら、あちこちで騒いでいる。
だがその輪の中に、ヒバナの姿はなかった。
憧れの集団を他所に、静かに柵にもたれ、夕陽に染まる海を見つめていた。潮風が髪を揺らし、どこか遠い場所に心があるような、そんな横顔。
「アレス……泣いてたな」
ぽつりと呟いた言葉は、波音にかき消された。
「なんで追わねぇんだ?」
不意に、背後から声がかかった。
「……っ!」
ヒバナは驚いて振り返る。
そこに立っていたのは、鬼面の男――あの巨大な化け物と正面から戦っていた、憧れのハンターだった。
「見てたのか?」
「いや、聞こえてきただけだ。お前名前は?」
肩をゆったりと揺らし、缶ビールを片手に、その男は気軽に笑っていた。
その言葉に、ヒバナは困惑しつつも名乗った。
「……ヒバナ」
「おお、お前がヒバナか。じゃあ泣かせた女の子は――アレスか?」
心を見透かされたようで、思わず身を乗り出す。
「知ってるのか? 俺たちのこと」
「ある伝手でな。誰から聞いたかは、企業秘密だ。俺のことは“大将”って呼べ」
男――大将はそう言うと、ヒバナの隣にどかりと腰を下ろす。
海の匂いと血の匂いが混ざったような、荒んだようで温かい空気が彼の周囲に漂っていた。
「で? 女を追わなくていいのか?」
ヒバナは言葉を詰まらせた。海を見つめたまま、小さく呟く。
「……久しぶりに見たんだ。あいつの涙」
「それで動けなくなっちまったってわけか。チキンめ」
「……うるせぇ」
「悪かった悪かった。真面目に聞こう」
大将は口元に笑みを浮かべながら、ヒバナの顔を横目で覗いた。
「……あいつ、ある日言ったんだよ。“私はヒバナを守れるくらい強くなる”って。それっきり、アレスは泣かなくなった」
「……ふうん。そりゃ相当、お前のことが好きなんだな」
「相棒だしな。俺も好きだぞ?」
「……そうか。まぁ、いいや。そんなに尽くしてくれる子に、お前は何したんだ?」
ヒバナは俯いたまま、言葉を搾り出す。
「……俺が、サルベージハンターになる夢を、諦めようとしたんだ。身代金を払ってくれる人がいて……それで解放されるならって思ったんだ」
「なるほどな。それは強くなるって言ったその子のためか?」
「……ああ」
大将は豪快に笑った。
その笑いに、ヒバナは少し困惑する。
「いや、すまない。身に覚えがありすぎてな」
大将は笑いを止め、真剣な目を向ける。
「いいか、色男。これが一番大事な質問だ」
ヒバナが顔を上げる。
大将の目は、笑っていなかった。
「お前は、どう成りたい?」
「……」
「……答えがでないか?」
大将はヒバナの背中を叩く。
「一つだけ、ヒントをやろう。――お前は、なんでサルベージハンターになりたかったんだ?」
その問いに、ヒバナの瞳が揺れた。
「あっ……」
何かに気づいたその表情を見て、大将は満足そうに頷く。
「すっきりしたか?」
「……まぁ、した」
ヒバナは深く息を吐き、頷いた。
すると、大将が懐から何かを取り出す。
「そうだ。これ、落とし物だろ?」
「……アレスの、懐中時計……!」
小さな銀の時計。アレスが大切にしていたもの。
ヒバナは目を見開き、それを両手で受け取った。
「……ありがとう。拾ってくれてたのか」
「ったく、女に泣かれて、時計まで落として。色男も忙しいこったな」
ヒバナは深々と頭を下げた。
「本当に……何から何まで、ありがとう!」
「ああ、行ってこい」
背中を押されたその瞬間、ヒバナは走り出す。
燃えるような夕陽の中を、風を切って――アレスの元へ。
まっすぐな想いを胸に、答えを伝えるために。
その後ろ姿を見送る大将は、煙草に火をつけた。
灰色の煙が風に流れる。遠い記憶を思い出すように、彼は目を細めた。
「藻掻け、それを辞めたやつから溺れてく」