乙女ゲームのヒロインに転生しましたが、何故か悪役令嬢の面倒を見る事になってしまいました
『ヒロインに言われて悪役令嬢をやってみましたが全然上手くいきません!』の、エミリーサイドのお話です。
未読でもわかるかとは思いますが(多分)
よかったらそちらを先にお読み頂けるとわかりやすいと思います。
私の名前はエミリー・マクレガー。男爵令嬢ですが、前世持ちです。
前世では日本人でした。ごく普通の一般家庭で育ち、大学卒業後に一般事務として地元の中小企業に就職しました。
社会人になったばかりの頃は「私ももう大人になったんだ!」っていう気分で、職場の人達との飲み会に参加するのも楽しかったんだけど
三年目ともなるとそれも飽きてきて。
学校も大学までずっと家から通える所に行ってたし、就職も地元だし、ひとり暮らしとか憧れはあるけど実家暮らしは楽チンで、自由を得る代償として暮らしの苦労を背負うのもなあ。
っていう、要は甘えた根性の持ち主だったから、自分から何かを変えようという勇気もなく
子供の頃からずっと続く安穏とした代わり映えのしない毎日に、ほんの少しだけ倦んでいた。
だからなのかな。乙女ゲームなんてものにハマったのは。
現実の私とは違って、キラキラな日々を送るヒロインが羨ましくて、現実には絶対にあり得ない高貴なイケメンの男の子達との恋模様にウキウキしてた。
中でも私の最推しは王太子のクリストファー殿下で。スチル集めはコンプリートしたし、お給料で課金しまくってたし、関連グッズまで買い集める熱の入れようだった。
アイドルの男性に入れ揚げてる人の事を内心呆れてたんだけど、全く他人のことは言えなくなってる自分が恥ずかしいなと思っていたから、グッズは部屋に隠してたし、友達に言う事も無かったけど
あの頃の私は完全に疑似恋愛に嵌まり込んでいたわね。
そんな私が呆気なく他界しちゃったのは交通事故でね。
バカみたいな話だけど、歩きスマホしてたのよ。…乙女ゲームやりながら。あー恥ずかしい。私を撥ねちゃった人にも申し訳ない。
本当に思う。歩きスマホ、ダメ、絶対。
で、「うわーやらかしたー」って思ったんだけど、気が付いたら日本じゃない所で生きてたの。
気付いたのは10歳の時。日本ではない場所…地球で言うところの西洋の中世風の世界でね。
私は比較的裕福な…と言ってもそこらの平民よりは暮らし向きが良いという程度の、平民の商家の子供だったんだけど、親戚の男爵家の夫妻が私を気に入ってくれて養女にしたいって。
家は結構子沢山で兄弟姉妹がたくさん居てね。男爵家には男の子一人しか子供に恵まれなかったとかで、その息子も家業の為に隣国に留学していて寂しかった夫妻の、特に奥様の方が「可愛い女の子が欲しかった」んだそうで。
たまたま仕事でも繋がりのある親戚のウチに男爵夫妻が来た時に私を見掛けて話を持ってきたんだとか。
養女になるとは言っても実の父母とも会おうと思えば会っていい、父母が倍になるだけだと聞いて「それなら、いいか」と頷いた。
父と母は貴族になれば平民とは違う学校…貴族の学園で学べるし、貴族に嫁げるかも知れないからそれもいいんじゃないかって。
まあ、商家だからね。貴族と太い繋がりがある方が何かと便利だし、そういう算盤を働かせるのは商家にとっては当たり前で、愛情とは別物なのだ。
それで話が纏まっていざ男爵家に迎えられた日に、唐突に気が付いたのだ。思い出した、と言った方がいいのかな。
前世の日本人だった自分を。死ぬ間際までやっていた乙女ゲームの事を。
そして今の自分がその乙女ゲームの、平凡な日本人だった私があれ程に憧れた“ヒロイン”だって事を。
びっくりしたわよ。男爵家の養女になって、名前がエミリー・マクレガーになった途端に「エミリー・マクレガー? ちょっと待ってその名前って…」って、そこからツルツルといろいろ思い出して。
でも俄には信じられなくて。まさかって思うじゃない?
確かにふわふわとしたピンクの髪と少しタレ気味の大きな水色の瞳のこの風貌はあの前世で見た乙女ゲームのヒロインのものと合致する。
でも、だからといって、それだけじゃあ…
だから調べたの。男爵にお願いして貴族年鑑を見せてもらった。
男爵には「さっそく貴族としての自覚が」とかなんとかニコニコされて「そういうんじゃないんだけどな…」と思いながら、都合がいいからニッコリ笑って誤魔化しておいた。
そして見つけた。前世で自分がハマっていた乙女ゲームの攻略対象者達。そして最推しだったクリストファー・ジュリアン・セイクリッド王太子殿下。
これはもう間違いないんじゃないかと思った。正直震えた。喜びで。
前世の、ぬるま湯のような安穏とした日々の中、勇気を出して何かにチャレンジする事もなく膿み疲れて現実逃避な疑似恋愛に人生を費やしていた自分を──変えられるんじゃないか
そう、思ったのだ。
でも疑問に思った事がひとつあった。ゲームのスタートは学園の三年生の始業式。ヒロインは編入生で、三年生の始業式から卒業までの一年を学園で過ごす。
翻って今の私の状況を鑑みるに…このままの流れだと、ちゃんと一年生から入学するんじゃないの? なんで三年生からなんだろう?
疑問には思ったけれど考えても何もわからないし、まあ、実際に入学する歳になれば判明するだろうと思い
それとは別に、とりあえず思い出せるだけのゲーム情報をノートに書き出してみた。
そして本来学園に入学する歳になるまでの間は家庭教師をつけてもらい、貴族としてのマナーも覚えつつ、実家にもちょくちょく顔を出して普通に暮らしていた。
そしてそろそろ入学準備を…となった時に、理由が判明した。
男爵婦人、私の養母が、私が学園に入学する事に突然反対し始めたのだ。
その理由というのが…養母の知り合いの同じ男爵家に、私と似たような理由で養女にした娘が居たのだが、その娘は学園に入学してから酷く虐められたのたそうだ。
3年間通っていられず途中退学したそうだが、病んでしまって今も引き籠もりになっているそうな。
それを聞いた養母はすっかり怯えて「エミリーがそんな怖い思いするなら絶対に学園に入学なんかさせないわ」って言い出して。
家庭教師を付けているんだから問題ないと。
なんだそれは、と思ったからちょっと調べてみたら、その男爵令嬢にもそうされるだけの理由があったんだけど、
養母はそんなのお構いなしだ。
可愛いエミリーを連れてお茶会に行ったりお買い物したりするのが楽しいから学園なんかに行って欲しくない。
どうやら本音はそういう事。
まあ、可愛がってくれているのよ。譬えその可愛がり方が生きているお人形を可愛いがるような、ペットを可愛いがるようなものであったとしても、可愛がって大事にしてくれている事に変わりはない。
親としての愛情は実の父母からしっかり貰っているから問題はないのだ。
そう、問題は、このままいくと学園には通えず終いになるのではないか、という事だ。
そして説得とご機嫌取りに2年を費やし、ようやく三年生から編入出来るようになった。
やれやれ、自分がゲームをしていた時には、まさか編入にそんな理由があったなんて全く知らなかったわ。
ともあれ、いよいよゲームスタートとなる訳だ。私は養父母と就学の準備をしながら敵情視察…攻略対象者とその周辺の人間を調べた。
対象者は既に学園に通っている訳だから、遠目から見てみるには学園に行けばいい。
ちょうど編入試験やその後の手続きなどで何度か学園に足を運ぶ事になったので、事前に調べて遠目から彼等を眺めた。
驚いたのなんの。ここがあの乙女ゲームと同じ世界だと確信はしていたけれど、実際にその実物の彼等を目にすると「本当にそうなんだ」と実感が湧いてくる。
私が前世で見ていたキャラの風貌そのものな彼等。その中でもやはり目を惹くのは…最推しだったクリストファー王太子殿下。
前世で集めに集めたスチル絵やグッズの数々を思い出す。自分はこれからあのめくるめく世界に飛び込んでゆくのだ。
そう思って胸を熱くした。
そして忘れちゃならない乙女ゲームの悪役令嬢、ヒロインである私の恋路を悉く邪魔してくるであろう侯爵令嬢イザベラ・ハミルトン。
彼女もやはりゲームから抜け出してきたように、私がよく知る悪役令嬢そのもの、だった。
彼女は最推しのクリストファー殿下の婚約者だ。私の敵となる彼女の事を、私はその時じっくりと観察した。
スラリとした華奢な身体に艷やかな銀の髪。白磁のような白い頬は無表情で、その薄紫の温度のない瞳は優雅でありながら気位の高さが窺え、まさに、ザ・悪役令嬢という感じだ。
そう、確かにそうだったのだ。
あの時までは。
始業式の日。それはゲームスタートの日だ。その日、私は学園の校門付近で攻略対象者の一人、最推しのクリストファー殿下に出会う。
確実にその出会いを熟す為に私は早い時間から校門の陰に隠れ、クリストファー殿下が来るのを待っていた。
だがそこで目にしたのは─
校門を入ってすぐの所に大きなアーモンドの木があり、桜によく似た薄ピンクの花が今を盛りと咲き誇っていた。
その木の下には艷やかな銀の髪。
悪役令嬢イザベラ・ハミルトンが立っていたのだ。
彼女も早朝から登校していたのか。私達の“出会い”の邪魔にならなければ良いが…
などと思いながら彼女を観察したが、どこか様子がおかしい。
先日目にした“いかにも”な雰囲気はどこにも無く、どこか頼り無げに、ほわんとした表情をしている。
そのうちハッと我にかえり、夢から覚めたようにパチパチと瞬きをしたと思ったら辺りを見まわして驚いている。
その無防備な表情。
高位の貴族令嬢として微笑みすらも鎧のように取り澄ましていた人物と同じとはとても思えない。
彼女は一体──
その時、近くで声がした。
「随分早いんだな。だがこんな所で何をしているんだ?」
ゲームのボイスと全く同じ、前世で何度も聞いて身悶えていたあの声
最推しのクリストファー王太子殿下その人だ。
彼が花の下でキョロキョロしているイザベラに声を掛けたのを見て慌てた
(しまった。イザベラの妙な様子に気を取られて“出会い”のシーンを逃した…)
己のしくじりを悔やむが直後にイザベラから放たれた一言に、そんな後悔もかき消える。
「カッコイイ…」
愕然とする、というのはまさにこういう時に使う言葉だな、なんて妙に冷静な事を考えていたのは現実逃避なのだろうか。
その後も、そんな言葉を放ってしまった自分を恥じるような慌てた様子の彼女を見て、ピンとくるものがあった。
(もしかして、彼女も…)
その“もしかして”は彼女の次の言葉で“きっとそうだ”に変わった
「ご、ごめんなさい。ええと、あの…あっ、そうだ、ここって、どこですか?」
その言葉づかいと表情。もうそうとしか思えない。でなければあのイザベラ・ハミルトンがこんな表情でこんな言葉を放つ筈がない。
そう、彼女も私と同じ、転生者に違いない。しかも、おそらくはつい先程、前世の記憶を取り戻して、今は混乱の只中にいるのだ。
考えるより先に身体が動いていた。
思わず走り出てイザベラの腕を取ると適当な理由をあげつらい、ほとんど無理やり校舎の裏まで引っ張っていった。
その時“出会い”のシーンで落とそうと思って握りしめていたハンカチを思い出して落としていったのは、ほぼ業務を遂行するような感覚で、だった。
そして校舎裏でイザベラと向き合い、期待にドキドキと胸を弾ませながら彼女に聞いた
「もしかしてあなた…転生者?」
だが彼女はその言葉にキョトンとし、更にコテンと首を傾げた。
(…え? あれ? 違うのかな? いや、でもそのままのイザベラだったらそもそもこんな表情と仕草をする筈がない)
そう、私はその時、何故か期待で興奮していたのだ。
何故なのかは自分でもよくわからない。もしかしたら私は、それまで自分だけが“こことは別の世界の住人”のような気がして、心細かったのかも知れない。
私は必死で言葉を連ねた。彼女は“転生者”にも“前世”にも“乙女ゲーム”にも“悪役令嬢”にも反応せず、(ええ? おかしいな、違うのかな、でも絶対そうだと思うんだけど)と焦る私の前で、首を傾げながら無防備な表情を晒している
だが“日本の”と言った時にガバッと食いついてくる勢いで反応した。
「やっぱりそうか」
言いながら、でも待てよ。よく考えたら敵である悪役令嬢のイザベラが転生者とか、ものすごく面倒なんじゃ…そうも思った。
「…はーもー、なんだってこんな面倒な事に」
でもそう言いながら、それでも私はなんだか笑い出したいような気分で、ワクワクしていたのだ。
しかし。彼女といろいろ話しているうちに、これは思った以上に面倒臭いかも知れないと若干後悔もした。
私は勝手に彼女も転生者で同じ乙女ゲームをやっていた同士なのではないかと。そして今は記憶が混乱しているけれど状況説明をして落ち着けば、話し合い次第では上手くタッグを組めるのではないかと思っていたのだが。
まあ、そんな甘い事なんてそうそうない。
彼女は前世の記憶も持つようになった、のではなく、前世の記憶しか持ってなかった。
しかも肝心の乙女ゲームについては全く知らず、(そこから説明しなきゃならないのか…)と腰が砕ける思いがした。
おまけに精神年齢16歳。いや、今年16歳になるというからまだ15歳か。前世年齢ならば実に私の10歳近く年下なわけだ。
道理で言動が幼い訳だ。聞けば何でも答えて貰えると思うのは子供の思考だが年齢を考えれば仕方ないのかも知れない。
更にはかなりなマイペース。こりゃきっと親御さんはいつも「早くしなさい」とこの子を急かしていた事だろう。
何しろ「時間が無いからとりあえず手っ取り早く状況説明するから基本情報だけ叩き込んどけ」と言ってるのに
のんびりと疑問を口にしたり感心したりボケてみたりしている。
目の前で「えへへ」と笑いながら頭を掻いている彼女を見ながら
素直でおっとりした子なんだろうけど、イザベラの顔でそれをやらないで欲しかった…と心底思った。
ちょっと面倒くさくなって、このままほっぽらかしてしまおうかとも思ったのだが、始業式が終わった後に「大変大変」とやって来て
「マクレガーさん、どうしようお家がわからない」
と言われた時には脱力しながら心の中で
(お前は迷子の仔猫ちゃんか)とツッコミを入れ、乗りかかった船だ、もうしょうがない。と腹を括った。
前世年齢大人としてはこんな子供を放っておけないではないか。
そして翌日。
最推しであるクリストファー殿下が落とし物としてハンカチを届けに現れた時に、すっかりその事を忘れていた自分に気付く。
だがやはり間近で見る最推しの破壊力は凄まじく。せっかくだからイベントも熟しつつ、この状況を楽しもうと思った。
けれどもなんというか…イザベラの中の人? は思った以上に幼いようで。
とりあえずカフェテリアでのヒロインVS悪役令嬢のワンシーンを再現してみようと思って台詞も前日に渡していざやってみれば。
幼稚園児とどっこいな大根っぷりで。
危うく腹を抱えて笑いそうになったが表情を引き締め叱りつける。
こんなんじゃ悪役令嬢どころか普通の貴族令嬢としてもやっていけないでしょうが。
あの氷の仮面を被ったイザベラ・ハミルトンはどこへ行ってしまったのか。
ニコニコと柔らかく薄紫の瞳を細めて「マクレガーさんはすごいねぇ」と言う彼女に「しょうがないわねぇ」と苦笑するしかない。
しかし中の人がこんなポンコツになってしまったと知れれば何が起こるかわかったものではない。貴族社会は恐ろしいのだ。
ボロを出さないようになるべく喋らず大人しくしているよう言い含めた。
そして考える。ゲームのイザベラに対する婚約者のクリストファーの態度は冷えていた。
完璧令嬢イザベラの感情を見せぬ隙のない無表情に、この婚約は政略だとわかっていながらもクリストファーは疲れを感じていた。
そんな時に、平民上がりの男爵令嬢であるヒロインと出会い、彼女の素直さや天真爛漫さに疲れた心を癒やされ、次第に惹かれてゆく…
いやいやいや、ちょっと待て。
確かにゲームの設定ではそうだったけれど。今の自分とイザベラを見てみると、ゲームの設定とは随分違ってしまっている。
とてもじゃないが自分が“素直で天真爛漫”だとは思えないし今のイザベラは“完璧”でも“隙のない無表情”でもない。
むしろイザベラは隙だらけで表情豊かだ。
ゲームの通りにクリストファーの感情がそういう理由で冷えていたのであれば、きっと今のイザベラには惹かれるだろう。
であれば政略が上手くいって万々歳じゃないかとは思うがしかし、それでいいのだろうか、とも思う。
(こんな表情ひとつ取り繕えない素直な子供を王妃にするとか、大丈夫なの?)
能力的には問題無いだろう。本人曰く勉強や所作などは身体が覚えているのか難なく出来ると言っていた。
だけど今の彼女は隙だらけで…
(潰されてしまうのではないだろうか…)
ニコニコと笑いながら「マクレガーさん」と慕ってくれる彼女の笑顔を思い浮かべ──
ガリガリと頭を掻いてため息を吐いた。
(こういうのを“焼きが回った”っていうのかしらねぇ…)
乙女ゲームのヒロインが悪役令嬢を『守りたい』と思うなんて…
「参ったなあ。どうすりゃいいのさ」
悩みに悩んだし考えに考えた。そして…
(やっぱりどう考えても今のイザベラに王太子妃、王妃は無理なのでは?)
そう思った。
であれば、やっぱり婚約破棄に持っていくのが、あの子にとっては良いのかも知れない。
もう自分が最推しとハッピーエンドとか夢見てる場合じゃない。
(イザベラの為に、イザベラの婚約をクリストファーに破棄してもらう)
それが私の行動原理になった。
イザベラには「私が最推しのクリストファー殿下とハッピーエンドになる為に協力しろ」と呪文のように訴え続け
ゲームの中でイザベラがヒロインに行っていた虐めの数々を再現した。
だけど不可解な事がひとつ。攻略対象者とのイベントはほとんど熟していないにも関わらず、何故かその攻略対象者からの接近があるのだ。
(なんで? これが所謂“ゲームの強制力”ってやつなの?)
学園の中庭で、校庭のベンチで、彼等攻略対象者との会話イベント的なものが向こうから転がり込んでくる。
(まあ、前世で思いっきりハマっていた訳だし、イケメン達を間近に見られるというのはオイシイからいいのだけど)
と、目の前にある麗しき最推し、クリストファーの顔をじっくりと堪能しながら思う。
だけどそれでわかった事がある。
やっぱり現実とゲームは違う、って事。
確かにクリストファーは見惚れる程のイイ男だ。でも、それだけだった。
(所詮は疑似恋愛、か)
まあ、それがわかっただけでもめっけ物だなと、どこかさっぱりとした気分になった。
しかしイザベラが無事婚約破棄されたとして。その後をどうするかが問題だ。
彼女の家柄を考えれば王太子との婚約を破棄された程度じゃ大した瑕疵にはならないだろう。きっとその後多くの縁談が舞い込んでくるに違いない。
だけど問題なのは、イザベラがゲームのような“貴族令嬢”ではないということなのだ。
今のイザベラが安心して幸せになれる道を模索しなければならない。
そう考えて白羽の矢を立てたのが、彼女の家に養子に入り、彼女と同い年の義兄となった攻略対象者でもあるエリック・ハミルトンだ。
イザベラの親戚の家から養子になったのだが未だ婚約者は居らず、実の兄妹ではない為に婚姻可能だ。
人物としては前世の自分の推しNo.2、クリストファーに勝るとも劣らない麗しさだ。
長身にサラサラとした長めの銀髪。アイスブルーの瞳は一見冷たく思えるが彼の場合はそうはならず、柔らかな視線に春の雪解け水のような温かみを感じる。
向こうから接触してくるのをいい事に、あれこれと話してみても
(うん、人柄も優しいし、頭もキレる)
何よりエリックと結婚すればイザベラはずっと実家で守られるのだ。
(前世でずっと実家暮らしをしてた事を悔やんで変わりたいと思った私が言うのもナンだけど…)
あの幼いイザベラの事を考えれば実家で守られるのが良いのではないかと思う。
老婆心も甚だしいとは思う。けれどどうにも心配で…
そうしてエリックがイザベラを意識し出すよう、さり気なくイザベラを推しつつ、学園でのイザベラVSエミリーのイベント─本来これはイベントではないのだが─を全てやり切った。
断罪に必要な“証拠品”も揃え、いざクリストファーの元へ。
「──以上の事から、イザベラ・ハミルトン侯爵令嬢は殿下の婚約者として相応しい者とは思えず、僭越ながら婚約は破棄、もしくは解消とされた方が宜しいのではないかと存じます」
エミリーがそう言った瞬間、クリストファーの纏う空気が変わった気がした。
それはほんの一瞬の事だったが、確かに胸苦しい程のぶわりとした圧を感じたように思ったのだが…
次の瞬間にはもう、いつもの物柔らかな雰囲気の、麗しい微笑みを浮かべた彼に戻っていた。
(今の…は……?)
気のせいだったのだろうか
「そう。マクレガー男爵令嬢、貴女の言いたい事はわかりました。」
──否。
にこやかに微笑む目の前の男を、本能に近い所で恐れている自分を感じる
「…お、お話を聞いて頂き、感謝致します」
口内が乾き掠れる声でどうにかそう告げ、部屋を出た時には膝が震えていた。
そして迎えた物語のクライマックス、最後の舞台でもある卒業パーティーだ。
正直、乙女ゲームとしての恋のイベントをほぼスルーしている状態な為、この卒業パーティーでイザベラの断罪劇が始まるとは到底思えない。
話をしたクリストファーの様子からしてもあり得ない事のように思う。
けれど“ゲームの強制力が働く”という事も考えられなくはない。
だからイザベラには念の為に、もしそうなった時のイザベラの台詞を書いて渡した。
そして「もし婚約破棄を言い渡されるのであれば、殿下はあなたのエスコートは出来ない、と言ってくる筈よ」と伝えておいた。
クリストファーからのその言葉の有無で、断罪の有無がわかるだろう。
けれど。
イザベラ…………貴女って、予想の斜め上過ぎる…………
卒業パーティーが最後の舞台となる。その事に極度に緊張した彼女は、まだ始まってもいない断罪劇の最後の台詞を
自身の名前を呼んだだけのクリストファーに向かって絶叫したのだ。
「で、で、殿下からの婚約破棄、承りましたわ!!」
会場中がしぃんと静まり返った。驚きで。
居並ぶ面々、全ての人がポカンとしたマヌケ面を晒している。
その事にハッと気付いた彼女は、最初顔を真っ青にしたが、次いで塗り変わってゆくように真っ赤になったと思ったら
くるりと踵を返し、会場の出口へ向かって走り出した
(あっ、バカ、そんなドレスで走ったりしたら)
思う間もなく、ドタン! と派手な音を立てて前のめりに彼女は転んだ。
(あっちゃー…)
もう目も当てられない…どうしよう。我が事のように恥ずかしい…側に行って一緒に土下座でもするか?
そう思った時、彼女が大号泣した。
「もうイヤーーー! うわあぁぁぁん!」
(うん、気持ちはわかる。わかるがしかし…ええと、どう収拾をつけようかな…)
そう思っていると、ふと近くで忍び笑いが聞こえた。
見ればクリストファーが頬を緩ませ、今まで見た事もないような優しい表情でイザベラを見ていた。
(え…?)
驚き固まる目の前を通り過ぎ、クリストファーはイザベラの元へ行くと、泣いている彼女の背を宥めるように撫で、フワリと抱き上げた。
それは最高に素敵な一場面。
(こんな素敵なスチル絵、初めて見たわ…)
イザベラを抱きかかえて颯爽と出ていったクリストファーの後ろ姿を呆然と見つめた。
✼••┈┈┈┈┈┈┈••✼
(あーあ、全く。とんだ道化だったわね)
その場を収めたエリック達と一緒に、イザベラとクリストファーが待つ別室へ向かった。
そこでクリストファーから聞かされた話に驚き、そしてなんだか可笑しくなった。
クリストファーは最初から…あの始業式の日から、わかっていたのだ。
イザベラの様子がおかしいと思った彼は、イザベラにもエミリーにも自身の影を付けていた。
全て見られて報告されていたのだ。イザベラと二人でやってきた、断罪される為の証拠作りも、その為の相談や打ち合わせも、全て。
攻略対象者達が接近してきたのも、ゲームの強制力なんかじゃなかった。
単に彼らがクリストファーの側近だったから。
だからクリストファー自身やその側近達が、エミリーを探ろうと近付いただけだった。
(それをまあ、私ったら勘違いして)
これが自嘲せずにいられるか。
そしてイザベラの態度…クリストファーを見るその視線の温度を見て、漸く気付いた。
(あの子ったら、私がクリストファー殿下の攻略をすると言ったら「わあ、頑張って!」なんて言ってたのに)
その様子から、彼女はまだまだ子供で、恋という感情を知らないのだと思っていた。
(それなのに…いつの間に)
イザベラがクリストファーに
「婚約破棄をしたかったのか?」と問われた時に見せた表情は─
青褪めて涙目で。クリストファーを失いたくないと必死で訴えていた。
イザベラだった記憶を無くし、前世の記憶だけになってしまった彼女を守りたかった。
その為に必死でやってきた事全てが…
(まあ…無駄だった、という訳だ)
クリストファーがイザベラを見つめる視線は熱を持っており…
(何よ、溺愛じゃないの。こんなにガッチリ護りを固めちゃって)
全ては己の杞憂だった、という事だ。
でも、それなら大丈夫だろう。ゲームの中の、イザベラに対して冷徹で、心を許していなかったクリストファーではなく、今の彼なら
(きっとこれからも、イザベラをしっかり護ってくれるわ)
私はゲームのヒロインなんかじゃなく、ただの道化だった。
想い合ってる二人の仲を引き裂こうとするなんて…
(私の方が悪役令嬢だった、って事か)
悪役令嬢は断罪されて退場、がお約束だ。
(それなのに…あの子ったらどこまでお人好しなんだか)
「マクレガーさんは何も悪くないの! イザベラの記憶が無くなって、何もわからなくなっちゃった私が頼れるのはマクレガーさんだけだったの!」
イザベラがそう、必死で庇ってくれた、守ってくれたから、エミリーは何のお咎めもなく放免された。
守ろうと思っていた者に守られるだなんて
(やれやれだ。全くもって、やれやれだ)
嘆息するが、でも。
(まぁ、いっか)
結局、何も出来なかった。
乙女ゲームのヒロインになって、キラキラの恋を追い求める事も、自分にとってのヒロインになった彼女を守る事も。
それでも、何もせずにただ漫然と日々を過ごしていた前世の自分よりは、マシだったんじゃないか。
そんな気がする。
エミリーの物語は、これで終わりだ。
そう、思っていたのに。
「エミリー・マクレガー男爵令嬢、どうか私の手を取ってくれないだろうか」
春の陽だまりのような優しい眼差しでそう告げたのは、イザベラの義兄、エリック・ハミルトンだった。
クリストファーに命じられてエミリーに近付いた筈の彼が、エミリーがイザベラを任せたいと思っていた彼が─
「ずっと気になっていた。そして全てを聞いた今、君の優しさといじらしさに、どうしようもなく惹かれている。私と、共に生きて欲しい…」
そう言ってエミリーの指先に口づけを落とすエリックは、前世で見たスチル絵なんかよりずっと素敵だった。
吃驚だ。
ゲームとは違うこの世界は、何が起こるかわからない。
エミリーはなんだか笑い出したいような気分になった
(それにまぁ、彼と結婚すれば彼女と姉妹になれるしね)
物語を終わらせるには、どうやらまだ、早いらしい
エミリーは晴れやかに笑った。