6 兄の死
天正14年の冬、俺は藤堂家の屋敷に寝転がりダラダラしていた。
普段なら藤堂殿に戦や政のイロハを教えて貰っているが彼は今、京にて徳川家康の屋敷を作っているのでここにはいない。
家臣も半分くらいは出払っておりまあ相手をしてくれるのが半右衛門くらいなのだ。
「ちっ、暇だなぁ。なんか面白いことでもないかな?」
俺が鼻をほじりながら半右衛門に聞く。
「面白いこととは……。我らは人質ゆえ好きに外出も出来ませぬしうーむ、この。」
「そういえば九州ではそろそろ戦が始まるそうじゃな。」
そう、先日豊後の大友宗麟が島津家の圧迫に耐えきれず秀吉に助けを求めてきた。
秀吉もこれに乗り毛利家と長宗我部家に先鋒を命じた。
まあその後どうなるかはみんな知ってるよね。
「ええ。殿も三千の兵で出陣されたとか。」
「まったく、他の四国勢を合わせても一万にも満たぬ軍勢で誠に島津に勝てるはずがないだろうに……。」
「そのようなことを仰られるのは……。」
「分かるだろ、島津は三千で三万の龍造寺軍を壊滅させるような連中だぞ?あの龍造寺隆信と四天王が手も足も出ずに負けた相手だ。殿下は島津を過小評価している、若しくは……。」
この先のことは推測なので分からないが豊臣秀吉ともあろう男が耳川の戦いや沖田畷の戦いを知らないはずがない。
そもそも四国勢と言いながら秀吉重臣の蜂須賀殿は合戦には出ていない。(まあ小六殿が死んだからかもしれないが。)
おそらく長宗我部の力を削ぎたい秀吉or秀吉の側近の謀略だろうな。
「では殿や父上は……。」
「危ういだろうな。」
そんな話をしていると藤堂家の従者がやってきた。
「千王丸殿、関白殿下がお呼びでございます。」
「えっ!?」
唐突の秀吉からの呼び出しに驚きながらも俺は大坂城の本丸に1年ぶりにやって来た。
「お久しゅうございます、殿下。」
俺は丁寧に頭を下げる。
秀吉は以前会った時よりも威厳は増したが表情が暗い。
「よう来た……。実はそなたに謝らねばならない事がある。」
「九州のことですか?」
俺が聞く。
秀吉は何故それをって顔をしてる。
「むっ、これはまだワシと1部の側近しか知らぬ話。何故分かる?」
「だいたいの予想はしておりました。父上は?」
「まだ分からぬ。されどそなたの兄は討ち取られたそうじゃ。」
「なるほど……。それで私に何を?」
「うむ。此度の失態は仙石権兵衛にある。その者を裁く席にお主も来ると良い。」
えっ……?
なんで?
「何故でございますか?私はまだ7つの子供。そのような場所にいる立場では……。」
「小一郎や高虎からそなたの話はよう聞いとる。少なくともゴンよりは頭が回るはずじゃ。せめてもの詫びじゃ、これも食え。」
そう言って秀吉は饅頭を差し出した。
俺はゆっくりと前に出てそれを受け取ると一気に頬張った。
「なかなか威勢が良いのう。宮内少輔は酷く気落ちしているであろう。お主も土佐に戻るが良い。」
なに!?それはダメだ。
まだコネが藤堂殿しか出来てない。
「いえ、私は畿内に残り殿下のお傍にお仕えしとうございます。」
「なに?わしの傍じゃと?」
「はい、このようなことになったのは土佐が畿内より何もかもが遅れていたからでございます。なれば殿下のお傍にて新しいことをしかと学びとうございます!」
「おっ、お主……、よく出来た子じゃ。さすがは宮内少輔の子。良かろう、これよりはワシの直臣となれ!」
えっ、そこまで行くの?
俺は藤堂殿の所にいるつもりだったんだけど……。
「私のような若輩者が殿下にお仕えしてよろしいのでしょうか?」
「構わぬぞ!かと言ってお主はまだ7つ。10歳になるまでは高虎やワシの家臣から沢山のことを学べ。その後ワシの所に来るが良い!」
「ははっ!有り難き幸せにございます!」
フッ軽すぎる……、流石は人たらしだ。
とはいえこれなら福島正則や加藤清正ともコネが作れそうだ。
「では治部の元で計算などを学ぶと良い。治部、こちらは千王丸じゃ。」
「石田治部じゃ。よろしく。」
え?
1番苦手な数学をしかも石田三成の元でだと!?
俺は呆然と座り尽くすしかなかった。