7.吐き気
――カトレアは、手をかざして……大きな火の球を生み出すとそれを『影』に向けて飛ばした。
「ふむ……」
そう呟くと、『影』はたくさんの手の内のひとつを動かしてその火の球を掻き消す。
さらに、カトレアのほうに手を伸ばして、首を掴むと、ぎりぎりと締め上げる。
「あ、ぐ……」
苦しそうにもがくけど、『影』の手はビクともしなかった。
――パリン、とまた何かが砕けるような音がすると、『影』を中心に風が渦巻き、大きな竜巻となって切り刻んでいく。
けれど、『影』はもう一つ手を使って、その竜巻を吹き飛ばした。
「この程度、か……では、死ね」
首がへし折れる。
目は光りを映さなくなり、力なく地面に横たわる。
……カトレアは死んだ。
まず間違いなく、死んでしまった。
「あ、あぁ……」
胸の辺りが苦しい。
次にこうなるのはわたしだと、そう示しているようで怖い。
「……っ!」
だからなのか、わたしは恐怖を無理矢理抑えつけて……殴りにかかる。
何がそんなに怖いのか、わたしには分からない。
一度覚悟を決めると、震えは止まり……わたしは、思い切り踏み出した。
「やぁ!」
殴り方なんて分からないから、ただ思い切り殴るだけ。
幸い、今は体はばっちり動かせる。
だから、手応えはあった――はずなのに。
「なるほど……温いな」
「――あぐっ」
『影』はわたしの拳を素通りさせると、そのまま腕を固定して、わたしを拘束する。
そこから手が這いより、わたしの首を捉える。
呼吸ができなくなり、体が強張ってしまう。
自由に動く左手でなんとか、はがそうとしても徐々に力が抜けていく。
「……ぁ」
足が地面につかないくらいに持ち上げられると、さらに首が締まる強さが跳ね上がる。
苦しくて、だんだんと死が近づいてくる。
「……火竜を殺したこと。悔いて、死ね」
「――いいえ。死ぬのは、あなたよ!」
「何ッ!?」
声がしたと思ったら、わたしの首から『影』の手は離れていき、強風に叩きつけられたかのように、吹き飛ばされていく。
……カトレアは、無傷の状態で立ち上がっている。
やっぱり、あれしきのことでカトレアが死ぬわけなかったんだ。
「逃げるわよっ」
「う、うん」
しかし、カトレアには余裕が見られない。
わたしの手を引いて、細い腕からは考えられないくらいの力で引っ張られる。
……ちょっとだけ、痛かった。
「逃げるって、どこに?」
「どこでもいいわ。少なくとも、人目のあるところにあれは現れないはずよ!」
カトレアと必死に森を駆け抜ける。
今のところ追っているようには見えない。……あの姿を想像するだけで、体が震えてくるような気がしてならない。
「………」
「分かるわよ。あれは、私たちの天敵だからね――そう感じるのも無理ないわ」
わたしが黙ると、何を思ったのかそんなことを言ってくれる。
「――っ」
「アイリスちゃん!」
後ろから嫌な予感がして、二人で反対の方向に横跳びする。
その間には『影』の手が通り過ぎていき、わたしは後ろを振り向くとそこにはやっぱり、『影』が佇んでいた。
「逃がすものか」
「っ! しつこいわねえ!」
カトレアは鬱陶しそうに叫ぶと、目の前に風が起きて『影』を吹き飛ばそうとする。
しかし、腕を何本も使うことで、それを掻き消し……カトレアの胸を貫いた。
「ごほ――っ」
けれど、カトレアは倒れず……風を起こして、『影』を吹き飛ばそうと何度も魔術を放つ。
……わたしも何かしようと考えてみるけど、殴ることくらいしか思いつかない。
殴ったら、また捕まってしまうかもしれない。
でも、何かしないと……。
「――【暴食】……」
力で敵わないなら、食らってしまえばいい。
けど、今はお腹は空いていない……本当に? あれだけ走って、この燃費の悪い体はお腹が空かないのかな?
「――!」
わたしは、念じてみる。
すると、少ないながらも黒い粒子が発生する。
それを『影』に向けて解き放つ。
わたしの飢えを満たすために、その『影』を食らおうとして……
「っ、ダメ! アイリスちゃん!」
「え? ……っ!? おぇぇ」
わたしは今まで感じたことのない吐き気に襲われた。