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41 最終回?

「おのれ真田ァァァァッ!長慶公が!信長公が!明智殿が!太閤殿下が!ワシが作り上げた泰平の世を潰すつもりかッ!」


徳川家康は何度も地面を叩きつけた。

真田信繁と毛利勝永の猛攻により既に幕府軍は崩壊している。

本田忠朝も小笠原秀政も討ち取られた。

全て、全ては真田……奴のせいだ……。

家康は怒りが抑えきれなかった。


「大御所様!お逃げください!」


「黙れ正純!信繁と一刀交えて奴を討ち取ってくれるわ!」


「おやめくだされ!無謀です!」


「黙れ黙れ黙れ!なんのためにワシは信長公に理不尽な要求をされ、明智殿に信長公を討たせ、農民上がりの太閤に頭を下げてきたと思っておる!全ては泰平の世を作るためじゃ!それを真田が……真田がぁッ!おお、聞こえるぞ。馬の蹄の音が聞こえるぞ……。真田が真田が来る!」


この時、家康の脳裏には三方ヶ原の戦いで真田昌幸に追い詰められた光景がフラッシュバックしていた。

家康は半狂乱状態だったのだ。


「見つけたぞ!徳川家康殿!その首、ちょうだい致す!」


「大御所、お逃げくだされ!」


「邪魔だ!」


信繁は斬りかかってくる旗本を難なく叩き潰すと家康に短筒を構えた。


「何故ッ!何故泰平の世を壊すッ!戦の世が戻れば民が苦しみ、田畑は燃え、その隙に南蛮が攻めてくるのだぞ!」


「それでも、それでもワシはお前を討たねばならぬのだッ!勝頼公、仁科様、山県様、馬場様、内藤様、信綱叔父上、太閤殿下、石田殿、大谷殿、後藤殿、木村殿、そして父上!皆との約束を果たさねばならぬのだ!」


「愚かな!実に愚かな男よ!それと泰平、どちらが重要か考えよ!」


「黙れっ!お前が卑劣な手を使って創った泰平の世など要らぬわッ!」


信繁が引き金に手をかける。


「くっ!」


家康は死を覚悟した。

そして銃声が鳴り響く。


「危なかったですね。大御所様。」


「おお、長宗我部殿!」


いやー、危なかった、危なかった。

信繁の銃が地面に落ちる。


「長宗我部殿か……ッ!」


「兄上を誑かしたな。覚悟致せ。」


俺はハンマーを引きトリガーに指をかける。


「佐助!任せたぞ!」


信繁がそう命じると煙幕が経ちそれが消える頃には奴の姿は無くなっていた。


「逃げられたか……。」


「いやいや、長宗我部殿!誠に忝ない!ワシは奴の姿が夢に出てきて魘されておったのじゃ。その呪縛とも今日でお別れできる!」


家康は俺の手を握りしめて言う。


「大御所様、戦はまだ終わっておりませぬ。現に毛利と婿殿が今も……。」


「うむ、そうじゃな。そなたに全軍の指揮を任せる!軍を立て直してくれ!」


「ははっ!承知致しました!」


命じられたからにはやるしかない。


「水野隊と伊達隊に早馬を出せ!それから上様の後ろの尾張勢は大御所様の軍勢を守りつつ後退させろ!」


「ははっ!」


「浅野勢にも動くように命じろ!鶴翼の陣で飲み込んでしまえ!」


一気に幕府軍は持ち直した。

それまで鬼神の如く戦っていた毛利勝永は兵を引き真田信繁は婿殿に討ち取られた。

その後井伊直孝らの攻撃により秀頼、淀君らは自害し大坂城は炎に包まれた。


「燃えておるな。我らの城が……。」


黒田長政は名残惜しそうに城を眺めていた。


「仕方あるまい。それにしても幕府軍は乱取りをしておるな。」


「うむ、これを後世に伝えるために絵を書かせようと思う。」


「それは良きお考えで。」


これが後世有名なあの絵である。

やはりかつて過ごした場所が燃えているのは見ていて辛かった。

妙な喪失感に捕らわれ事後処理を済ませ、大坂を後にしたのは1週間後だった。


「忠親、ご苦労だった。それで淡路を召し上げ、讃岐を与えようと思うのだが……。」


秀忠が俺に提案する。

ありがたいね。


「うむ、お頼み申し上げる。」


「随分と老け込んだな。やはり実の兄を殺すのは辛いか?」


「殺すのは私ではありませぬ。今も牢に?」


「明日、晒して明後日に昼から引き回しにして斬首だ。なんの曇りも無い顔をしておられた。会わなくて良いのか?」


「嫌でも明日会いますよ。」


そして雨が降る次の日、門前に盛親は晒されていた。


「敵の縄目を受けるとは惨めなものじゃのう。」


盛親を見下ろして譜代のガキ共が偉そうに言っている。

不快だ……!


「おい……」


俺が行こうとしたところを隣にいた島津忠恒が塞いだ。


「おい、門番!土佐の国主であられた長宗我部殿を雨に打たれるとは何たる無礼!直ぐに傘を持ってまいれ!」


「すまぬ、島津殿。」


「なに、日頃世話になってる長宗我部殿の兄上に無礼は働けませぬ。」


長政も舅殿も、戦国を知る連中は皆労いの言葉をかけた。

井伊直孝なんかは料理すら振舞ったらしい。

そして処刑の日。

俺は六条河原の刑場に来た。


「忠親……来てくれたみたいだな。」


「兄上、讃岐を上様より頂きました。これで四国のほとんどは長宗我部が取り返しました。」


「ふん、やってくれたな。父上や兄上にはあの世で報告しといてやる。土佐と四国のこと、任せたぞ。」


「ははっ!」


何故か涙が出ていた。

昔は憎かったけどやっぱ別れは悲しいな。


「兄上の弟になれて幸せでございました……!」


「ああ、俺もだ。」


俺は涙を拭いながら刑場を後にした。

その後まもなく長宗我部盛親は斬首された。

享年41。

最後の最後で父や兄弟に劣らぬ活躍を見せた紛れもない名将だった。


その後、長宗我部忠親は家督を嫡男の家親に譲り徳川秀忠の側近として幕府に仕えた。

しかし秀忠が死去すると跡を継いだ家光からは軽んじられ遠ざけられた。

これにより四国では徳川幕府への不満が爆発し1651年、由井正雪と共に幕府へ反旗を翻し畿内を制圧、朝廷から徳川幕府征伐を命じられ瀬田にて井伊直孝ら幕府重鎮を討ち取るもその後続々と現れる幕府軍についには叶わず、嵐山にて自害して果てた。

最期の言葉は「江戸は遠かったか……。」

その後長宗我部家は改易され一族は処刑されるも縁戚の細川家や越前松平家に1部は引き取られ後に倒幕に加担したらしい……。


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