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中編

 シャガール展が終わってからというもの、私と寺島くんはクラスでも普通に話すようになった。

 初めは気のせいかな? と思ってたんだけど、よくこっちを見てる。誰かの視線を感じて、ふと目を上げると、彼の瞳にぶつかることが増えた。目が合うと、指で自分の頬をチョンとつつく。


 ん? 何かついてるってこと?


 あたふたと自分のほっぺを両手で触る私を見て、ぶはっと噴いたりする。寺島くんは意外と悪戯っ子だ。


 「そーいえばさ。よく机で読んでる本あんじゃん? あれ、何読んでんの?」


 お昼休みは、井上くんたちとどこかに消えちゃう寺島くんなのだけど、放課後、部活に行くまでのわずかな時間、私の所へ来てくれるようになった。


 「海外ミステリが多いかなあ」

 「マジで? 俺も割と好き。今読んでんのは何?」

 「ポワロだよ」


 ブックカバーを外して背表紙を見せる。寺島くんは「おお!」と目を輝かせてひょいと体を寄せてきた。

 タイトルをちゃんと読もうとして、そうしたんだってちゃんと分かってる。

 分かってるのに、いきなり距離を詰められて、耳まで赤くなってしまう。


 「いいよな、灰色の脳細胞」

 「寺島くんは、どんなの読むの?」

 「その言い方、固てえな。コウキでいいよ」

 「えっ!?」


 男の子を下の名前で呼んだことない私には、かなりのハードミッションなんですけど……。

 寺島くんは、普段通りの態度でパラパラと文庫本をめくっていた。

 ――そんなに深い意味はないんだろうな。

 ここで苗字呼びにこだわる方が不自然なのかも。ああ、正解が分からない。


 「えと、じゃあ、皓稀くんはどんなの読んでるの?」


 勇気を振り絞って、言い直してみた。

 手の平に変な汗をかいてるのが分かる。


 「んー。最近ハマってんのは、エラリー・クイーンかな」

 「あ、私も好きだよ」

 「ははっ。けっこー似てンな、俺ら」


 同じ美術部の田村くんが呼びにくるまで、私と皓稀くんは海外ミステリーの話で盛り上がった。


 「――桜井。林センセが呼んでたぜ」

 「あ、ごめん! すぐ行きます!! じゃあ、長々と引き留めちゃってゴメンね」


 くるりと皓稀くんに向き直り、ばいばいと手を振る。

 絵具で汚れたエプロンをかけたままやって来た田村くんをじっと見ていた皓稀くんは、ふっと自嘲めいた笑みを浮かべ「部活、ガンバレよ」と言ってくれた。


 



 「寺島と仲いいなんて、意外」


 芸術棟へと渡る外廊下に出たところで、田村くんがボソッと呟いた。


 「あー……うん、確かに接点なさそうに見えちゃうよね」


 田村くんは、ずっと同じ部活で絵を描いてきた仲間だからか、臆せずに話せる数少ない男の子だった。寡黙で、クラスでも時間があれば一人デッサンを繰り返している彼は、私が言うのもなんだけど、寺島くんたちとは正反対の子だ。


 熊さんみたいに大きな彼の身体は、キャンバスの前でだけ、まっすぐに伸ばされる。

 背中合わせに座ってても、彼の絵に対する情熱が伝わってくるようだった。


 「いい噂、聞かないけど」

 「う……ん。でも、いい人だと思うよ」


 田村くんなりに、ドンくさい私を心配してくれてるのだ。

 でもこれ以上皓稀くんの陰口じみた言葉を聞きたくない、という気持ちを込めて「大丈夫だから」と元気よく言ってみた。





 放課後が来るたび、皓稀くんは私の席の前に座る。

 まるで約束してるみたいに、気がつけばそれは毎日の習慣になった。

 読んでる本のこと、登校途中に見かけた白ぶちの猫のこと。

 皓稀くんは一人っ子で、私には弟がいる。

 皓稀くんの好きな色は、紺色。私の好きな色はペールグリーン。

 ちょっとずつ他愛もない話を積み上げて、私は彼のアウトラインを捉えていった。


 仲間が多いのは、寂しがりだから?

 私に興味を持ってくれたのは、自分も何か夢中になれるものが欲しいから?


 まだ分からない部分は、想像で埋めていく。

 彼の人柄を知っていく過程は、絵を描き始めた頃のワクワク感にすごく似ていた。



 「部活いってくるー」

 「うん。頑張ってね!」


 放課後、スクールバッグをぶら下げた朋絵ちゃんと真紀ちゃんに声をかけられ、私は文庫本から顔を上げた。


 「美弥は最近、ゆっくりだね」


 多分、朋絵ちゃんは何の気なしにそう言ったんだろう。私だって何も疾しいことなんてないのに、勝手にほっぺが熱くなってくる。


 「そういうわけじゃ……」

 「まあまあ、美弥にも色々あるってことで」


 真紀ちゃんが何故かにんまり笑った。

 どう答えていいか分からず口籠っていると、そこに皓稀くんがやって来た。


 「何、盛り上がってンの?」

 「げ」


 朋絵ちゃんは露骨に顔を顰めた。

 というのも、近づいてきた体育祭の実行委員を押し付けられた朋絵ちゃんは、皓稀くんたちの取り巻きグループに散々迷惑をかけられているようなのだ。その日の昼休みも、橋本さん達が掴まらない! と怒り狂っていた。


 『自分たちがチアやりたいって言い出した癖に、打ち合わせ会議は全部ブッチとかありえる!? 信じらんないっ。散々探したんだけど、どこにいたと思う?』


 鼻息も荒く朋絵ちゃんは腰に手をあてた。

 私たちが首を振ると『屋上! あそこで寺島とかに媚び売ってイチャイチャしてんのよ、あいつら。キャバ嬢か!』と机を叩いてプリプリ怒っていた。

 皓稀くんや井上くんはすごく人気があるから、きっと橋本さん達も一緒にいたくて必死なんだよね。

 どこか他人事のように思って、朋絵ちゃんを宥めた。

 嫉妬なんて、しない。そんな図々しい真似が出来るはずない。

 皓稀くんは多分、今まで周りになかった珍しいものを見つけて、ふらっと立ち寄ってくれてるだけなんだから。


 「ほら、朋ちゃんいこう」


 皓稀くんがやって来たのを合図に、真紀ちゃんは渋る朋絵ちゃんを押すようにして教室を出て行った。


 「なんだ、アレ。っつーか、俺、あの野球部のマネに嫌われてンよな」

 「あー、えっと、それは皓稀くんのせいではなくて」

 「分かってる。千尋らだろ?」


 皓稀くんは、さらりと橋本さんを呼び捨てにした。

 私は、曖昧に笑ってそっと目を伏せた。

 胸が痛いのは、きっと気のせい。




 体育祭前日。

 私は居残って、赤組の立て看板を仕上げていた。

 前に朋絵ちゃんたちに予言された通り、「美術部員がやるしかないでしょ」と押し付けられてしまったのだ。3-1、2-1、1-1は赤組。漫画やアニメのキャラを描いて、という声もあったんだけど、それは著作権的にどうなの、という話になって、結局オリジナルのデザインでいくことになった。

 看板は畳六畳分くらい大きさがあるもんだから、下絵を描くのも一苦労だった。

 同じ赤組の美術部の後輩も手伝ってくれてたんだけど、なんせ三年生は私一人。どうしても頼られてしまう。


 「あと、もうちょっとだから、先に帰っていいよ」

 「桜井先輩、お先に失礼しまーす」

 「先輩も、ほどほどにして下さいね!」


 手を振って見送り、さてもうちょっと頑張ろうかな、と教室に戻った。

 机も椅子も廊下に出され、そこには看板とペンキの缶しかない。

 黄色とオレンジ、そして薄い紫に彩られた夕方の高い空に目を向ける。半分開けっ放しの窓の外からは、グラウンドで作業を続けている実行委員の飛び交う声が聞こえてきた。


 「あれ、まだやってたのか」


 塗りきれていない隙間を見つけて、ペンキで埋める作業に没頭しすぎていたせいか、皓稀くんが傍にくるまで全然気づかなかった。


 「え? わ、びっくりしたあ」


 驚きのあまり看板に手をつきそうになり、慌てて体勢を立て直す。


 「ごめん、そんな驚くと思わなくて」

 「ううん、こっちこそ。まだ残ってたんだね」

 「それはこっちの台詞。なんだよ、押し付けられてんの?」


 二年はどこいったんだよ、と辺りを見回す皓稀くんに私は勢いよく首を振った。


 「違う、違う! もうあと少しだから、先に帰ってもらったの」

 「ならいいけど。なんか手伝う?」

 「ううん、もうさっきので終わったから」


 よいしょ、と体を起こして腰を伸ばした。いつも下ろしてる髪は、作業の邪魔になるからと頭のてっぺんで結んでいた。ポニーテールに結った髪が、一筋頬にはりつく。


 「んー」


 手はペンキで汚れてるから、触りたくない。

 ごしごし、腕で頬をこすろうとした途端、皓稀くんが大きな手を伸ばしてきた。


 「ちょっとじっとしてろ。……ほら、取れた」

 「あ、ありがと」


 至近距離で覗き込まれ、私の心臓は早鐘のように高鳴った。

 恥ずかしい。そんなにじっと見ないで欲しい。

 何十秒にも感じてしまったけど、きっとそれはほんの何秒かの出来事だったんだと思う。


 「桜井。あのさ」

 「あ~!! こんなところにいた!!」


 皓稀くんが何かいいかけた途端、廊下から橋本さんの声がした。

何か大事なことを言ってくれそうな、そんな空気にドキドキしていた私は、皓稀くんの次の言葉に冷水を浴びせられたような気持になった。


 「……千尋」


 私のことは、彼は必ず『桜井』って苗字で呼ぶ。

 でも橋本さんのことは、いつも必ず『千尋』って呼んだ。

 ――いつの間に、こんなに欲張りになっていたんだろう。

 せり上がってくる熱い塊は、紛れもなく『嫉妬』だ。

 こんな醜い感情を隠し持ってるなんて、皓稀くんだけには知られたくない。


 「ちょっと、コウキくん。探したよ?」

 「は? 何で俺を探す」

 「一緒に帰ろ?」


 小走りに駆け寄ってきた橋本さんが、皓稀くんの腕にぎゅっとしがみ付いた。

 彼はちょっと戸惑ってたみたいだけど、無理に引きはがそうとはしなかった。


 そっか。……私が、邪魔してたんだ。


 二人が並ぶと、本当にお似合いだった。

 今時高校生の街角スナップ、放課後デート編、って感じがする。

 胸の痛みを誤魔化そうと、私はそんな空想をして少しだけおかしくなった。

 私が皓稀くんの隣に並んだとしても、きっとこんなにキラキラな感じにはならない。


 「あらぁ、桜井さん、居たの?」


 威嚇するように、橋本さんが私の方に身を乗り出してきた。

 形のいい胸がコウキくんの腕に押し付けられているのを見ていられなくて、私は一歩後ずさった。


 「ごっめーん、邪魔しちゃった?」

 「あ、いいえ、邪魔だなんて、そんな」


 私達の邪魔をするな、と暗に告げられ、私はただ首を振った。


 「おい、千尋、いい加減に……」

 「アタシ達これからデートなの。ほら、あなたも知っているでしょう? コウキくんが恋してるって話」


 初耳だった。

 もともとクラスに友達が多いわけじゃない。

 彼に好きな子がいるなんて、今初めて知った。


 皓稀くんの方を見てみると、苦虫を噛み潰したような顔をしている。

 恥ずかしいのか、無関係な私に聞かせたくないのか、どっちなんだろう。

 心臓が痛いほど、早く打ち始めた。

 それ以上、言わないで。

 もう分かってるから。

 言いたい言葉は、何一つ口から出てくれない。


 「……あれ、アタシの事なの」

 「おいッ! 千尋ッ!」

 「桜井さん、クラスでいろいろコウキくんと仲良くしているみたいだけど、勘違いしないでね」


 私はまっすぐに橋本さんを見返し、精一杯の虚勢を張った。

 悲しくなんて、ない。

 最初から分かってたことだもん。


 「そう、だったんだね。いつも一緒に居るから、そうじゃないかと思ってた」


 上手く言えたかな。

 友達の恋路をちゃんと祝福してる子みたいに、言えたかな。


 「おい、桜井」


 皓稀くんが、困ったように私を見つめていた。

 今まで邪魔しててごめんなさい。

 そう言いたいのに、言ったら泣いてしまいそうだった。

 ぎゅっと手を握りしめ、内側に爪を立てる。

 痛みで込み上げてくる涙を紛らわすことしか出来ない。


 「あは、桜井さんもそう思ってたんだ? そうなの。ごめんね桜井さん」


 自分の腕にぶら下がってる橋本さんじゃなくて、さっきから皓稀くんは私ばかりを見ている。

 それが余計に辛かった。


 そこに突然、田村くんが現れた。

 自分の組の立て看板が終わったら、お互いを手伝おうという約束を覚えてて、覗きに来てくれたんだと思う。他の人のことなんてあまり気にしないタイプだと思ってたのに、田村くんは皓稀くんと橋本さんに気がつくと、呆れたような表情を浮かべた。


 「立て看担当じゃないのに、どうして寺島と橋本さんがここに?」

 「ごめんね、田村くん。コウキくんを探してたらここに」


 そこから、何故か話はこんがらがって、言い合いを始めた田村くんとコウキくんが揉み合いそうになっている。慌てて止めに入った私を、コウキくんは苦しげな表情で見下ろした。


 「悪い、桜井。勘違いしてた俺が馬鹿だった」


 お前と仲良くなれると思ってたけど。

 きっとそんな言葉が、前にはつくんだろう。

 私は何も言えず、皓稀くんと橋本さんの後姿を見送った。

 

 最初から、無理だったのかな。

 私はすごく、楽しかったのにな。

 苦し過ぎて溢れた感情は、痺れたように麻痺して固まった。


 


 「……ごめん」


 二人がいなくなった教室で、田村くんは謝ってくれた。


 『君みたいなチャラチャラした人に、周りをうろつかれたくない』

 『僕らと君たちは、住む世界が違う』


 さっき田村くんは、皓稀くんに向かってそう言った。

 前から彼のことをあんまり良く思ってなかったみたいだから、つい口に出してしまったんだろうと思うけど、私は首を振った。


 「あんな言い方、されたくない」

 「……うん」

 「私は仲良くなりたかっただけなのに、それもいけないことだった?」


 困りきっている田村くんに気づいて、冷静になろうと目をつむる。

 何言ってるんだろ、私。

 これじゃただの八つ当たりじゃない。


 「もういいよ。それより、白組の立て看、どうなった?」


 わざと明るい声を出して、田村くんを見上げる。

 ようやくホッとしたように、彼も笑みを浮かべてくれた。


 「うん。一晩乾かせば、完成だと思う。そっちも、もう終わり?」

 「ようやく、だけどね。間に合って良かった」


 それから、二人で立て看作りのしんどさを愚痴りあいながら、片づけをして校門を出た。グラウンドでは、まだ大勢の人の声がしている。

 足元がふわふわする。

 根を詰め過ぎたかな。

 額に手をやって首を傾げていると、田村くんが怪訝そうに私を見下ろしてきた。


 「顔、赤くない? 大丈夫?」

 「ん。平気」


 汗かいたのに、すぐにちゃんと拭かなかったのが悪かったのかもしれない。

 せっかく準備した看板のお披露目に立ち会うことも出来ず、私は熱を出して体育祭を休んでしまった。


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