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小さな王子さま

作者: 千花夕夏

小さな王子さま



 大通りでは、戦闘から帰還したパイロットのパレードが行われている。 

 その喧騒をよそに、母親は、つぎつぎと荷物を鞄に詰めこんでいた。「絶対に安全な土地へ引っ越すわ」というのは母親の口癖だったが、今度こそ本気らしかった。

 9歳のシゾンは、小さな部屋の隅で旧いTVをみている。母親のその口癖を聞くたび、彼は細い足を抱えて座り黙りこむことにしていた。賛同しても批判しても母親を悲しませ、時にはめちゃくちゃに打たれるからだった。そのためだろうか、父親が死んでからというものシゾンはますます物を言わない少年になっていった。

 TVには、パレードの様子が映し出されている。大写しになっているパイロットは、遠く危険な場所から見事に帰還したのだ。色とりどりの紙テープにまみれながら立つ姿は、多くの人の目には、運命に決然と従いながら自由の香りが立ちのぼる立派な男のように見えているだろう。 

 パレードに行きたかったけれど赦されなかったシゾンは、画面を食い入るようにみつめていた。そして一人、パイロットの瞳の奥に、根深く暗い何かが横たわっているのを感じていた。―――彼の瞳を直にもっと奥深くまで覗き込んで、そこにあるものを知ってるよと伝えたい―――突然襲ってきたその衝動があまりに強かったので、戸惑い、シゾンは目を伏せる。

 「ロスク空尉は、明日また飛び立ちます、空こそが彼の生きる場所なのです」アナウンサーの感極まる声がした。パレードが過熱すればするほど残酷な気がして、シゾンは手を握り締める。

 シゾンの手の中には、苦しいときに何度も眺めてきた古い写真があった。その中央には海軍学校の最優秀パイロットだった時代の誇らしげなロスクが写っている。一度も会ったことはないが、ロスクはシゾンの曽々祖父の弟にあたる人物だった。そして、彼が生まれる前から英雄だった。

 TV のロスクは、120年前の写真と変わらない姿をしている。まるで不老不死のように、本当に変わらない姿でシゾンの前に現れたのだった。


※※


 紙テープの残骸が残る道を、真夜中に駆けていく。

 その夜シゾンは、父が生きていた頃に暮らしていた屋敷の前にいた。門の前に立つと、懐かしさで胸がしめつけられる。一見、何も変わっていないように見えた。玄関に掲げられた国旗、すげかえられた紋章、そして金箔の「迎賓館」というプレート以外は。

 今晩、ロスクはここで眠っているはずだった。シゾンが正面扉に手をかけると、なぜか扉はあっさりと開いていく。警備はこれで大丈夫なのかと逆に心配になるほどあっさりと。

 真っ暗な屋敷の中は、階段の数や手すりの位置まで体が覚えているままなのに、何かが大きく変わっていた。匂いだ、とシゾンは思う。かつては、屋敷中が父の書斎のようで、煙草くさく、読みかけの本があちこちに積み上げてあった。シゾンは父を真似て日当りのよいカウチを選んで本を読んだり、昼寝したりしたものだった。今では、父のけはいは一掃されどこもかしこも気持ち悪いほど清潔すぎるのだった。

 「……!!」

 廊下の奥まで来て、シゾンは悲鳴をあげそうになる。かつて、少女の踊り子像があったその場所には、見たことの無い巨きな肖像画が掛かっていた。その太った人物は、王冠をかぶり禍々しい眼光を放っている。今にもこちらに向かって倒れてきそうな威圧感に思わず足が震えた。

 その時、シゾンを抱きすくめるように、低く甘い声がした。

 「悪趣味な絵だよね」

 振り返ると、暖かい明かりのついた部屋から、ガウンを着て片手に酒瓶を持った、背の高い男がふらふらと出てくるところだった。眠い目をして、茶色の髪はぼさぼさだったが、それはあのロスクだった。

 「こいつは、私の一族を捕まえて皆殺しにした奴だ。私のことも恐くてたまらないのさ、本当は。」

 そう言うと、ロスクは酒瓶を激しく上下に振り始める。そして、ためらいなく栓を抜くと、赤い液体が勢いよく飛び出した。その泡がベッタリと肖像画にふりかかり滝のように床まで流れ落ちる。

 「驚かなくていい、ここは私の生まれた家。誰かに渡した覚えも、客扱いされる筋合いもないから」

 シゾンは、ロスクの横柄な動きにみとれていた。瓶の中身がなくなると、ロスクは傍のカウチいっぱいに寝そべる。昼間の姿からは想像できない猫科の獣のように怠惰で優雅な仕草だった。

 「君、どこからきたの?」

 改めて問われると、シゾンはなぜか動揺した。会えば全てが伝わると思っていたのだろう、こうした状況を全く想定していなかった。 

 「私とどこかであったことがあるかな?」

 そういわれ、手招きされるままに、ロスクへと近づいていく。

 「君をみてると誰かを思い出す気がするんだが」

 長くて節のある指で、顔を包まれ、じっと見つめられると、ロスクの飲んでいる濃い酒の匂いがした。その瞳の奥を見つめ返そうとしたが、胸が苦しくなりどうしても正視できなかった。優しくされると、とたんに恐れに似た気持ちがあふれてくる。

 「そんなわけないな、タクシーを呼んであげるから帰りなさい」

 突き放されると、途端にしがみつきたいような気持ちに駆られた。

 「………。」

 「ほら、記念にこれをあげるから。泣かないで」

 ロスクはあわてて、ポケットの中から小さな人形を取り出し、シゾンの手に握らせた。それは、頭は大きく尖り、短い足を無理やり組み、にぃっと笑う宇宙人の子どものようにみえるビリケンという人形だった。

 「日本人パイロットがくれたお守りさ。足に触ると夢がかなうんだとか。私には必要ないものだから、君にあげよう」

 シゾンが喋れなかったのは、ロスクが次に何を言うのか何をするのか考えるたび、体中に「ごめんなさい」と「好き」が溢れ、他には何も、自分さえも、無くなってしまったからだ。シゾンは、その奔流に抗うように人形をロスクの胸に押し返した。

 ロスクは、少し驚いた顔をしたあと、つくづく面白そうにシゾンを眺める。シゾンをカウチに座らせ、耳元で語りかけた。

 「君はどうしてそんなに頑固なの?まるで星の王子様みたいだ」

 そして、ロスクは笑いながら信じられないようなことを言った。

 「君には本当の話しか通じない気がするから、本当の話をしてあげる。よく聴いて、私のことなど大嫌いになればいい」

 ロスクはそういうことをさらりと言い、シゾンを抱きしめながら、もつれる舌でゆっくりと話し始めた。シゾンはされるがままに、身を堅くして聞いていることしかできなかった。

 「危機に瀕したパイロットが何を考えているかわかるか。例えば、酸素タンクが壊れて自分の吐きだす二酸化炭素をゆっくり再呼吸しているような時さ。自分の吐いたガスを吸いながら時間をかけて死んでいくのは苦しい。

 すぐそばには、手でハンドルを回して開ける通気孔があって、それを1回転させれば、気圧の変化で心臓と肺と脳を上手に損傷させることができる、ごく数秒間で、苦痛もなく完結する。それなのに、1秒でも長く生きようとしてそれを選ばないのは、ただ、妻や子どものことを考えているからだ、もう一度会いたい触れたいってそれだけだ。自分が軍人だなんてこと思いつきもしないさ。

 私はたぶん、次のフライトで死ぬんだと思う。人の命というのは短いものだな。妻も子どもも瞬くような間に死んでしまったし、ここには誰もいなくなったし、屋敷も奪われた。そういう力の源がもうこの世界にないのがわかるんだ。 

 でも、死ぬのは恐くない。何度もコックピットの窓越しに、大爆発を―――何もかもが輝きながら消えていく爆発を―――見てきた。この世界では、そんな爆発が1秒に1回はどこかで必ず起きている。君が見たらどう思うだろうな、私にとってはいっそすがすがしい光景なんだ。」

 ……一生逃げ出せないような、黒い大きな星雲に放り込まれたような気がした。気づいたら、シゾンは泣いていた。いつのまにか眠ってしまったロスクをおいて、取り返しのつかない気持ちのままシゾンは逃げ出した。



※※※


 「何処に行っていたの?お前が勝手なことをするから、計画がめちゃくちゃよ、もう引越しはできないわ、お前のせいだからね」

 「お前の父親の血は呪われているから、みんな殺されたの。離婚して私の姓になったから、あんたは生き残ったのよ、もっと感謝しなさい」

 明け方に家に帰ったシゾンはベッドに篭り、半狂乱の母親を何とかやりすごした。今までは、冗談だと思って聞いていた口癖の数々が、物質的な痛みを伴ってシゾンを責めたてた。今日一日、シゾンの無意識の些細な反応でさえ、母親を激高させるのに十分だった。

 夕方になるとやっと疲れたのか、母親はTVの前に座り無表情で画面をみつめていた。この世界の大勢の人と一緒に、ぼんやりとその瞬間を待つことにしたのだろう。ロスクの乗った宇宙ロケットが打ち上げられる瞬間を。

 シゾンは、母親の背後で存在感を消しながらTVの音声だけを聞いていた。次にロスクが帰還するのは90年後です、とアナウンサーが喋っている。シゾンは思う。これから先、何が起こるかわからないが、夕闇迫る中、ロスクのロケットが時空を越えて宇宙の彼方へ飛び立つとき、何を感じるのかを憶えておこう。

 赤いカウチの上で冷たくなって眠っていたロスクのことを思い出す。ロスクは、次のフライトで自分が死ぬとわかっていた。たとえそうだとしても、彼が何を考えようが、何をしていようが、“自分が”伝えたい言葉はなかったのだろうか。あの夜、大爆発のあとの虚無のようなものにこの手で未来の可能性を全て投げ込んだのだとシゾンは思い、今できる唯一のこととして必死に耳を澄ました。

 やがてカウントダウンが始まり、大きな音が響き、画面が白くなる。小さな部屋にホワイトノイズが立ち込める中、シゾンは最後に呟いた。

 「……連れて行ってくれ」



 その日、若者は定刻どおりに旅立ち、やがて暗闇の中で一際輝く星になった。

 シゾンの発した声に驚いて母親が振り返ったとき、既にシゾンはどこにもいなかった。僅かな彼の荷物も無くなっていた。




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