26 大一大万大吉
1週間後、休んだ俺は三成の晒されている大津城に入った。
家康に呼ばれているからなので三成に会うのはなんか気まずい。
大津城の城門を超えるとボコボコにされたのか泥だらけの三成が座っていた。
「あの石田殿……。」
「その声は千王丸か、久しいな。」
「こうしてまともに話すのは10年振りくらいです。未だに貴方に奢っていただいた天ぷらの味は忘れませぬ。」
「泣かせることを言うな。お前が金吾を調略したそうだな。」
「ええ、旧知の仲でしたので。」
「お主に手を回しておけば良かったと後悔しておる。どうしたら味方になってくれた?」
「私は秀忠との友情もあります。残念ですが敵対するのは宿命でした……。これはあの時の恩返しです。」
そう言って俺は心ばかりの握り飯を差し出した。
三成は手を縛られていたので俺の手の上に乗った飯を貪った。
「本来なら大名料理で持て成すところを申し訳ありませぬ。」
「いや、お気になされず。お気遣い感謝いたす。」
これが三成との最後の会話になった。
ひと月後、三成は京の六条河原で処刑された。
その翌日、俺は大坂城に呼び出された。
待っていたのは本多正信である。
「さて、淡路殿。論功行賞でござるが此度の戦にて小早川中納言の内応、江戸中納言様を引き止められ島津維新入道を討ち取り内府様への突撃を防いだこと、誠にあっぱれでござる。これにより洲本6万石を安堵の上、紀伊4万石より土佐、阿波2カ国を与える。ただし土佐に関しては再度検地を行い石高を報告すること。それから正四位下参議に任ずる。」
!?
「淡路を安堵して頂き更に参議とは……。」
「江戸中納言様の推挙でござる。石高については落ち着いてからでもよろしい。それから兄上のことじゃが改易に処す事になった。家臣に関してはお好きに召し抱えられよ。」
「承知致した、寛大な処分感謝致す。」
「内府様も貴殿を西国の要として期待されております。それから来年には島津討伐です。準備されておかれよ。」
島津義弘を討ち取ってしまったから歴史が変わったのかな?
ともかく土佐と阿波と淡路を合わせれば45万石は行くだろう。
それに参議とは超出世だ。
これは父上も泣いて喜ぶぞ!
俺はルンルンで早速土佐に向かった。
既に洲本に逃げていた百合にも土佐に来るように伝え俺は実に15年振りに土佐に戻ってきた。
「帰ってきたぞ、俺のホームタウン!」
桂浜に上陸した時、俺は大きな声でそう言った。
「あの殿、ほーむたうんとは?」
「ああ、気にするな政親。それよりもまずは浦戸城を見に行くぞ!」
浦戸は俺が出ていってから出来た城だ。
まだ見た事がない。
走って浦戸城にやってきた俺を出迎えたのは津野の兄上だ。
「これは兄上、お久しぶりでございます。」
「うむ、10年振りじゃの。此度はよう戦った。わしも久武に監禁されておったがこうして出てくることが出来た。」
「久武はひっ捕らえて斬首に致します。兄上も津野にお戻りくだされ。それから桑名はどこに?」
「ここにおります。」
「おお、吉成。土佐の石高は実際のところどの程度じゃ?」
「おおよそ20万石は超えるかと。ご命令があればいつでも検地を。」
「ああ、頼む。それから一領具足や農民から不平不満は出ていないか?」
「皆、殿のお帰りをお喜びで阿波を加増されたことを誇らしく思っておりますゆえ一揆の心配はありませぬ。」
義理の兄の佐竹親直が報告する。
「そうか、兄上が亡くなり土佐は暗い空気が流れていたであろうが安心しろ。これからは俺が土佐を西国一の街にしてやる。着いてきてくれるな?」
「おう!」
こうして俺は四国の主として土佐に戻ってきた。
年内で検地は終了しその結果土佐の石高は22万石として家康に提出。
阿波18万石、淡路6万石と合わせ46万石を得た俺は年末に浦戸城で宴を開いた。
「まずは皆よく集まってくれた。こうして土佐に戻りお前たちと酒を飲めるが俺は喜ばしく思う。兄上が討死し皆も辛い思いをしただろう。しかしその雪辱は果たした。これより国割を行う。まずは政親!」
「ははっ!」
「洲本6万石を任せる。よくここまで俺を支えてくれた。次に吉良貞実、父上がすまなかった。土佐西部はそなたに預ける。」
「ありがたき幸せでございます。」
「次に香宗我部貞親、まだそなたは若い、それゆえ義直が補佐し阿波東部を治めよ。」
「ははっ!」
「そして茂頼(又四郎)に残りの阿波西部を任せる。他の者はこれまで通り所領は安堵する。」
「ははー!」
皆、一斉に頭を下げる。
「1度はバラバラになってしまった長宗我部をこれより盛り上げていくぞ!」
そう言って俺が杯を上げる。
皆もそれに続き新生長宗我部家が始まるのだった。