エアコンと選挙の十八日目
「いやー、うちも被害にあっちゃってさ。クーラーいくらかけても、熱い風を回しているだけの送風機になってやんの」
学生食堂で隣に座る濱田がぼやく。
「大変だよな。この熱いのにクーラーが使えなくて」
話ながら学は今日の空を思う。どこまでも青い雲一つない空とギラギラと光る太陽を。
「ホント、大変だよ。もう昨日はあんまり暑くて、両親と高校生の妹と一緒に隣の伊里州市のビジネスホテルに泊まったよ」
「大損害だな」
「修理自体にはそんなに金はかからないようだけど、何百件ってやられているから、すぐに修理するのは大変らしいぜ」
「犯人たちは、ただ室外機の前面のファンガードの細い隙間に、先の尖った細長い金属の棒を入れて中のファンをつついただけらしいのに、すごい壊れようだよな」
「そうだよなあ。まさかそんなのでクーラーが壊れると思わないよな。まあ実際、被害にあったけど室外機の中のファンに傷が付いただけで、壊れなかった室外機もけっこうあるらしいからな。昨日の夕方、市の防災行政無線で、クーラーが使えている人も、クーラーの室外機を点検して傷がついていないかどうか確認しろって言ってたぜ」
「ただ不幸中の幸いなのは、今回のことに大激怒した安江市長が、近隣の自治体に直々《じきじき》にクーラーの修理業者を三戸里市にまわしてくれるよう呼び掛けたことだよな。お陰で大量の修理業者が三戸里市に来て、室外機のファンを取り替えてくれてるからな」
「さらに数百件もあるからという事で、市長がまとめて割引料金で安く取り替えられるように交渉してくれたって、ニュースで言ってたし。実際俺の家にも、今日修理業者が来るって言ってたし」
「良かったじゃん。毎日ホテル暮らしなんてことにならなくて」
「まあな。ところであのクーラー破損事件で捕まった奴等、ほとんど中学生や高校生で、名前でないんだろ。しかもやった理由がクラスメイトに誘われたからとか、祭りに乗り遅れたくなかったからとか下らない理由でやったんだろ。ホントあったま来んな」
「確かにそういう奴は頭来るな。ただ」
「参加しないといじめられるとか、クラス全員参加してるのに一人だけ参加しないとハブられるとか、許す訳にはいかないけど、気持ちはわかる奴もいるらしいな」
「それはわかる。教室の中って会社とかより逃げ場がないからな。そこでハブられるって思ったら、俺も参加しちゃってたかもしれないな」
野菜コロッケを口に入れながら話す濱田を見つつ、学は三戸里市で安江市長に恨みを持つ者がいないかを聞いた。
「恨みって言われてもなあ。安江市長は、人の話を聞かないので有名だから、いろんな人から恨まれていると思うし。あっ‼」
考えあぐねていた濱田は、急に思いついたという顔になった。
「そういや、三戸里市とクーラーといえば、どんぴしゃな動機があるぜ」
「本当か」
「ああ。でも、関係する人数が多過ぎて、犯人特定には結び付かないけどな」
「ぜんぜんかまわないから、早く教えてくれよ」
濱田は「いいぜ」と答えると、学に中学生三年生の時のことを話し出す。
三時間目の授業の始まる前に、中肉中背で銀縁眼鏡をかけた男性教師が、三戸里市市立三戸里西中学校の三年一組に入って来た。彼の名は、成田山敬三《なりたさん けいぞう》。濱田が中学三年生の時に、三戸里西中学校の三年一組と二組で、政治・経済を担当していた教師だ。三年三組の担任でもあった。
「みんな、今日は熱いな」
「暑いです」
授業が始めに、プリントを配りながら成田山が声をかける。濱田を含む当時の三年一組の生徒たちが返事をする。
「そうだ。暑いなあ。だが、同じ関東でも、東京都の牧瀬市の中学生はクーラーをガンガンかけて、涼しい教室で勉強しているんだ。どうしてだと思う」
「はい」
村松という小肥りの男子が、手を上げる。成田山が指名すると「牧瀬市はお金持ちが多くてたくさん税金を払っているから、その税金でエアコンを買ったんだと思います」と答える。
「なるほど、いい意見だ。他には」
成田山が発言を促すと、大谷という女子が、牧瀬市は中高生の大学進学率を上げるために、エアコンを教室に入れて勉強しやすいようにしていると発言する。
すると、黒板から見て三列目の四番目の席に座る山口という少し悪ぶった男子が「馬鹿じゃん」と、大谷を馬鹿にする発言をする。
「こら、山口。人を馬鹿にするからには、お前にはもっと良い意見があるんだろうな」
成田山は安江を指名したが、山口は臆すること無く立ち上がった。
「もちろんです。俺は正解を知っていますから」
「正解?」
「牧瀬市の中学生がクーラーのガンガンかかった涼しい教室で勉強しているのは、牧瀬市が国から補助金をもらい、エアコンを設置する工事をしたからです」
「牧瀬市には自衛隊の基地があり、飛行機などが基地の飛行場に離発着するときは、窓を開けているとうるさくて勉強に集中できないと国が認めたので、牧瀬市は補助金をもらえたのです」
「その通りだ。友達の意見を馬鹿にするのはいけないが、山口は隅々まで新聞を読んでるな。ところで、ここ三戸里市も隣の伊里州市にある伊里州基地に飛行機が離発着して、毎日ではないが窓を開けて授業なんて絶対にできない」
「それなのに、どうしてうちの中学校にはエアコンが入らないのか。安江は知っているか」
成田山が聞くと、山口は高慢な表情を顔に浮かべて「もちろん」と答える。
「実はうちの学校を含む、伊里州基地に近い中学校には、エアコンを入れることが市議会での話し合いによって決まっていたんです」
「ところが新しく当選した市長は、『快適な生活のために、エアコン等の無駄遣いをするより、人にお金を使おう』と考えて、計画を取り消しました。実際は、ただ市にエアコンを設置するお金がないだけなんですけどね」
「そのためにこの学校では、エアコンが使えなくなったのです」
「成田山は教科書の内容を暗記するよりも、自分で考えることが大事だっていう方針だったから、授業のときはいつもこんな風に皆で時事問題を話し合ったんだぜ」
「ちなみに、授業の始めには毎回すっごく分かりやすい教科書のまとめプリントが配られていて、それと試験前にもらえる試験対策プリントをきちんと読むと、試験では良い点を取れるって言われてたな」
「て、言うかすごいなおまえのクラス。普通そんなにバンバン意見を言えないぜ」
「それは成田山に自分の意見を言えって毎回きたえられてたし。それにうちのクラスには、議論にやたら強い奴がいたしな」
「さっき名前が出た山口っていう奴?」
「うん。あいつは他の授業でも、積極的に手をあげる奴だけど、この授業ではうざい位に自分の意見を積極的に主張していたな」
「ふーん」
「それで話の続きだけど、 市議会で決めたことを市長が勝手に止めたことが問題になってついには住民投票をする騒ぎになってさ」
「それ、昔ニュースでやってたな。確か、エアコン設置賛成派が勝ったけど、有権者全体の投票率は三分の一行かなかったから、有効な投票にならなかったとか言ってたよな」
「すごいな。よその市のことなのに良く覚えてるな」
「斉果県の問題だからってことで、中学の時テストに出たからな」
「そうか。それでうちの市のことだけど、住民投票の条例では、反対でも、賛成でも有権者全体の数の三分の一にならないとダメって決まってるから仕方ないって聞いたぜ」
「三戸里市の市長選もその位の投票率しかなかったけど、市長は大きな顔して居座っているってのにさ。全く市議会の奴等、高い給料もらっているくせに、こういう市民の迷惑になることばっかり決めてるよな」
学の父親が県議会議員であることを知らない濱田は、言いたい放題だった。学は耳が痛いと思いつつ考える。三戸里市の市議会議員も悪意があったわけでも市長の有利になるようにしたわけでもなく、少数の意見で市の方針が決まることがないようにしたかったのだろう。だが、そのせいで、困っている人がいる。
そもそも、学校のエアコン問題など関係ない市民の方が多いだろう。関係ない人間が興味がない問題にわざわざ投票などしたくない気持ちはよく分かる。
「まあ、こういうわけで、三戸里市の小中学校ではいまだにエアコンがついていない。ただ、住民投票で賛成票が多かったから、最も騒音がひどい二校にはエアコンを入れるって話が出てるけどな」
「それはともかく、住民投票の時、実は三戸里市の東側の投票率が低かったんだ」
「やっぱり、伊里州基地から遠いから、関心が低かったのか」
「それもあるのかも知れない。でも、それだけでなくて」
「エアコンを設置することが決まっていた学校は、三戸里市にある小中学校四十七校のうち、伊里州基地に近く、外の音が入らないように密閉性の高い窓に変えた二十九校なんだけど」
「それらの学校は全部三戸里市の西側にあるんだ」
「だから安江市長のように住民投票前に、この住民投票は西側の人間には関係ないといって、東側の住民に、エアコン設置反対に投票するようにとお願いしたり」
「エアコンの設置基準があやふやという理由で、東側の住民が投票を棄権したりしたり」
「あと西側の学校ばかりエアコンを設置するのは、不公平だ、ずるいという理由で反対票を投じた西側の人間がいたそうだけど、俺それは違うと思うんだよね」
「西側でエアコンを設置しようとした学校は、密閉性の高い窓にしているってことは、外の音は聞こえなくなるけど、確実に暑いだろ。その暑いところに先にエアコンいれろっていうのは不公平じゃないと思う」
「とにかくそういうことで西側の人間は住民投票に協力的じゃない人間も多かった」
「ここで、やっと本題だ。エアコンを破壊された世帯が東側より西側の方が断然多かったって、ニュースで流れていたろ」
「まさか、この問題が関係していると」
「さあ、わかんない。たまたまかも知れないし。でも、絶対に関係ないとは今の段階では言い切れないだろう」
「確かにな」
「ところで『未来を変える会』に入っている友人と連絡取れたから、近々紹介するな」
「ありがとう」
学は濱田に礼を言った。




