暴力衝動と平和主義者5
名を問われました。
それを問うたのは深紅の髪をたなびかせる浅黒い肌の少女でした。その身をまとうのは海外の軍隊がまとうような厳めしい衣服であり、その下にあるのは見た目にそぐわない強靭な肉体でした。
「君の名は?」
再度問う唇は紅を塗らずともなめらかでした。同性の私としてもドキっとしてしまいそうですね。まあ、それ以上の衝動がそんな感情を押し付けてしまいます。
髪の色より淡い薄紅色の瞳をのぞき込みながら私の唇は弧を描きます。
唇の端をなめながら、次第に目を細めていきます。
「三度目だ。そして最後だ」
背筋がチリつきます。
目の前の少女から殺意にも似た感情と気配を感じます。
恐らく言葉や行動の選択を間違えば、その瞬間、私は死ぬでしょう。死んだことすら気づかせないまま死ぬでしょう。そうでなくとも殺されるでしょう。
今、私は彼女の殺戮範囲内にいます。そして、その殺意が既視化できていたのならば、私の体は巨大な手の平につかみ取られている。そんな錯覚を感じさせるほどのプレッシャーです。
それでも、私の唇は弧を描き、食いしばった歯は軋んで音を鳴らします。
「君の名は?」
「あなたと同じですよ。クリムゾン」
そんな言葉に彼女は戸惑う。
「どういうことだ? 私と君は種族すらも違うのに同じとは?」
「私の字は紅と言います」
文字通りの色に染まった血族です。そうでない例外達も時々いますが、基本的にはまともではないことに手を染める一族です。そして、私はその中でも殊更「失敗作」と呼ばれる個体でした。なのに、そんな失敗作にこんな衝動が宿るなんて滑稽でしかありません。
「私の名は紅 青子」
赤色の一族にしたら到底名付けていい名前ではありません。むしろ烙印と言っていいような名前です。それが私の苗字であり名前でした。
「紅という言葉はクリムゾンと同意であり青子という名は対極にあります」
つまりは分かり合えないんですよ。
「それは貴重なことを教えてもらえたな」
彼女はとはいえと言葉を挟み、
「つまり君の名前はブルーということか?」
「そうとも言いますね」
少なくとも海外なら。
「そうか」
と漏らしてクリムゾンは思案顔です。
「君を何と呼べばいい?」
「それは必要のない言葉ですよ」
今この場にいるのは言葉が通じるだけの異邦人。それはお互いにとってもそうでしょう。異邦人同士手を取り合うのもいいですが、その段階はとっくに超えています。むしろ、対話を望むなら最初の手段を間違えています。この段階で手を取り合おうと言われても、誰も納得しないでしょうね。テロを先にしておいて今から友好条約を結びましょうと言われて握る手なんてありません。
ここに私がいるのはたまたまです。私以外の女性がいたら目を向けるのもはばかれるような状態になっていたでしょうね。
「私たちは殺しあうだけです」
私は失敗作です。一族の望む存在になれなかった。だけど、だからこそ、自由を得られました。一族の化け物たちのように訓練と実戦に明け暮れるような地獄に行くことはありませんでした。
普通に学校に通って習い事を済まして家に帰る。わかりやすく言うとルーチンワークです。一応、紅家の出身ということで護身術は学びましたがその程度です。
なのに、これは何でしょう。
向き合うだけで死にたくなるような衝動。
鳥肌どころか毛穴すら空いてしまう全身の震え。
本来なら失禁して気絶していてもおかしくないでしょうね。なぜなら、そこまでの絶対的な差があるからです。
打撃はもちろん、関節技、絞め技、発剄、すべてが効きませんでした。
「君と私は殺し合いにすらならないと思う」
「知っていますよ」
「みすみす死ぬと?」
「違いますよ」
絶対的な差です。私は彼女にダメージを与えられないでしょう。先ほども考えましたが、10トン車に突っ込まれても小手返しはできません。普通に轢かれて死ぬだけです。
「ちなみに」
あなたは言ってはいけないことを言いました。
「BLUE」
それは忌み名です。
私にとっても、一族にあっても。それはいてはいけないんです。
私はいてはいけない。でもいてしまった。その上であなたは口にしました。
「殺しますね」
「その力が無いのにか?」
その時私の心にスイッチが入りました。
はまり込んだそれは刹那の時を得て染み込んでいきます。
人体強度は変わらない。ですが、失敗作でも殺戮衝動とともに筋肉の一筋に、骨の一片にも、血潮のすべてにも溶けていきます。
「また始めますよ」
人外と人間以下の闘争を。
始めましょう。肉と肉の乱打を。骨と骨の激突を。
そして、人外と人間以外の激闘を!
終わりのない闘争を始めましょう!
あなたはクリムゾンで私はブルーです。
名前をかけて戦いましょう!
化け物と出来損ないの決闘です!
なんだこいつは?! 私には何も効かない。今も連打される拳も蹴りも何も通じていない。なのに私が拳を振ればそれを逸らすか流して関節や気道を潰そうとしてくる。それだけなら先ほどまでと変わらないが、
「殺しに来ている?!」
ついてくる指先が目を潰そうとしている。足を挟んで倒れ込むときに背で腕を潰して、喉の血流を止めに来る。
すべては力技で潰せるが殺意のレベルがおかしい。特に名前を聞いてからそれが顕著だ。
触れれば握りつぶせるような柔らかい肉体だ。なのに、ここまで一方的にされるのはなんでだ?
動きは見える。なのに防げない。
ダメージのない打撃を受けながら反撃をすれば視界の外に消えるのだ。
「くそ!」
わかっていながら拳を振るう。そして、それが大振りすぎることもわかっていた。
「それを待っていました」
背筋が泡立つ。同時に視界がさかさまになった。
「あ」