幼馴染
その日は、青い空に白い雲が浮かび、心地よい風が吹き抜ける、楽園のような天気だった。
僕は丘の上から生まれ育った街を見下ろしていた。
小学校卒業直後の春休み。
恐らく、この穏やかで開放感に満ちた日々は二度と味わう事はできないのだろう。
これから始まるであろう中学校生活はどんなものなのだろうか。
大きな期待と、それに匹敵する不安が両立するこの気持ちも一生に一度の大切な経験。
大人になっていった人々が皆、一度は感じた感情なのかと思うと感慨深いものがある。
もう一度、街を見下ろす。
今度入学する予定の中学校が見えた。
あの中学校には主に、つい先日まで通っていた僕の小学校と、もう一つの小学校の二つの学校の生徒が入学してくるらしい。
新たな友達はできるだろうか。
そんな不安が湧き上がってくる。
いや、多分大丈夫だろう。
僕にはちょっとした特技がある。
それはきっと、新しい友達作りに一役買ってくれるだろう。
優しく吹いた春の風は、新たな門出を祝ってくれているようだった。
「うわぁ・・・」
背後に感じる怒気。
これは怒ってる。相当怒ってる。
「なにがうわぁなのかな? セ・ツ・ナ・クン?」
後ろを向くと、僕の幼馴染。
「セツナクン、コレは一体何かな?」
「……機械です」
僕は彼女の手にある機械を見て言った。うん、間違ってはいないはずだ。
「そうじゃなくって!」
「……じゃあスマートフォンです」
「そうでもなくって!この画面に表示されてるのは?」
「……ボイスメモです」
「何が録音されてるのかなぁ?」
「……歌です」
あ、額に怒りマークが浮かんだ。
「誰の歌かなぁ?」
「……僕の知り合いです」
「…………私のだよね?これ私がお風呂入ってる時に歌ってた歌だよね!」
「……………………はい」
うぅ、さっき僕のスマートフォンを見てるのが見えたから慌てて逃げてきたのに。丘の上で黄昏れていれば、そのうち忘れるかと思ったんだけどなぁ。
「もちろん、それなりの覚悟はできてるんでしょうね?」
怖い……笑みが怖いよ……
こういう場面でよく使われる言葉がある。“逃げるが勝ち”だ。
「できて……ません!」
くるりと背を向け全力ダッシュ!
「ああっ! 待てー!!!」
そりゃあ追ってきますよね……
角を右にまがり、どこか隠れられそうな場所を探しながら走る。
向こうはか弱い女の子、こっちは育ち盛りの男の子。普通に走っても追いつかれるわけが……
そのときふと気配を感じて近くの物陰に隠れる。
「くっ……」
少し前の十字路から幼馴染が出てくる。そしてまた違う方向に駆けて行った。あぶないあぶない、あのまま進んでいたらおそらく捕まってしまっただろう。
彼女とは反対の方向に走りだす。
まさか逃走ルートを先読みされるとは。さすがは天才と呼ばれるだけある。
僕の幼馴染、西河 理科 は父親が研究者という事もあってか天才と呼ばれる程に頭がいい。
おそらく中学や高校の2、3年生クラスに入れても高成績者になるだろう。その中でも特に理科と数学はズバ抜けていて、小学校の先生も敵わないくらいだ。なので教科の理科と名前の理科を合わせて「理科博士」というあだ名を持っている。前に部屋にある本を読ませてもらったけれど、専門用語が多過ぎて何が書いてあるのかわからなかった。
「見た目は普通の女の子なんだけどな」
しかも結構かわいい、とか言うとまた怒られそうなので言わない。
そうしてしばらく走っていると左に古びた建物が見えてきた。よくかくれんぼとかをして遊ぶ廃ビルだ。絶好の隠れ場所である。
「はぁ……はぁ……」
入口は鍵が壊れていて、簡単に入ることができる。
建物内は静かで、息切れの音がよく響いた。見つからないようにとりあえず二階へ上がる。
廃ビルは三階建てで、二階は広めの空き部屋になっている。あるものといえば、掃除用具の入ったおんぼろのロッカーぐらいだ。
窓から外を見ると、見慣れた町の景色。また丘の上の時みたいに黄昏れてみようと思ったその時。
「やっぱり来た! もう逃がさないからね!」
バンッと音がして振り返ると、やっぱり出ましたよ、お怒り理科さん。ご丁寧に逃げ道をきちんと塞いでいます。
「……うわぁ」
「だからうわぁってなんなの!」
いや、もううわぁとしか言いようがない。なんとなくこうなる気はしてたけれど、まさか掃除用ロッカーに隠れているとは思わなかった。
「とにかく! この落とし前はきっちりつけてもらいましょうか」
「ま、待って! 待って下さい理科さん! 穏便に! 平和的な解決を〜!」
「うるさい! 盗聴は立派な犯罪だー!!!」
理科は掃除用ロッカーからバケツを取り出すと、こちらへ投げつけてくる。僕はそれを間一髪かわすとそのバケツを盾にして、次々襲いかかってくるちりとりやらホウキやら鉄パイプやらを防ぐ。
というか鉄パイプはやめて欲しい。危ないから。
「はぁ……はぁ…… ロクに見えてないはずなのになんで当たらないの?」
「いや、なんとなく飛んでくる場所がわかるような気がするんだよ」
そう、これが僕の特技……と言うとすこし大袈裟だけど、僕は他の人より少し勘がいい。
さっきみたいに他人の気配を感じたり、危険を察知したり。言いかえれば第六感が鋭いということだろうか。前にクラスでいつも笑ってる子の笑顔が悲しげに見えて探ってみたら他の子からイジメられてたなんて事もあった。まあそのおかげでみんなに気味悪がられてクラスの中では結構浮いた存在だったんだけど。
「じゃあ直接攻撃なら避けようが無いでしょ!」
「ひぇ〜!」
理科はホウキを構えてこちらに突進してきた。
その時、
「ちょっといいかな?」
二人の動きが固まった。
階段の方を見ると、さっきまで理科がいたあたりにスーツ姿の男が立っていた。つまり逃げ道を塞いでいるいうことだ。
「だ、誰ですか?」
先に口を開いたのは理科だった。
「私は、君のお父さんの知り合いだよ」
うわぁ……なんてベタな誘拐文句なんだろ。
それに、こんな廃ビルにまで入ってくるということは僕か理科をつけていたという事だ。
理科も警戒しているようで、男からできるだけ距離を取ろうとしている。
「……なんの用ですか?」
男から一瞬たりとも目をはなさずに理科はたずねる。
「いや、用があるのは君じゃないんだ」
という事は……
「ぼ、僕?」
なんだ?理科のお父さんの知り合いと名乗る男がなぜ僕に用がある?
それに、さっきからこの男……怖がっている?見た目ではわからないけど、何となくそんな気がする。
「……セツナに何の用ですか?」
理科が僕をかばうように立つ。おお、理科さんかっこいい。ってダメだろ僕。
「セツナ君、私たちと一緒に来て欲しいんだ」
身体が強張った。
自分を親の知り合いだと名乗りながら、廃ビルにまで追いかけてくる。普通に考えてこれは誘拐だろう。
「来て欲しいって、どこにですか?」
「すまないが、それは訳があって言えないんだ」
怪しい……怪しすぎる。
ここまで定番の誘拐に引っかかるとでも思っているのだろうか。
どうにかしてここから逃げ出さないと……!
「と、とにかく私たちと一緒に来て欲しいんだ。ついたらそこで話せる事を全て話そう。だから、今は私について来てくれ!」
言いながら男は近づいてくる。
くっ……どうしよう、このままでは捕まってしまう。子ども二人の力では大の男を倒すことはできないだろう。でも、一瞬隙をつくるくらいなら!
理科の方を向くと、理科も同じ事を考えていたようで、目が合った。小さくうなづき合うと、僕が持っているバケツを男に投げつける。
「ひっ……!」
やはり男は恐怖を感じていたらしく、突然飛んできたバケツを大袈裟な動きでガードする。
「やあぁぁぁー!!!」
そうして男が目をそらした隙に理科がホウキで襲いかかる。
そして理科がホウキを振り下ろそうとした瞬間、
「理科、やめなさい」
聞き覚えのある声が響いた。声のした方を見ると、白衣姿の男が階段を登ってきた。
「お父さん……」
そう、登ってきたのは理科の父、西河さんだ。
「さ、西河先生! 遅いですよ〜」
男は逃げるように僕らから距離を取る。
「西河さん……?」
「すまないね、セツナ君。私の部下が説明不足だったようだ」
えっと…… つまり、理科の父親である西河さんがいるという事はこの男が今まで言っていた事は本当だったのか。
「……どういう事ですか?西河さん。」
「セツナ君、私の事はお父さんと呼んでくれないかな?」
僕には両親がいないので、両親の友人だったという西河さんの家、つまり理科の家で暮らしている。なので西河さんはお父さんのようなもので、本人もそう呼んでもらいたいようなのだが、僕はどうも西河さんをお父さんと呼ぶ気になれないのだ。
「どういう事ですか? 西河さん。」
「だから私の事はお父さんと……」
「どういう事ですか? 西河さん。」
「…………君には」
あ、諦めた。
「君には私の職場である、最近新たに作られた研究所に来て欲しい」
研究所……?
「ど、どうしてですか?」
「それは研究所についてから話そう。ここでは話しにくい事だ」
話しにくい事…… そんなに重要なことなんだろうか。だったらなんで僕なんかを連れて行くのだろう。
「どのくらいで帰ってくるんですか?」
「研究所についたら、その後は研究所で暮らしてもらおうと思う」
え!? つまりもう帰ってこないって事!?
「ちょ、ちょっと待ってよ。セツナは来月から中学生なんだよ?学校はどうするの?」
理科が慌てて口を挟む。
「研究所にはセツナ君以外にも何人か同じような子供達が集められる。だから中学で行う学習も研究所でしてもらうことができる」
「どうしてそんなこと……」
「理由は研究所で話そう。君には私たちの研究に協力してほしいんだ」
家主である西河さんがそう言う以上、僕には選択権は無いだろう。
でも……
「私は? 私はどうすればいいの?」
そうだ、理科はどうなるんだろう。理科は僕より頭が良いし、何より西河さんの娘だ。本来なら僕より彼女の方が研究所に連れて行かれるはずだ。でもさっきから話に出てくるのは僕の事ばかりで理科については何も言っていない。
「理科はどちらでもいい。私と研究所に来てもいいし、このまま町に残ってもいい。ただ一緒に研究所に来ると言うならこの町には帰ってこられないよ」
理科はものすごく驚いた様子だったが、しばらくするとどうするか考えはじめたようだ。
「……少し、考える時間はもらえないの?」
「理科は考えていていい。しかしセツナ君にはこのまま研究所まで来てもらう。それでいいかな?セツナ君」
「……西河さんがそう言うなら仕方ないです。その研究所に行きましょう。」
西河さんはうなづくと、理科に向き直る。
「さて、理科はどうするんだ?」
理科は悩んでいる。
それもそうだろう。人生を左右する決断を迫られているのだから。
「お父さんは……」
理科が口を開く。
「お父さんは私にどうしてほしいの?」
西河さんは少し考えると、
「私は……理科にも一緒に来てほしい」
と答えた。
「理科は私の可愛い娘だ。出来ることなら遠くに残して行きたくない。もちろん理科がここに残りたいと言うなら止めはしないが、私は理科にも一緒に来てほしい」
それを聞いた理科は少しの間考えると、
「…………分かった。私も行く」
西河さんはほっとした様子で
「そうか。ありがとう」
と言うと、
「出発しよう。車を出してくれ」
とすぐに後ろにいた男に指示を出した。
「は、はいっ!」
男は返事をすると階段を降りていった。
西河さんは窓際へ行き、しばらく外を眺めた後、僕たちに向き直った。
「さあ、行こうか」