8.信頼
「忌々しい【暴食】の権能か……だが、効かないな」
【暴食】は確かに発動したし、なんなら一瞬だけきちんとお腹は満たされた。
……でも、次の瞬間それは吐き気に変わり、わたしはその場に蹲り吐いてしまった。
まずい。味なんてしないし、口に入れたわけでもない。
吐いても吐いても、その吐き気は治まらない。
「どうした? その力で腹を満たすのではないのか?」
「っ、この――」
「ダメよ! 耳を貸さないで!」
その態度が気に食わない。
見下して、わたしのことを『要らない子』だと思っているその態度が気に食わない。
わたしは、もう一度【暴食】を発動させて、『影』に向けて黒い粒子を放つのだが――効いた様子もなければ、今度は吐き気だけでは済まなかった。
「~~!?」
全身に痺れるような衝撃が走る。
立てなくなるくらい手先が震えて、チカチカと視界が点滅する。
寒い。寒い。寒い。
歯を鳴らして、『影』を見つめる。
「ふん、所詮忌まわしき力……この世界には必要ない。故に、死ね」
「――っ」
痺れて動けないわたしに『影』は手を伸ばす。
カトレアがこちらに駆け寄っているのがゆっくりと見えた。
……走馬灯、とどこかで聞いたことがある。
死ぬ間際に、今までの記憶を一瞬で追体験するという……前世で死ぬときにはそんな気配はなかったのに、どうして今はそんなことをしているのだろう。
――前の生活は今なら分かる。最悪だった。
ずっと、奴隷のように奉仕して、殴られたり怖い目に遭ったり……。
これから、なんだ。
わたしは、これからなのに――嫌だ。こんなところで、死ぬのは嫌だ。
「―――アイリスちゃん!!」
カトレアは必死に手を伸ばしていた。
わたしは、間に合わないと知りながらそれに手を向ける。
……胸を貫く『影』の腕。
遅れてやってくる、喪失と……
「ごふっ」
口から血だまりを吐き出す。
地面に倒れると、生温かい血がわたしを出迎える。
どんどん失われていく血液。
大きな穴が開いて、心臓も失われてしまった。
もう間に合わないと、分かってしまう。
前と違って悔いだらけの、終わり。
……ああ、死にたくないなあ。
もっと、たくさんお腹いっぱいになりたかった。
…………。
――わたしは、真っ白い空間にふわふわと浮かんでいた。
ここは、どこだろう。
どうでもいいかな。
死んだんだし。
死んだら、どうなるんだろう。
死にたくない。
どうしようもない。
どこかへ流れていく。
よく見渡せば、大きな球体がある。
そこへ向かって、わたしたちは流れていく。
……誰かに呼ばれている。
それは前と後ろから同時に聞こえてくる。
そこへ行かないといけない、気がする。
―――まだ、早いですよ。
優しい声が聞こえる。
ずっと、聞いていたいような声がする。
……でも、その声の主は来てはいけないと言っている。
わたしは……目を閉じて、そして目を開ける。
そこには、大きな球体を抱きしめる美しい女性が――
***
「――アイリスちゃん! 目を開けて! アイリスちゃん!」
誰かが名前を叫んでいる。
誰のことだろう。
ああ、わたしのことだ。わたしがわたしに名付けた名前。
ゆっくりと、目を開ける。
「ああっ、アイリスちゃん……っ」
「カト、レア……?」
そこには涙を流してわたしに抱き着いていたカトレアの姿があった。
血塗れになるのも気にしていないようで、自分の血ながらかなり鉄臭い。
「そうよ。お目覚めの気分はいかがかしら?」
「……お腹、空いたかな」
「うふふ、そう。じゃあ、私を食べなさい」
躊躇いもなしにそう言ってのける。
けれど、口の中に何か噛み千切ったような感触が残っている。
……それだけで、わたしが何をしたのか理解してしまった。
食べていいとは言われているけど、なぜか今は気が退けてしまった。
「あの、『影』は?」
だからか、話題を変えて話を誤魔化すことにする。
「ええと、どこかへ行ったわ」
「……そう」
少し、カトレアの反応に違和感を覚えるも……わたしは、目を覚ましたばっかりなのに、また眠くなる。
カトレアはどうしてここまで献身的になれるのだろう。
出会って、間もないのに。
「ふぁ……」
けれど、そんなことどうでもよくなるくらいカトレアの傍は居心地がいい。
わたしは、抱き着くように眠りの姿勢に入る。
「おやすみ、アイリスちゃん」
……カトレアに身を預けて、わたしの意識は落ちていく。
――今度は、寂しくない。
どうして、私はこう…主人公を死の淵にたたせるのだろう()