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12.名前のない蛇はぬくもりがほしかった

 わたしが生まれてから、一度もいいことがなかった。

 自意識なんてものはなく、教えられたことをたんたんとこなして、たまにすごく痛い思いをして涙をこらえるだけの日々。


 それだけで、なにもない。わたしにはなにもない。


 ――これ、やっといて。


 ――はい。


 言われたことに応えて口答えせず、なにもない空気のように……そうしていれば、生きていくことはできたから。


 ――あ? こっち見てんじゃねえよ。


 ――ごめんなさい。


 時々、空腹に耐えかねて父の食べ物を羨ましくて見つめてしまうこともあった。

 食事の時間はたいてい家事をしていたから、こうして間食の多い父が食べている場面しか知らなかった。

 わたしはそれを見つめながら、おとなしくあまりものを口に運ぶ。


 それは、まだ運がいいほうで……ご飯が当たらないことのほうが多いから。


「……ああ」


 そんな、今更なことを思い返して何になるんだろう。

 結局わたしは、最後の最後に噛みつくことしかできなくて……なにもできずに、死んでしまったんだから。


 そこからの人生は、輝いているようでいて、結局変わらないものだった。


 ――うふふ、可愛いわね■■■■ちゃんは。


 たったひとつ、まぶしいような、温かいような人を除いて。

 飢えた獣から、自分を知らない子供になって。

 けれど、それは一方的で、わたしはあまり返事を返さず……初めて優しさに触れて、戸惑うばかりでずっとその愛情を受け取るばかりで。


 ……わたしはどうしたらよかったんだろう。


 失ってからようやく素直になって、言葉にできそうなのに。

 肝心の相手はもういない。


「会いたいなぁ」


 死ぬ間際。

 こぼれ落ちた言葉は、きっとわたしの奥底に眠る本音であり……望みだったのだろう。


 もう一度、カトレアに会いたい。

 けれど、死んだ人とは会うことは無理な話で。


 だけど、言葉にしてしまえば簡単に引っ込めるものでもなくて、


「カトレアに、会いたいよ」


 カトレアの顔を思い浮かべるだけで、胸が締め付けられるような感覚になる。

 痛くて、チクチクと鋭く刺してくるような……空腹の次くらいに苦しい。


 キュウっと締め付けられて、どうしてこんな気持ちになるのかすらはっきりしていないのに。

 カトレアはわたしの心を掻き乱してしまう。

 きっと、生きていても死んでいてもそれは変わんないんだろうな。


 ……でも、どうせなら隣にいてほしかった。

 こんな思い出の中で、かき乱すんじゃなくて、見て聞いて触って……その思い出を重ねていきたかった。


「――っ、貴女、やっぱり」


 システィアが何かに気づいたように、わたしのことを見つめてくる。

 気がつけば、攻撃は止まっていてわたしの鼻先に触れるか触れないかのところでぎりぎりだった。

 さっきまであんなに苛烈だったのに、今はとても静かだ。


「本当は、ただ寂しいだけなんでしょ」

「………」


 断言するシスティアにわたしは何も言えない。

 空腹と、何より孤独が嫌い。

 人肌はずっと手に入れられなかったものだから、それを失った途端にとても大きなものだと気付かされて。


 だけど、失ってしまったから。

 取り戻すことなんて、できないから。

 わたしは、別に興味もない復讐になんてものに夢中になろうとして。


「ばか、みたい」

「そんなことないよ!」


 否定は虚しく、わたしに響かない。

 だって、わたしが一番よく分かっている。

 何もしたいこともなくて、ただ漠然とお腹を満たすことしか知らなくて。

 そんなわたしが、世界に対していったい何ができるというのか。


 意味のない復讐ほど、ばかなことはない。


 それを、分かったかのような顔して否定してくるシスティアの態度にわたしはどう返せばいいの分からない。


 わからないことばっかりで、ずっと「わからない」って言い訳し続ける自分に嫌気がさす。


 もう、なにもかもが気に入らなくて――


「う、うぅ……」


 なにかが崩れ落ちる音がする。

 気が付けば力も収まって……わたしは座り込んで泣きじゃくっていた。


 手のひらで瞼を覆って、人目も気にせず涙をこぼす。

 その姿は子供そのもので、誰かの前で泣くなんて初めてのことでわたしは恥ずかしさと止められない涙に頭がぐちゃぐちゃになってしまう。


 あの時こうしておけばよかった――なんて後悔が頭の中に沸いては胸が締め付けられて、息が詰まる。


「あ、ちょ、泣かないでよもう……」

「……泣いてないもん」


 困ったなあ、とつぶやくシスティアにわたしは子供じみた反論しかできなくて。

 目を真っ赤にして頬を膨らませても説得力はないだろうけど、なんとなく返さなくちゃって思ったんだ。


「はぁー……こんなことされたら怒る気も失せるってもんだよ」


 システィアはため息をつくと、わたしを立たせようと手を差し伸ばしてくる。

 わたしに触れることをためらいもしない、……人の『ぬくもり』とはこういうことなんだろうか。


「ああ……」


 わからないから、わからないなりに必死に考えて思いつく。

 わたしがずっとほしかったやさしさ、愛――『ぬくもり』というのは、ずっと側にあって、それをわからないと気づかないふりをしていただけ。


 他者に手を伸ばして、優しく接する……それは、システィアもカトレアもわたしにしてくれたことに変わりなくて、


 それを知らず、ずっと飢えていたわたしはなんて愚かだったんだろう。



 わたしの『飢え』は、『暴食』はわたしの勘違いから産まれたもの。

 わたしが求めていた、ずっと飢えていたものは空腹じゃなくて――


「人の愛、だったんだ」


 当たり前にある、ささやかなものだったんだ。



***



 いまさら、家族に対して思いを馳せる。

 ひどい両親で、わたしを害する敵で……だけど、心のどこかであの人たちに『愛』を求めていた。


 ――わたしを愛して、わたしを見て、わたしを捨てないで。


 ――わたしを満たして、わたしで満たされて、わたしを幸せにして。


 それは叶わぬことだけど、わたしはひどく飢えていたんだ。


 だから、わたしに向けられていないと知っているのに家族の親愛を向けるアイリスの姉を無意識に大切に扱った。

 わたしを見て、構って、掛け値なしに愛してくれるカトレアが大好きだった。


 ……そして、握手をしただけの、知り合いを『放っておけないから』とここまで駆けつけてくれたシスティアをわたしは、



 ―――トス


「……、…………あ」


 胸を貫く、不気味な黒いナニカ。

 背筋が凍りついて、気持ち悪くて、嫌な気持ちになる。

 吐き気がして、お腹がひっくり返りそうなこの感じは


『夢は見れたか? 【暴食】』

「か、げ……こふっ」


 血を吐き、『影』はわたしから何かを引き抜く。

 それは、わたしにとっての『心臓』。

 真っ白で赤い目をした小さな蛇。


実験体アイリスの体を使っているからもしやと思い、ここまで来てみれば……思わぬ幸運だった』


 そう、か。

 あの森――わたしが目覚めた森で、アイリスがあそこで倒れていたのも、あなたの仕業。


「ア――ガ」


 形を維持できない。

 わたしという魂が零れ落ちる。

 ……死ぬ。

 それは、避けられないけど、やっぱりいやだな。


『魔物因子を植え付けて、不出来な魂を作りお前らの尖兵にするつもりだったが……逆に利用されるとは。

 いやはや、女神も侮れない。

 思えば、あの再生するゴブリンも、絶望して都合よく記憶を改竄した人間も、……カトレア。神を篭絡する娘も、邪魔ばかりしてくれた。

 だが、それもこれまでだ』


「あ、――――」


 痛くて苦しくて吐きそうなこの気持ちも、あっけなく消えていく。

 蛇が握りつぶされれば、わたしという存在は消えてしまう。

 いや、死にたくない。こんな形で死にたくない。


 ひとりはいやだ、ひとりにしないで、だれかそばにいて。


 救いを求める声すら出せず、わたしは手を伸ばすことすら許されなくて……


『では、死ね。苦しみ、もがき、呆気なく。

 我々の進化への道を邪魔した罰だと、かみしめながら』


 意識が暗転する。

 どこかへと落ちていく。

 ……もうあの、白い場所にすらいけない。


 わたしは完全に、もう疑う余地すらなく、



 ―――死んだ。


 最後に思うことはすぐに分かった。

 寒いのは嫌だってことと、誰かと寄り添ってぬくもりを得たいということ――。

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[良い点] ぬわぁぁぁ!蛇ちゃぁぁぁん!
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