はた迷惑な皇女様に仕える侍女の憂鬱
「ねえマリア。私って完璧な女だと思わない?」
言われてマリアは自分の目の前にいる女主人に目をむけた。
「そうですね、確かに殿下は男性ではないと思われます」
「いいわ。あなたのそういうところ、とっても好きよ」
長椅子に寝そべった彼女は、そう言いながら扇で顔を隠してくすくすと笑った。
それを見るマリアは、確かにこの人は完璧なのだろうとは思う。
マリアが仕えている女性は御年18になる、帝国の第一皇女だ。
その美貌だけならば、自国はおろか、周囲の国々にも知れ渡っている。
頭脳と性格は……そこはまあ置いておくとしても、確かに彼女ほどの女性はなかなか見つからないだろう。
「ところで、私の大好きなマリア」
「誤解されるような物言いは慎んでいただきたいと思うのですが、なんでしょうか」
「私ね」
皇女はマリアを見ながら首をかしげる。肩からはらりと黄金の髪がこぼれ落ちた。
「皇女をやめようと思うの」
しまった、また病気だ。
マリアはげんなりする。
完璧かもしれない皇女の欠点。それは思いつきで、いきなりどこかへ出かけることだ。
いつもなら皇女の周りには10人からの侍女がいるはずなのに、何故か今日はマリア1人なので変だとは思った。
思ったのだが、半月前に出かけたばかりなので大丈夫だとタカをくくっていたのだ。
失敗した。
内心ため息をつきながらマリアは皇女に問いかける。
「そうですか。おやめになって、今回は何をなさるおつもりですか」
「そこなのよ」
どんよりとするマリアを気にも留めず、皇女は視線を上にあげる。
「世の中には、いせかいてんい、というものがあるらしいの。お前、聞いたことあるでしょう?」
そんな言葉をたまに聞くな、とマリアは思う。
「違う場所に行くのは面白そうだと思わない?」
「さあ。どうでしょう」
ぞんざいに言葉を返しながら、マリアは知らんふりを決め込んで雑務を片付け始める。
そんなマリアの物言いを気に留めることも無く、皇女は扇でゆったりとあおぎながら続けた。
「あとはそうね、人間をやめてみるのも面白いかしら」
「幽霊にでもなるんですか」
マリアの言葉を聞いて、あら、と皇女は目を見開いた。
「それも面白そうだわ。でもやっぱり、血肉は通っている方がいいわよね。だからそう、モンスターになるのが良いと思うわ」
自分はどちらもごめんだと思いつつ、マリアは適当に相槌をうつ。
「面白そうですね。しかしいずれにせよ不可能でしょう」
「そう言いたくなる気持ちは分かるわ。でも安心して。私はどちらをも可能にする鍵を見つけたの」
皇女は扇でマリアを差し招く。
言いたくて仕方がない秘密を持った子どものような顔だ。
侍女は自分しかいない。
忙しくて仕方がないのだから、余計な手間をかけさせない欲しいものだと思う。
しかし、呼ばれれば行くしかない。
何せ自分は皇女様の侍女なのだから。
「ね、これを見てくれる?」
皇女が見せたのは古い書物だった。
あまりにボロボロなので、触ると崩れてしまうのではないかとすら思える。
「この本にね、とても良いことが書いてあったの」
「良いこと?」
マリアが問い返すと、皇女は神妙な顔でうなずく。
「これが本当なら、私はきっと神様に願いを聞いてもらえると思うの」
その書物をマリアはじっと見つめる。
いかにも怪しい。
「……どこから出してきたんですか、その本は」
「先日、墓の奥を探検してみたら骨の山があってね。その中に埋もれてた箱を開けたら、入ってたの」
きっとマリアが半月前に里帰りをしていた時のことだろう。
あんたがいないせいで私がえらい目にあった、と同僚の侍女に責められた記憶がある。
それにしても一体どこへ行ってきたのだろうか。
「ちょっと読んでみて。ここ、この部分」
ボロボロの本を器用に開いて、皇女はマリアに見せてくる。
『男神は妻である女神に言った
「お前は何故、服を着ると胸が大きくなるのだろうか。とても不思議だ」
女神は夫である男神に言った
「あなたは何故、靴を履くと背が高くなるのかしらね。とても不思議よ」
――二人は顔を見合わせると「月が綺麗だな」「星も綺麗ね」と言う。
そして背の低い男神と、胸の小さい女神は、靴と詰め物を置き、連れ立って出かけたのであった』
「……なんですかこれは」
「その通りのお話よ!」
うふふ、と微笑みながら皇女はマリアに告げる。
「これは神様の秘密だと思うの。きっと強請るネタになるはずよ」
この皇女様はどこでそんな言葉を覚えてきたんだろう。墓場の中だろうか。
「だからこの秘密を黙っている代わりに、願いをかなえてもらうつもりなの」
もはやツッコミを入れる気にもならず、マリアはお辞儀をして言う。
「かしこまりました、皇女様のご無事をお祈りしております」
「ありがとう、あなたならそう言ってくれると思ったわ。他の侍女たちに暇を出しておいて正解だったわね」
「…………」
とても嫌な予感がする。
それでも抵抗はするべきだろう。マリアはもう一度頭を下げた。
「ご安心ください。他の侍女たちには私から、皇女様が、いせかいとやらへ向かわれた旨を伝えておきます」
そう言うと、皇女は朗らかに笑う。
「その必要はないわ、だってマリアは私と来るのだもの」
……ああ、やっぱりそうなるのか。
「墓場へ行ったときもね、本当は皇女をやめようと思ったの。でも、一緒に行った子が全然ダメだったから帰ってきちゃった」
不満げに口をとがらせて皇女は言う。
「やっぱりマリアと一緒の方が良いわ」
マリアが大きくため息をつくと、何を勘違いしたか皇女はとっておきの笑みを浮かべる。
「安心して。この話は間違いなく神様の秘密だもの。いつも皇女をやめようとしては失敗するけど、今回は絶対に大丈夫!」
失敗するのは当り前だ。『皇女をやめようとする計画』を頓挫させるため、マリアがいつも苦心しているのだから。
仕方ない。今回もまたうまく立ち回るしかないだろう。
主人が手を出してきたので、マリアはその手を取って立ち上がらせる。
「それで、どちらへ行かれるんですか」
そうねえ、と首をかしげた皇女は、一つ手を打ってうなずいた。
「やっぱり最初は厨房よ。お夕食を持って行かなくちゃ、お腹すいちゃうわ」
マリアは内心で快哉を叫ぶ。
今日のデザートは皇女の好きな果物を使っていたはずだ。おそらくデザートに惹かれて、出かけるのをやめるだろう。
今回は楽に諦めさせることができそうだ。
「分かりました。では厨房へ参りましょう。しかしその前に、おでかけをなさるためのお着換えが必要ですね」
「そうね、その通りよ」
皇女はマリアを見て大きくうなずく。
「マリアの服を貸してくれる?」
「はい。ただいまお持ちします。しばらくお待ちください」
「お願いね」
ニコニコとした皇女に送られて部屋を出る。
にんまりとした笑みを浮かべたマリアは、今回も計画を失敗させるべく、自室より先に厨房へと進路をとるのだった。
――今日のデザートは、果物マシマシでとお願いしよう。