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マルスの庭

作者: 和田 よしひさ

自身の長編1作目です。

ジャンルはハイファンタジーになります。


第一章「二通の手紙」



ある日、マルスに一通の手紙が届いた。


「愛するマルス・フォルスへ。

徴兵終了お疲れさま。

この間は素敵な花の写真を同封してくれてありがとう。

初夏に入り、花卉農家である貴方も忙しい日々を送っているのでしょうね、私の所ではこの間、育てている牛が可愛い子牛を産み、良く牛乳を出してくれています。

 

話が変わってしまうのですが、私の住む町の傍で最近自爆テロがあったそうです。

幸い私の所までは被害が及んではいませんが、近々こちらにも被害が及ぶのではないかと町の人々は怯えています。

早々と引っ越していく人もかなりいます。

しかし私は何事もないことを信じています。

そして今は家畜の世話と、一緒に住む目の不自由なおばあちゃんを残してはいけないのでこの町に残ることに決めています。本当はすぐにでも貴方の所に行って一緒に暮らしたいのですが。状況が状況なので引っ越しの用意も中々できていないのです。

人と人とが争うことなど本当はあってはならない事です、私はとても悲しいことだと思います。

しかし信じましょう、より多くの人々が幸せであることを、そして私とマルスの幸せな未来を……

 

少し暗い内容になってしまいましたが、私の事は心配しなくても大丈夫。

また素敵な手紙と写真を期待しています。

貴方を愛する、ナナ・クルーエルより」

 

マルスは手紙をいつものように、大事に自室のチェストにしまうと、部屋着からいつもの汚れたオーバーオールと麦わら帽子に着替えて、畑に向かう。

彼の朝は花卉農家としての畑仕事、午前十時を過ぎると城下町で花屋の店主をしている。

「さて、今日も良い天気だな」

そう一言呟き、家を出た。

その日はピーク時には、気温が30度を超える暑い一日だった。


マルス・フォルスの住む国の名前は「プレストンウッズ」、彼はその城下町に花屋を構えている。

身長が百九十センチを超える大男だが、優しい顔と気さくな性格で町の皆に慕われていた。


ナナからの手紙が届いた翌月、そんなマルスの元にまた、一通の手紙が届いた

国からの直筆の手紙で、内容は「終戦にあたり、南部の破壊された町に平和記念庭園を造ることが決定した。そこでマルス・フォルスにその為の造園の権限を一任する。説明の為、一度城に訪れよ」というものだった。

マルスは店のエプロン姿のまま城に向かった。

到着すると城門の前には二人の憲兵、彼らに手紙を渡し事情を説明すると扉は開かれ、城の中に通された。

謁見の間に案内されると、立派に装飾が施された椅子に国王が座り、その隣には以前マルスが徴兵された時の上官「スライ・バルハン」が腕を後ろに組んで立っていた。

マルスは少し嫌な顔をしてしまった。

マルスは徴兵時に、的に向けてすら銃を発砲出来なかった過去がある、人に向けて撃つことを想像すると引き金を引くことなどできなかった為だ、その時に上官を務めていたスライには、しこたま殴られた過去があった。

その為、今回の戦争にマルスが呼ばれることは無かったが、軍人達の中でマルスは根性無しだと知れ渡っていた。

国王が口を開く。

「マルス・フォルスよ、お前の両親には、いつも宮廷の造園で世話になっているな、そこで代々一族で国の造園活動をしているお前に任務を与えることにしたのだ。南の町、バルクで敵国コウリンからの自爆テロがあったのは知っているな?」

頷くマルス。

「そこに戦勝国の証としての平和記念庭園を造る事が決定したのだ、お前とこちらが用意した人員の軍人二十人、作業員三十人そして……」

「敵国コウリンから、参加したいと申し出て来た有志団三十人で是非、両親の名に恥じない素晴らしい庭園を造ってきてほしい」

少し俯きながら返事をするマルス。

「はい、国王様、このマルス・フォルス任務をお受けいたします」

そうか引き受けてくれるか、と国王は笑顔を見せた。

その後、城門までスライにマルスを見送るように言いつけ、スライもそれを了承し謁見の間を二人で退出した。

スライが速足で先を歩きながら口を開く。

「喜べ、そして貴様のような根性無しに、このような任務は極めて異例の采配だと国王様に感謝するんだな、私はお前の事を一切信用していないが、立派に任務を遂行した暁には少しは貴様の事を見直すこともできよう」

「だが安心などするな、私はお前が少しでも異様な行動をするようなら、腰に下げたこの拳銃でお前の眉間を迷いなく撃ち抜くぞ」

マルスは眉間に皺を寄せ、黙ったまま何も答えなかった。

スライはチッと舌打ちをし、なぜこんな男に重要な任務をと、城門にたどり着く間もブツブツと呟いていた。

マルスとスライが城門の外まで出ると先ほどの、憲兵二人が敬礼をしてマルスを見送った。

ある程度歩いたところで、一度マルスが振り向くと、スライは腕組みをしながらこちらを睨み付けているように見えた。


任務の事は知っているだろうが、長い出張作業になることは明確なので、一応両親に挨拶をしに庭園へと向かうマルス、母親が遠くから歩いてくるマルスに気が付いて大きく手を振った。

「お父さん、お父さん」と、大きな声で父親を呼び、マルスが来ましたよと伝えている。

父親は脚立にのぼり庭園に生えている樹齢二百年を超えた、ツゲの木の枝の手入れをしていたが、母親の声を聞いて降りて来た。

ちょうど、昼頃だったので三人で母親の作った、生ハムとレタスの入ったサンドイッチを頬張りながら話をした。

普段は寡黙な父親が「店と畑の事は私たち二人で何とかするから心配するな、お前はお前のやれることをやって来い」とマルスを激励した。

母親は「あのね、マルス、私たちの国は戦争に勝って国の人々は安心し喜んでいるわ、でもその陰には自国の兵士、敵国の兵士や、両国民の犠牲の上に成り立った勝利なの」

貴方は頭が良いからそんなことは分かっていると思うけど、そう付け足し。

「悲しいことは起こるわマルス、それでもね、私たちは生きるの、沢山沢山の想いを受け継いで生きることが私たちの使命と言ってもいいわ」

元戦場に向かう息子にそう告げた。


それから二人は笑顔で、マルスの事を見送ってくれた。

最後に母親が言った。

「頑張り過ぎないでね」

そんな二人に背を向けて、家までの帰路に就くマルス、自然と涙が零れた。

これは何の涙なのだろう

この時の涙の意味は、マルス本人にもわからなかった。

両親の優しさか、任務への不安なのか、それとも戦争によって失われたものへの手向け

なのか……

何にせよ、マルスは戦争が大嫌いだった。

避けられないものだったと誰が言っても、諍いの最終形が戦争しかないのならば、今から作る自分の庭園に、一時的な「平和」が込められていたとしても、何の意味があるのだろうか。

そんな事を考えながら、家に到着すると早速、受けた任務の為の準備を始めるのだった。



第2章「戦地バルクと有志団」


 

マルスの住むセントラルから汽車に乗って約五時間、プレストンウッズの最南端で、敵国コウリンの自爆テロによって被害を受けたこの町に、過去マルスは何度か訪れたことがあった。

しかし以前訪れた時の牧歌的な風景は面影も無く、荒廃した町にはあばら屋と、土煙が常に舞っていた。

かつて美しかった針葉樹林は焼け焦げ、田は汚泥に満ち、緑葉に満ちていた町は、赤黒く染まっていた。


町の中央だった場所には、すでにキャンプが設置されていて、配置された軍人、造園の手伝いに来た作業員、そしてコウリンから訪れた有志団の面々が集まっていた。

もちろん軍人の中にはスライ・バルハンの姿もあった。

「お疲れ様です!」

スライを中心に軍人たちが横一線に並び、マルスに敬礼をした。

スライがキャンプの人間全てに聞こえるように、大声で発する。

「この平和記念庭園の責任者マルス・フォルスが今、到着した」

「貴様ら軍人、作業員、そしてコウリンよりの有志団は、現在から造園作業を開始することになる、しかしこのバルクは戦争の被害が残る悲惨な土地である!」

「帰路につきたい者は今、この時のみ、その機会を与えるがそのような者は挙手を願う!」

手を挙げる物は、誰一人いなかった。

「では、今から全員で散らばった武器、ドッグタグ、及び死体の回収作業から開始する、回収した物はキャンプのそれぞれの回収場所にいる事務作業員へ渡す事。瓦礫や壊れた建造物の破片は、復興に役立つものと判断したものも回収すること。作業は二人一組で行う事」


「以上! 作業開始!」

スライの鋭い一言に人々は、自分の持ち場へと散っていった。


結局はスライが仕切るんだな…… そんなことを考えていると、マルスに話しかけてくる三十代前半の青年がいた。

「こんにちはマルスさん、僕は貴方と共同で働くこととなった、有志団の「アッシュ・ランドール」と申します。よろしくお願いします」

青年の身体は細身で丸眼鏡、身長はマルスより少し低い位、水色のノーカラーのシャツの上に赤茶色のベストを着ていて、深緑色のトラウザーを履いていた。

初印象で聡明と言う言葉が浮かんだ。

少なくとも普段ならこんな現場作業で出会う事の無いような風貌だ。

「その恰好では作業しにくくありませんか?」

マルスがそう聞くとアッシュはこう答えた。

「そうなんですが、実は自国では言語学者をやっていまして…… 有志団の募集から時間が無かったので着の身のままで来ることしかできなかったのです」

「ああ、だからこちらの言葉も流暢なんですね」

「ええ、戦争が起こる前はプレストンウッズに留学していた経験もあるので、多分この中では私が一番ここ、プレストンウッズの言葉をうまく話せる為に、マルスさんと共同作業をするように指名されたんだと思います」

確かに合理的だな、責任者の指示が有志団にもすぐ伝わるのだから、マルスも納得した。

「名前だけの責任者ですけどね」

「いえ、そんなことはありませんよ、貴方の一族の庭園も拝見したことがありますが、素晴らしい美しさでした。特に巨大なツゲの木には、その圧倒的な存在感に感動したのを覚えています」

マルスは少し皮肉めいてしまった自分に後悔した、この青年は大人だ、敵国のコウリンからやってきてその現場責任者と組むとなれば、自分なら嫌だし緊張もする、それをフォローされてしまっている自分に。


「作業を始めましょう、僕たちはまず武器とドッグタグの回収です」

 そうアッシュがいうとマルスも頷き。

「そうですね、さっきはすいません」

「いえ、ここにいる人々も皆事情を抱えていると思いますから、気にしないでください」

またフォローされてしまった……


作業を始めるとガタイの良いマルスに対して、やはりアッシュは現場作業には不向きだった。

武器の回収では人一倍時間が掛かる、ドッグタグの回収に関してはいちいち名前と、認識番号のチェックをしている、マルスが一人で作業した方が早いような気もしたが、有志団との連携や会話に関してはスムーズなので、進捗としてはとんとんと言ったところか。

あまり無言で作業をしていても気が滅入るので、マルスは彼と会話をしながら作業することにした。

「あの、アッシュさんは何故この有志団に参加をしたんですか?」

しかしアッシュは振り向かない、答えも帰って来ない。

「アッシュさん?」

そこでようやく自分が呼ばれていることに気が付いたのか「あ、すいません、作業に集中していたらつい……」

「いえ、良いんです、それでアッシュさんは何故有志団に参加しようと思ったんですか? 普通といったら悪いのですが、敵国の記念庭園なんて物には、遺恨しか残らないんじゃないかと思って」

「有志団を結成したのは、あそこにいるおじいさん「ストラド・モトラド」さんです。彼はコウリンでかなり有名な軍人だったのですが、この戦争より先の戦争で片目を失い、今回の戦争には参加していなかったそうです」

「軍を引退した後も、自警団の教育や、憲兵の指導係として活躍している方です」

 

確かに有志団の中には一人、隻眼の老人の姿があった。

身長は低めだが筋肉隆々で、その辺の一般の作業員ならば二人も三人も投げ飛ばせそうな太い腕をしていて、元軍人であるという話も、すぐにマルスにも納得できた。

「で、僕は直接ストラドさんに有志団結成の相談を受けました」

「彼の思惑は恐らく、自分の国が負けた戦争に自分が参加できていなかった、という後悔が大きいと思います。一方で僕は一人でも多くの自国の軍人の遺品を集めて、国できちんと埋葬してあげたいと思い参加を決意しました。戦争への参加志願もしたのですが、この通り、片付けの作業ですらまともに出来ないのですから、選考で落とされてしまいました。マルスさんは志願されなかったんですか?」

マルスは首を横に振り言った。

「いいえ、自分は徴兵された時期が二十五歳の頃でした。その時に的に向けてさえ銃を撃つことが出来なかったんです」

少し苦笑いしながら続ける。

「兵役が終わったのが二年後の二十七歳の時、この頃に丁度戦争が始まりましたが、自分の根性の無さは軍の中でも有名なものとなっていたので、声が掛かりませんでした」

笑われるかと思ったが、アッシュは優しく笑ってこう言った。

「根性無しとは違いますよマルスさん、確かに貴方は銃を撃つことが出来なかったかもしれない、しかしそれを聞いて僕たち有志団のメンバーは安心するのではないでしょうか? 敵国であるプレストンウッズにも、とても優しい人間がいて、同じ人間の血が流れていると思うのではないでしょうか」

 

ああ、この人は本当に自分の考えを持っていて、そして自分より知識と、人生経験が豊富なのだなとマルスは思った。自分の国をボロボロにした、戦勝国の人間にこれだけ優しい言葉をかけられる人間がどれだけいるだろうか?

 

その時、キャンプの中央に立つスピーカーからサイレンが鳴り響いた。

今日一日の作業の終了を意味するサイレンだった。

「今日の作業はここまでのようですね、キャンプに帰りましょう。明日もよろしくお願いします」

マルスがそう言うとアッシュも、こちらこそ、と頷きお互い自分の仮設住居に帰っていった。



夕飯は白米と大豆の入ったトマト味のスープだった。結構おいしかった。正直ここまでまともな食事にありつけるとは思っていなかったからだ。

マルスが入ることになった仮設住居は、鉄骨が組まれていて、軍のマークが明記された高密度のナイロンで覆われている粗野なものではあったが。それでもこの場では十分だった。

仮設住居は数人部屋でマルスの他に軍人が一人、作業員が二人、有志団が一人の五人部屋であった。

マルスはその有志団に見覚えがあった。

片目がガラス玉の、小柄な隻眼の老人。

今日アッシュから説明を受けた、有志団のリーダー「ストラド・モトラド」だった。

老人はこちらの視線に気が付くと、ゆっくりと立ち上がり、こちらに近づいてきてこう言った。

「お兄さん、悪いんだが煙草はあるかい?俺はいつも寝る前には煙草を吸うようにしてたんだが、どうやら荷造りの時にバックパックに入れ忘れちまったみたいでのう」

マルスが「ありますよ」と言い、自分のバッグからプレストンウッズ製の煙草と、ステンレスで出来た飾り気のないオイルライターを取り出した。

それをストラドに渡そうとすると「一緒に外で吸わんかね」と誘われたので、交流の意味も込めて二人で一服する為に外に出た、煙草をくわえライターで煙草に火を着ける。白い二つの煙が並んで夜の闇に吸い込まれていく。


「うん、うまい、俺はこのプレストンウッズの銘柄が大好きでね、自国でもこれを吸っておるんじゃ」

「そうなんですか、実はこの煙草自分の家系の人間が昔作った物なんですよ、自己紹介が遅れました自分は、この庭園作業の責任者マルス・フォルスです」

「自己紹介も何も最初偉そうな若造が君の名前を叫んでいたじゃないか。嫌でも耳に入るよ」

そう言うと、老人は所々歯が抜けた口でニカっと笑った。

四十歳をとうに超えたスライのことを若造と言うので、マルスは思わず吹き出してしまった。

「確かに銘柄の名前が「PHOLS」じゃ、君のファミリーネームと一緒じゃないか、これはこれはいつもお世話になっているのう」

 

そう言うとストラドは自分のズボンのポケットから紙と鉛筆を出し何か書き始めた。

最初の文章は〈仮設住宅の軍人が聞き耳を立てている口では普通の会話を〉と書かれた。

マルスはびっくりしたが老人の言う通り、とりあえず会話を続けることにした。

「それなら、庭園作業が終わって自国に帰った時にでも、商品にできなかった古い煙草を国に送りましょうか?それなりに売れてはいるみたいなんですが、在庫は山程あるんです。

「ほっほっほ、それはありがたいのう、声を掛けて大正解じゃったわい」

 会話しながらもストラドの手は動き続ける。

〈俺は元軍人そのことに誇りを持っている〉〈君に危害を加える気はないがそれなりにこの国に恨みを持っていて、目的の為に有志団を結成した〉〈君も軍、特にあの若造にに批判的な気持ちを持っていることは目を見ればわかる〉〈もし俺の目的の為に協力してくれる気があったら、軍に痛い目を見せることも出来る〉〈目的とは記念式典での庭園の爆破だ〉と書かれていた。

そして終わりかけた煙草の火で紙を燃やした。

小さな紙はあっという間に燃え尽き、灰は夜風に舞っていった。

「さてそろそろテントに戻るかのう、あんまり長居をして疑われてはたまらんからのう」

わざと仮設住宅内の軍人に聞こえるように、そう言ってテントに入っていった。


翌日、再びアッシュと合流すると、キャンプ中央のサイレンが鳴り響く、今回は作業開始の合図だ。

回収作業はこの日も困難を極めた、作業自体の身体の辛さもさながら、染みついた血の跡や飛び散った腕や足、頭が転がっている光景も目にする。

作業員たちのメンタルが落ち込み、効率が落ちないように、人間の破片を回収する作業は軍人たちが率先して行っていたが、やはりそれらを避けては通れなかった。

アッシュは非常に真面目に作業をしているが、今日も武器を拾ってくるのに時間は掛かるし、相変わらずドッグタグをきれいに磨いては、名前と認識番号を確認しているようで、他の作業員たちよりマルスの組は作業が遅れていた。

何度かキャンプに荷物を運びこんだ時に二人はスライに呼び止められた。

「貴様ら、真面目に作業にあたっているのか? 特に貴様アッシュ・ランドール、いちいち確認作業に時間をかけているな、何を企んでいる?」

スライはアッシュに近づき胸倉を掴んだ。

「い、いえ僕は人より力が無いので、武器運びに時間が掛かっているだけです。ドッグタグも出来るだけ綺麗にしてキャンプの事務作業員に渡そうとしているだけです」

スライはそのままの体制でマルスを睨み付ける。

「貴様のパートナーだぞマルス? どうやら貴様は、よっぽど私を憤慨させることに長けているようだな」

「いえ、マルスさんは真面目に作業に取り組んでいます。悪いのは僕で……」

スライは喋っているアッシュを横に投げ飛ばした。

そしてマルスの顔面に一撃、拳をぶつける。

マルスの巨体はびくともしなかった。

スライが拳を引く。

「ふん…… 相変わらずつまらない男だ、確認作業は我々が行う、貴様らは拾うだけでいいのだ、無駄な時間と頭は使うな。今後これ以上遅くなるようならもう少し重い制裁を与える! わかったな……」

アッシュが俯きがちに、はいと答える。

「解ったならとっとと作業に戻れ、愚鈍な奴らだ」

尻もちをついているアッシュにマルスが手を差し出し、アッシュもその手を掴んで起き上がる。

「すいません、マルスさんが僕のせいで……」

「気にしないで下さい、自分たちはちゃんと作業をこなしています。でも、アッシュさんはなぜそんなにドッグタグに拘るのですか?」

「実は僕の知り合いがこの地、バルクで戦死したんです。僕の本当の目的は、その人のドッグタグを探す事です。僕たちが見つける可能性は低いし、もう認識できない状態になっているかもしれない。でも僕はそれを探す為だけに有志団に参加することを決めました」

「大方そんな事ではないかと予想はついていました。良かったら自分も探すのを手伝いましょうか?」

「いえ、これ以上マルスさんに迷惑をかけるわけにはいかないので、それに……」

アッシュは強い意志を込めた瞳でマルスを見た。

「これだけは自分で見つけたいんです」

そう言ってマルスの手を放すアッシュ。

マルスは知っている、今この場で作業に従事している者達、特に敵国コウリンの有志団たちは、それぞれの事情があって参加しているのだと、でなければこんなに辛い作業を自分の国を打ち負かした敵国の地まで来て、行う訳が無いと。

この物腰柔らかな青年でさえも、自分に完全に心を許せる訳ではない事もわかっていたつもりだった。

「そうですか、では作業に戻りましょうアッシュさん」

「はい! 僕ももう少し早く回収できるように努力はします」

その後アッシュの作業は少しは効率が上がったが、スライの反応は対して変わりはしなかった。

ウーウーウー。

今日も作業終わりのサイレンが鳴り響いた。



その夜の食事は白米とジャガイモと豚肉の胡椒の炒め物だった。

昨日の豆のスープの方が好みだな、そんなことを考えていると、またストラドがマルスに声を掛けて来た。

「マルス、外に出て一服せんか?」

「ええ、良いですよ」

二人して仮設住居の外に出た。

「今日は二回程、あの若造に殴られていたのう、それにびくともせんとは君は中々に頑丈な身体を持っているな。俺が現役だったら鍛えなおして立派な軍人にしたいくらいじゃ」

ははっ、マルスはそう笑って「でも自分は戦争自体が苦手なんです」

「それは知っておるよ、君のような優しい男は国に残り人々を慰め、癒す方が向いている」

それに…… とこう言い加えるストラド。

「根性無しとは言うが、根性とは必ずしも無茶や無謀な事に挑戦することではない、根性とは言葉の通りその人間に根付く性のことじゃ。ならば優しさや、人を尊敬できる心を持った君の性の事も根性と言うんじゃよ」

そしてストラドはこう付け足した。

「あと、中々の頑固者のようだしのう、俺が保証しよう、君は決して根性無しではない」

「買いかぶり過ぎですよ、自分は本当に争いが嫌いなだけです」

二本目が欲しいのがバレバレですよと、マルスが冗談めかして言うと、ストラドもわざとらしくバレたかと、ニカっと歯をむき出しにして笑った。

その間も昨日のように筆談は続いていた。


〈どうだい、昨日の話考えてくれたかのう?〉〈すいません、やはり気が進みません、自分の庭を破壊することも、人々に危害を加えることも〉〈それではこの事を誰かに話す気があるかい?〉〈いえ、今すぐと言う話ではないし、僕は何度も言うように争い事が嫌いです。だから〉

〈貴方の事も、信じてみますよ〉

「…… 君は俺が会ってきた相手でやはり一番の頑固者じゃ、そして曲者じゃな」

小さい紙はまたタバコの火によって灰となった。

「PHOLS、この煙草の煙のように掴みどころのない男じゃ」

「しかし、声を出してもいいのですか?」

「良いんじゃ良いんじゃ、もう仮設住居の中の軍人なら昨日、牽制をしておいた事もあってもう寝息をたてておるからのう」

マルスにはそんな音は一切聞こえなかった、やはりこのストラドは歴戦の兵士だったのだろうと、この時深く感じた。

「昼間は暑いのに夜は少し肌寒いくらいじゃのう、さて、中に入るか」

はい、と返事をするとマルスは先に仮設住宅の中に入った。

外でストラドが小さく呟く。

「深い恨みを感じるように見えたんじゃがのう…… 俺の眼も鈍ったか」

ガラス玉の片目を擦りながら、ストラドも中に入り、その日は二人ともすぐ眠りに付いた。


翌日の作業は始まってからすぐスライの怒声がキャンプ中に鳴り響いた。

「貴様ら、ふざけているのか!」

声のする方に目を向けると作業員と軍人の何人かがスライに殴られている。

何があったんだと皆その場を注視した。

「お遊びに来ているなら今すぐこの場を立ち去れ! そして貴様らの上官に全て報告してやる!」

「貴様も貴様だ! 作業を他人任せにし、自分は高みの見物か? 随分良い身分だな」

スライの目の先には、十代後半位の若く、美しい少女がいた。

「はーい、すいませーん、真面目にやりまーす」

少女はあっけらかんとスライに対して返事をした。

「くそ! 貴様が女でさえなければ容赦はしないというのに」

そして注目を集めていることに気付き。

「貴様らも早く作業に戻れ!」とまた怒声をあげた。

そそくさと散っていく作業員と軍人達。

「何があったんだろう?」

マルスがそう口にするとアッシュはこう言った。

「あの少女はどうやら夜中に仮設住居を抜け出して、昼間誘惑した軍人や作業員たちと「こと」に及んでいるようですね」

「僕も昨日作業中に誘われました。どうやら有志団でも見境は無いようです。僕は貴方とそのような行為に及ぶつもりは無いと断りましたが、どうやら金払いの良い「客」を探しているように見えますね。僕も自国では言語学者ですから、職業で相手を選んでいる節があるようです」

「娼婦…… だと思います。きっと戦争で自国の顧客が減ったので有志団に参加して顧客を探しているのでしょう」

マルスは少し驚いた、彼にとって娼婦とは、小説の物語に出てくるような人物だったからだ。プレストンウッズのセントラルは城下町で中流以上の国民しか住んでいないので、いわゆるそういった「卑しい」商売をしている者は誰一人として存在しなかった。

自分が如何に平和で守られている環境で育ったかを思い知らされる出来事だった。

マルスは彼女をまじまじと見てしまった、腰まで伸びた美しい黒髪に、銀の装飾品をあしらったノースリーブと膝までのスカートに、ヒールの高い靴を履いていた。

確実にこんな現場作業に向いた格好ではない。

マルスの視線に気が付いたのか、彼女はひらひらとこちらに手を振ってきた。

急いで視線を避けるマルス、何だかひどく惨めで、悪いことを考えていることを見透かされたような情けない気分になった。

「マルスさんは特に気を付けてください」とアッシュは言った。

「国から仰せつかった、現場の責任者ですから確実に彼女の「顧客リスト」に貴方は入っていると思いますよ」

「汚い話かもしれませんが、こんな男たちの中にあれだけ若く美しい女性がいたら、通常の理性を持った人間でも間違いを犯すことはあると思いますので」

「ああ、大丈夫、自分には結婚を約束した相手がいるんだ」

「僕にも一生愛し続けようと誓った方がいます。」

 僕たち生まれた国が同じだったら、本当の友達になれていたかもしれませんね、とアッシュは付け足した。

マルスも笑って頷いた。悲しい笑顔だった。

縁あって出会ったこの青年はやはり敵国の人間で、気は合っても戦争と言うものが残した遺恨は消えないのだ。それこそ自分たちが死んでからもずっとずっと長い間コウリンの人間はプレストンウッズの人間を恨むだろう。

三日目にして、記念庭園の範囲の片づけはあらかた終了した。

明日から、軍人たちはその周囲の回収作業を続けるが、作業員と有志団達は、庭造りの準備を始めることとなっている。


アッシュの探しているドッグタグは、とうとう見つからなかったのだ。


「アッシュさん……」

マルスはアッシュの背後から肩に手を置いた

「……仕方ありませんね……」

振り向くアッシュ。

「でも、最後まで諦めないで探そうと思います。明日からもよろしくお願いしますね」

アッシュはそう言って自分の仮設住居に帰っていった。

その後ろ姿はいつもより小さく見えた気がする。

マルスは、アッシュが他人を傷つけた訳ではないのに、何故こんなに辛い思いをしなければならないのだろうか、どうか庭造りの作業中にこの誠実な青年の大切な物が見つかりますようにと祈り、信じることしかできない自分を少し不甲斐なく感じた。



その夜もマルスはいつものようにストラドと一服していた。マルスはアッシュの事を話題に出した。

「自分は責任者とは言われながら、スライの傀儡になっている…… アッシュの悲しい背中を見て、それを重く感じた一日でした」

「軍人というのは己が正義だと考えずには出来ん仕事じゃ、前にも筆談で話したが俺は軍人であったことを誇りに思っている。そう思わなければ戦いきれんからじゃ」

「軍を離れた今では、憲兵の指導係の仕事をしているが、やはりまず思想を「敵を倒すことが我々の正義」だと植え付ける」

「ストラドさんは敵国の兵士を殺すことを、迷ったことは無いのですか?」

「迷えば自分が死ぬ、そういう生き方を随分長くしてきた、それが正義だと思いながらも仲間が目の前で死ぬのを見て、怒り狂ったり、敵国の一般人の家族を殺した時は手が震えた」

ストラドは自分の両手を見つめた。その頃を思い出したのか、少し震えているように見えた。

「天国と地獄があるならば、俺はきっと地獄行きだろう。しかし解っていながら自分の国を、国民達を守ってきたという誇り…… それが俺の生き方の全てだと戦争の中で知った」

「不思議じゃな、君の前だと何だか喋りすぎる」

 

ストラドはが生まれた国コウリンは軍事に特化した国家で、自分が軍人になるまでも沢山の戦争を目にしてきただろうとマルスにも解っていた。

高山の間に位置していて、食物の育ちにくい痩せた土地、冬は身を切られるように寒い、自分たちの土地の食料の自給率は低く、他の国からの貿易で身を立てていたが足元を見られ非常に高い税金を課せられていた。

栄養失調で死ぬ人々、起こる暴動、自国民の怒りを他国に向け、豊かな土地を奪いようやく自分達で生きる場所を得ることが出来た人々。

そこで国民は思ったのだろう、「これで自分たちの子孫が苦しい想いをしなくて済む」と、土地を十分に得て、やっと豊かな生活を送れると思った頃には近隣の国全てに、危険な国だという烙印を押されていた。

もう豊かな生活を送れるのに、自分たちで始めた戦いは激化するばかりで気付けば、高山の間に住んでいた頃よりも多くの若者が死んでゆく。

それでも戦い抜いて、生きるしかなかった国。

プレストンウッズとの戦争が始まった時、コウリンの軍人達は疲労困憊で、兵士の数も十倍以上の差があった…… 勝敗はもう決していたのだ。

それでも戦い続けるしかなかった。己が正義の為に……

「プレストンウッズは初めて俺達の国、コウリンを打ち負かした国じゃ、だが俺達は十分に戦った。後悔はない」

そう言いつつもストラドは悲しそうな顔をしているように見えた。


「しかし、今回の戦争で俺は大切な息子を失った」

 

マルスは驚いてストラドの方を向く。

「息子もまた、軍人じゃった。」

いつもよりモトラドの煙草を吹かすのが早いように感じた。

 

「話が少し逸れてしまったな」

少し落ち着いた様子でモトラドが言った。

「アッシュは俺が誘った有志団の一人で計画を知る内の一人だ。彼もまたこの戦争で知り合いを失い深い悲しみをと怒りを抱えている」

ストラドは空になったPHOLSの箱に何かを入れてマルスに手渡した。

「俺にも最初は理解できなかったが、アッシュの探している物はきっとこれだろう、今日俺が作業中にたまたま見つけたものだ」

「明日…… 彼に渡してやりなさい」

そう言ってストラドは仮設住居の中に入っていった。

 



第三章「アッシュの真実」



翌日、いつものように作業開始の十五分ほど前にアッシュはもう現場に来ていた。 彼の目は赤く腫れて、昨日の夜泣き通していたことがわかる。

「おはようございます、マルスさん、今日も一日よろしくお願いします」

それでも気丈に振舞うアッシュ。

しかしマルスは真剣な顔をして言い放った。

「アッシュ、君の本当の名は何て言うんだ?」

アッシュは首を傾げた「僕の名前はアッシュ・ランドールですよ。初日にもフルネームでお答えしたと思いますが?」

「これ、昨日ストラドさんから預かったんだ、最初は自分も意味が解らなかった。というか君が説明してくれないと今でもその答えが見つからないんだ」

マルスは、一つのドッグタグをアッシュに手渡した。

そこには。



「アッシュ・ランドール  認識番号2011  という文字が彫られていた」



「これ…… これは……」

アッシュの目から大粒の涙が流れ落ちた。

「あああああああああああああああああああああ!」と叫びながらその場に座り込んでしまった。

この認識票が別人でなければアッシュはこの戦争で死んだ兵士の一人ということになる。

しかし、現実に青年は目の前にきちんと存在しているのだ。

ウーウーウー、と作業開始のサイレンが鳴る。それでもアッシュは泣き続けるばかりで、衛生兵に今日一日は仮設住居で休むように言い渡された。

PTSDの疑いがあるからだ、強いトラウマからストレスを感じると人の身体は、正常に機能しなくなってしまう。

その日はやむなくアッシュには、休んでもらうことになった。

日々の過酷な状況で精神疾患を抱えた有志団や作業員は他にもいるようで、今日の朝は新たな組み分けから行われた。

マルスの相手は有志団でただ一人の女性、「リリー・カレド」だった。

最初の人選といい、スライはやはりマルスの事を何としてでも否定したいらしい、最初は明らかに現場作業に向かない細身の青年、次のパートナーである彼女が働かないことは昨日の事件でマルスも知っていた。

何より、リリーは娼婦で、マルスの事を狙っている事もわかっていた。


リリーは笑顔でマルスの元に駆け寄ってきた。

「わー、嬉しい、あなたとは最初から話してみたかったの」

「よろしくね、現場監督さん」

「マルスで良いよ、皆そう呼んでる」

「じゃあ私の事もリリーで良いよ、で、マルス今日は何をするの?」

やましい気持ちがあった訳ではないが、彼女がいきなり仕事の事を切り出すのでマルスは少し驚いた。

「今日と明日は整地作業だね、それ用の機械は入っていないらしいから、手作業になるけど」

マルスは軍手と鍬を彼女に手渡す。

「力作業は苦手だけど、私頑張るね!」

快活なリリーの事は、思ったほど悪い人間ではないような気がしてきた。

この時点では。

マルスがリリーの背後に視線を送るとスライがこちらを睨み付けていた。

マルスは少し慌てて言った。

「作業を始めようか」

「はーい!」

リリーの元気な返事が現場に響き渡った。


開始早々「あつーい、おもーい」リリーの不満が耳を付く、しかし作業自体は丁寧に行っていた。愚痴は多いし作業は遅いが、それは女性と考えれば普通の速度のように思えたし、やることはやっている。

「もう知ってると思うから自分から言っちゃうね、わたしコウリンでは娼婦って呼ばれてたの」

マルスは「そういえば、そんな噂は聞いたよ」と作業を続けながら答えた。

「わたしと今夜「いいこと」しようよ、お金さえあれば何でもしてあげるよ」

マルスはリリーの言葉を聞き流しつつ、いったん手を休めて水を飲む、暑い、この日も日中は三十度を超える日だった。

「そんなオーバーオールを着ているからよ、皆もっと楽な恰好ですればいいのに、見て、軍人さんなんかこんな日でもジャケットにブーツよ、ばっかみたい」

彼女は今日はタンクトップにデニムのショートパンツ姿だった。

昨日の恰好よりは、作業をしようという意志が感じられるように思えた。

それでも男たちの視線を集めるには十分だが。

「このオーバーオールは爺さんの代から使ってる自分の宝物なんだ、それに自国で畑仕事をしている時もこの格好をすることで仕事をするぞって、気になるんだよ」

「仕事のスイッチみたいなものなのね、なんかわかるかも」

リリーは自分の言葉を無視されたことを大して気にしていないようだった。

「私も綺麗な恰好をしている方がテンション上がるもん」

その笑顔はあまりにも可憐だった。とても娼婦の娘とは思えない程に。

「リリー、ちょっと聞いても良いかな?」

「なあに? マルス」

「君は何でこの有志団に参加したんだい?国の客が減ったからだと昨日聞いたんだけど、それだけが本当の目的なのかい?」

「……お金が必要だったし、もちろんお客の獲得は目的の一つね。でも私の国では今、こんなにまともな食事にありつける場所は無いもの、だから選考委員を誘惑して参加させてもらったの」

「ストラドを?」

「ううん、さすがにあのお爺さんではないよ、ストラドはあくまで有志団を募ったリーダーで、参加者の選考は他のストラドが誘った五人の人がやってたわ」

「その中にアッシュもいたわ、もちろん誘惑してみたけど彼は「君とのそういう行為に興味はない」って断られちゃった。

だから他の四人に取り入って参加させてもらったの。

彼女は悪びれもせずに長い髪を掻き揚げながら、そう言った。

「僕の住んでいる所には娼婦って仕事は無かったんだ、君は自分で望んでその仕事に就いたのかい?

リリーは、きょとんとして答えた。

「…… わかんない…… 私のママがそうだったし、ママの仕事を手伝い始めてから、物心つく頃にはそう呼ばれていたわ、十四歳くらいの時に自立して、それからは会ってもいないけど」

そうか彼女はそれ以外の生き方を知らないだけなのだ。親がしている仕事を見て子供は育つ、マルスだって、親が宮廷の管理という仕事をしていたから、自分も漠然と自分もいつか、植物に関わる庭師や花屋になるんだろうな、そう思ったものだ。

そしてそれは実は運が良いだけだったのだ、生まれが違えば自分も、その日のパンにありつくことさえ難しい生活を送っていたに違いない。

まともな食事にありつける生活、それがどんなに豊かな事なのかを思い知った。

「望んでなった訳じゃないし、特別な事とも思ってないわ」

「娼婦の仲間は沢山いたし、諍いもあるけど、全てが全て悪いことばかりじゃなかったと思うわ。だって沢山お金を稼いだ日には大好きなローストビーフが乗ったカルボナーラが食べられて、おいしいお酒をただで奢ってくれるお客さんもいた」

「マルスやアッシュが私の事を卑しい職業の者だと思うのは無理もないわ、私だっていい仕事だって思ったことは一度もない。ただ、それだけしか出来ないし、知らないからしているだけ」

ママには感謝しているわ。彼女はそう言った。

「綺麗に産んでくれたの、この仕事はそれだけが重要な事なのよ。路地裏に住んでいると行き倒れた娼婦が沢山いたわ、だから私は高く買ってもらえる容姿を持っていたことは、運が良かった」

マルスはまた少し惨めな気持ちになった。

卑しい仕事をしている、そう思いいつの間にか彼女を自分より「下」の人間だと思っていたことも、十歳以上年下の相手が自分より壮絶な人生を歩んでいて、しかも選択肢が無かったのにも関わらず、そこで生き抜いてきたことは称賛されることは決してなくとも、誰にも卑下されていいものではないのだ。

自分は戦争に呼ばれなかった、戦わなかった、彼女の毎日はその日の小銭を稼ぐにも必死だっただろうに。

周りを見渡すと軍人や作業員、有志団達が汗だくになりながら必死に作業に打ち込んでいる。

命令されて嫌々参加した者、彼女のように食事にありつくために参加した者、モトラドのように復讐するための準備をしに来た者。

そしてアッシュのように、探し物をしに来た者。


自分の名前が彫られたドッグタグを見ながら発狂したアッシュ、事情は未だにわからないが、彼が「死」というものに触れたことは明らかだった。

ちゃんと話を聞いてみたい、そして出来ることなら少しでも彼の事を癒してあげたい、しかし自分にはその知識と術が無い事が悔しかった。

リリーは娼婦である、理由はともあれ、何人もの人間を癒してきただろう。

そう考えると自分は誰かに何かをしてあげたことがあっただろうか、今、恋人のナナに会えるのであれば聞いてみたかった。

作業終了のサイレンが鳴る、今日一日リリーは真面目に作業をこなし、スライの態度は相変わらずだったが、殴られることは無かった。



いつも通りストラドと夜風の中、煙を吹かすマルス、いつの間にかこの時間が自分にとって大切な物になっていると知った。プレストンウッズに恨みを持ち、復讐を誓ったストラドは本来であれば、一番警戒をしなければいけない相手なのに、話を真剣に聞いてくれるこの老人のことがマルスはこの場での「父親」のように感じられて、唯一心の許せる相手になっていた。

「ストラドさんは娼婦を抱いたことはありますか?」

「あるよ、何回も」

当り前のようにストラドはそう答えた。

「それを悪い事のように感じたことはありませんか?自分は、今日リリーと一緒にいたのですが「娼婦」という職業が実際存在していることも知らなかったし、それが卑しいとも感じていましたが、それしか生きる道が無かった人達がいることも知りました」

モトラドがポウッと煙を丸く吐き出した。

「うまいもんじゃろう、君に出来るか?」

「いいえ」

「これが出来ないと「煙草の遊び方も、吸い方も知らない若造」と軍では馬鹿にされたもんじゃ、しかしこんなことが出来ても何の役にも立たないがのう」

「俺は人生はこんな事の連続だと思っておる、子供の頃は何か一つ出来るようになっては誇らしいと親に褒められたし嬉しかったじゃろ?しかしある時を境に必死で何かを行うことは馬鹿だと見下されるようになる、何でこんな簡単なことも出来ないのだと」

「それでも必死にやるしかない、生きるためにはな」

「必死になって必死になって、出来るようになって馬鹿にされ、しかしいつの日か認められる事を信じる者」

あるいは「自分を信じ、認められる者」

ふうー、煙をふき一息つくストラド。

「生きるとは、認めることじゃ、自分の事も相手の事も、たとえ相手の事を嫌っていてもその尊厳を認め、決して否定しない者。そんな風に生きられるようにならなければ、決して幸福は訪れない」

そして最後に茶化すように笑ってこう言った」

「何度も妻にばれて怒られたのう、その度に「あんたなんかと結婚したのが間違いだった」と責められた。俺は謝りつつこう考えていた。そんな遊びでもしていない限り人生は、退屈でしょうがないと」

「ロマンチストと呼ばれる連中は年を重ねる毎に馬鹿にされるようになる、人生でそんな妄想のような良いことが沢山起こるわけではない事を、皆知るからじゃ。しかし良いことが起きること、そんな自分を愛していることは何よりも幸福な事だとは思わんかね」


「なあアッシュよ」


マルスはびっくりして顔を上げると、そこには細身の青年が息を切らしながら立っていた。どうやら自分の仮設住居の軍人が、寝たのを確認した後に、ばれないように抜け出してきたようだ。

アッシュはマルスを見るなり。

「ごめんなさい、マルスさん、モトラドさん」と深く頭を下げて謝った。

マルスは慌てて。

「顔を上げてくださいアッシュさん、体調が悪いことは誰にでもありますから」

「それだけじゃありません、僕は、貴方たちを偽っていた」

アッシュは、一つのドッグタグをポケットから取り出した「アッシュ・ランドール 認識番号2011」と彫られた、今朝マルスがアッシュに渡したものだった」

「本当の僕の名前はサンディ・クシキノと言います。アッシュ・ランドールは僕の恋人の名前だったんです」

理解が遅れるマルス。

ストラドが口を開く。

「ゲイという奴じゃな、コウリンの軍にも結構いたよ」

ゲイ、同性愛者の事であった。

「はい、しかし言い出せませんでした。僕は自国でそれを否定され続けて来たから、親ですらも僕のこの性癖を認めてはくれなかった」

恋人のドッグタグを握りしめるサンディ。

「恥じていたんです、自分の事を、それでもアッシュが死んだこの場に、来られずにはいられなかった」

少し落ち着いてからマルスは、バルクに来てからは本当に新しく知る事ばかりだな、なんてことを考えていた。

「誰にでも隠し事はありますよ、それに自分はアッシュさん、いいえサンディさんがゲイであろうと関係ありません」


マルスはサンディの両手を包み込み「良かったですね、探し物が見つかって」と優しく笑った。

サンディはまた大粒の涙を零し、今度は静かに泣いた。

「僕の事が気持ち悪くはないのですか?」

マルスは首を横に振った。

「人の生き方はそれぞれです。それに誰かを愛せるというのは幸せな事じゃないですか、しかし、自分を偽っていた事は少し怒りを覚えました」

少し身構えるサンディの手を強く握り、マルスはこう言った。

「だから……」


「僕と友達になってくれませんか?」


サンディはとても驚いた。この事実を知るものは大概、元々友であった者でもサンディから遠ざかる事ばかりだったからだ。

「幸せになるには人の尊厳を認めることです。貴方と自分は対等な存在で、頭が良くて、明るく話をしてくれるサンディさんに、自分は何度も救われました」

恥ずかしそうにマルスは笑った。

「なんて、いまさっきモトラドさんに教わった事の受け売りなんですけどね」

サンディの涙は止まらない。

「はい…… はい…… 友達になってください。僕もマルスさんの事が好きです」

そして二人は強く抱き合った。


やれやれ、小さい声でモトラドがこう言った。

「ロマンチックじゃのう」

そしてまた煙をポウっと丸く吐き出した。

その煙は上った満月と重なってより眩い光を放っているように錯覚させた。




第四章「軍人と娼婦」



[片付けはあらかた終わったわよ、マルス、今日からは何の作業をすればいいの?]

リリーは今日もやる気満々だ。

「連日の作業で疲れていないのかいリリー?君はそれとも本当にここでの作業が楽しいの?」

当り前じゃん、と彼女は答えた。

「だって大好きなマルスとこうして毎日一緒にいられるんだもん、最高だよ。これで私と寝てくれたらもっと最高なんだけど」

マルスは溜息を付いた。

「君は出会ってから毎日、自分に大好きと伝えてくれているけれど、それはコウリンでは当たり前の事だったのかい?この国、少なくとも自分は本当に特別な大好きな人にしかそう言わないから」

リリーはきょとんとして言葉を返した。

「私がマルスを好きなのはそんなに変な事なの?」

困った顔をするマルス。自分にも似たような経験があったからだ。

「一目ぼれしたってこと?」

「うーん、ちょっと違うかな。でもマルスと私は結ばれるべきだと、私は信じてるの」

娼婦の生活感、常識は分からないが、相手に好きと伝えることは日常茶飯事らしいな。そうマルスは思った。しかし、言われて嫌な言葉ではないし、ただ否定することも違う事のような気がしていた。ただ、彼女の「好き」は違和感が残るのだ。

「じゃあマルスは好きな人にもあんまり好きって言うことは無いの?」

そんなことは無かった、ナナとの手紙では、お互い最初の文に愛するナナへと必ず書いていたし、ナナも必ずそう返してくれていた。

「自分の考え過ぎかな?」

その時、リリーの後ろにスライの姿が見えた、こちらを睨んでいるように見えた。

マルスは、しまった、無駄話をしていたらまた殴られると思い、リリーに今日の作業の話を切り出した。

「片付け作業は昨日でおしまい、今日と明日は花を植える為に地面を耕す作業をするよ、その後に煉瓦を並べて遂に植物の搬入が始まるんだ」

軍人たちはバルク周辺の片付け作業を続ける、そして庭に関しての知識があるのはマルスだけなので、ここからは名ばかりではなく実際に指揮をとる立場となった。

「はい!よろしくお願いします監督!」

「ふざけてないで、すぐにと作業に移ろう、さっきからスライがこっちを睨んでるんだ」

ふふっと、笑うリリー。

「もう、マルスは小心者ね、あの偉そうな上官さんもそうだけど、何をそんなに怯えているのかしら」

スライが怯えている? 自分はそんな事は考えたことも無かった、だってあの上官はいつもマルスや他の若者を殴りつけては罵声を浴びせ、不機嫌な態度を露わにしている。でも確かに歴戦の軍人であるモトラドと出会ってから、マルスはスライとは違う物腰の柔らかさに非常に驚いていた。

スライも自分のように怯えていた…… 花壇をリリーと共に耕しながら、一日中その発言が頭を離れなかった。



その夜夕食を済ませたスライは本を読んでいた。自分が軍人になってから片時も離さなかった本。

「軍人という生き方」を読んでいた。そっけない白い装幀の背表紙には「著者 ストラド・モトラド」と書かれていた。スライが軍人としての自分を奮い立たせる為に、何度も何度も読み込んだ本は手の油が染み込み、紙が日に焼けて薄茶色になっている。

「へえ、あのお爺さんの本だ、上官さんあの人の事を尊敬してるんだね」

目の前から声まで掛けられたのに、気配も感じなかった。驚いたスライが顔を上げるとそこにはリリーが立っていてスライの事を見下ろしていた。

「上官さんは一人部屋なんだ、私も唯一の女の子なんだからそうして欲しかったわよね」

腰に掛けた拳銃に手を添えてスライは言った。

「貴様…… いつの間にテントに入った……」

えへへと無邪気に笑いながらリリーは言った。

「上官さんより先に入って布団の中に隠れてたんだよ、だって途中から訪れたんなら、門前払いにされるのがオチだからね」

気付かなかった、軍人にとって油断は「死」を意味する、今この場にいる誰よりもスライは、リリーを恐ろしい存在のように感じた。これが戦場だったなら間違いなくスライは命を落としていただろうと考えると冷や汗をかいた。

「貴様何が目的だ……」

リリーは笑いながらこう言った、笑いながらといっても、いつもの無邪気な少女の笑顔ではなく、どこか蠱惑的な笑顔だった。

「マルスは私の大事なお客さんになるんだから、脅すもう辞めてくれない?」

それに、マルスは上官さんを怖がらせた敵国の兵士じゃないんだから、そんなに怯えなくていいんだよ」

スライは驚き、そしてつい口を滑らせた。

「貴様、いったいどこでそれを……」

スライには恐ろしい過去があった。初めての戦場で弾丸を何度撃ち込んでも、立ち上がり襲い掛かってくる敵国の兵士、その眼はしっかりとスライを捉え殺そうという意志が強く感じられた。

敵国の兵士はもう数センチでスライに触れられる位置まで近づいた所で息絶えた、スライはあまりの恐怖に失禁し、その後同じ戦場の仲間たちに笑い者にされていた過去があった。


それからスライは誰よりも前線に立ち、誰よりも多くの作戦を完遂させ、功績を挙げた。そして気が付けば「国で最高の目指すべき軍人像」となった。

しかしその頃には当時の仲間は全て息絶え、恐怖からくる高圧的な態度で接していた部下たちには嫌厭され、スライには何も残らなかった。

後にマルスに出会ったスライは徴兵時から、マルスを何度も殴って降伏させようとしたが、倒れず、声も上げないその姿が、初めて戦場に立った日のその兵士を彷彿させた。

今読んでいた「軍人という生き方」には、こう記されていた。

「軍人として生き続けることはたやすいことでは無い、少なくとも俺はこの人生以外の選択をしてこなかったから他は知らない。地元に帰り、別の職業に就いた過去の友人がこんなことを口にしたことがある。「良いよな軍人は、強ければ尊敬されるし、仕事が無くて食いっぱぐれる事もない」そう言った」


「なんてことだと思った。自分は命を投げ出して、国を守っている勇者だと思い込んでいたがそれは違った。しかしその時に思ったものである。身体一つで戦い続けて、その先に何があるかを知ってみたいと、恐怖を超えて超え続けて、全てを屈服させた時に見える景色を見てみたいと」

だからこそ、スライはマルスに強く当たるのだった、いつかあの軍人のように目の前で倒れ屈服でもすれば、この過去の恐怖を打ち消すことが出来るような気がしていたからだった。

 自分が誰にも喋って来なかった信念を、こんな年端もいかない少女に見透かされたと思うと、嫌な汗が止まらなかった。

「誰に聞かなくても大体わかるよ、自分の国でも軍人は、金払いの良い上客が多かったからね。でもどんなに屈強な軍人もどこか卑屈で、自分のしている事に少なからず疑問を持っていたわ」

「それはそうよね、いくら仕事をしている、国を守っていると自分に言い聞かせても、やっていることは皆同じ、殺し合いなの。そんな自分が素晴らしい人間だと本気で思っている人は誰一人としていなかった」

 リリーは、辛い仕事よね。そう言うと。

「私はね、上官さん、そんな人たちを沢山癒してきたの」

 服を脱ぎ始めるリリー。

「もうね、無理しなくていいんだよ、怖かったんだよね?誰にも言えなかったんだよね?」

 そう言って裸でスライを抱きしめた。

 スライはもう呆然としていた。何時ぶりだろうか、こんな無防備な姿の人間に触れるのは、どうか反抗してくれ、どうか拳銃を向けてくれ、ナイフで首を掻っ切ってくれ、そうでなければ、俺は…… 俺の今までしてきたことは……

 気が付けばスライは情けなく涙を流しながら、リリーを抱き返していた。

「貴方はね、認めてあげたかっただけなんだよね、自分の事を」

 声を上げながら泣き続けるスライ。頭を撫で続けるリリー。

その日、スライとリリーは夜を共にした。



第五章「マルスとナナ」



耕した土地に煉瓦を並べるまでに三日を要した、一日の作業の遅れをまたスライに咎められるかと思ったが。スライは「貴様は余計な心配はせずに、この記念庭園を素晴らしいものにする事だけを考えていれば良いんだ」と言われ驚いた。

そして今日は植物の搬入があるので、全員に休日が与えられていた。

搬入が済んだまだ根が麻袋に包まれた状態のオリーブの木に寄りかかって、休みを満喫するサンディとマルス。

まさか、休日が頂けるとは思いませんでした。サンディがそう言った。

「軍人も休息が無いと効率が下がるのは一緒だから、スライもそれをわかっての判断じゃないかな」

「そうですね、それにこうして交流を深めることで、平和記念庭園の意味を深めることを出来ると考えているのかもしれません」

「それにここからは軍人が立ち入れない領域ですから、今日から実質の責任者はマルスさんになりますもんね、しっかり身体を休めないと」

そう言うと静かに寝息を立て始めるサンディ。

マルスも少し昼寝でもしようかとウトウトし始めると、リリーが笑顔でこちらに走ってくる姿が見えた。

その腕には一つの植物が抱かれている。

「ねえ、マルス、この植物は何ていう名前なの?」

 マルスは上体を起こしてその植物を見る。

「ああ、それは蔦植物のヘデラだね」

「へー、そんな名前なんだ」

「今は小さいけど沢山の蔦を伸ばして樹木に絡まっていくんだ、でも大丈夫かな、バルクは結構高地だけど、普段は低地に分布する植物なんだよ」

「ヘデラがどうかしたのかいリリー?」

「うん、私のママがね、育てていた唯一の植物なの、枝を切っても水につけておけばまたそこから根っこが出るから、ずうっと家にあって懐かしいなって思ったの」

「強い植物だよね、自分もその葉が家やアーチに絡んでいるのを見ると綺麗だなって思うよ。でも結構怖い植物で、野生のものは樹木に絡みついてその寄生した木を枯らしてしまうこともあるんだ」

リリーはぱあっと明るい笑顔を見せた。

「マルスは本当に植物に詳しいのね、さすが花屋さん」

「ねえ、マルス…… 今夜こそどう?」

またそれかとマルスは少しうんざりした。そしてまどろっこしいのでこう言った

「リリー、僕には結婚を約束した相手がいるんだ。その人を裏切るような行為は出来ないんだよ」

「えー、マルス彼女がいるの!じゃあその人の事聞かせてよ」

楽しそうにピョンピョン跳ね回って聞いてくるリリー。

マルスが面倒くさそうに、あんまりそういう事を人に話すのが好きじゃないと言うと。

「聞きたーい、聞かせてくれたら今夜は諦めるから、ね?」

押しが強いリリーについに折れるマルス。

「わかったよ、それに今夜だけじゃなくてこれからも諦めてくれると嬉しいんだけど」



マルスは恋人、「ナナ・クルーエル」について話し始める。

二人の出会いは今から約五年前。マルスが二十二歳、ナナが二十五歳の時に遡る。

マルスが常連で通っていた食品店で二人は初めて出会うことになる。

その日、自作のヨーグルトを卸す為にナナはセントラルに訪れていた。

そこで食品店の店主である「ターシャ・マルセル」にナナは、こう告げられる。

「ねえナナ、商品のヨーグルトを卸してくれる数を増やせないかしら?元々ウチの店の人気商品ではあるんだけど、最近そのヨーグルトを私の幼馴染が気に入って、買い占めていってしまうのよ」

「看板商品になりつつあるから、他のお客さんにも知って欲しいのにあのバカ」

ナナは顎に手を当てて考える。

「うーん、増やせない事もないけどあんまり現実的じゃないわ、バルクでは私とおばあちゃんだけが牛の世話をしていて手一杯なのよ」

「バイトを雇ってみるとかはどう?」

「雇っても、牛の数は変わらないし、これ以上規模の拡大をする気も今のところは無いの、地元のお店にも卸しているし、これ以上増やすことはかなり難しいわね」

ターシャは頭を抱え込んでうーん、と唸る。

「買える数を限定しようかな、一人一度に二個までとか、でもそれで在庫を抱えることは意味もない気がするし、買ってくれるのはありがたい話なんだけどねえ」

「私も月に一度しか来れないからね、これ以上おばあちゃんに負担を掛けるわけにもいかないし、それに最近おばあちゃん目が悪くなり始めてるのよ、慣れている仕事場だから作業自体に支障はないけど心配で……」

「わかったわナナ、私が直接彼に話してみる、一度に買い占めるのはやめて、毎日一個ずつにしなさいって」

ふふふ、と笑うナナ。

「本当にその人うちのヨーグルトが好きなのね、私は嬉しいわよ、ターシャ」

その時カランカランと店のドアが開くベルが音を立てた。

小さなドアを通るために体勢を大げさに下げながら、百九十センチを超える大柄な男が入ってくるなり「ターシャ!バルク産のヨーグルトは入ってきているかい?」

ターシャは溜息を付いた。

「ナナ、彼が私の幼馴染で貴方の商品の大ファンのマルス・フォルスだよ」

あまりに大きいフォルスを見てナナはこう言った。

「確かにいっぱい食べそうな人ね」

ターシャが女性と話しているのに気づいてマルスは小さく会釈をして「こんにちは」と笑顔で言った。

「マルス、彼女は貴方の大好きなヨーグルトの卸主、ナナ・クルーエルさんよ」

マルスは大げさに驚きこう言った。

「ええ!あの、自分貴方の作るヨーグルトの大ファンで、いつも美味しくいただいています」

「それ、今私が言ったわよ」

マルスはヨーグルトの作り手に出会えたことに感動していた。しかしそれ以上にナナの可愛らしさに感動していた。

背の高さは百六十センチ程で、美しい金髪の髪を肩までの長さで揃えている、碧眼、白いロング丈のワンピースに紺色のカーディガンを羽織っていた。自分より少し年上に見える落ち着いた印象の女性だった。

はっきり言って今まで会った女性の中で、一番可愛いと思った。

「また買い占めに来たのかマルス、そんなにこのヨーグルトが好きならもう一緒にバルクまでついていってしまえ」

冗談めかしてターシャがそう言うと、マルスは。

「良いのかい!」と本気にしたので。

「馬鹿、冗談だよ」と呆れて言った。

二人のやり取りに、本当に仲がいいんだなと思い微笑むナナ。

「あの、自分はマルス・フォルスと言いまして、ここセントラルで花屋を営んでいます。貴方の事が、ヨーグルトもとても可愛いと思っていましてですね」

感動で混乱して言葉がまとまらないマルス。

「?」と首を傾げるナナに対して。


「あの…… 自分と結婚してください!」

ポカンとするナナ、爆笑するターシャ、真っ赤になったマルスはこう言った。

「あれ?自分は今何を…… あれれ?すいません急に変な事を口走ってしまって、すいません聞き流してくださ……」

マルスの発言を遮って言うナナ。

「聞き流しても良いんですか?」

 優しく微笑むナナ。

「…… 流さないでもらえませんか……」

 混乱して告白した上にフォローまでされてしまった。マルスは恥ずかしすぎてその場で顔を隠して座り込んでしまった。

 

ターシャもマルスの事をフォローしてくれる。

「私が知っている限りマルス程真面目で、誠実な人間はいないよ」

「ナナさえ良ければ、私は良い話だと思うけどね、もし今付き合っている人がいないなら」

いないわ、とナナは答えた。

そして座り込んでしまったマルスの正面にしゃがんで目線を合わせてくる。

「私も貴方の事、面白いし可愛い人だなって思いました。結婚はまだ考えられないけど、お友達から始めてもらってもいいですか?」

マルスは静かに顔を上げた、その顔は耳まで真っ赤になっていた。

「もちろんです」恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑ってマルスは言った。


それからの二人はセントラルにナナが訪れるたびに自分たちの話をした。

仕事の事、休日は何をしているのか、どんな食べ物が好きなのか、いろんなことを話した。

二人の距離は急激に近付いていって、いつの間にかナナも誠実なマルスの事が大好きになっていった。

会えない日々も、毎日のように手紙のやり取りをした。

全てが順調なように思えた。しかしこの後二人は一度だけ喧嘩をするのだった。


その日はマルスの両親が作った宮廷庭園で落ち合った。

マルスはナナに会うたびに花束を贈っていた。その花束が原因だった。

花束の中心にはいつも白いユリの花が入っていた。

ある時ナナは、マルスに聞いた。

「ねえ、マルスのくれる花束には何故いつも白いユリが入っているの?」

マルスは微笑んでこう答えた。

「ナナはユリの花言葉を知ってる?「純潔」って意味が込められているんだ、自分が初めて見た白いワンピース姿がその花と重なったから自分の中ではナナはその花のイメージなんだ」

ナナは少し暗い顔をした。

「私、そんなに良い子でいないとだめなの」

マルスはきょとんとして「え?」という顔をした。

普段のナナならば喜んで受け取ってくれる、しかしこの頃に彼女の祖母の目は急激に悪くなり始めていて、一人では日常生活を送るのがやっとになっていた。

ナナがセントラルに卸に出るときは、何とか知り合いの農家さんが彼女の家の家守をしてくれていた。それでも祖母や、家の仕事が気になって最近ではセントラルに出るたびに不安な気持ちを抱えていた。

「毎日一人で、家畜の世話をして、汚い恰好になるまで仕事をして、帰ったらおばあちゃんの世話をして、ごはんの用意をして、洗濯も、家事は全部自分がして、恋人にはいつも優しくて」

「私、そんなに良い子じゃないと認めてもらえないのかなそれが「純潔」で綺麗って意味なら私、マルスが好きなような、そんなに子じゃないよ」

マルスは捲し立てるようなナナの言葉を呆然と聞くことしかできなかった。

「綺麗に着飾りたいし、何日もかけて世界を回ってみたい、毎日勝手に美味しいご飯が出てくる生活を送りたい、好きな人と月に一度だけじゃなくて、ほんとはずっと沢山一緒にいたいし、遊びたいし、買い物もしたい、大好きなピルスナーを沢山飲みたい」

マルスは焦った、自分はそんなつもりじゃなく、純粋にこの花がナナに一番似合う、そうナナの事を想って選んだものだったからだ。

「ごめんなさい、今日は疲れてるの、それにバルクに早く帰らないと家守をしてくれている農家さんに悪い」

花束を付き返して走り去ろうとするナナ。

マルスは必至にその手を後ろから掴んだ。

「私、完璧な凄い人間じゃないよ、マルスが思うような女の子じゃなくてごめんなさい」

「ナナ、それは皆思うような事ばかりだ、当り前の事なんだよ、それにそんな気持ちで僕はユリを君に送っていたわけじゃない」

「わかってる、マルスは優しいもの、でも今はその優しさが…… 辛いの」

小雨が降ってきた、静かに静かに、そのままの状態で動けない二人を、少しずつ濡らしていった。

ナナの顔を見るが、雨で濡れているのか、泣いているのかわからなかった。

マルスは急いでナナを大きなツゲの木の下に連れて行って雨宿りをした。

五分ほどの静寂が続いた後、マルスが口を開いた。

「自分はナナに会うことが嬉しくて、ナナが喜ぶと思ってしてきたことは、自己満足だったのかもしれない」

ナナは強く首を振った。

「違うのマルス!さっきの事は忘れて、ごめんなさい!」

「さっきからごめんなさいってなんだよ!」

マルスは初めてナナに対して大声を上げた。

「辛いなら良いんだよ自分に頼っても、良いんだよ甘えても、それで自分がナナの事を嫌いになる事なんて絶対に無い!」

「家を引き払って、家畜は売るなりしてセントラルにおばあちゃんと一緒に引越しておいで、君が辛い思いをしていることに気が付けなくて自分もごめん、これからはずっと一緒に暮らそう、君が元気で近くにいてくれるなら自分にはそれ以上の幸せは無いんだから」



「う…… うあーん!」



声を上げ泣きだすナナを、強く抱きしめるマルス。

「こんなに細い身体でずっと頑張ってたんだ。辛くなるに決まってるさ、家に来て一緒に住もう、それで休みの日は買い物をしたり、美味しいものを食べに行こうよ。ずっと我慢していたんだね、気付いてあげられなくてこちらこそごめんね」

「うん、私頑張った、頑張ったの」

ナナの言葉は止まらなかった、そしてこの降り続ける小雨の粒と同じだけ、涙を流したように感じた。

 

ひとしきり泣くとナナは言った。

「化粧落ちちゃった、私マルスに綺麗だと思って欲しくて苦手な化粧も頑張ったんだよ?」

 何となく知っていた、会うたびに少しずつ上手になった化粧は、今は全て涙に洗い流されて本当の彼女を露わにしていた。

「初めて見たよ、君の素顔」

ナナが吐き出した言葉も含めてそう言うマルス。

「今の方が綺麗だ、ナナ、正式に自分のお嫁さんになってくれませんか?」

樹齢二百年を超える大樹の下で二人は、どちらともなくキスをした。

その頃は小雨もすっかり止んで、木漏れ日が二人を祝福するように包んでいた。

ナナはマルスに抱きしめながらこんなに温かいのは何時振りだろうか、なんてことを考えながら。

「私もずっとマルスと一緒にいたい」

そう告げた。


しかし、その後すぐにマルスに徴兵が訪れた、手紙で兵役が終わるのは二年後だがそれまで待っていてくれますか?とマルスがナナに聞くと、彼女は「絶対に待ってる」と返してくれた。

徴兵中も手紙のやり取りは続いた。

銃が一度も撃てなくて上官のスライによく怒られている事、その事で軍では根性無しだと笑い者にされている事。

それでもナナはそれでいいと言ってくれた。

マルスの大きな両手は銃じゃなくて、花束を抱きしめる為にあると。

あの時マルスの両手は私を優しく包み込んでくれた。その手はいつまでも優しいマルスの象徴として誇って欲しい。

兵役が終わりに近づくとナナの唯一の肉親である祖母の目が完全に見えなくなったことを知った。それでもナナは一人で頑張っているんだ、自分も、もう少しで兵役が終わる、だから最後まで銃の引き金を引かない事を心に決めていた。

ナナは手紙の最後にいつも「徴兵から帰ってきたらマルスの大好きなヨーグルトがまた毎日食べられるように沢山作って待っています」そう書いてくれていた。

運命は残酷だ、徴兵が終わるとほぼ同時に、隣国コウリンとの戦争が始まった。

しかし、銃が撃てないマルスは役立たずだと判断され、戦争に軍人として呼ばれることは無かった。

マルスは家に帰るとすぐにナナに手紙を書いた。

これで遂に一緒に暮らせると期待を込めて、手紙にはスチータスの写真を同封した、花言葉は「変わらぬ心」だった。

その後ナナからこんな手紙が届いた。


「愛するマルス・フォルスへ。

徴兵終了お疲れさま。

この間は素敵な花の写真を同封してくれてありがとう。

初夏に入り、花卉農家である貴方も忙しい日々を送っているのでしょうね、私の所ではこの間、育てている牛が可愛い子牛を産み、良く牛乳を出してくれています。


話が変わってしまうのですが、私の住む町の傍で最近自爆テロがあったそうです。

幸い私の所までは被害が及んではいませんが、近々こちらにも被害が及ぶのではないかと町の人々は怯えています。

早々と引っ越していく人もかなりいます。

しかし私は何事もないことを信じています。

そして今は家畜の世話と、一緒に住む目の不自由なおばあちゃんを残してはいけないのでこの町に残ることに決めています。本当はすぐにでも貴方の所に行って一緒に暮らしたいのですが。状況が状況なので引っ越しの用意も中々できていないのです。

人と人とが争うことなど本当はあってはならない事です、私はとても悲しいことだと思います。

しかし信じましょう、より多くの人々が幸せであることを、そして私とマルスの幸せな未来を……

 

少し暗い内容になってしまいましたが、私の事は心配しなくても大丈夫。

また素敵な手紙と写真を期待しています。

貴方を愛する、ナナ・クルーエルより」



「話はこんな所かな、自分はだからナナを一生愛すると決めているんだ、だから彼女を裏切るような行為は絶対にしたくないんだ」

「ユリの花言葉なら私も良く知ってるわ、お客さんが私の名前に因んで、よく白いユリの花束をくれたの」

そうか、確かに彼女の名前は、「リリー」であることをその時始めて認識したマルス。

「笑っちゃうわよね、娼婦に「純潔」なんて花を贈るなんて」

少し寂し気に笑うリリー、その顔が本来の彼女の顔なのではないかと、その時マルスは何となく思った。

リリーは身体を売ることに罪悪感を感じていない、生まれた頃からそんなことは日常茶飯事で、当り前のこととして育っているからだ。

その事を除けば彼女はナナのしたいような生活をしている、稼いだお金で綺麗に着飾り、美味しいローストビーフの乗ったカルボナーラを食べる。上客が来ればいくらでもピルスナーを飲むことも出来ただろう。

娼婦だからと言って、必ずしも不幸ではない。

世間から言われる「真面目」に生きているから幸福なわけでもない。


本当は良い子じゃない、ナナからその言葉を貰っていなかったら、マルスは最初からリリーの事を、卑しい者だと決めつけて否定し、避けていただろう。

自分が知っている常識が全て、正しい訳ではないということはこの公園を作ることになってからたくさん知った。


ゲイである男性が、何か笑われるような、悪いことをしたのか?


娼婦の少女が、自分に対して好きと言うことは彼女にとって普通の事なんだ、彼女の育った環境ではそれこそが「常識」だったのだ。


元軍人の老人は、いつも自分に優しい言葉をかけてくれた、彼が筆談で話した「プレストンウッズに復讐を望んでいる事」も至極真っ当な意見だろう。


誰かが勝手に、誰かを決めつけることは出来ないし、良い、悪いの判断は本人の中にしかない概念なのだ。きっとそれを否定することも誰かの自由なのだ。


マルスは子供の頃から他の同年代の子よりガタイがよく、初対面の相手には良く怖がられ、嫌厭された。だからこそ「笑う」ことにしたのだ。

自分の生まれ持つ身体が誰かを威圧してしまうことを、子供心ながらに学んだマルスは良く笑う優しい人間になろうと決めた。

それが、リリーと何が違うというのだろう、なんてことを考えていた。

リリーも生まれながらにして美しい容姿を持っていてそれをよく自分でもわかっている、だからこそ他の生活を選ぶことも出来たはずなのに、自分には娼婦が一番合っているし、そのことに自信すらあるように感じた。

しかしやはり人間はどんな環境で生まれ、育っても、自分が否定されることを一番恐れる生き物なのだ、それを知ったマルスは決してリリーの事も否定しないと決めていた

 

そしてナナはそんな無知な自分の事を許し、信じましょうと言ってくれた。だからマルスも全ての人々を信じると決めたのだ。信じ続ければ最後にはわかってもらえると。

サンディが目を覚ます。それと同時にリリーも「マルス、今日もいろいろ話してくれてありがとう」と言って去っていった。

サンディに「おはよう、冷えて来たから仮設住宅に帰ろうか」と言ってその日は分かれた。

空を見上げると空がオレンジ色をしていた。

オレンジ色のユリの花言葉は「華麗、愉快」であること、それは今のリリーの姿にそっくりだなとそう思った。



第六章「二人の老人と信念」



休日を経て、作業員たちの入れ替えが行われた。

庭造りに特化した者達、それこそマルスよりベテランの庭師や、あと女性の姿もちらほら見られた。スライが敬礼をする。

「プレストンウッズ有志団の皆さま、お疲れ様です」

どうやら庭造りに関しては、手慣れている物を募集したようだった。

その中には、「エビキュール」と呼ばれる享楽で庭を造る初老の男「アクセル・ライド」という男がいて、マルスの最も尊敬する庭師の一人だった。

このバルクに来てから一番マルスのテンションが上がった瞬間であった。

「アクセルさん、こんにちは、貴方と仕事を共にできるなんて光栄です」

深く頭を下げて挨拶をするマルス。

「やあ、フォルスさんの所の息子のマルス君だね、最後に見たのは中学生の頃だったかな?それにしてもでっかく育ったんだねえ」

マルスは庭師協会の会合があった時に一度だけ彼に会ったことがある。

その時の会長をしていたのがマルスの父親で、アクセルは副会長であった。

エビキュールと呼ばれる彼は、自分の好きなようにしか庭を造らない。

アクセルの事をあまり良く思わない者もいたが、その時マルスの父親は、会合の帰り道でマルスにこう言ったものである。

「庭師の仕事というのはお客様の所有する土地に他人が手を入れることになる、当然お客様の意見が多く反映されることが多い。大概はすでに図面を用意されていて、それを如何に意に沿った形で、完璧に再現できるかによって評価される世界だ」

「だが彼はそれらをすべて断って、自分の好きなように庭造りをさせてくれる所の依頼しか受けたことが無い、自分の思ったようにしか庭を作れないと、かつて言っていた。私も少し自分のテイストを入れる事にはしているが、それは名刺のようなものでしかない。彼のような者で庭師の世界でそれで生き残るには、相当の腕と自信がいる」


「仲の良かった自分は、かつて彼の庭を見たことがあるが、一つ一つのハーブが区分けされたていた庭だ、植物の高さもめちゃくちゃだし、遠くから見たら雑草が生い茂っているようにしか見えない粗野な物だった。歩行路もろくに無い、しかし生い茂ったハーブの中心に身を置くとアクセルの作った庭が如何に素晴らしい物だったのか思い知らされた」


「庭の中央で目を閉じてみると、美しい幻想郷に来たような匂いがした、一見めちゃくちゃに見えるその庭は、香りの配合が完璧に組まれたものだった」

その庭は人々の感動を呼び、後に「ユートピア・ガーデン」と呼ばれるようになった。自分はその時に思ったんだと、父親は続けた。

「庭師の世界では宮廷付きである、自分の方が評価が高い。だが、アクセルと自分は格が違う、彼ほど植物に愛された逸材は他にはいないだろう」

マルスの頭をくしゃくしゃと撫でながら。

「機会があったらマルスもいつかユートピア・ガーデンを訪ねてみなさい。そして自分はお前が違う形でも良いから、彼のように素晴らしい庭を造る者になって欲しいと願っている」

会合の後の懇親会で酒を飲んで、酔っていた事もあったが、普段は寡黙な父親にそこまで言わせる人物なのだから、凄い人なのだと、その時にマルスは感じた。

それからは業界誌で、彼の庭を見る度にマルスは、その配置の技術、香りの交配を試してみた。

高い評価を受けている彼だがインタビューを受けた際には一言「俺は自分の美しいと思うものを好きに作った、それだけだ」としか答えず。いつも記事を描くライターや、インタビュアーを困らせていたようである。

「アクセルさんは何故今回の庭造りに参加を?」

「庭造りには若い人材が一任されていて、「平和」をテーマに、自由に庭造りをするように言われていると聞いた。自由と言われれば俺の出番だろう」

アクセルは一言。

「まあ、その責任者が君だと知ったのには驚いたが、しかし数少ない友人であるフォルスの息子である君なら、俺の庭造りの事にも理解はあるだろうし」と言いながら。

お手並み拝見いたします、責任者殿、そう言うとアクセルは少し意地悪そうにニヤッと笑った。

マルスの隣に立っていたリリーは。

「マルスの尊敬する人なんだ、じゃあ凄い人なのね」そう発言する。

アクセルは「やあ、可愛いお嬢さん、俺はアクセル・ライドだ、今日からよろしくな」

「有名な人なんでしょ?じゃあ凄いお金持ちなの?」

「そんな訳ないだろう、俺は酒が大好きでね、大体庭を造った後は散財しちまうしな」

「じゃあ興味なーい」

違いねえ、アクセルは豪快に笑った。

「はっきり自分の意見を言うお嬢さんだな、気に入ったぜ」

「私も、おじさんの事嫌いじゃないわ、でも私はもう十六歳なの、お嬢さんじゃなくてレディーだわ、ちょっと失礼じゃない?」

「これは失礼しました麗しいレディー、お名前を聞いてもよろしいですか」

「リリー・カレドよ、よろしくねアクセルさん」

「リリー、花の名前を持つレディーか、ますます気に入った」

じゃあまた後でな、そう言うとアクセルは有志団の中に帰っていった。

「相変わらず豪快な人だなあ」

「面白いおじさんだったわね」

その日は、プレストンウッズの面々との顔合わせで一日が終了した。

マルスはアクセルが庭に携わってくれると思うと少し勇気が出た。



そしてその夜は、今まで書いた図面を全て破棄した。

煙草の火によって燃える図面、モトラドはそれを見て「良いのかね?これはマルスが良く考え、一生懸命書いたものじゃなかったのかい?」

「ええ、それは勿論、自分にできる最高の庭を再現したと思っていました」

しかし、そう続けるマルス。

「この図面たちは父親とアクセルさんの真似事でしかないと気付いたんです。自分は、自分にできる最大限の力を持って、「新しい」ものを作りたいと、今日強く思いました。

「だからスライに明日一日、また図面が出来るまでの時間が欲しいと頼みました」

スライは、フンと息で鼻を鳴らしながら「この件は貴様に一任されているんだ、好きにすると良い、遅れた分は俺が責任を持つ」と言った。

「どうも、昨日の休日と言い、スライはこの庭園造りが始まってから、性格が丸くなったような気がします。殴られることも無くなったし…… 何か心境の変化があったんでしょうか?」

ふうー、と煙を吹かすストラド。

「そうじゃのう、昨日俺も改めて挨拶をされたよ、俺の以前書いた文章が、今まで自分を支えてくれていたと。それにここからは軍人の立ち入れる範囲ではないからのう、少し自粛しようと思っているんじゃないか?君に怪我でもされたら本当に困るのはあの若造だしのう」


そして煙草の火が無くなった時、ストラドが切り出した。

「マルス、君とはこのキャンプに入ってから一番交流したな」

「はい、自分もストラドさんに随分と話を聞いてもらいました」

「そんな一生懸命君が作った庭を破壊してしまうのは本当に辛いことじゃ、しかし俺は「今夜記念碑の台座に完成した爆弾を設置」しに行くことにした。

「今日は交流会があって酒を飲んだ者も多い、人払いが出来ている今夜が最後のチャンスなんじゃ」

「そうですか」マルスはそう言った。

「止めないのかね?」

「ストラドさんにはストラドさんの信念があるし、自分一人では貴方を止めることなど出来ない、それに……」


「自分はストラドさんの優しさを信じていますから」


やれやれという顔をしながらストラドはこう残して夜の闇の中に姿を消していった。

そしてマルスに聞こえないように呟く。

「本当に争いに向かない若者じゃのう、綺麗な物ばかり信じている。戦争に呼ばれない訳じゃ……」


「それでも、俺はやるぞマルスよ、君が言ったようにこれは俺が決めた信念なんじゃから」

その日、ストラドは土で固まっている台座を汗だくになりながら掘り返し、爆薬を埋めた、来る式典の日を想いながら。




第七章「リリーの名前」



マルスはその日は眠らずに図面を描き、人々は再び休日を楽しんだ。

リリーもマルスが忙しい事はわかっていたので、邪魔をしないように、代わりにアクセルに付きまとうことにした。

「ねえアクセルさん、ほんとにお客さんになってくれないの?お金には困ってないんでしょ」

「いや、昨日も言った通り俺は散財しちまうんだよ、君のような娼婦を抱くことだって結構あるぜ、というかこんな爺を相手してくれる相手なんてそれぐらいだしな」

リリーは、こんなあけすけに「娼婦を抱く」と言う人間に会ったことが無かった。

だからこそアクセルは自分に最初から偏見が無いと知り、単純に面白い人だから仲良くしたいと思っていた。こんなことは初めてだ。

「金は無いが、抱きたいとは思う」

「お断りです」

豪快に笑うアクセル。

「マルスは図面を描き直してるんだって?俺が来たことがプレッシャーになり過ぎないと良いがな、何しろ俺は天才だからな」

「本当の天才は自分から天才なんて言わないと思うわ。私みたいにね」

違いねえ、とまた豪快に笑うアクセル。

「リリーは名前の通りやっぱユリが好きなのかい?」

「ううん、全然好きじゃないわ、むしろ嫌い」

「昔から、お客さんに沢山ユリの花束を貰ったわ、でも切り花だし、花瓶に入れてもすぐ枯れてしまうから、悲しくて嫌い」

「それに「純潔」って花言葉も嫌いだわ、娼婦である私が純潔なわけないのに、なんでわざわざそんな花を贈るのかしら」

確かに、可笑しな話だな、とアクセルは言った。

「俺ならユリを娼婦に送るとしたら、皮肉を込めて赤か黄色を選ぶがね」

リリーは驚いた様子でアクセルに聞いた。

「色によって花言葉が違うの?」

頷くアクセル。

「ああ、赤いユリは「虚栄心」、黄色いユリは「偽り」という意味を持っている。自分を偽らなければ出来ない仕事だ、俺には絶対できないな。それに俺もユリはあんまり好きじゃねえ、あれは主張が強すぎて庭に埋めると他の植物の邪魔をしちまう、俺はもっと生い茂った草木を使った、一見地味なくらいの庭が好きなんだよ」

リリーはアクセルに聞いた。

「ヘデラとかは?」

「お、リリーヘデラを知ってんのか、あれは俺も好きな蔦植物だ、樹木に絡んでる様を見ると「強く生きている」感じっていうか生命力を感じるからな」

「でもマルスはアーチに絡んでいるのを見ると綺麗だなって言ってたわ、それに他の木に寄生して枯らしちゃうこともある怖い草だって」

ああ、そうだなと、アクセルは呟いた。

「俺は森に入ってよく野生の草花を摘んでくることがある、その森の中で何度もそんな光景を目にしたことがある」

「生い茂った森の中で寄生された木は呼吸が止まっていて、植物というよりは物質に近い存在感を放っていた。その枯れた木を見て美しいといつも思う」

「枯れた木が綺麗なの?」

「ああ、中にはそのことによって特殊な香りを放つ植物もある、俺はそんな寄生されて死んでいても強く根を張り倒れることなく、空間を支配するような存在感を持つそんな植物が大好きなんだ。他の庭師の奴らは否定するがな、だから俺は仲間内では嫌われ者で変わり者だと、よく言われたよ。わかってくれる奴はフォルスの親父くらいだったな」


「奴は俺がこの話をした後小さく「わかる」とだけ言って、次の庭造りの時にその枯れた木を庭園の中心に据えやがった、テーマは「生命」とかいう格好つけたもんだったかな、でもあいつはわかってるんだ、植物ってもんを、庭ってもんを」

だから…… と話を続けるアクセル。

「だから俺はその息子である、マルスにも期待してんのさ、あいつなら間違ったもんは造らねえってな」

「マルスの事を信頼してるのね」

「まあ、まだ実際あいつの作った庭を見たことはねえし、親の七光りだがな」

「あいつが十五歳の時、一度だけしかあったことが無かったが、親父と同じ眼をしていた」

「俺はそれを見て安心したよ、フォルスの意志はこの少年にしっかり根付いていると」

 アクセルはポケットに手を入れるとPHOLSの煙草を取り出した。

「あれ、ライターどこにやったかな?」

 はい、と綺麗な装飾が施された銀のオイルライターを、自分のポーチから取り出し、火を着けるリリー」

「流石娼婦だな、準備が良い」

「アクセルさんが煙草を吸うなんて以外だわ、庭の香りを大事にする人なんでしょ?」

「ああ、でもこいつは草の匂いしかしないから好きだ。それにフォレスを尊敬する俺なりの敬意と言っても良い」

「おじさんは本当にマルスのお父さんの事が大好きなのね」

「ああ、大好きだ、そして恐ろしいとも思う」

リリーは何となくわかるわ、そう言った。

「私の住む町にも一人、私より稼ぐ娼婦がいたわ、私のママよ」

「ママは富豪に気に入られて、愛人として高級街に招かれていったわ、それからは私が町一番の娼婦になったんだけど、結局ママを超える事は出来なかった」

「そうか、リリー、君は若くしてライバルの存在を知っているんだな、大したものだ。   フォルスに庭師の会合のメンバーに誘われた時、俺は正直乗り気じゃなかった、仲間内で嫌厭されていることは知っていたし、何より何度も言うが俺は自分の自由にやることが好きだ、だから「会合」なんてきっちりとした厳格な場所に身を置きたくなかった。

でもフォルスの庭を見て考えを変えた、あいつの庭は数ミリ単位で計算されていた。感覚派の俺には到底出来ない芸当だった」

「他の庭師の庭もそれなりにキチッと計算されて作られてはいるが樹木の高さや足場の角度等、あんなに計算され尽くした庭を作れるのはマルス一人だった」

「その時に思ったもんだ、あ、こいつは俺とは格が違うと、初めて敗北感を味わったんだ。だからこそ近くでフォルスという人間を観察してみたいそう思って、会合への参加を決意した」

「なんか娼婦と庭師ってよく似ているような気がしてきたわ、娼婦は人間を、庭師は植物を良く観察することが大事なところがね」

珍しくアクセルが真面目な顔をしていった。

「真摯に自分の事に向き合っている者が俺は好きだ。それが軍人であろうが娼婦であろうが庭師であろうが、関係ない、命を賭して戦うものを人々は時に笑い者にするがそれは「畏怖」がそうさせていると俺は思っている。どんな世界でもそれを極めた者は称賛され、また異常だと恐怖されることになる。そんな器を持つ者は少ないがな」

「私、やっぱりアクセルさんの事が気に入ったわ。今まで私の商売を笑ったり、嫌な顔をする人は多かったけど、そんなことを言ってくれる人はいなかったもの」

「俺もこんな可愛いレディーに慕われて、鼻の下が伸びっぱなしだぜ」

リリーは思わず吹き出してしまった。

「もう、真面目な顔をして話をしていたのに急にふざけるのね、せっかく尊敬しかけていたのに台無しだわ」

違いねえ、そう言ってアクセルも笑った。

「リリー、俺の事が気に入ったならマルスより俺の仕事を観察すると良い、奴はなんだかんだ言ってまだひよっこだ、もし庭師の仕事に興味を持ったならそうしろ」

「よく考えておくわ、でも娼婦としてはマルスの方が上客なの、だってマメに貯金が趣味っぽいでしょマルスは」

違いねえ。アクセルはそれが口癖のようだった。

そんな会話を繰り広げる中、リリーの世界観には少しだけ変化が訪れていた。



第八章「マルスの決意」



翌日、徹夜で図面を完成させたマルスはプレストンウッズとコウリンの有志団の面々に一枚ずつそのコピーを渡していく。

マルスが最大限死力を尽くして描いた図面であった。しかしその図面には違和感があり、アクセルは質問をした。

「マルス、この図面には、庭の周囲を囲む為の植物が描かれていないがどういうことだ?」

マルスは静かに口を開ける。

「そこはエビキュールとして名高い、アクセルさんに一任したいと思います」

「それではお前が作った庭とは言えないんじゃないのか?」

「自分は責任者であって、この庭造りに対する権限は全て自分にまかされています。意見は許されませんよ」

「この野郎」

アクセルは面白そうにニヤッと笑った。

マルスがただの真面目から責任者という立場を「利用」して一番良い物を作ろうと思った結果であった。

もう一人の老人、ストラドが静かに笑った。

「一皮剥けたようじゃのうマルス、良いんじゃそれで、自分の理想をただ追い求める者に勝利の女神は微笑む」

アクセルは大きく声を上げた。

「了解しました責任者殿、外庭の件、このアクセル・アクセルが責任をもって担当させていただきます」

マルスは、お願いしますと改めて頭を下げた。

「必要な人員や植物、道具があったらいつでも自分に言って下さい。出来る限りの準備はさせて頂きます」

リリーは驚いてアクセルの袖を引っ張る。

「マルス、なんか人が変わったみたいね」

アクセルはこう答えた。

「庭師ってのは俺や、フォルス夫妻みたいに少人数で作業する方がマイノリティーだ、本来ならば、現状のように多くの人員を使って「指揮」する立場に属する。あの野郎、俺や親父ばっかり見ていたようでしっかり勉強してたんだな、安心したぜ」

アクセルは自分の事のように嬉しそうにそう言った。

そして、その眼はまるで自分の息子の成長を見守る父親のようだった。

「ならば、俺は助手として、リリー・カレドを指名します」

リリーは再び驚いた顔でアクセルの顔を見た。

「私、アクセルさんの庭に意見できるほどの知識が無いわ!」

「良いんだ、それが良い、変に知識がある奴の方がつまらない庭を造る。君は君の意見をバンバン俺にぶつけて来い、つまらなければ責任者として却下する、それだけだ」

リリーはこの場所に来て初めて真剣な顔を見せた、冷や汗をかいている。昨日の話を聞く限りアクセルは庭を造る事を愛している。半端な意見を出すことは許されない。


一連の工程を説明した後「それでは皆さん、作業に移ってください」そうマルスが大声で言った。

同じ国の有志団に出来るだけパートナーを組ませ、他国間の通訳はサンディに任せた。

そしてマルスは庭の中央にある記念公園のプレートが設置される土台周りの作業をすることにした、自分のパートナーにはストラドを指名した。

ストラドが言った。

「どういうつもりじゃマルス、この台座は一昨日俺が爆弾を設置した場所だぞ」

「ええ、よく知っています、それに微かですがこの土からは火薬の匂いがしますから、ストラドさんが嘘をついていない事も知っています」

「ならばなぜ俺をパートナーとして選んだ、君にとっては一番の「敵」は俺じゃないのか?それこそ軍人に引き渡すなどして、式典まで幽閉でもしてもらえば良いものを……」

マルスは綺麗に揃えた煉瓦に均等に縞の入った種を植え始めた。

「そんなことをしても、貴方は今日にでもここで騒ぎを起こすことが出来る、でもストラドさんはそれをしない事を自分は信じています。ここバルクに来てから、一番交流をしてくれた信頼の証です。

「素直に監視のためと言えばいいものを」

 

マルスはストラドに質問をした。

「今自分が、植えている種は何の花の種かわかりますか」

「子供でも知っておるよ、向日葵じゃろ?」

「じゃあ向日葵の花言葉を知っていますか?」

「いや、そういう事には興味が無かったのでな、どんな意味が込められているんじゃ?」

「基本的には太陽に向かって背を伸ばす向日葵には、前向きな花言葉がつけられています」


「私は貴方だけを見つめる」 「愛慕」 「崇拝」等の言葉です。そうマルスは言った。


しかしその中に「駆け引き」という言葉を持っています。

「これはストラドさん、貴方が爆破できないような素晴らしい庭を造るという自分の信念でありあなたとの駆け引きです」

ふふ、とストラドが声を出して笑う。

「やはり君は俺が会ってきた中で、一番の頑固者であり曲者じゃ」

ストラドもマルスから種を受け取り二人で作業をし始めた。

その日の作業は通訳のサンディの活躍もあり、スムーズに進んだ。



その日の夜、仮設住宅にマルスとストラドの姿は無かった。

軍人達も他の場所にすでにキャンプを移していたので、それを止める者はいなかった。

庭の中央、平和記念のプレートがのる予定の場所で二人は煙草を吸っていた。

「マルスよ、俺が何故この庭を破壊することに拘るかわかっているか?」

「いいえ、復讐の為、としか聞いていないので」

ストラドは静かに口を開いた。

「俺の息子がのう、このバルクに特攻した最初の隊員だったんじゃ」

表情を変えずにストラドの顔を見るマルス。

その時のストラドの顔は今までの温和な元軍人の老人の顔と思えない程、激昂しているように見えた。

「軍人として死ぬことは、俺は名誉なことだと思っていた。だが、息子が死んだことで俺の考えに迷いが生まれたんじゃ。息子は去年、妻を娶った事で、彼女に心配を掛けたく無い、今回の戦争が終わったら軍人を引退して、一般市民として働きたいと言っていた」

「俺もその意見には賛成した、死ぬ覚悟が無い者が戦場に出るべきではないと……」


「何故、死んだのは俺じゃなかったのか、息子には今年、子供が生まれ幸せな家庭を築くはずじゃった」

拳を強く握りしめるストラド。

「俺は…… 軍人であることを誇りに思っていると周囲に公言し続けていた。そしてそれは本心からであったはずじゃった。だがそれは間違いであったことに気付いてしまった。そして神すら恨んだ、こんなに自分は正しい事をしていると言い聞かせ、生きて来たのにあんまりな仕打ちではないかと……」

「今でも夢に見る、俺は荒野を歩いていて、振り返ると今まで殺してきた兵士たちが無数に転がっている。その中に俺の足を掴む髑髏が一人いた。その髑髏は俺の息子である、「マルス・ストラド」と彫られたドッグタグを身に着けていた。

「運命とは皮肉なものじゃのうマルス、誇りを捨てて復讐を誓い、敵国に頭を下げ、参加したその先に息子と同じ名前を名乗る若者がいるなんて……」

 

黙って下を向くストラドに、マルスも自然と自分の事を話し始める。

「自分も、この戦争で一番大事な人を無くしました。そして彼女はこのバルクの町、丁度この土台のあたりに家を構えていた」

驚いてストラドが顔を上げる。

「彼女、ナナ・クルーエルは僕が結婚を約束した相手で、この町で祖母と一緒に家畜の世話をして暮らしていました」

「自分が徴兵を終えた後に戦争が始まり、最初期に攻撃されたのがこの南端の町バルクだったのです。彼女への手向けの意味もあり、この任務を受けることを決めました。彼女はよく言っていました。マルスは向日葵の匂いがすると…… だからこの場所には僕の独断で向日葵を植えると初めから決めていたんです」

頭を抱えるストラド。

「それでは君は最初から俺の事を、コウリンの有志団を憎んでいたというのか?ならばなぜ皆にあんなに優しくできた?俺と同じように、皆殺しにしてやろうとは思わなかったのか!」

マルスは首を横に振る。

「思いませんでした。彼女の手紙には何度も書いてあったんです。「信じましょう」と、より多くの人々が幸せであることを、そして私とマルスの幸せな未来を…… とそう書いてありました。

「自分が愛した人が信じていたことを、信じただけです」

お、お、お、と唸りながら後ずさりするストラド。

「それでも俺は…… 俺は……」

そう呟きながら、闇に消えて行った、そして二度とキャンプに戻ってくることは無かった。

マルスの頬に一粒の涙がつたった。



ストラドが姿を消した後も作業は続く、アクセルとリリーはまだ図面を描いているらしく、庭は中央から順番にその姿を現していく。

中央のプレートの周囲に向日葵が咲く予定、それを香り豊かなラベンダーとジャスミンの花たちが囲う。

その花たちの姿を隠さないように、オリーブの木が均等に植えられた。とても色鮮やかな庭だ、オリーブの実を食べようと小鳥たちが周囲に姿を現し始めた。

向日葵の花が満開になる、約二か月後に記念式典は行われる。外庭の作業を残したまま、ほぼ完成した庭の姿を背に皆、あるべき場所に帰っていった。


マルスはサンディと別れの挨拶をする。

「サンディ、記念式典には必ず姿を見せてくれよ」

「必ず来ます。アクセルさんとリリーさんの外庭が出来て、向日葵が咲いたらどんな庭になるのか非常に楽しみです」

バックパックを背に遠くへと歩いていく、サンディの姿が見えなくなるまでマルスはその場に立っていた。


その翌日、図面がようやく完成し、植物の搬入が行われて、マルスは驚いた。

「この花は……」

アクセルとリリーが悪戯っぽく笑う。

「どうだ、美しいだろう?図面は俺が指導して、全てリリーに描かせたから時間は掛かっちまったがな」

「リリーがこの花を選んだのかい?」

元気に頷くリリー。

「うん、アクセルさんが教えてくれた、特別な花だから是非使いたいと思って決めたの、時間が掛かったのはアクセルさんが色の配置に煩かったからなのよ」

煩いとはなんだ、とアクセルはリリーを小突いた。

そして言った。

「マルス、俺はこの面白い女を弟子にすることに決めたぞ。これからはお前の商売敵として一番手ごわい相手になる予定だから覚悟しておけよ」

「リリー…… 本当かい!」

「うん、私が自分から言い出したことなの、マルスやアクセルさんに出会って自分も花が大好きな事がわかったわ。本当にこの有志団に参加して良かったと、今なら心から言える」


そして一言こう言った。

「ありがとうマルス、大好きよ」

それは、今まで彼女が何回も発してきた「好き」とは違う物だとマルスは理解し、こう言葉を返した。

「ありがとう、自分もリリーの事が大好きだよ」

二人は声を出して笑い合った。

最終章「庭の名前」



三人で搬入された花を植え、ようやく庭は完成した。

「じゃあ二か月後の記念式典で会おう」

そう言って。アクセルはリリーを連れて、旅に出た。

マルスもセントラルに帰ると、町の人々や両親が「お疲れ様」と沢山声を掛けてくれた。

これで、ナナもこの場にいたら最高なのに……


実家に帰り自室に入るマルス、自然と涙が零れた。

「ナナ、僕は信じることが出来ただろうか、君のようにこれから生きられるだろうか」

その夜はナナの写真を抱いて泥のように眠った。


記念式典が行われるまでの二か月、仕事は繁忙期で休む暇も無かった。しかしマルスは自分の作った庭を片時も忘れることは無かった。

 


そして当日。

庭以外の復興作業も進んでいて、コウリンとの和平条約を交わしたプレストンウッズは、有志団の活躍もあり、その町に移民を受け入れる事に決めたようだ。

マルスは大勢の人々に囲まれながら挨拶をした。

「この庭は、自分一人の力で出来た物ではなく、多くの人々のお力添えがあったからこそ素晴らしいものに出来上がりました。自分のような若輩者にこのような名誉ある任務を課して頂いた国王様、そして国民全てに感謝の意を表します」

そういうと深々と頭を下げた。

人々はマルスに盛大な拍手を送り、国からは記念の楯と花束を受け取ったマルス。

最前列には、サンディ、アクセル、リリーの姿も見受けられた。

満開の向日葵そしてそれを囲むハーブとオリーブの木。

その周囲には庭を円形に囲むように、赤と黄色のユリが沢山植えられていた。


上空からプレートが設置され、再び拍手が鳴り響いた。

マルスが群衆に目をやると一人の、見覚えのある老人の姿がそこにあった気がした。

「これにてプレストンウッズ和平条約・平和記念庭園のお披露目を終了したいと思います」

司会者がそう言うと、拍手の後に黙祷が行われた。

その時にはもう老人の姿は消えていた。


何事もなく終了した式典にほっと胸を撫で下ろすマルス、暗くなるまで一人でその光景を胸に刻んでいた。

背後からマルスに声が掛かる。

「お兄さん、悪いんだが煙草はあるかい?」

そこには、知った顔の老人の姿があった。

マルスは鞄から、プレストンウッズの銘柄である煙草と、ステンレスで出来た飾り気のないオイルライターを取り出した。

そして、二人は一服するのだった。

「うん、うまい、俺はこのプレストンウッズの銘柄が大好きでね、自国でもこれを吸っておるんじゃ」

「はい、前にも聞きました」

そう言うと、老人は所々歯が抜けた口でニカっと笑った。

「庭を爆破しないでくれて、ありがとうございます」

「うん、悩んだがやっぱりやめた。最近孫が生まれてのう、良く笑う、息子にそっくりな子じゃ」

「その笑顔を見たことで、また同じ後悔を繰り返すのはやめようと思ったんじゃ」

「それは、おめでとうございます」

 うん、と老人は小さく頷いた。

「今、移民の受け入れを行っておるじゃろ?だから近々家族でこっちに引越そうと考えてるんじゃ」

「こちらこそありがとう、息子もこんなに美しい庭に囲まれて眠れるなら幸せ者じゃわい」

老人はそう言って。庭に背を向けた。


「それにしても、あの司会者、何もわかって無いのう、この庭はプレストンウッズ和平条約・平和記念庭園なんて呼びにくい名前じゃない」


そして少し間を空けてこう言った。


「この庭の名前は「マルス」じゃ」


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