47 あいつについて
ネタ回です
ところで、読者の皆さんは長宗我部の話なのにあの男が出ていないことを疑問に思っているだろう。
そう、長宗我部の家臣たちを苦しめ、虐殺した山内一豊である。
彼はどうなったのか説明しよう。
時は慶長5年、関ヶ原の戦いから2ヶ月後くらい。
俺は家康の元にいた。
「内府殿、実は折り入ってお話が。」
「なんじゃ?もう加増はせんぞ?」
「それが実は山内対馬守が敵と内通していた書状を当家のものが手に入れました。」
そう言って俺は家康に書状を差し出す。
もちろん偽物だが精巧に作らせている。
「なっ、なんと!あやつは本戦でもほとんど活躍しておらなんだがそういうことか!」
「内府殿、私に対馬守討伐を任せて頂けぬでしょうか?」
「えぇーい!ワシをコケにしおって!貴殿に忠吉と井伊とを付ける。直ちにあれの首を取ってまいれ!」
「ははっ!」
はい、引っかかったー!単純に死ぬほど嫌いだから殺すだけでーす!
ともかく、大義名分を得た俺は一万の自軍と徳川軍六千と共に遠江に侵攻した。
中村、堀尾、池田ら周辺諸国の兵も従い三万にまで膨れ上がった討伐軍は一気に山内家の居城の掛川城を包囲した。
「よく聞け、一領具足の者どもよ!我は昨日、我が生まれなかった世で対馬守が兄に変わり土佐に入り、皆を殺し、田畑を燃やす夢を見た!これは断じて許せぬ!城にいるのもは皆殺しにせよ!」
テキトーだが事実だ。
俺は包囲軍を動かさず手勢一万だけで突撃した。
「いいな、女子供もみな殺せ!土佐の民を虐殺し長宗我部の誇りを傷つけたこと、後悔致せ!」
敵も味方も意味不明だと思うが俺は無視して殺しまくった。
「あれは、山内家の娘でございます。如何なさいますか?」
「うるせー!知らねー!殺しまくれぃ!」
俺は容赦なく首を切り落した。
さらにかの有名な山内一豊の妻の千代も発見した。
「元はと言えばお前のせいだ、死ねやっ!」
それを見てものすごい形相でこちらを睨みつけてる男がいた。
「きっ、きさま!良くも千代を!」
「お前が、山内対馬守かァッ!死ねやっッッ!」
俺は銃を抜き山内の頭に弾丸をねじ込む。
「ゴミがっ!ゴミがっ!ゴミがっ!ゴミがっ!ゴミがっ!ゴミがっ!ゴミがっ!ゴミがっ!ゴミがっ!ゴミがっ!ゴミがっ!ゴミがっ!ゴミがっ!ゴミがっ!ゴミがっ!ゴミがっ!ゴミがっ!」
その後は滅多刺しだ。
「殿っ……。」
「好きなだけ乱取りせよ。俺が許可する。」
「ははっ!」
こうして掛川の人口の3分の2が消滅した。(特に掛川に恨みはない。)
というのが山内一豊の末路でありかなり強引なのだが俺本人が山内一豊が憎くて仕方なかったから満足している。
ちなみに功名が辻は放送されてないし戦国武将総選挙にランクインもしていない。
ただのアホとして後世に伝わっている。
ちなみにその後、山内家の血縁のものが母上の女中にいたがもちろん殺したし板垣退助の先祖も多分死んだしついでに儒学者も始末した。